第5話 少女はやる気がない
ユクシアの元で師事することとなったリューナが地上から姿を消した次の日、当然のようにレイラは第3訓練場に姿を現さなかった。
分かってはいたことだが、相変わらずの負け犬精神っぷりに霧生は拳を震わせていた。
「あのヘタレめ!」
憤りのまま、車椅子をジタバタさせる。
霧生は焦っていた。
リューナを引き抜かれたことについては、彼女の今後を思えばよしとできる。だが、指導者としてユクシアに引けを取るわけには断じていかないのだ。
才能の原石であるリューナをあのユクシアが鍛えれば、きっと恐ろしい速度で成長するに違いない。
リューナは魔力的な素質だけではなく、技能センスもある。
霧生が教えていたのは転移魔術と術式構築の基礎のみで、それもほとんど放任する形の指導だったが、凄まじい吸収力だったのが根拠だ。
対するレイラは、才能はともかく、向上心が皆無。長くだらしない生活を送ってきたであろうことから《気》の質も酷いものだ。
そこから叩き上げるとなると一時も無駄にはできない。
「あんの……負け犬が!」
知りうる限り最も酷い罵倒を第3訓練場に響かせる。
レイラは霧生が信条的に否んでいる人種である。
志が無ければ目的も無い、ただ他人の足を引っ張るためだけに行動する者は、勝利とはかけ離れた存在だからだ。
しかし霧生は、昨日レイラがほんの一瞬だけ漂わせた哀愁に、彼女にかろうじて残存する焦りと負い目を感じ取っていた。
それがあるなら、勝負のなんたるかを教えられる見込みはある。
荒療治にはなるが、志を忘れ、勝利の味を忘れたレイラに喝を入れるのだ。
元はと言えば、レイラがリューナの付き添いで、企みがあったとしても、自発的に霧生を師として受け入れた訳だ。
それ故に、技能の指導に関しては別け隔てなく接してきた。
そして昨日、悪意のある嘘であっても、自分には霧生がいると言ってのけたレイラの言葉を、霧生はあえて鵜呑みにする。
「まずはそのふざけた性根を叩き直してやるぞ、レイラ」
無論、彼女が心の底からこちらを拒絶するなら致し方ない。
だが、半端な態度では霧生を突き放すことなど出来ない。
レイラを探すため、霧生は車椅子の車輪を掴み、第3訓練場を飛び出した。
ーーー
中央区からやや外れた区画にある空き地では、見るからに荒っぽい気風の生徒が数人たむろしていた。
遠目からその中にレイラを見つけた霧生は全速力で駆け付けた後、声を荒らげて叫んだ。
「コラ!!」
車椅子で前触れも無く現れ怒号を放った霧生に驚いた生徒達は一斉にこちらを向く。
「み、御杖霧生……?」「なんだ急に」「何しに来たんだ……」
様々な反応を示す生徒達の中で、レイラは顔を引き攣らせていた。
「げ……」
「お〜ま〜え〜は〜、こんなところで何してやがる!」
生徒達の間を通り、奥の方にいたレイラの前に立った霧生はグイと顔を近づけて言った。
周囲にいた女子生徒達が霧生から距離を取り、レイラは面倒臭そうに溜息を吐く。
「昨日勝手に言ってたことなら私本当にやる気ないですよ。分かってると思うけど」
「無駄だ」
「いや、無駄なのはそっちなんですけど……。なんで二人の勝負に私が巻き込まれないといけないんですか」
苛立ちと困惑が混ざりあったかのような表情でレイラは食い下がる。
霧生は姿勢を戻し、強い意思を込めた眼光でレイラを射抜いた。
「俺はお前のことはあまり好きじゃないが、途中で投げ出すつもりは元々無い。リューナがいなくてもお前に技能を教えるのは当然のことだ。
忘れて貰っちゃ困るんだが、先に関わってきたのはお前の方なんだぜ?」
「あの時はだって、こんな頭のおかしい人だったなんて思ってもいなかったし」
「もう遅い!」
「あーもう、うざい、土下座でもなんでもするから許してくださいよ。やる気ないんだってば私」
薄青の髪を掻き乱し、レイラは投げやりに言う。
初めて見せた彼女の感情らしい感情に、霧生は口角を吊り上げた。
「そんなにやる気がないならなんでこの学園に残ってるんだ?」
才能潰しの目的は、才覚者の芽を早いうちに摘んでおくことで相対的に成り上がろうとするもの。
