第13話 弟子の苦悩に苦悩する
「違う! もっと顎を引いて、脇を締めろ! 蹴りはこう、こう! 踏み込すぎるな! 力が入らないだろ!」
振るった竹刀を地面に叩きつけ、6時間以上演武を続けて息も絶え絶えになっているレイラの隣で手本を見せながら霧生は叱咤する。
レイラの猛特訓が始まってから2週間が経っていた。
既に車椅子から脱却した霧生の負傷はさらに快方に向かい、完治にはもう少し掛かりそうだが、激しい訓練も実施できるようになってきていた。
勝利学がある日以外、霧生は毎日朝から晩まで彼女に付きっきりである。
レイラはというと、リューナに合わせた講義を受けるようになるまでは、半日を寝て過ごし、それ以外の時間は食事か娯楽、もしくは付き合いで他の生徒と軽い訓練をするだけの生活を送っていたらしいので(スタンズへの聞き込みで発覚)、他の予定の心配は無く、霧生との時間を思う存分に取ることができている。
今の彼女に安息の時間があるとすれば、食事の時間と、5時間だけ許された睡眠時間のみである。
足りない睡眠時間や肉体疲労はある手段で補っているため憂いは無かった。
「ハァッ……ハァッ……!」
「呼吸に気を遣え!! 無駄な《気》を漏らすんじゃない!」
「ハァッ……、ハァッ……、ハァ……、ハァ……、もう…………限界」
ふらふらと前進し、そのままパタリと倒れるレイラ。
霧生は壁に埋め込まれた時計を見やる。
時刻は午後8時。レイラも体力が付いてきたのか、気絶の回数もかなり減ってきた。
「いつも思うけど、やらされてるのに気絶するまで動けるのは凄いなあ。普通ならこうなる前に制御するでしょ」
すっかり第3訓練場に居着いたレナーテがレイラの気絶を見て歩み寄って来る。
霧生は意識を失った汗だくのレイラを肩に担ぎ上げて苦笑した。
「ああ、お前もこいつの卓越した頑固っぷりが分かってきたか?」
2週間にも渡り、霧生が直々に鍛えたのだ。
毎日一周ずつ増えていく学園周回や、《気》の放出トレーニング、技の稽古などを経て、レイラも徐々に冴え渡っていく肉体に気がついているだろう。
にも関わらず、彼女が研鑽に喜びを見出し始める兆候は一切無く、未だ"やらされている"状態。
いい加減少しはやる気を出してもいいはずなのに、頑なに自分の可能性を否定し続けるためだけに全力を出しているのである。
霧生の想定すら軽く超えてきている。
レナーテは唸った。
「もう魔術を教えたら? それならちょっとはやる気出すかも。なんかこだわりがあるみたいだったしさ」
レナーテの案を聞きながら、レイラを担ぐ霧生は第3訓練場の出口へ向かう。
「それは多分逆効果になるな」
医療センターへの道のりを歩き始めながら霧生は言った。
「なんで?」
「こいつは魔術家系の生まれなんだよ。それも名家だ」
レイラと過ごす時間が極端に増えて、彼女の事情を知る機会も増えた。
この情報に関しては生徒名簿から得たものだが、それに結びつけて霧生は彼女の行動理念やこの学園にいる理由のおおよそを推察していた。
その情報だけで色々と想像を膨らませたレナーテは、眉を寄せて苦しそうな顔をする。
「……じゃあ私この前、超いらないこと言ったじゃん」
魔術を習うことを仕来りとする家に生まれて、その才に恵まれなかった。
魔術の道を往くレナーテなら、それがどれだけ悲惨なことかは想像に容易いだろう。
霧生はレイラには帰る家が無いのかもしれないと勝手に推測している。見限られたか、それともレイラが帰りたくないのか。
とにかく、やる気も無い内から想い入れの強い魔術を強いてしまうのは良い結果に繋がらない気がしていた。
「うわぁ。最悪じゃん私。いつも人の気持ちが分からないんだよぉ〜」
頭を抱えて嘆くレナーテ。
そうは言うが、レイラの性格や振る舞いからその事情を言い当てるのは難しい。霧生も最初は単に魔術に憧れていた過去があったのだろう、くらいに思っていたのだ。
「そんなに気に病むことか?」
家のしがらみなどこの学園ではありふれた事情だろう。
「だってさぁ……」
頑なに自分なりの勝利を目指したエルナスとは違い、レイラは頑なに何もしてこなかった。
