第20話 精神的に最強
宮殿内の事後処理はユクシアが引き受けた。
ハオは夜雲とダガーを連れて医療センターに向かい、水面は霧生にだけ挨拶して早々に学園を去った。
霧生はと言うと、現在学長室にて威風辺りを払うオーランド・サリバンと向かい合っている。
先の悶着について大体の事情を話し終えた所だった。
「しかし学長、どうやら我々の間で行き違いが起きていたようですね」
学長は右目の古傷をさすり、困ったような笑みを浮かべていた。
「どうも君を見ていると古傷が疼いてしまう。少しやり方が悪かったようだ」
今件に関して、水面達や殺し屋の侵入を許したのは学長が手を回していたからだと霧生は推測したのだが、反応を見る限り、的を射たらしい。
むしろそれ以外の線を考えるのが難しかった。
数多の使い手が担うアダマス学園帝国の強固な結界を突破しようと思えば、隠密とはかけ離れた大掛かりな準備を要する。しかし物量に物を言わせて事に及ぶことを御杖は嫌う。
それなら先日のように個人で直接乗り込んでくるだろう。おそらく前回水面を通したのも学長の意図によるものだ。
つまり今回も、学長が彼らに侵入する隙をあえて与え、御杖を誘ったということだ。霧生の内情を利用して。
とは言え学長の思う通りに事は運ばなかった。
殺し屋を介しての警告は、霧生に対してこれ以上なく効果的な嫌がらせではあるが、霧生も祖父が直々に話をつけにくるだろうと思っていたくらいで、まさかこのような謀略を講じてくるとは思いもしなかったのだ。
しかし問題はそこではない。
「技能の在り方についての考えが俺と学長で違っているらしい。あなたは殺し屋にも寛容なようだ」
このような事態になったにも関わらず、学長は悪びれるどころか細事だとも言わんばかりの態度を取っている。
それを遺憾とは言わないが、霧生は学長がどのような考えを持っているのか知りたかった。
「技能の起源は通じて殺しに行き着く。ここで鍛える者達は清く研鑽を積む者が多いが、それに関して私は多様であっていいと考えている。
本件に関しても、生徒の良い刺激になればとも考えていた」
「死人が出ようとも?」
語気を強めて聞いてみる。
学長の表情は変わらない。芯のある目だ。
「殺意の有無に関わらず、研鑽や立ち合いの果てに命を落とすことなどこの世界では珍しくないだろう。この学園の存在意義は技能の継承にある。
ルーツを否定しての継承はあり得ない。我々がやっているのはスポーツじゃあない」
彼ははっきりとそう言った。
霧生は顎に手を当てた。
「なるほど」
技能のルーツがほとんど殺しに始まるのは周知の事実である。
思えば、霧生が殺しを忌み嫌うのは勝負の観点からであって、技能の在り方と言うには飛躍が過ぎるのかもしれない。
「変化や新しい考えに否定的なわけではないよ。理解は得られないかもしれないが」
学長は苦笑する。
しかし霧生は腑に落ちていた。彼の意見には筋が通っているし、これも各々の考えの差。
考えの違いそのものに異を唱えるのは愚行だと学んだばかりだ。
「いえ。学長の言うことはもっともだ」
「ほう」
「俺も今回のことで物の見方が変わりました」
学長は目を丸くした。
霧生にそういった柔軟さがあるとは思っていなかったのだろうか。
興味深そうに目を細め、笑みを濃くする。
「許容するか。君は恐ろしいな」
「許容と言う訳ではないですがね」
ハオ・ジアという、指向は違えど"主義"においては霧生の先を行く老練の猛者のおかげだ。
許容ではなく、否定しない。それだけで見え方も接し方も変わる。
多少腕が立つ程度で達観してしまっていたことを霧生は恥じる。
勝負は勝敗のみで完結しない。なんとも奥が深い。
「学長の考えが聞けて良かったです」
「こちらこそ」
「それで、件の殺し屋と妹の処遇については任せてもらえませんか?」
学長が頷くと、霧生は一礼した。
「……話は変わりますが、雪辱を果たそうと?」
間を空けて、霧生は尋ねた。
