第9話 白熱の大食い勝負
「…………」
唐突な勝負を吹っかけられてもレイラは何も言わなかった。口答えが十八番の彼女が真っ先に拒絶しないのは意外だ。
それどころか、別段落ち着いた様子で「それで?」と言葉の続きを促して来る。
「もし俺に勝つことができたら、俺はお前のことを諦める」
「私が負けたら?」
「正式に俺の弟子になれ」
勝負の条件を言うと、しばらくの沈黙を置いた後、レイラは僅かに口元を吊り上げた。
「私が勝ったら金輪際関わってこない、それでどうですか?」
多少条件を付け加えられても問題無い。
基本的に霧生は負けた時のことなど考えないからだ。
しかしレイラが勝負に前向きな姿勢を示すとは思いもしない。ありとあらゆる手でレイラを乗せてやろうと考えていたが、手間が省けた。
「いいだろう。お前が勝ったら俺はこの先視界にすら入らないよう努めよう」
「そういうことなら、ぜひ」
余程自信があるのか、不敵に笑ってみせるレイラ。
腹が減りすぎて自信過剰になっているのだろう。彼女はすぐに後悔することになる。
「ここにある料理をより腹に収めた方の勝ちだ。何か質問は?」
「霧生さん」
湯気の立つ一面の料理を見渡した後、レイラは小さく手を挙げる。
「なんだ?」
「足りるんですか? これで」
「あ?」
一瞬何を言われたのか理解できず、霧生は首を傾げた。
テーブルの上にはすでに常人では到底食べきれない量の料理が並べられている。
それを前にして足りるか、だと?
少しずつ理解が追いついてくる。食べ切れる確信があったとしても今のは余計な台詞。
つまり、レイラは煽ってきたのだ。
技能においては腑抜けもいい所であるのに、勝負の趣を少し変えた途端調子づいた。
──ふかしやがって。
なんと憎らしく、そして愛らしいことだろうか。
霧生はバキバキと拳を鳴らす。
「良い度胸だ。大将! 天上盛りチャーハン二つ追加で!!」
完全にスイッチが入ってしまった霧生は厨房に向かって声を上げる。
テーブルに体を戻し、再び視線が交差したのを皮切りに、勝負は始まった。
真っ先にレイラが先程からチラチラと気にしていたチーズナンを鷲掴みにして口に詰め込む。
「あ」
やはり目をつけていたのだろう、少なからずショックを受けた様子のレイラ。
「ハハッ! 馬鹿みたいにうめぇ!」
「このっ……!」
レイラはそれに対抗するべく、霧生が先程半分に切ったステーキの片割れにフォークを突き刺して、こちらを睨み付けながらそれを頬張る。
霧生は感心して目を細めた。
まずは敵の好物を予想してそれを潰す攻防。食卓フリーの大食いバトルでは定石の戦法である。
──こいつ、素人じゃないな。
それが分かると尚更勝負に気合いが入った。
腹を空かせたレイラは次々と料理を口に運んでいき、霧生もそれに合わせて食事を開始する。
しばらく黙々と食事が進む。
レイラは一定のペースを保ち、こちらの出方を伺うかのような食事展開を決めていた。
そっちがその気なら。
霧生は両手に《気》を纏い、先手を打った。
「御杖流──《千手採り》!」
傷の痛みに耐えながら神速で繰り出す両の手。右手には箸、左手にも箸。
勝つためなら食事の作法など気にも止めない。場に並ぶ料理の中から最高の食べ合わせ、消化に良い組み合わせを反射的に分析し、目にも止まらぬ速さで口に放り込んでいく。
あくまで大食い勝負。最終的に食べた量が勝敗を決めるのだが、開始早々正面でこの速度を見せつけられたら焦りが出るはず。
──どうだ、レイラ。俺が怖いか?
