第10話 レイラの意表
青年の何もかもを見下したような瞳は霧生を捉えていた。背後に佇むスタンズは霧生に一瞥もくれず、ものものしい雰囲気を携えている。
彼を従えているということは、おそらく"才能潰し"の上格。その並々ならぬ《気》の巡りからして、新たにトップに立った男だと霧生は推測する。
「誰かは知らないが俺に用事があるなら後にしてくれ。勝負の最中だ」
表情を固めていくレイラを尻目に、霧生は言った。
彼は答えず、テーブルの反対側まで歩みを進める。身を包む古びたローブの内側から、ナイフの刀身が擦れ合う音がしていた。
隣に立った青年を、レイラがおずおずと見上げる。
「アドレイ、さん」
アドレイと呼ばれた青年は無言でレイラが座る椅子をコツンと蹴ると、レイラは慌てて立ち上がり、彼のために席を空けた。
「おい、レイラ! 待て、このっ!」
車椅子をガタガタと揺らし、引き止めても遅い。
空いた椅子へゆっくりと腰掛けたアドレイ は、フォークとナイフを手にし、未だ手が付けられていなかったミートパイを切り分け始める。
「ああぁ……」
霧生は頭を抱えた。あともう少しだったのに。もう少しで、レイラを振り向かせられる予感があったのに。
だがそれはもう叶わないだろう。すっかり冷めた目を取り戻してスタンズの隣に並んだレイラを見て、霧生は悟る。
なんたる無粋。断じて許容できない暴挙。横槍が許される勝負かどうかも見極められないのか。
目の前に座り、悠々と食事を始めたアドレイを《気当たり》混じりに睨みつける。
「選手交代か?」
その意図が無いのは明らかだが、一応尋ねておく。
冷めつつある料理が口に合わなかったのか、アドレイは食器を戻し、ポケットから取り出したタバコに火を着けた。
「ふう」
顔に吹き付けられた白煙を手で払い除け、霧生は首をゴキと鳴らす。
勝負なら喜んで買うつもりでいた。こちらから吹っかけても良いくらいである。
アドレイは残したミートパイの上でタバコの火を消すと、ようやく口を開いた。
「こういうことをされちゃ困るんだよ」
「どういう意味だ」
睨みつけたまま問い返す。アドレイは嘆息した。
「お前にエルナスを駄目にされて、うちにも変な気を起こす輩が増えた。散々他を蹴落としてきたのも忘れて、今さら再起を目指して清い研鑽を始める奴らだ」
「そうか、それならまた潰してみせろ。悪いが俺には関係無い」
終始つまらなさそうに目を落としていたアドレイはそこで初めて視線を上げた。
興味深そうに顎に手を当て、小さく笑みを浮かべる。
「いいや、俺は困るな。せっかくクズ同士で集まってよろしくやってるのに、お前のせいで輪が乱れ始めた」
今度は霧生が顎に手を当てる。
誰しもが深く通じる"勝利"を信条に置いている霧生は、それ故に誰かに影響を及ぼすことが多いことを自覚している。
それが多かれ少なかれ、その者にとって良くも悪くも、影響を受けた本人から異議を唱えられることはこれまで多々あったが、部外者にこのような形で物申されるのは初めてのことであった。
「それで今度はこの女に目をつけたと来た。万が一でもまたあんなことが起きてしまったらどう責任をとってくれるんだ?」
仮にこれをスタンズに言われたのならまだ理解できる。
しかし、言動からしても"才能潰し"のトップであることが明らかなアドレイは、無才とは程遠い珠玉の才の持ち主だ。
身の内から滲み出る自信は揺るぎない才能や研鑽の嵩、誰にも劣らないという確信から来るもの。
それを見抜いているが故に霧生は彼の行動原理を計りあぐねていた。
「さあな。どう責任をとればいい?」
真意はさておき、他者を貶めることに愉悦を感じるのなら輪を重んじる必要は無い。
霧生はアドレイを試すため、そんな問を投げかけた。
「そうだな……。誠意を見せてもらうことになるだろう」
言って、またフォークを手にしたアドレイは先程灰皿代わりにしたミートパイを無造作に突き刺し、それを躊躇無く口に運んだ。
怒りが引く。この男、形容はともあれ自分の中に何かしらの太い筋がある。
「誠意。……面白い、誠意ときたか」
例えば。霧生は新たにそう聞きかけて口を閉ざす。
これ以上の答えをアドレイから得ることはできないだろう。その代わり、念の為確認をとっておく。
「誠意さえあれば、お前は俺の行動を許容するんだな?」
「ああそうだ」
彼の話には筋が通っている。常日頃、霧生がどう振る舞おうとそれに許可など必要ないとは思うが、相手が筋立てて接するのなら霧生もその土台に上がるのが筋である。
「なら誠意の先払いをしておいた方がいいな」
「それも受け付けよう」
まさかレイラにこれほど強力な後ろ盾があろうとは思いもしない。当の彼女はアドレイの後ろでどこか挑発的な笑みを浮かべている。
かわいい奴だ。例えこの問答でアドレイを納得させることができなくとも、霧生にはレイラを諦めるつもりなどさらさら無いというのに。