学長は最初意図を汲み取れなかったようだが、やがて明確な覇気を持って答える。
「ああ」
そもそも学長は機会を得ようとしていた訳だ。
彼も彼で日々鍛錬を積んでいるのは明々白々であり、その果てに望むものがある。
それは若かりし日敗走した祖父との再戦。
「近々祖父を訪ねようと思ってます。もし言伝があるならお聞きしましょう」
水面の去り際、霧生も祖父に言伝を頼んだ。
近々会いに行く、と。
「では、私のことを伝えてくれ。再戦の意思がある」
「分かりました」
祖父を訪ねるとなれば、霧生も整えなければならない。
あれの目的は霧生に後継者の座を譲ること。
もはや彼は御杖の在り方にそれほど執着していない。
技を尽くせる内に、霧生に殺されることを望んでいるのだ。超えられなかった父の代わりに。
祖父は下がれない。だからこそ、その道の先にいる霧生が逃げていてはいけない。
折り合いをつける時が来たのだ。
ーーー
翌朝、霧生は医療センターに足を運んでいた。
医師のシュウから話を聞き、レナーテが治療を受けている部屋へ赴くと、そこにはクラウディアも彼女の見舞いに来ていた。
こちらの姿を見て軽く手を上げたクラウディアに挨拶を返し、霧生もレナーテが横になっているベッドの側に寄る。
「うす」
「……おす」
レナーテからは遠慮がちな挨拶が返ってきた。
見た感じ一通りの治療は済んでいるようで、気の巡りを見ても不調は見られない。
負った傷はそれほどでもないのですぐにでも退院して自己療養に切り替えられるだろう。
「邪魔したか」
部屋に入るまでは和気あいあいとした声が聞こえてきていたのだが、霧生が姿を現してからどこか居心地の悪い空気が流れ出している。自然体のクラウディアに対し、レナーテは霧生と目を合わせるのを避けるようにあらぬ方向を向いていた。
するとクラウディアには気を遣わせてしまったようで、彼女は腰掛けていた椅子から立ち上がって言った。
「あー、いや。そうだな、じゃあ私は失礼するか」
「気にしなくていいぞ。俺はただ様子を見に来ただけだし」
制止するように手を降ったが、彼女の方は首を横に振る。
「いい加減長居になっちまうから丁度いい。またな、レナ」
そしてそれだけ言うと、クラウディアはさっさと部屋を出ていってしまった。
普段は狂犬のような彼女も、慎み深い一面がある。きっと霧生がレナーテに謝罪をしにきたのを察し、自分がそれに水を差す存在になるのを懸念したのだろう。
思い返せば彼女に対しても悪いことをしたな。
霧生は内心独りごちる。
初めて立ち会った時、彼女の《殺気》を受け、それを頭ごなしに否定してしまった。
今も自分の考えは変わらないが、伝え方が悪かった。
クラウディアに対しても、また機会を窺って埋め合わせをしなければ。
そんなことを考えていると、レナーテは観念したようにこちらに顔を向けた。
と思ったが、やはり目は合わせてこない。
だが彼女からもごもごと口を動かして話し始めた。
「で、その……なに? もう元気だよ私は。心配しなくていいし、……そもそも自業自得だし」
「それに関しては俺に原因がある。聞いただろ?」
あれから事が落ち着くまでの間、事件に深く関わったレナーテにも事情の通達はあっただろう。
仮にそうでなくとも発端が霧生にあったことは気づいているはずだ。
霧生としては、そこはお互い手打ちで良いと思っている。レナーテにもレナーテで何か思うことがあったはずだし、霧生も霧生で自分に100%非があると思っているのだ。
故に、手打ちでいい。
霧生が真に申し開きたいのは別の話だ。
レナーテは答えないが、何か言葉を探しているようだった。
そんな彼女に霧生は自信を持って告げた。
「俺は精神的に最強になった」
「私の方も、……は?」
霧生から思いもよらぬ言葉が出てきたからであろう、なぜか同調しかけていたレナーテの表情が素っ頓狂に歪む。
「だからこそお前に謝りたい。考えを押し付けて悪かった」
霧生が真摯に頭を下げると、レナーテは落ち着かない様子でキョドキョドし始めた。