料理を口に詰めながら彼女を見やると、霧生は目を瞠った。
霧生の激食を目の当たりにして、レイラは自分のペースを保っていたのだ。
既にパンパンに膨らんだ頬。もぐもぐと咀嚼するレイラの表情が幸せそうに緩んでは、次に選ぶ料理を定めて顔を引き締める。
確固たる自分のペースを維持し、食を楽しんでいる。
素人の域を出た程度ではない。この女、食事においては手練れも手練れだ。
レイラは余裕を見せつけるようにナプキンで優雅に口元を拭った。
「やるな」
一度手を止めて口の中の料理を飲み込むと、彼女に称賛を送った。
媚薬の効果も相まってか、レイラの魅力値は霧生の中でうなぎ登りである。
「何を勝手に盛り上がってるんですか」
呆れたようにレイラは言い、霧生は眉を顰めた。
「何って、お前が……」
うだるようなこの勝負熱を彼女は感じていないのだろうか。
レイラとの間で何かが噛み合っていないのを感じた霧生は思考を巡らせる。
「……ッ!」
答えはすぐに導き出された。
これは勝負であるのと同時に、人と人が向かい合った食事なのだ。
それは由緒正しき文明的行為。勝負を楽しむことも良いが、食事を楽しむことを蔑ろにしてはいけない。彼女はそう言いたいのだろう。
勝つことばかりに目を向けていた霧生を、レイラが憐れむように見ていた。
「くっ、そういうことかよ……!? レイラ……!」
「……?」
やはり媚薬を飲んでよかった。普段なら見えないレイラの良い所がどんどん見つかっていく。
そしてもし飲んでいなければ、自分の不埒な行いを省みることなくレイラを叱咤してしまっていたのかもしれない。
霧生はレイラのグラスにヴィンテージワインを注ぎ、自分のグラスにも波々注ぐとそれを視線の高さまで掲げた。
「……この出会いに」
《気》や《魔力》は心臓を起点とし、血流に沿って巡る。血行を促進させる適量のアルコールは技能者の体調管理に欠かせない。
「……いつも以上に頭がおかしいみたいですね。媚薬の効果ですか」
そう言ってレイラもワインに口をつける。
媚薬の効果と言えば媚薬の効果だろう。この術酒は感情に強く影響を及ぼすものだ。
かといって、霧生にはこの感動が仮初めのものには思えなかった。
「レイラ、食べるのは良いことだ」
「当たり前みたいに会話は成立しないし」
《気》や《魔力》を扱う者にとって、食事は何よりも重要視されるもの。食事の量や質がその生成に結びつくため、量を食べられるというのは一種の才能である。
空腹だったから。それを抜きにしてもこの時点でレイラが霧生に負けずとも劣らない大飯食らいなのは見て取れた。
「お前が食うのは見ていて気持ちがいい」
言うと、レイラは照れくさそうにしたのを誤魔化すようにパンを頬張った。
今度こそ一筋縄ではいかないことを悟っていた霧生は本来のペースで食事を再開するのだった。
それから一時間もすれば、テーブルの上には空いた皿が随分と増えていた。
霧生が勝負を始めた時はいつもこうなるのだが、大食堂にはギャラリーが押し寄せ、テーブルから一定の距離をとって二人を囲んでいる。
「誰と誰が戦ってるんだ?」「チャンピオンとよく分からない女だ」「賭けるか?」
周囲では賭けまで始まる始末。静かだった霧生達の食事はすっかり喧騒に呑まれていた。
「チャンピオンって、霧生さんのことですか?」
ギャラリーに囲まれ、どこか居心地が悪そうにしているレイラが尋ねてくる。
「そうだ」
大食堂での大食いレコードを保持していた前チャンピオン、天上生キュリオVS霧生の一騎打ちは、常連客の間で伝説として語り継がれている。
「そんなロクでもないこともしてるんですね」
「ロクでもない? その食いっぷりでよく言うぜ」
