第5話 俺を腰抜けと呼んだ上級生の末路
ニースの先導により、霧生達は医療センターの隣の闘技場へ移動していた。闘技場は広く、アリーナ席を含めると万単位の人数が収容できそうなサイズである。
そこでは模擬戦や訓練に励む生徒がちらほらと見受けられ、アリーナ席にも点々と見物人が分散していた。
闘技場の隅、霧生とリューナが立つ前にはニースがいる。彼の取り巻きはアリーナ席の最前列から身を乗り出して、場を囃し立てていた。
「分かってるの? アダマス学園帝国では決闘が認められてるの。これで死んでも文句は言えないのよ」
「でも聞いただろ? あいつ、俺のことを負け犬って言ったんだ!」
「沸点が小学生以下! いいから危なくなったらすぐに降参して」
「リューナお前、良い奴だな。俺とは今日初めて会ったばかりなのに」
「私は人との関係を簡単に切りたくないだけ……というか大体アンタ、なんで白手袋なんか持ち歩いてるのよ!」
リューナが霧生の後頭部に平手を打ちつけ、良い音を鳴らす。
「手袋だけじゃないぞ」
言って霧生がポケットを弄って取り出したのは、果たし状、スペアの白手袋が数着、折りたたみ式の矢文etc──。それを見たリューナは呆れてものも言えないようだった。
「最初が俺で良かったな」
二人のやりとりを遠目に見ていたニースが口を開く。
「というと?」
「もっと野蛮な奴に絡まれていたら、お前の学園生活はここで終わりだった。だが安心しろ、俺はお前のこれからのために、少し教育をしてやるだけ」
パキパキと指を鳴らし、ニースはリューナに視線をやった。それにより、リューナは二人から距離を取る。
「せっかく下にいるから、開始の合図とジャッジは君が」
「……分かりました」
頷くリューナ。霧生は軽く腕を伸ばし、ストレッチを始めた。
「準備はいいですか?」
彼女は不安げな眼差しを霧生に向ける。
「いつでも」
余裕の笑みを浮かべてニースが言い、
「OK」
ストレッチを終えた霧生が親指を立てる。
「じゃあ、始めッ!」
リューナの掛け声に合わせ、ニースは地面に落ちていた小石を拾った。霧生はそんなニースを見据え、その場から動かない。
決闘だと言うのにまるで緊張を感じさせないニースの佇まいは、確固たる自信の裏付けである。
事実、それなりに出来るのだろう。
ブレない重心、先程からの間合いの取り方が武術側の技能者であることを証明している。無論、それが魔術をより有効的に扱うためのブラフである可能性も懸念せねばならない。
「俺の適正は魔術がC、武術がSの総合A。前年度の最終序列は22位だ」
「序列?」
「この学園では天上生を除き、半年に一度、学園内の順位を決める任意参加の序列戦が行われる。平たく言うと、俺はこの広い学園の中で今22番目に強いってことだ」
小石をもてあそびながら、ニースは得意げに質問に答える。
「へぇ、そりゃあすごいな」
「さて、ハンデはどのくらい必要だ?」
「遠慮はいらない。胸を借りるつもりで来い」
「タッハッ、まだそんなこと言えるのか。じゃあ一つ、予言をしてやるよ。
数十秒後、お前は地面に這いつくばって俺に命乞いをする──」
眠たい事を言うニースに、霧生のモチベーションは爆上がりだ。この場合は、相手が自分を見下していれば見下している程良い。対面している以上、すぐに"分からせる"ことができるからだ。
「ニース、やりすぎるなよー! でもちゃんと勝てー!」
「新入生がんばれー! 君が勝ったら一ヶ月昼ごはんタダなんだー! 頼むぞー!」
「お前ら何賭けてんだよ!」
外野の野次に返しながら、ニースは軽く一歩踏み込んできた。否、それは踏み込みという名の助走。闘技場の土を軽く踏みしめ、ニースは霧生目掛けて小石を投擲した。
小石は弾丸を思わせる速さで霧生の肩へと飛来する。
"気"を纏った凶器、的確に急所を外して狙っている。まともに当たれば大怪我をすること間違い無しだが、この学園の医療施設ですぐに対処すれば、命を落とすことはないだろう。
しかし小石は霧生に被弾する直前で、フッと姿を消した。
「なっ……!」
驚いたのはニースだ。想定外の事が起こり、彼は警戒レベルを一気に引き上げ、そこで初めて"構え"を見せる。重心を高いままにし、半身にした姿勢。《抵抗》も展開している。
そんなニースを含め、外野は何が起きたのか理解していない様子だった。
