第18話 序列戦に挑ませる
地上序列における立ち合いの申請は基本的に端末から行われ、対面でも行うことができる。
申請相手が合意すると、その後、両者相談の上で日程と場所を決めてそれを学園に報告する。
昨日、媚薬で全ての判断力を奪われたレイラは霧生の言いつけにより、一連の手続きを完了させていた。
そして記念すべきレイラの初戦は今日、この大闘技場の一角で執り行われる手筈である。
時刻は昼過ぎ。ウォームアップと調整を済ませて先に大闘技場へとやってきたレイラは今、対戦相手を待つのみとなっていた。
「いいか、今日はもう何も考えずに戦え」
「…………」
初戦の相手は2950位の生徒。
レイラがいる1000〜3000位までの順位は、格上を選ぶ場合、100位差以内までしか立ち合いの申し込みができないシステムになっていて、さらに、100位の差がある生徒に勝ったとしても、その生徒の順位を一概に上回るとは限らない。
直近の勝率なども加味して序列は更新されていくのだ。上位においてはその変動も緩やかだが、下位は変動が激しい。
昨日は2988位だったレイラは、今朝確認すると2990位に下がっていた。
闘技場には霧生の弟子が戦うことを聞きつけた生徒達が集っており、明らかに下位序列戦の注目度ではない。見上げると、2階席の生徒が偏った密集の仕方をしている。
それに加え、何処からかこの序列を視る、講師達の目もあった。これに関しては霧生との因果関係はあらず、純粋に序列の厳正な判定のために観戦が必要なのだろう。
「緊張するのは仕方ないが、ビビるなよ」
「……」
先程から力無く闘技場の壁に寄り掛かるレイラは死んだ目をしている。
今日も昼までは調整も兼ねて訓練を行ったが、いつも以上に身が入っていなかった。
「聞いてんのか!」
この様子ではついに立ち合いを放棄しかねない。そう思ってガクガクとレイラを揺さぶる。
「お前の序列戦だぞ!」
怒鳴りつけると、レイラの目に感情が戻る。レイラの示す数少ない感情、つまり怒りである。
「私の……? 霧生さんがやらせてるだけじゃないですか!」
「いいや、お前が選んだ序列戦だ。昨日は確かに返事しただろ? 録音してるぞ、聞くか? ん?」
霧生は端末の録音をチラつかせる。レイラは顔を真っ赤にし、両手で耳を塞いで声を上げた。
「あああああああああ!」
脳裏にあの時のことが思い返されているのだろう。昨夜はあれだけでは済まなかったのだ。
時間が経って浸透することで媚薬はひときわ効果を発揮し、レイラは霧生にぴったりとくっついて離れようとしなかった経緯がある。
それはなぜか息を切らして駆け付けてきたレナーテが解毒の魔術を施すまで続いた。レイラにとっては屈辱極まりない記憶であろう。
「思い出したか? 思い出したなら気合いいれろ!」
「最低すぎます! 媚薬を使ってあんなことさせるなんて! マジでクズ以下ですよ!」
いつのまにか霧生達の言い争いに注目していたギャラリーがザワついている。
霧生はレイラの怒りを焚きつけることに成功し、口角を吊り上げていた。
「腹が立つか?」
「ええムカつきますよ! どれだけ私を振り回したら気が済むんですか!」
霧生はうんうんと頷く。
レイラからすればちょっとした言葉をきっかけに、やる気も無いのに厳しい訓練を押し付けられ、この上なく最低な手段で序列戦への参加を余儀なくされた。
「お前は怒っていい。怒るのももっともだ。でも今日、その怒りをぶつけるのは俺じゃあない」
「は?」
レイラは首を斜めに傾げた。
霧生は体を開き、言い争っている間に到着していた生徒をビシッと指さして、レイラの視線を誘導する。
その生徒はレイラよりも上背が低い、齢十くらいの少年であった。
「あいつだ」
呆けた顔のまましばらく黙り込むレイラ。
その表情は焦りに変わっていく。霧生の言うことが道理を逸脱していたからではなく、対戦相手を目にすることで、"勝負"がすぐ目の前にあるという実感が戻ったからだ。
「勝てる訳……ないですって。訓練を始めてからまだ一月くらいしか経ってないのに……」
大闘技場に現れた少年は、明確な覇気を携えてレイラを待っている。
最下位付近で歳も下だとはいえ、レイラが一人で立ち向かうには恐れるに足る風格を持つ生徒だ。
正直なところ、霧生も緊張しているのだった。
レイラにしてみると、否、客観的に見ても序列戦の敵は全て格上だ。勝てる見込みはあると言い切れるが、彼女の意識的な問題が足を引っ張り過ぎている。
「絶対勝て」
だからこそ、霧生はこう言うしかなかった。
敗北に意味が無い訳ではないが、どんな経緯であれ勝負するのなら、己の勝利を信じて臨まねば。それは経験に基づく霧生の絶対的な信条であり、レイラにもそうして欲しいと思っていた。
これ以上ここにいると立ち合いの邪魔になるので、霧生はそれだけ言って2階席に向かおうとする。
そんな霧生の袖を、レイラが後ろから引っ張った。
「せめて……これも訓練だって、言ってください。そしたら私、諦めて、やりますから」
腑抜けたことを言うレイラに喝を入れるべく、霧生は一瞬怒鳴りつけそうになったが、彼女の目を見て怒りを飲み込む。
それは勝負を恐れる負け犬の目だった。
しかし、ここ一ヶ月程レイラと過ごしてきた霧生は、懇願するように見上げてくるレイラの瞳から、その根底にある信条に似た何かを感じ取る。
霧生は溜息を吐いた。
信条と信条がぶつかり合って矛盾が生まれた時、どちらかその通し方を変えなければつけなければならないことを、霧生はつい最近学んでいる。
今回の場合、折れねばならないのはレイラのはずだ。しかし──
「分かった分かった、これも訓練の一環だ。だからごちゃごちゃ言わずに戦え」
霧生としては、レイラを勝負させるために最初からそういった理由を付けてもいいと思っていた。だがこの土壇場でレイラがそれを望むのでは、大きく意味が変わってくる。
霧生は彼女の求める言葉を与えてしまった。
弟子可愛さゆえに、思わず甘やかしてしまったのだ。
勝利の高揚感を奪うことになるかもしれないと、分かっていながら。