第3話 学園史上もっとも面倒くさい男
──私の勝ち。
「おわぁああああぁぁぁあッッ!?」
全身を襲った衝撃と、何かに叩きつけられたことで発生したダメージにより、霧生は目を覚ました。
《抵抗》を展開し、激痛に耐えながら状況整理を開始する。
気を失っていたこと。意識を失う前までの記憶。どうやら医療センターに運び込まれたらしい。
寝込みを襲われたのかと思ったが、敗北する夢を見たことで自傷魔術が発動したようだ。
当然、ダメージを重ねた体は動かせない。
「クソァッ!!」
霧生は叫んだ。
叩きつけられたはずだが、背後にクッションが敷かれてあることに気づく。
「頭が悪いとしか言いようがない」
側から声をかけてきたのは医師のシュウ・ズーシェンだった。
おそらく彼女がクッションを背後に差し込み、自傷魔術のダメージを軽減してくれたのだろう。凄まじい反応速度だ。
とは言え今ので手足の添え木は折れ、体内から魔術が作用したせいでシュウの施した治癒促進の術式に影響が出ている。
治療を進めてくれていた形跡があるが、台無しになったというわけだ。
「これは先生。俺の脳に何か問題が?」
対ユクシア戦では、頭を強く打ったこともあり、問題が発生していてもおかしくない。
シュウは溜息を吐きながら首を横に振る。
「そうだ。君の頭がおかしいせいで完治が伸びた」
確かに、これはしばらく医療センター暮らしになりそうだな。
「そうでしたか。……俺はどれくらい気を?」
「半日程度だ。分かっているとは思うがしばらくこの部屋から出られないぞ」
霧生はギリッと歯を鳴らした。
半日も気を失っていたなど、言い訳も出来ないくらい完全に敗北者だ。
こうなれば認めざるを得ない。
奴は強い。今に至っても、挑戦者として勝負に臨み、隅々まで勝ちの目を探っていかなければならないらしい。
そうはならないように、これまで鍛錬を積んできた。ユクシアだけではない、誰を相手にしても絶対に勝てるよう、様々な経験を積んだ。
なのに!
足りていなかったのではなく、満ち足りていた。
実際霧生はほとんど負けてこなかった。
この学園に来てからも、エルナスという例外は存在したが、誰にでも勝てるという確信を持っていた。
認めたくはないが、無意識にもそれで安心感を抱いてしまっていたのだ。
「浅かった……」
悔しい。止め処なく悔しいが、感謝しよう。
未だ挑むことができるという僥倖。それに気づかせてくれた強敵に。
霧生は強い。しかし相手はさらに上を行く。
悔しくて泣きそうだが、これはよく考えれば素晴らしいことなのだ。
「ここまで治療してくれたなら後はなんとかなります。ありがとうございました。ところで車椅子はありますか?」
「当分はここから出られないと言ったが」
シュウが語気を強めて言ったので、敏感な勝負肌になっている霧生はあえて曲解した。
「それは勝負ですか?」
「分かった。外出を認める」
即答で答えるシュウ。
治療の意思を示したのは事務的なものだったようだ。
彼女が指を回して術式を展開すると、部屋の外から車椅子がひとりでに霧生の元までやってきた。
霧生は《抵抗》の操作で無理矢理体を動かして、その上に座る。
「手間は増やしてくれるなよ」
「勿論です」
はやる気持ちを抑えるためにも、霧生が会いたい人物は一人。その者の元へ伺うため、霧生は車椅子の車輪を回し始めた。
ーーー
「平和だ……。僕は病室にハマったよ」
そんな声の聞こえてくる部屋のスライドドアを勢い良く開け放ち、あまりに勢いがつきすぎて、一度開いたドアはバシャンと閉じられた。
「そしてまた平和を脅かす影が現れる。これは世界の縮図だ」
改めてドアを開いた霧生は、ベッドの上で横になって読書をしているハオの元に向けて車椅子を前進させる。
ハオのいる病室は3人部屋で、殺し屋のダガーと霧生の妹、夜雲もいる。
霧生の進言と学長の主義により不問となった二人は、ハオが面倒を見ることになった。
ダガーは命を救われたことに対する恩義で彼に仕え、夜雲はハオの寛大さに心を打たれて弟子入りすることに。
二人ともハオに習って読書に精を出している。とは言っても夜雲の方はこちらに意識を向けて、どこかそわそわした様子である。
