第17話 わからず屋にはこれ
アダマス学園帝国には学園が管理する生徒の序列があり、それは立ち合いの勝敗を元に定められる。
その立ち合いを生徒達は序列戦と呼び、学園には2種類の序列戦が存在していた。
一つは、天上宮殿で行われ、序列に対して意欲のある天上生のみが臨む《天上序列戦》
《技能》を極めんとし、地上を後にした天上生達が、成長や優劣を確かめ合う清く正しい立ち合い。
ユクシアが一位に君臨したのは生徒達の記憶にも新しい。
もう一つは、広大な学園下界における《地上序列戦》
《技能》を会得した生徒が己の才能を確かめ、頂点を目指し、実力をふんだんに誇示し合う熾烈な立ち合い。
それには学園の生徒なら誰でも参加できるという訳ではなく、一定の成績を修めるか、才能を見越して講師が推薦するかなどしなければ、名を連ねることすら許されない。
特に地上の序列戦は学園側の厳正な審査を持って、生徒を参加させるかどうかの吟味が行われるのだ。
当然だが、霧生に推薦されたレイラが参加申請を行ったのは地上序列戦の方である。
レイラの序列戦参加に正式な認可が降りたのは、ミートソースを朱肉に拇印を決めた申請書を霧生が一目散で学長の元へ届け出してからおよそ一週間が経った頃であった。
「レイラ、来た! 来たぞォォォ!」
第3訓練場。
端末に掛かってきた学長からの通話を取り、一時レイラから目を離していた霧生は認可の知らせを聞いて雄叫びをあげた。
「レイラ! 聞いてるのか!? やっと来たぞ!」
レイラの推薦について快く許諾した学長に対し、霧生を良く思っていない講師が反発したので少々揉めたそうだ。それで認可には時間が掛かった。
こういった調子で序列戦の認可には時間がかかることが往々にしてあるらしい。講師達にもそれぞれ贔屓にしている生徒がいて、学園も一枚岩ではないのである。
「聞いてますよっ! なにが……! うわ! ……もしかして! 序列戦の、認可ですか!?」
汗だくになっているレイラが、演武を続けながら途切れ途切れに問い返してくる。
3週間にもなるとレイラの演武もだいぶん様になってきた。序列戦に向けて演武のメニューを変更し、ますますハードなものにしていたのだが、気絶の回数は劇的に減っている。
どうやら彼女もようやく《技能》への理解が深まり、体を動かすコツを覚えたらしい。
さらに睡眠時間を削って稽古の時間を増やした甲斐があるというものだ。
とはいえ依然として訓練に身が入っている様子はない。しかしもう霧生はそれについて言い聞かせるのは止めていた。
いくらレイラを鼓舞する方法を考えても無駄なのだ。
結局レイラは褒めても素直に受け止めないし、霧生も霧生でマトモに褒められず、最終的にお互い逆上するのが恒例のケースになっている。
ユクシア達を手本にするのは間違っていた。
何かと悩んでしまったが、霧生は一貫していればいい。試行錯誤は必要無い。
そう、熱い想いを持って接し続ける。そこに打算を含めば、レイラも応えるに応えられなくなってしまう。
「一旦休憩! こっち来い!」
霧生が言うと、演武を取りやめたレイラは渋々といった様子で霧生の元にやってくる。
訓練場の隅に置いてあるペットボトルを手元に引き寄せて、レイラに手渡す。
「これを見てくれ。ほら、お前の名前が載ってる」
霧生は生徒の誰もがアクセスできる序列表のぺージを開き、レイラの前に出す。
ペットボトルの水をあっさりと飲み干したレイラは、汗だくの顔を端末に近づけ、顔を引き攣らせる。
「ホントにある……。悪夢だ……」
端末を取り出した彼女は自分でもそれを確認する。プロフィールに順位が記されてることを見て、序列表をかなり下にスクロールした所にもレイラの名前が確かに載っている。
「それで2988位って……」
その順位ならほとんど最下位である。
順位に目をやっていなかった霧生はそれを聞いて頭を抱えた。
「嘘だろ!? ちょっと待て!」
「ホントですよ。正しい評価です。霧生さんは序列戦を甘く見すぎ──」
「すげぇ! そんなに下ならいったい何回勝てちゃうんだよ!?」
初期の序列は直近で行った適正検査と各講義の成績で決められる。レイラの適正は武術C、魔術Gで、講義にはほぼ出ていないので確かに納得の順位である。
しかし勝敗を分けるのはステータスだけではない。
この3週間、レイラには身体コントロールのなんたるかを徹底的に叩き込んだ。相手の適正が大きく上回っていても勝ち筋を作れるように。
端末で序列戦の情報を目にしていると、霧生も序列戦に名乗りを上げたくなって来たが、天上選抜戦に推薦された経歴を持つ霧生は序列戦には参加できない。天上入りの権利も捨てたため、天上序列戦も同様である。
今思うと惜しいことをしたと霧生は後悔した。
だが、その分レイラに勝って貰えばいいのだ。
「もっと喜べ!」
汗でびっしょりの背中をバシバシと叩くと霧生の手が濡れる。
レイラはかつて無い程げんなりとした顔をした。
「……喜べるワケないし、勝てませんから。はぁ……何がサイアクかって、これのせいで結局訓練がキツくなったことですよ……」
ことある度にマイナスの表情を更新させる彼女だが、今日のは大幅更新である。
「……序列戦なんて、出るつもりないのに」
ピタリ。
レイラの名前が序列に加わり、気分が良くなっていた霧生の顔が強張る。
「あ? なんつった?」
「出ないって、そう言いましたけど? そりゃあ当たり前でしょ。霧生さんが勝手に申請したんですから」
「…………」
フーーーと深い息を吐き出す霧生。
まあ、こうなるのは分かっていた。
レイラは訓練には本気で取り組むといっただけなので、実戦は断固拒否するだろうと。
これも訓練の一貫だと言ってもきっと納得はしない。
せっかくどれだけ強くなったかを知るチャンスであるのに、ここまで地獄のような特訓を経て、まだ自分を信じようとしない。
序列戦には強敵は多い。しかし他人にここまで後押しされて、普通なら自分を試したくなるはずなのだ。
だが、レイラは折れない。そこだけは絶対に折れないのだ。全くもって、希望に手を伸ばさない。
「……レイラ、俺は残念だよ」
ジリと、レイラに一歩を踏み出す。
「いつまでもこうして無理強いしないといけないのが」
《気当たり》を放つと、レイラは即座に身構えた。
「じ、実力行使、ですか……いいですよ。好きなだけボコボコにしてみてください。無駄ですから」
「ああそうする」
スパーン!