しかしレイラに限っては、他者を蹴り落としてでも成り上がろうとしている感じではない。
流れに身を任せ、マトモに研鑽を積む様子も無く、ダラダラとその場に残留するのみなのだ。
それなら学園を辞めて、もっと楽に生きられる場所を探した方が良い。そうしない理由は……。
「どっかでちょっと諦めてないんだろ、お前」
過去に何があってそこまで性根が腐ってしまったのかは知らないが、彼女も最初からこうであったはずがない。
レイラは心底呆れたように再び溜息を吐いた。
「それっぽいこと言われても響きませんって。本当に的外れですから」
「無駄だ」
「うぜぇえ〜」
レイラは頭を抱えた。
この決定事項を覆したいなら、霧生に問答で勝つ必要がある。
「嘘でしょ、こんなうざいことってあります?」
彼女は今は若干離れた所にいる仲間達の方を向いて言った。周囲で軽く笑いが起こる。
その後レイラはこちらに向き直った。
「他にも才能ある人がいっぱいいるじゃないですか。私じゃなくてもいいでしょ」
「そういう問題じゃないだろ。お前が始めたことだからだ」
「私が始めたことならいつ打ち切ろうとも私の勝手ですよね?」
「じゃあ俺の勝負はどうなる? 無責任が過ぎるぞ」
「知りませんよそんなの。勝手にやっててください。ほらもう帰って」
「お〜ま〜え〜は〜!」
包帯でぐるぐる巻きにされている拳をダンと手すりに打ち付ける。
それに怯むことなく、レイラは依然うざったそうにこちらを睨みつけている。
そうして言い争いがさらにヒートアップしそうになったその時、空き地に一人の大男がやってきた。
「お前ら何の騒ぎだ。げ、御杖!?」
取り巻きを何人も連れて現れた大男は、エルナスの元付き人にして、才能潰しの副幹部、スタンズであった。
「スタンズさん」
彼を見たレイラの口元がわずかに歪む。
スタンズは取り巻きを引き連れ、霧生達の元まで警戒しながら近づいてきた。
巨躯が車椅子に座る霧生に影を作る。
「久しぶりだな、スタンズ」
「お、……おう。……それで、何を揉めてるんだ?」
「それがな、こいつが稽古したくないとか言ってゴネてやがる。お前からもなんとか」
「スタンズさん、この人凄くしつこいんですよ。それで、その……」
言葉を被せて来たレイラがスタンズの背後にいる取り巻きにちらりと視線をやる。
一度廃工場で手合わせした時にもいた、見覚えのある連中だ。
彼らにピリと緊張が走る。スタンズもレイラの申し出を察し、顔をこわばらせた。
パキリと首を鳴らす。
万全の状態でなくとも、霧生が挑んでくる相手を拒んだりしない。
「やるか?」
改めてスタンズを見上げると、彼は慌てて首を横に振った。
「や、やんねえ、やんねぇよ!」
「え……?」
十数人掛かり、さらには深手の霧生を相手にしても勝機は無いと判断したスタンズに、レイラが首をかしげる。
霧生も酷く落胆した。
この状況下で引き下がるなら、今後一生スタンズが霧生に仕掛けてくることはないだろう。
彼をその気にするにはまた霧生から働きかけなければならない訳で、周りにそう言った者が増えていくのはどうにも寂しいものだ。
「事情は知らないがレイラ、大人しく行って来い」
スタンズがレイラの肩にポンと手を置く。
「え、えぇ……?」
「ただの稽古なんだろ? だったらそう悪くないんじゃねぇか。こんなんでも実力はマジだしよ」
スタンズは本心半分、厄介払い半分と言った様子である。
今や学園屈指の実力者であることが周知され始めている霧生だ。
研鑽を続けているスタンズには、そんな霧生から教えを受けられるメリットも頭にあるのだろう。研鑽を積む気などまるで無いレイラには迷惑な話でしかないのだろうが。
「本当に言ってるんですか?」
「ああ」
スタンズが頷く。
幹部のスタンズに言われることで、彼女の態度はどんどん弱まっていく。
そして彼女自身も、こうなった霧生を突き返すことが難しいのを十分に理解している。
「はぁ〜」
そうしてレイラは長い溜息を吐き、
「やるだけ無駄ですよ」
今、楽な方に流れるのだった。