第4話 霧生に下りた天啓。あるいは宿命
「……どうしたのよ、それ」
ユクシアとの対決から三日後、リューナとレイラに稽古をつけることとなっている日。
本日の講義を受け終わった放課後、第3訓練場で先に待っていたリューナが車椅子姿の霧生を見て言った。
彼女の隣にいるレイラは悲痛に顔を歪める演技をしている。
「色々あってな……」
「またそれ? 訓練大丈夫なの」
「体を動かさないぶんには問題ない」
武術で打ち合う訳ではなく、リューナ達に教えるのは主に魔術だ。
当然体に不調があれば魔力を扱う際にも影響は出るが、リューナ達はまだ実演が必要な域に達していない。
霧生は二人を交互に見比べる。
リューナはいつも通り完璧なポテンシャル。
所々こさえている傷は外部からのもので、霧生の知らないところで彼女は"才能潰し"の被害に会っていると考えられる。
それでもベストコンディション。体調に異変は見当たらず、魔力の流れも極めて良い。
瞳の覇気は入学時より冴え、彼女の際限ないやる気ゲージにはいつも昂りを覚える。
「リューナ、完璧だ」
「なにが?」
対してレイラは、まず寝不足。
魔力の総量が日によって大きくバラついているのは、不規則な生活を送っているからだ。食事バランスも悪く、その上ロクに食べていないことが分かる。
"才能潰し"は、才能に引けを感じる者達が、それでもどうにか藻掻いて勝ち目を模索しているから良い。
レイラにはその貪欲さが見られない。
最低限でしか生きていない。いつも通り、まるで勝つ気がない。
どういう経緯なのかは知ったことではないが、非道を行く"才能潰し"に在席しているならせめて意欲を見せてもらいたいものである。
「レイラ、血圧下げろ」
霧生は言った。
「…………」
俯くレイラ。依然として一定した脈拍、呼吸。傷ついている様子はまるでない。
しかしリューナは慌てて彼女のフォローをした。
「こいつが嫌だったら無理して付き合ってくれなくてもいいからね……」
「い、いえ、大丈夫です……」
そう言うと、レイラは訓練場の隅へ行って前回の続きの自主訓練を開始する。
リューナには睨まれていた。
「だからなんでレイラにだけ当たりキツいのよ」
「最初にも言ったが、負け犬の目だからだ。お前、アイツといて楽しいか?」
「楽しいわよ」
「アイツ以外に出来た友達は?」
「……霧生、くらいだけど」
それはリューナに近づく者がほとんどいないからである。
彼女は気立てが良いので、本来誰とでも仲良くできるはずだ。
しかし、霧生と関わっている事実が3割の人間を彼女から遠ざけ、"才能潰し"の標的にされていることが残りの7割の人間を遠ざけている。
そのせいもあって、レイラがどのような人間なのかを相対的に判断できないのだろう。
さらにリューナは義理堅い。一度でも関わった人間を蔑ろにはしないし、良くも悪くも真っ直ぐなのである。
リューナにレイラのことを教えようかと何度か考えたが、人を見る目を養うのは技能においても重要な項目なので、今は放置している。
そして今の所進展も無さそうだ。
「ちょっとは優しくしてあげてよ。レイラは気が弱いんだから」
「訓練は平等に教えてるだろ?」
「本当に?」
前後の態度に差はあれど、教授している知識の量は同じだ。
訓練に関しては抜かりはない。
レイラにもベストを尽くして教えている。だが、リューナの前では擬態しなければならない彼女がリューナのように伸び伸びと成長できるはずもない。
「本当だよ」
リューナは自分ばかり先のステップへ進んでいくのを気にしているようだ。
才能の差は勿論だが、レイラの方はそもそもやる気がないことに問題がある。
「ほら、さっさと始めるぞ」
車椅子から指を伸ばし、訓練場のもっと中に進むように促したその時、丁度指差した場所を中心に金色の魔力が渦巻いた。
心臓が脈打ち、霧生の顔が引きつる。
「あれは……?」
「……転移だな」
「誰か来るの?」
先走る魔力を見れば誰がやってくるかは一目瞭然である。
ユクシア・ブランシェットだ。
散り行く魔力が無駄なく収束し、彼女が姿を現した。
リューナが目を輝かして見ている。