聞いたところによると、元殺し屋のダガーは夜雲に殺されかけたらしいが、今は完全にリラックスしている。
見れば、壁には『一切の争いを禁ずる』と書かれた大きな紙が貼られていた。
なるほど。殺しを生業にしていたダガーは暴力から解放されて余裕を取り戻し、同じく生きるために殺しを強いられ続けていた夜雲は、急変した日常に不安を感じているのだろう。
霧生は二人がここでやっていけそうな風景に安堵しつつ、ハオの元へ急ぐ。
ハオは霧生に目を向け、本に視線を戻したかと思うと車椅子姿で満身創痍の霧生を二度見する。
「うわ……、ややこし」
ハオ程ではないがボロボロになっている霧生は、荒くなる息を押し込めながら、彼のベッドまでようやく辿り着いた。
流石の霧生も自傷魔術を連続して食らったのは初めての経験で、少し動くだけでも消耗が激しい。
本格的に安静にしなければならないことを察しながらも、霧生はハオと話して一息つきたかった。
「お久しぶりです、ハオさん。先日はありがとうございました」
「お、急に敬語なのも面倒くさいね」
ハオは本を置いて言った。
ハオと会うのは先日の事件以来である。
本来であれば真っ先に礼を伝えて然るべき相手だったが、ハオは一週間も集中治療室にいて面会禁止だったし、霧生も夜雲とダガー回りの露払いに忙しかったので、中々会いにこられなかったのだ。
「夜雲にボコられたみたいになってるぜ」
面白いジョークが飛び出したが、今の霧生は笑えない。
「具体的には50回ほど技をノーガードで食らい続けたみたいになってる」
「し、師匠……!」
恥ずかしそうに声を上げたのは夜雲だった。
ハオは例の件を根に持っている訳ではなく、善心を煽って夜雲を暴力から遠ざけようとしているのだろう。
弟子に誘っただけあって、しっかりと教育を行っているようだ。
ハオの指導に心配などなかったが、妹がよくされているとホッとする。
「ハオさん、改めて妹をお願いします」
「それは勿論だけど……なんで敬語?」
「あなたが尊敬に値するからです」
霧生は熱を帯びた瞳で言った。
ハオは霧生に大いなる気づきを与えた存在であり、主義においては先を行く者だ。敬うのは当然のこと。
「了解。気持ち悪いからやめて」
「了解」
ハオがそう言うならやめておこう。
「それで、家のことはそっちでなんとかしてくれるんだろ?
女の子だったらまだしも、君の爺さんなんか相手にしたくないぜ、僕は」
家の事情は夜雲からある程度聞いているらしい。
夜雲の仕置きのために祖父が動くとは考えにくいが、彼女からすればあの老人の存在は常に不安の種だろう。
妹の憂いをも気に掛けるハオはやはり心の平和主義者だ。
ハオの信条を目の当たりにして、霧生も攻略の糸口が見えそうになってきている。
家族とどう向き合うべきかが。
「ああ、なんとかする」
霧生は力強く返事をしたが、ハオは困り顔だった。ズタボロになった肉体が言葉に伴っていないからだろう。
「あんまり聞きたくないけど、……それどうしたのさ?」
「ああこれか。これはな……なんだ、まあその……俺は敗れた……!」
霧生はヒビの入った掌をギュッと握る。
「ああそう。早く治るといいね」
ハオは恐ろしい程無関心と言った様子だ。
そこで会話が途切れると、ハオは再び本を手に取った。
礼も伝えられたし、妹の様子も確認できたので、もう話すことはない。
ハオと接することで精神も持ち直すことができた霧生は車椅子を反転させる。
これ以上いても彼の平和的空間に水を差すだけ。
少し離れた所まで行くと、壁際に座っている夜雲と目があったので、勘違いを正しておくことにした。
「一応言っておくが、ハオは俺が先に見つけた」
顔を顰め、ガタリと椅子から立ち上がろうとした夜雲をすかさずハオが制止する。
「争わない」
「……ッ」
夜雲は唇をぎゅっと噛み、椅子に腰を落ち着けた。師匠の言うことは絶対だ。
あの強情な夜雲をここまで心酔させるとは、やはり霧生の見込んだ以上の男、ハオである。
霧生はハオにもやはり伝えておこうと考え直し、振り返った。
「お前には負けねえからな」
「え? 何か始まっちゃってる?」
そうして霧生は医療センターを出た。