冷めたチャーハンおにぎりを食べながら考えてみる。
霧生の行動をアドレイが許容するために必要な誠意とはなんだ。
ミートパイを飲み込んで、今度は舌鼓を打つアドレイ。
その折を見て、いくつか誠意を思いついていた霧生は訪ねた。
「分かりやすい方がいいか?」
「なるべくな」
「分かった」
ポケットから端末を取り出した霧生はそれに番号を打ち込み、とある生徒に通話を掛ける。
プルルと耳に当てた端末が着信中の音を鳴らす。コールには出るか否かで迷っている間があり、しばらく待ってから応答があった。
『用件次第では問答無用で切るよ』
霧生が通話を掛けたのはハオだった。開口一番に冷たいことを言い放つ彼に用件を述べる。
「妹に代わってくれ。そこにいるだろ?」
『争いに関わることなら代わらない』
「夜雲は争いには一切関わらない」
『ったく、物は言いようだよ。……まあいいや、夜雲、兄貴が代わってくれって』
向こうでゴソゴソと端末を手渡す物音がして、緊張した声が耳に響いた。
『な、なに、兄ちゃん』
「お前、家から金持って来てるよな?」
『え……? ああ、うん、多少は。日本円だけど……』
「よし、じゃああるだけ持ってこい」
『え』
夜雲の返事を待たず、一方的に通話を切った霧生は端末をポケットにしまう。
そしてアドレイを見る。彼は笑い出しそうになるのを堪えていた。
「少し待ってろ」
そう言った直後、何の前触れもなく、アタッシュケースを手にした夜雲が霧生の隣に降り立った。
あまりに唐突であったので、スタンズとレイラが目を丸くした。学園でも馴染みの深い《転移回路》などは、発動に何かしらの前兆が見受けられるが、夜雲のそれは違った。
場所も伝えていないのにこの速度。やはり腕を上げたらしい。
と言っても、ハオに弟子入りした彼女が行き着く先に、この技術はもう必要無い。
夜雲はさっと周りを見回して、テーブルの上にそれを置く。
変わるという意思表示か、ハオの趣味か。
以前までは後ろで結び、服の中に放り込むだけだった長い黒髪が、丁寧に整えられて重力に従っている。
これだけでかなり印象は変わるものだ。
視線に晒され、髪を落ち着かなさそうに手で掬いながら、夜雲は言った。
「……全部持ってきたけど、これでいい? 1億ある」
「ああ。助かる」
「返さなくていいから。そ、その代わりあの人が来たら、その、お願いだよ……?」
あの人というのは祖父のことだろう。
元より祖父が夜雲への制裁を実行しないよう働きかけるつもりでいるが、幼い頃から恐怖を植え付けられている夜雲は御杖を裏切った今、気が気でないはずだ。
彼女を安心させるため、霧生は大きく頷く。
ホッと胸を撫で下ろした夜雲は、踵を返して大食堂の出口に向かった。
夜雲が立ち去って、テーブルを軽く整理した霧生は日本札がギッシリと詰まったアタッシュケースをアドレイの前に開いて見せた。
レイラがポカンと口を開く。
「これなら分かりやすいだろ」
誠意と言えば真っ先に挙がるのが金だ。
文化的な生活をしようとすれば誰しもが必要になるもの。下手に趣向を凝らすよりはこれが良いと霧生は考えた。
「クク、ははははは!」
とうとう堪えきれずか、アドレイは声を上げて笑い出した。
「聞いていた通りのイカれ具合だな」
霧生は互いが一番傷付かない誠意を選んだつもりだ。
これで納得がいかないのなら、勝負でアドレイを叩きのめす誠意もあるし、土下座で苦渋を舐める誠意もある。
結果的にアドレイとしては何でも良かったらしく、一頻り笑った後、閉じたアタッシュケースをスタンズに持たせた。
彼はグラスに残ったワインを飲み干すと、用は済んだとばかりに立ち上がる。
「お前の誠意、確かに受け取った。釣りを受け取ってくれるか?」
「ああ」
次の瞬間、アドレイが側面に踏み込んでくる。
「……!」
速い。手負いであるからと言えど、霧生の反応がここまで遅れたのはこの学園に来て初めてであった。
上から斜め一線に振り抜かれた拳に頬を差し出す。
バチン。衝撃と共に霧生はその場から弾け、あえて受け身を取らず、頭から地面に衝突してバウンドした。
自傷魔術で既にボロボロの体には堪える一撃だった。
「癪に障ったらまた会いに来る」
なんとか体を転がして、霧生は床の上で大の字になる。そして大笑いした。
「……はっ、ははは! はははははは!」
学園にはまだまだ霧生の知らない猛者が隠れているらしい。その事実に打ち震えた霧生は笑いが止まらなかった。
そんな霧生を一瞥し、出口に向かって歩を進めたアドレイに続き、遅れてスタンズとレイラも後を追う。
しばらく進んだ所で足を止め、レイラの方に振り返ったアドレイはこう言い放った。
「お前は除名だ」
「……え? ……は? ちょ、ちょっと待ってください! どういうことですか……!?」
「もう二度と顔を出すな」
レイラの顔がかつてないほどに引き攣るのが分かった。