霧生が掛けた足払いで、身構えたレイラはいとも簡単にすっ転んだ。霧生はその上に馬乗りになる。
「な、なにを……!」
「わからず屋にはこうだ」
──御杖流、《添え千手》
無数に繰り出された手が狙うのは、レイラの腹や首。霧生はレイラを思いっきりくすぐり始めた。
「きゃふっ……、あっ、あっ、あははははははははは! ちょ……、きゃはははッ! 待ッ!」
一瞬我慢しようとして、すぐに大声を上げて笑い始めたレイラ。
このくすぐりにレイラが耐えられるはずもなかった。筋肉の弛緩や《気》の巡りを視ている霧生は、どこをくすぐるのが的確かを常に把握しているのだ。
「どうだ!? 序列戦、嬉しいか!?」
くすぐりながら問いかける霧生。
レイラは身をよじって笑いながら首をぶんぶんと横に振る。
「き、きゃはははははははははッ! 待ッ、やッ、あはははっ!」
霧生はくすぐりの手をさらに強める。
「嬉しいかァァァ!?」
「あッひははははははっ! やめっ! きりゅ……! あはははは!」
「序列戦に出るかぁぁぁぁぁぁ!?」
「あはは、きゃあはははははっ!」
やがて全力でくすぐることで、耐えられなくなったレイラは笑いながらコクンコクン頷いた。
それを見ると霧生は責めの手を止め、レイラの上から退いた。
「ふう、やっぱり話せば分かるもんだな」
そう言いながら笑い疲れてぐったりとするレイラに手を差し伸べる。
目に涙を浮かべ、しばらく肩で息をしていた彼女はおもむろに体を起こし、差し伸べられた手をパシンと叩き払った。
「ふざけるな! こんなんで出るわけない!」
あまりの頑固っぷりに腹が立つ余り、霧生は目眩がした。睨みつけてくるレイラの目からも断固たる意思を感じる。
「お〜ま〜え〜は〜ッ!」
このままでは埒が明かない。
霧生はもう一つの強行手段に手を伸ばすべく、ローブの内ポケットに手を突っ込む。
「今度はなんですか! ハハ、何をしても無駄ですよ! 私が取り組むのは訓練だけです!」
霧生の内ポケットからは、レイラにも見覚えのあるピンクの液体が入った小瓶であった。
天上生キュリオが作った強力な媚薬効果のある術酒である。
「び、媚薬……、また飲むつもりですか、気持ち悪いから止めてください!」
霧生は無言で小瓶のコルクをきゅぽんと抜く。
その後、体半身を起こしてこちらを睨むレイラをギンと睨み返した。
「ちょ、うそでしょ……? まさか……」
急に弱気になり、ずりずりと後退するレイラ。
しかし霧生は止まらない。
「今度はお前の番だッ! お前も一回俺を好きになってみろッ!」
そうして飛びかかった霧生は、抵抗するレイラを御しながら、逆さにした小瓶をその口に押し込んだ。
「むぐ……っ!? ぐぅ……!?」
ゴクン。数秒の攻防の果て、レイラの喉が膨らみ、それが胃へと落ちていく。
「あ、うああああ! あ、ああ……!」
喉を押さえ、媚薬を吐き出そうとするレイラだったが、その効果はすぐに表れ、徐々に動きが緩やかになっていく。
術酒に対して何の耐性もない、《気》の流れを操作してその効果を調整することもできないレイラは、媚薬の威力を一身に受けていた。
顔を真っ赤にし、霧生から目を離せないレイラ。その途方も無い頑固な意志力で、媚薬すら跳ね除けてしまったらもうどうしようもなかったが、効果は例に漏れず覿面である。
霧生もそうだったように、いくら自我が強くても媚薬が捻じ曲げる自我とはベクトルが違い、方向を間違えた抵抗は意味を為さない。
「クク、ククク……、ダーッハッハッハッハ! どうだ、レイラ! 参ったか!?」
あの生意気なレイラを完全に無力化したことで、霧生は堪えきれず高笑いした。
そして顔を真っ赤にして動けないレイラの顎をクイと持ち上げると、彼女は体を強張らせ、ぎゅっと目を瞑った。
そんな彼女の耳元で、霧生は声を低くして囁く。
「序列戦、出ような?」
レイラは為す術もなく答えた。
「は、はいぃ……」
ピッ、端末でその返事の録音を完了させる。
霧生は立ち上がり、レイラを見下ろして言い放った。
「粉砕」