「今、何をした……?」
「ああ、見えなかったか」
霧生が拳を持ち上げ掌を開くと、そこには今しがたニースが投げた小石があった。
「え……?」「受け止めたのか……? ちっとも見えなかったぞ……」「おお!? これはワンチャン!?」
外野のざわめき。
霧生は投げられた小石をただキャッチしただけであったが、他の者達からすると違ったようだ。どうやら"目にも止まらぬ速度"でキャッチしてしまったらしい。
「その構え、西洋のクリスト流派だな。良いぞ、それに勝つのは初めてだ」
霧生は小石をニースへとポイと投げ返す。しかしニースはそれを受け止めることなく躱した。小石はニースの隣にポトリと落ちる。
「なんのつもりだ」
もはやニースの瞳は真剣そのもの。油断などは一切感じられない。
ただ一度、霧生が見せた想定外。それだけで全力を出すに値すると判断し、慢心を捨てた。やはりこう言った辺りで、この学園の質の高さを体感させられてしまう。
一つ惜しいのは、目が養われていないことである。ニースは霧生の実力を見抜くことができなかった。
実戦において『相手が格上かどうかを見極める力』は、最も重要視される能力である。
「さっきのは本気で投げてないだろ? やり直してくれ」
「いや、もう遊ぶつもりはない」
「そうか、残念だ」
もう先程までの自分を舐め腐ったニースとは会えないんだと考えると、霧生はその別れに少し心を痛める。
「そう言えば名前を聞いていなかった。なんて言うんだ?」
霧生は燦々と輝く太陽の下の、天上宮殿に一度視線をやり、
「御杖霧生」
名を名乗る。
「悪かったな御杖。お前は、弱くは……ない!」
言い終えるが早いか、ニースが一気に距離を詰めてきた。気付けば彼は霧生の眼前で拳を振りかぶり、今にも殴りかからんとしている。しかし次の瞬間、ニースの姿がブレた。
それは素早い軌道から急停止することで生まれる《残像》。
実用性のある武術の基本技能である。
「ハァッ!」
ニースは背後にいた。差し迫る拳。霧生は首だけで振り返り、その姿を捉える。
直後、ニースの渾身の拳が霧生の顎に叩きつけられた。
──ぐいっ。
が、振り被られた拳が衝突したにしてはなんとも拍子抜けな音が響く。
拳を受けたまま軽く仰け反っているものの、霧生にダメージはなかった。《抵抗》の強弱を調整し、ニースの拳をクッションするように受け止めたのである。
「うそ……だろ……!?」
《抵抗》は防御能力としての機能が高いが、武術において攻撃に転ずる時、それを相手と接触する部位に集中させるのが有効だと教えられる。
だがそれは他の部位の《抵抗》が疎かになることを意味し、達人ともなればその瞬間は隙とも呼べない程のほんの僅かな時間であるが、呆気にとられるニースは案の定拳に《抵抗》を集中させたままで、他がなおざりになってしまっていた。
霧生がそれを見逃すはずもない。
「──御杖流、鬼傅き」
──ダン!
二人を中心に一輪の土煙が波紋のごとく広がる。
霧生がかかとでニースのつま先をブーツの上から踏みつけていた。それはニースの脆弱な《抵抗》を貫き、指先の骨が砕ける感触をかかとに響かせる。
「ぐ、ぁぁぁ!!」
堪らず崩れ落ちるニース。
御杖流《鬼傅き》
ただつま先をかかとで踏みつけるだけの技である。なんとも大層な名前が付いているが、その昔霧生の祖先が鬼と対峙した時、つま先を踏みつけたら従者のように膝をつき頭を垂れて悲鳴を上げたという逸話が由来となっている。
「お、お前はGランクなんかじゃない……!!」
霧生はその場を飛び退き、土煙をコートの裾で横に薙ぐ。
「ニースが負けてる……?」「あいつ、何者なんだ……」「なんだなんだ、決闘か? ニースと、誰?」
取り巻き達は騒然。《鬼傅き》の衝撃で、ちらほらと他のギャラリーの注目も集めてしまっているようだ。
リューナも驚きを隠せないらしく、目を丸くしている。
「まだやれるか?」
霧生は苦しそうに呻くニースに尋ねた。
問には答えず、フラフラとなんとか立ち上がるニースの瞳からは闘志が失われていない。霧生の口元が吊り上がる。
「流石だな」
なるほど。格上と戦うことに慣れている。
学園の厳しさを教えようとしてきたニース自身にも、一方的にやられた経験があるのだろう。敵わない相手だからといって、物怖じはしないらしい。
