第8話 飯で釣る
レイラを無理矢理引き連れ、やってきたのは中央区の医療センターのすぐ隣りに位置する大食堂だった。
学園には様々な人種が世界各国から集うため、ここではあらゆる文化に通じた一流の料理人が配属されており、技能者に適した栄養バランスの考えられた食事が幅広く用意されている。
無料で配給される食事もあるが、より良い素材の食事を求めれば当然値段も相応のものになる。
霧生とレイラが挟む、大食堂の中心のテーブルには豪勢な料理が次々と並び立てられていく。
いくらレイラが霧生のアクションに対して心を動かさないように心掛けていても、美味いものを不味いと思うことはできないだろう。
当のレイラは生徒端末をポチポチといじってまるで興味が無いですよと言わんばかりの態度をとっているが、残念ながらそれは無駄な努力である。時折チラチラとテーブルの上の料理に視線を移しているのを霧生は見逃さない。
しかし黙っていると頑固なレイラは一向に態度を崩さないので、料理が冷めてしまう前に霧生は彼女から端末をひょいと取り上げた。
「没収」
「……ちょっと、返して」
霧生は取り上げた端末を素早く操作し、彼女のプロフィールから所持金を確認する。
やはり成績も悪く、"才能潰し"での地位も低い彼女の持ち合わせは少なかった。ならばこのような料理を食べる機会などそうないはずだ。
さぞ魅惑的に映っているに違いない。
霧生は嫌味ったらしくレイラに笑みを向ける。そんな霧生の思惑を読み取ったのか、彼女は顔を顰めていた。
そうして端末を彼女に返そうとした時、プロフィールの年齢の項目が目に入る。
「ん? 15歳? なんだお前、年下だったのか」
同い年だと記憶していたが、どうやら年齢を偽っていたらしい。
理由は簡単に推察できる。標的であるリューナに体よく近づくためにそうしたのだろう。
体格差に違和感があったのはこれが理由か。この年齢帯での2年は基礎身体能力に大きな差が開く。
「ただでさえ才能が無いのに、2つも離れていたら尚更リューナちゃんには勝てないですね。諦める気になりましたか?」
端末を取られたことに不満そうな顔をしていたレイラだが、また都合の良い言い訳を思いつくと嬉々として口にする。
「まあ歳は関係ない。ふーん、やっぱり結構長いんだな」
プロフィールを探っていくと、彼女の受講履歴や成績、適正検査の結果まで表示される。
入学日から計算して、彼女は8つの時からこの学園にいることが分かった。
名家の生まれなどで学園に伝があれば、幼い頃からこうした環境に放り込まれるのも珍しくないようだ。数こそ多くはないが、そのような生徒は度々見かけることがあった。
勝利学を受講するノアもそうだろう。
「というか勝手に見ないでください。モラル低すぎ」
「お前が言うか?」
"才能潰し"の人間に道理を問われる筋合いはない。というのはレイラを黙らせるのに便利な方便である。
学長の計らいによって講師としての権限もある霧生は、学園が管理する名簿にアクセスすることができるので、それを見ればどの道手に入っていた情報だ。
「まあいい」
そう言って霧生は端末をテーブルの上に置き、箸を手に取った。
「俺の弟子になるメリットその一。毎日良い飯が食える」
レイラの眉がピクリと震える。続けてお腹がぐうと鳴るのが聞こえた。
「くくく……」
模擬戦では魔力欠乏を繰り返し、相当なエネルギーを使ったレイラだ。かつてないほどの空腹に苛まれているだろう。
「訓練の後の飯はいいぞぉ〜。それではお先に」
目を瞑って葛藤と戦うレイラ。
霧生は鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てる分厚いステーキを箸先でスパンと半分に切り分け、つまみ上げた片方を思いっきり口の中に放り込んで咀嚼した。