「え、いや……なに。どういうことなの。頭、上げてよ」
言われて頭を上げ、レナーテの目を見つめる。真摯な思いを伝えるためだ。
これはレナーテがどう思うかではなく、新たに思い至ったことを伝えたい、謝罪をしたいという混じり気のない気持ちに準ずる。
彼女はまた目を逸らし、小さく溜息を吐いた。
「うぁー……なんかもう。霧生くんってさ、普通に良い奴なんだよね……。正直、分かってはいたんだけどさ」
ごにょごにょとした物言いのレナーテだったが、徐々に目を合わせてくる。
「でもこんなにされちゃうとその、……
わ、私も、その……何も知らないで変な絡み方したこと、あの……」
必死になって言葉を探すレナーテと目を合わせていると、霧生は思わず笑いをこぼしてしまいそうになっていた。
「迷惑だったなって、迷惑……? 違う、悪いなって、なんだろその……つまり。
……反省してる、んだよね」
「ぷっ……」
そこでとうとう霧生は吹き出してしまった。
きっと、全身からレナーテの素直な部分を掻き集めてようやく紡いだ言葉を笑ってしまったので、彼女は顔を真っ赤にした。
「気持ち伝えるの下手くそか」
「う、うるさいなあ。そんなことくらい分かってるよ。こんなの、ガラじゃないし、ずっとやってこなかったんだから……」
「けどな、その点は気に病むのがお門違いというか。嬉しかったからな。バリバリの敵意を向けられることについては」
「あー……、はいはい。頭おかしい頭おかしい。もういいよ、とにかく悪いと思ってるんだってだけ」
そう言うなら受け止めておこう。
思えば心からの憎しみと怒りに任せた殺気を向けられたのは、身内を除けばレナーテが初めてだった。
色々な人種と対峙し、様々な怒りを買ってきたが、彼女との対立にはユクシアが絡んでいたので、霧生も少しムキになっていた節がある。
お互いに自分勝手な事情を押し付け合えたのは、経験として良かったのだろう。
それに、彼女とのことがなければ、ハオの絶対的な主義を目の当たりにしても気づきは得られなかったかもしれない。
これも運命的な出会いだと言って差し支えないじゃないか。
「レナーテ、お前に出会えてよかったよ」
感動に打ち震え、霧生は掛ふとんの上から無事な方の手を強く握った。
火照りが引いてきたレナーテの頬に、ボッと朱が戻る。彼女は慌てて手を引いた。
「ちょっ、やめてって言ってるじゃん。ホント、もう、落としにかかってるんでしょ……!」
「ああ、悪い悪い」
声を荒らげたレナーテに平常心を引き戻されて、霧生も手を下げた。
それから沈黙が訪れ、伝えたいことは伝えられたと思い、満足した霧生は腰を上げた。
レナーテはすっかりまたそっぽを向いてしまっている。
「まあ、そういうわけだ」
「……ん」
レナーテが小さく頷くのを見て踵を返し、部屋の出口に向かうと、
「待って、言い忘れてた」
背後から迷いがちの声が掛かった。
霧生は振り返る。
「なんだ?」
リンゴのように顔を赤くし、怒りなのか羞恥なのか分からない表情をしたレナーテが、素直さの臨界点を突破した。
「……助けてくれてありがと」
そこまで気合いを入れなければ言えないのか。
内心微笑ましく感じつつ、目を瞑る。
「そんなの気にするな」
迷惑を掛け、彼女を傷つける要因となったのは他ならぬ霧生だ。
それを言うと問答になるのが予想されるため、霧生は当たり障りない台詞でお茶を濁す。
レナーテは息をふーと吐き出して言葉を続けた。
「……それでやっぱさ」
「おう」
「これからは普通に……仲良くしよ」
こちらの様子を窺うように、控えめな視線を向けてくるレナーテ。
すぐさま霧生は気持ちの良い笑顔を差し出し、持ち上げた拳の親指をグッと立ち上げる。
そして、霧生がレナーテに対して抱く好意を最大限表現できる言葉を選びに選び抜き、言い放った。
「いいや、お前は敵だ」
そうして部屋を後にする。
「……あぁーもぉ……しんど……サイアクだぁ……」
背後からはそんな声が聞こえてきた。
第ニ章、終