その精神はクリスト流という流派からも影響されているはずだ。クリスト流は正攻法で攻める綺麗な武術。見かけに寄らず、ニースが体得している技能は誇り高い。
彼は呼吸を整え、目を閉じる。精神を研ぎ澄ませることで、一部の痛覚を手放す技能、《無感覚》。会得難易度が高く、これも実用的な武術の技だ。
隙だらけであったが、今一度尋常に勝負するため、霧生は手出しをしなかった。
ニースはコォと息を吐き出す。《無感覚》と同時に、気の巡りを爆発的に高め、身体能力を底上げする《解放》も使ったらしい。
「行くぞ! 御杖!」
再度開戦の合図を受け取り、霧生は術式を展開した。
術式とは、魔力を原動力にして動く機構のことだ。その形は様々で、魔法陣のような紋様であったり、詠唱のような詩であったり、杖などの媒体であったり、例を挙げると枚挙に暇がない。
魔力を込め、術式が起動することで起こる現象を、魔術と言う。
魔力と気は同じものだが、扱い方が全く違う。気はそのまま起用するのに対し、魔力は魔術を起動するために使うエネルギーである。
今回、霧生は舞い上がった土煙を術式として展開していた。先刻土煙を薙いだ時、既に術式は完成し、いつでも発動できるようになっていた。
「《桎》」
ニースが駆け出そうとしたその瞬間、霧生は術式に魔力を通し、魔術を発動させる。
既に地面に降り積もってはいるが、未だ術式としての機能を残す土埃が、魔力の連絡により淡く光る。
「うそ……、いつのまに術式を……?」
リューナの顔が驚愕に染まる。
そして闘技場の地面から二本の土の手が伸び、軸足となっていたニースの左足首を掴んだ。当然ニースは体勢を崩し、そのタイミングを狙って拘束を解くことで、彼は前方によろめき地面に手を着く。
「くそっ!」
「《梏》」
即座に立て直そうとしたニースだったが、そんな猶予を与える霧生ではない。彼の眼前から新たに土の手が現れ、地に着いていた手をがっしりと掴む。
「《桎梏・襲》」
《解放》を使っているニースなら、全力で振り払えば拘束を解くことができただろう。しかしそれを阻止するべく、霧生は魔術を連続行使し、結果、無数の手が彼を地面へと束縛した。
「うそぉー! ニースゥ!?」「マジか……」「やったぁ昼ごはんだー!」
「俺の勝ちか?」
こうなるともうなす術はない。霧生はニースを見下ろし、戦意の有無を問う。
「魔術も……一流かよ……」
「俺の勝ちだな?」
急かすように再度問う。霧生の勝利は誰がどう見ても明らかだ。しかし霧生は周囲のジャッジや結果以上に、相手が自分の勝ちを認めるかどうかを優先することがある。今回がそれだ。
「負け犬と言ったことを撤回してくれ」
理由は、ニースが放ったその一言。霧生は病的なまでに負けず嫌いであり、敗北に関する言葉に異常な程敏感なのである。
だが勝利に相反する"敗北"という概念は尊重している。勝利さえ勝ち取れば、その経緯は何もかもスパイスになる。負け犬と罵られたことも、霧生にとっては勝つ理由の大切な一つになる。
「撤回……する。お前の、勝ちだ」
「粉砕!」
両の手を握り、前傾姿勢で霧生は地面に向かって感情を発露させた。
唖然とするギャラリーの面々。
「え、えーと……。霧生の勝ち……?」
リューナの戸惑い混じりの宣言が、その決闘を締めくくった。
その後《桎梏》から解放されたニースはのそりと立ち上がり、何も言わずに背を向け、その場を立ち去ろうとした。こちらからその表情は見えないが、途端にピタリとヤジを止めた取り巻きから、ニースの失意は伺える。
「ニース!」
そんなニースを霧生は呼び止める。彼は振り返るわけではなく、ピタリと足を止めた。
「リベンジ、報復、仇討ち。いつでもどこでも大歓迎だ。待ってる」
霧生は言った。
アリーナ席の取り巻きにも視線を向ける。
「ちなみに俺の部屋番号は2……んぐっ!」
「ちょっと!」
個人情報を暴露しようとすると、リューナが慌てて口を塞いてきた。
霧生の部屋番号が漏れるということは、その隣のリューナにも迷惑がかかる可能性がある。しかしそれは隣の部屋を選んでしまったリューナの運命。霧生は口を手で押さえつけられながらももごもごと部屋番号を言おうとする。
「すいません、私達はこれで……」
強引にリューナに引きずられ、霧生は闘技場を後にするのであった。