理想的な転移だが、精度が高すぎて手本にはならない。
転移してきたユクシアは薄く笑みを浮かべながらこちらまで歩いてきた。
「何しに来たんだよ」
「会いに来ただけ。何してるの?」
余裕の振る舞いである。勝者としての精神的優位をこれでもかと言う程醸し出している。
悔しさが暴れだしそうになるのを抑えて、霧生は答えた。
「二人に稽古をつけてる。こっちがリューナで、あっちがレイラだ」
「リ、リューナです。よろしくお願いします……」
「ユクシアよ。よろしく」
顔を真っ赤にしたリューナがおずおずと差し伸べた手を、ユクシアが握り返す。
「同い年だぞ」
「いや、だって、そんな」
リューナは天上生へ強い憧れを抱いているので緊張するのも無理はない。何しろユクシアは天上序列一位の生徒だ。
ユクシアはレイラの方にも視線を送っていたが、レイラにその気が無く、コンタクトが返ってこなかったので、首をこちらに戻した。
完全に固くなってしまったリューナはそんなレイラの様子に気づかず、目を白黒とさせていた。
「リューナ。いいね」
ユクシアはリューナの"巡り"を視て言った。
よく視ている。リューナの才能はユクシアからしても眼を見張るものだろう。
「だろ? 俺が見つけた」
ユクシアは手を顎に添えた。何かロクでもないことを考えている気がする。
「キリュー、リューナを私に預けて」
「えっ……!?」
ユクシアを睨む。
こいつ……!
「お前……」
「お前?」
「……ユクシア。俺と同じことを考えてるな?」
リューナを見てユクシアが思いついたこと──
彼女を育てて自分に挑ませようとしている。
ユクシアは唇を湿らせて頷いた。
どういう訳かユクシアが自発的に動いていることに感動しつつ、霧生は憤る。
リューナが奪われる。
同時に察する。リューナは霧生が教えるよりユクシアが教えた方が性質的に、良い。
リューナは揺れている。霧生を師として立てたい気持ちと、ユクシアに教わってみたいという好奇心。
「ぐぬぬぬぬ……!」
最終的に選ぶのはリューナだ。そして彼女は必ず霧生を選ぶだろう。だが──
「……リューナ、行け」
霧生は言った。
これは彼女の才能と未来を考えてこと。
霧生とリューナではタイプが違うが、ユクシアは近い。
「でも……いいの?」
「リューナちゃん、私のことは気にしないでくださいね」
気づけばレイラが近くまでやってきていた。
三人で集まっているのに、一人だけずっと他所にいれば心象が悪いからだ。
リューナがもっとも気にかけるのはレイラである。彼女をおいてユクシアのところへ行くのには気が引けるだろう。
レイラとしては、この忌々しい現状を打破するためには、リューナが届かないどこかへ行ってくれるのが一番だ。そうすれば"才能潰し"としてあてがわれた面倒な仕事から解放される。
リューナには霧生もついているし、そもそも彼女の芯が強いので、楽には潰せない。
「私には霧生さんもいますし……」
そう言ったのが運の尽きだった。
霧生の頭に雷光が走る。ユクシアの前でわざと小さくなっているレイラに視線を送る。
「じ、じゃあ……」
「うん」
リューナがユクシアに一歩を踏み出して、レイラの目に一瞬哀愁が漂った。
霧生はニヤリと口元を吊り上げ、ユクシアを見やる。
「ユクシア、お前は天才だ」
「そういうことだから」
自分が何をしたのか理解しているのだろうか。
否、意図の有無ではない。
霧生が首をだらりと下げると、ユクシアはリューナの手を取って、その場から消えた。
第3訓練場に静寂が訪れる。
しばらく突っ立っていたレイラは踵を返し、出口へと向かった。もう彼女がここにいる理由はない。
「待てッ!!」
彼女の背中に向けて声を放つ。
レイラは振り返った。
「なんですか」
擬態されていない、熱を持たぬ瞳。
哀愁の残滓を霧生は見逃さない。
「やるぞ……」
「は?」
ドンと車椅子の手掛けに拳を置く。
瞳には炎が灯り、やがてそれは全身に移る。
ボウッと、煮えたぎる熱意が霧生を包む。
「俺がお前をとことん鍛えてやる……。情熱と執念をもって。明日から毎日、空いてる時間はここに来い」
「……は?」
「リューナに勝つぞ」