やや焦げ付いた肉の表面部を犬歯で貫くと、大いに赤みの残った中心部から溢れんばかりの肉汁が滲み出し、それがスパイスの効いた和風ソースにとても良く合う。
「うんまぁっ!?」
霧生は叫んだ。
「っ……!」
「ほら、お前も食え」
頑固なことだ。
馳走を振る舞うのは、最初はどんな理由でも構わないから少しでもレイラが訓練に精を出してくれないものかと願ってのこと。
それ故、別にこれを食ったからと言ってどうする訳でも無いというのに、レイラは未だ歯を食いしばって空腹に耐えている。
確かに逆の立場で考えるのなら、料理に手を付けることは屈服を意味するのかもしれない。
心から望まない訓練とは違い、食事は苦にならないものであるからだ。それがここまで豪勢であると尚更であろう。
「食べ物で釣ろうとしたって無駄です……!」
言葉とは裏腹に彼女はテーブルの上に震える手をそろりそろりと伸ばしていく。
ついに食欲が理性を上回ったらしい。
「ん? どれだ? 俺が取ってやる。このチーズナンか?」
霧生は優しく、にこやかに問いかける。食事は楽しく朗らかに摂るのが一番良い。
そしてテーブルにまで身を乗り出したレイラは────霧生の目の前に置かれた自分の端末を手に取った。
「その手には乗りません。私は帰ります」
端末を手に、姿勢を取り戻したレイラが席から立つ。
ピキリ。霧生の額に青筋が浮かんだ。
「お〜ま〜え〜はァァ〜!!」
ドンとテーブルに拳を打ち付け、霧生も立ち上がろうとしたが体の節々が痛んで敵わない。
ここまで己の欲求に否定的であるとは。頑固にも程がある。
否、頑固どころの話ではない、この女、性根が腐りきっている。
喝を入れてやろうと拳を握りしめた時、霧生はふと冷静になった。
──レイラを相手にこんなことで怒っていてはこの先が思いやられる。
「……こうなったら仕方ない。まさかこれを使うハメになるとはな」
握り締めた拳を開いて、霧生はローブの内側にあるポケットに手を突っ込んだ。
そこから取り出したのはピンクの液体が入った小瓶。霧生が瓶のフタを開けると、周囲に強烈な甘い匂いが広がった。
立ち去ろうとしていたレイラが足を止め、匂いの元である小瓶に視線を動かす。
「なんですかそれ」
「媚薬だ」
先におけるユクシアとの対決で用いたのと同じもの。有用さを感じた霧生はいくらかキュリオから譲り受けていたのだ。
「は?」
困惑の表情を浮かべ、その後自分が飲まされると思ったのか瞬時に身構えるレイラ。
しかしそれを口に含んだのは霧生だった。
匂いの割にはほろ甘く、少し苦味も混じったとろみのある液体を躊躇無く嚥下する。
「くっ」
効果はすぐに現れ、視界がぐわんと歪んだ。傷を負って耐性が落ちているからか、少量でもとてつもない効力を感じる。
「……は?」
「俺に任せろ、レイラ」
こめかみを押さえてつつも視線を外さない霧生を、レイラは唖然とした様子で眺めていた。
「何をですか……」
「まずは俺が……お前を好きになってやるぞ!」
弟子として育てることを決め、レイラに見所があると知っても、第一印象や、リューナを謀ろうとしていた先入観を拭い去ることは難しい。
それらがあるから、ことある度に不必要な反感を抱いてしまう。霧生の方こそ彼女に対して好意的であらねばならないのに。
「こ、こわ……」
後ずさるレイラ。媚薬に当てられた霧生には天啓が降りていた。
熱意のエクスチェンジ、深層心理のブレイクダウン、既成観念のディストラクション。
──つまり、勝負である。
彼女と対等な勝負をすることこそ、和睦の第一歩になり得る。
「席に着け、レイラ」
熱く火照った顔。灼熱が宿る瞳でレイラを見据え、霧生は静かに命じた。
彼女は怪訝な顔をしながらも渋々席に戻る。英断である。ここで断ればロクなことにならないのを早くも学んだらしい。
ウェイターが新たに料理を運び込み、テーブルの隙間が埋められていく。
ウェイターがテーブルから離れていくと、霧生は言い放った。
「俺と大食い勝負だ」