その時、テーブルを囲むギャラリーが割れ、一つの道が出来た。
その道を通り、厨房から現れたシェフが、2つの中華鍋を手に霧生達の元へやってきた。
どよめきが上がる。
鍋の上にはこれでもかというくらい盛られたチャーハン。目にしただけで大半の者が戦慄を覚える程の量。しかもそれが闌に現れたのだ。
霧生とレイラは《抵抗》を纏った手で熱気を発する中華鍋を受け取った。
「……流石に多いでしょ、これは。馬鹿すぎる」
「怖いか?」
「いや、全部食べられますけど」
「言うだけなら簡単だ」
果たしてこの天上盛りチャーハンを前に、いつまでその余裕が続くのだろうか。
霧生と言えど、天上盛りチャーハンは馬鹿にできない量である。
米10合に対して卵、玉ねぎ、刻みチャーシュー、エビなどの様々な具材がふんだんに使われており、消化と吸収が間に合わなければ物理的に胃に収まらない。
どんな大食漢でも、食べられる量には限りがあるのだ。
楽しい食事を極力努めてきたが、決着をつけることが決まっている以上、いつまでもそう言う訳にはいられない。
「楽しかった……、マジで楽しかったぜ、レイラ」
しかしここからは心を鬼にする。勝ちにこだわる。
この勝負でレイラを弟子にしたいという気持ちはより強固になった。他の誰でもない、レイラであればユクシアが育てるリューナに勝利することができるという確信を得た。
「あばよ」
霧生はいち早く巨大なレンゲを手に取り、チャーハンの攻略に取り掛かる。
レイラの心を完全に打ち砕くための算段はすでについていた。
そう、まずはこのチャーハンを半分ほど腹に収める。
そこで──
──俺は"おかわり"するぜ? このチャーハンを。
期待半分、勝負の終わりが見えてきたことへの寂しさ半分、霧生はさらにペースを上げ、熱々のチャーハンを口に入れては咀嚼し、飲み込んでは口に入れる。
そして早くもチャーハンを半分程食べ進めた所で、霧生はチラリとレイラの中華鍋を覗き込んだ。
「なっ!?」
霧生は目を見開く。信じられぬものを目にした。
レイラのチャーハンも、霧生と同じくらいの量にまで減っていたのだ。
「互角!? この俺と!?」
それどころか未だ彼女はプリンでも食べているかのような軽快さで次々とレンゲを口に運んでいる。
ギラリ。レイラの瞳に霧生の中華鍋が映る。
──もう終わりですか?
そんな彼女の声が聞こえた気がして、霧生はギリと歯を鳴らした。
レンゲを持つ手に自然と力が籠もる。
ここに来て唐突にペースを上げたレイラ。
この天上盛りチャーハンを自分より先に平らげられるのはプライドが許さない。
レイラもまた、"おかわり"を決めるつもりだとしたら、精神的優位にも立たれてしまう。
「チィッ!」
霧生は空き皿が下げられたことにより出来たスペースに中華鍋を置く。そして濡れ布巾で素早く手を拭き上げると、鍋の中のチャーハンを手のひらで掻き集めた。
「うおおおおおおおおおお!!」
「……」
レイラがドン引きしたような目でこちらを見ているが関係ない。
霧生は掻き集めたチャーハンを丸め、手で圧縮していく。
そうして出来上がったのは巨大なおにぎり。
米と米同士の隙間を埋めることで一口当たりの効率を最大限に引き上げる──!
「ダァーッハッハッハ! 終わりだレイラ! お前はちまちま食ってろ!」
そうして霧生が巨大おにぎりに齧り付いた時、レイラの食を進める手がピタリと止まった。
続けて二人を囲んでいたギャラリーは蜘蛛の子を散らすように去っていく。
おにぎりを片手に、その視線を辿って振り返ると、そこには霧生と同じくらいの背丈をした金髪の青年と、顔に無数の青あざを拵えたスタンズが立っていた。