否、かつては努力していたのかもしれないが、無理にでも納得して諦めたのだ。
そういった選択を自分の中で済ませているレイラに優しい言葉は必要無い。
「レイラがどんな想いを抱えてようがお前にも俺にも関係ないことだろ」
消沈するレナーテに霧生は持論を持ち掛けた。
「こいつがそれを伝えようとしない限りはな」
霧生は霧生なりに、レイラがそれを曝け出してくれるように努めているのだ。
出来る事はそれだけ。勝手な偏見で想いを汲み取られて同情されても、レイラは余計に心を閉ざすだけだろう。
「……うん」
そうこう話しているうちに医療センターに着いた霧生はレナーテと別れ、かかりつけの医師シュウ・ズーシェンの医務室に訪れた。
椅子を回転させて振り返り、霧生に担がれて四肢がブラリとなっているレイラを見たシュウは溜息を吐いた。
「またか」
「またです。よろしくおねがいします」
レイラを医務室のベッドに下ろし、霧生はシュウにお辞儀をする。
彼女はのっそりと立ち上がり、ベッドの傍らにある医療機器を作動させると、スタンドに点滴ボトルをぶら下げ、そこから伸びるチューブ先の針をレイラの腕に穿刺する。
無駄の無いテキパキとした動作で彼女の手足に機器を取り付け、脇のモニターを操作するとレイラのバイタリティステータスが表示された。
レイラがこれから受けるのは、学園最先端のメディカルヘルスケアだ。
これは学園の生徒の中でも極一部の優待生のみが受けられる特権的サービスであり、魔術と医療科学が組み合わさった高度な技術で睡眠不足や肉体疲労などの身体的問題を短時間のうちに解消させる医療措置である。
これを受けることにより休むことなく長時間の研鑽が可能になる。
学長に頼み込み、霧生はこれをレイラも受けられるようにしてもらったのだ。
「また適正が少し上がってる。まあ武術の方だけだが」
モニターを見ながらシュウが言う。
霧生は拳を握りしめた。レイラの成長は、彼女が自分で喜ばない代わりに霧生が喜ぶ。
「それは何よりです」
「君は頭がおかしいが、師としては一流らしいな」
それには首を横に振った。師としては三流を称するのもおこがましい。霧生はまだまだレイラの力を引き出せていないのだ。
一刻も早くレイラを自分でも驚くくらい強くして、研鑽が無駄でないことを悟らせなければならないのに。
「しかしこの子はいつも絶望的な表情で目を覚ますんだよ。比較的凄まじい速度で成長しているのに」
でなければやる気の無い彼女に苦痛を強いることに、霧生の方が嫌になってしまう可能性もある。
霧生はレイラがいつかはその気になると信じ切っているので、それはごくごく僅かな俯瞰的可能性だ。だが無視はできない。
そうなったらそれはレイラに対する敗北を意味し、同時に裏切りにもなるからである。
ここまで巻き込んだ以上、それだけはあってはならないことなのだ。
レイラをシュウに任せ、霧生は医療センターを出た。
「どうすればいい。どうすればいいんだ」
こめかみに人差し指を当てながら、夜の中央区をぐるぐると歩き回る。
停滞はしていないが、進んでもいない。
ある程度上手くいっているのに、上手くいっていない。
霧生は現状をそう分析する。
長い目で見れば変わってくるのだろうが、何か時間が無い気がしている。
おそらくそれは年齢にあるのだ。
霧生も若いが、外の世界で色んな経験を積んできた。だから将来の展望を膨らませることができて、上手く行かないことでも根気よく続けられる。
しかしレイラはそうではない。今、この瞬間に希望を抱くことができなければ、きっとずっとこのままだ。
レイラのために出来る事は何があるか。どうすれば彼女をその気にさせられるのか。
氷のように冷め切ったレイラには、熱い想いを一方的にぶつけるだけでは駄目なのだ。
気持ちをリセットするべく、しばらく立ち尽くして無心を心がけてみれば、逆に強情なレイラに腹が立ってきた。
「ああ、クソッ! あのヘタレめが!」
愚痴を叫んで天を仰ぐと、暗い空に天上宮殿から漏れた明かりが銀河のように輝いている。
「…………よし」
霧生は一旦頭を切り替えて、ユクシアとリューナの様子をそろそろ見に行ってみることにした。