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学園無双の勝利中毒者  作者: 弁当箱
第二章 勝利中毒者と才者達の憂い
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第12話 断才



「こんにちは、殺し屋さん達」


 両の足で落ち葉を踏みしめ、レナーテはダガーと遮陽を交互に見据えた。挑発的に。

 その身に纏う色付きのローブは、彼女が天上生であることを証明するもの。遮陽は目を丸くして、ダガーに視線をやる。


「姉御」


 レナーテが現れた時点で、ダガーは冷静に辺りを見回していた。周囲に別の気配は無く、監視されている様子も、何かしらの魔術が展開されている様子も感じられない。それを確認すると、ダガーは始めて彼女の方を向く。

 そうしてその立ち振る舞い、魔力の流れ、呼吸、あらゆるステータスをつぶさに観察し、ダガーは判断した。

 この瞬間が依頼を遂行するに当たって最高のタイミングであると。

 遮陽はそんなダガーの決定を心待ちにする。


「遮陽、私は今から上に行く。ここは任せていいな」


 遮陽の口元が吊り上がっていく。

 ようやくこの面倒な状況から解放される。彼はレナーテの迂闊さに祝杯を上げたい気持ちでいた。


「おうよ」


「ヘマはするな。あと、"惨殺"だぞ?」


「わァってるて」


 そんな忠告に遮陽が鼻で笑うと、ダガーの体がスゥーと透けていく。背景を体に写し込む《写し身》の魔術だ。

 レナーテが素早くそれに反応し、術式を練り始めた時には既にダガーはここから立ち去っていた。


「さすが。逃げ足だけは敵いそうもないね」


 レナーテは呆れて肩を竦める。そして彼女がダガーを追うことはない。どうみてもダガーの才覚は天上生に劣る。彼女が《天上宮殿》に行った所で、返り討ちに合うのは必然だ。

 抑え切れない闘争心、鬱憤を解消するためにレナーテはここへ来た。相手は一人いれば十分である。


「じゃ、あなたが私の相手をしてくれるんだ」


 《旋律指揮拍節メロディック・ワンド


 吹き荒む風がレナーテの手元に集まり、一本のタクトを形作る。

 それを見て、遮陽はレナーテにパチパチと拍手を送った。


 タクトを振るうと、木の葉が揺れ、枝の間を征く風がビュウビュウと音を立てる。

 淡々と旋律術式を奏でるレナーテに対し、遮陽は対抗する術式を用意することもなければ、構えを見せることもなかった。ヘラヘラとした笑みを浮かべながら、レナーテへ向けて無造作に歩みを進める。

 レナーテの脳裏に先日の決闘が浮かぶ。


「ふざけてたら死ぬよ」


 彼のあからさまな舐めた態度に、レナーテは苛立って言う。だが、それで遮陽が態度を改めることは無かった。

 それも仕方ない。そもそも遮陽は、レナーテとまともな戦闘が行えるとは思っていない。

 現れた時こそ臨戦態勢をとったものの、レナーテから奇襲が仕掛けられることはなかった。さらには悠長にも今更術式を組み始める始末。

 彼女が、向かい合ってからようやく始まる「力比べ」しか経験してこなかった証拠である。


 遮陽の接近を警戒し、レナーテは念の為《防壁》を張った。それによって歩みを進めていた遮陽は足を止め、屈伸運動を始める。彼はもはやレナーテの動きを見てすらいなかった。それがレナーテの神経を逆撫でする。


「まあいいや。後悔すればいい」


 術式の完成を間近にし、レナーテは《殺気》を放つ。

 それを受けた遮陽はたまらず吹き出した。


「ぶはっ! だははははは!」


 遮陽に向けられたのは、あまりにも可愛らしい《殺気》。せめて激情に伴うものなら良かったのだが、レナーテのは苛立ちに乗せられた中途半端な《技能》。決して殺し屋相手に放って良いものでは無かった。

 

「何がおかしいの?」


 木々を吹き抜ける風が枯れ葉を纏い、二人の周囲を巻き上がっていく。

 レナーテは術式の構築を一時的に中断し、純粋な興味から尋ねた。今から遮陽が術式を練ったとしても間に合わない。武術に対しても《防壁》による先手を打っている。

 既に彼には打つ手がないはずなのに、その余裕はどこから来るのか。レナーテはここから彼をどのようにでも料理することができるのだ。


「いやぁ、お嬢ちゃんの強さにビビっちまってさ〜」


 腹を抱えて笑っていた遮陽は瞳の涙を拭い、そう言った。


「…………降参ってこと?」


 そんな雰囲気ではない。霧生がしたように、魔術の発動を妨げるための舌戦を仕掛けている感じでもない。

 レナーテは遮陽にどこか不気味さを感じ、術式の構築を再開させる。地に落ち着いた落ち葉が再び巻き上がる。


「ああ参った参った。魔力総量も術の技量も俺より上、俺なんかどうやっても届かない領域にもう足を突っ込んでるんだもんなぁ」


 圧倒的な状況から、徐々にレナーテの根底に襲い掛かる不安。


「でぇ〜もぉ〜?」


「《狂奔するバルクト──」


 魔術展開の直前、遮陽が常時浮かべていた悪魔的な笑みが、表情から抜け落ちた。それがレナーテの目にこびりつく。同時に無機質な目で、遮陽は片手をゆっくりと上げていく。やがてその指先がレナーテに向けられると、彼の唇が動いた。


「──殺す」


 想像を絶する"悪寒"がレナーテの全身を走り抜ける。

 文字通り、身の毛がよだつ。


「ぁ、……ぇ……?」


 かくんと、膝から力が抜け、レナーテはその場に立っていられなくなる。

 術式への魔力供給は途絶え、魔術は不発。《防壁》は、音も無く崩れ去る。

 必死に膝に力を込めようとしたが、レナーテはとうとう尻もちをついてしまった。

 体中から嫌な汗が吹き出している。それが恐怖であると気づくには、数度呼吸を繰り返さなければならなかった。


 ザッ。障害の無くなった遮陽が歩を進める音が聞こえ、レナーテは慌てて顔を上げる。


「これが《殺気》のお手本だぜ? お嬢ちゃん」


 遮陽の《殺気》は、強い感情が生み出すものでも、《技能》としてのものでもない。


 ──無機質に下された、殺害の"決定"。


 殺し合いの経験が無いレナーテが呆気なく崩れ落ちるのも必然である。それは命ある者の極めて自然な反応。死の恐怖を克服するには、長くそうした環境に身を置くか、狂うかしかないのだ。

 そして、ぬるま湯で育って来たレナーテには、致命的にも咄嗟に逃走するなどの対抗措置すら備わっていなかった。


「う……ぁ」


 依然殺気を放つ遮陽に、レナーテは尻もちをついたまま後ずさろうとする。


「まあそうなっちまうよなぁ」


 遮陽はケタケタと笑いながら着々と彼女との距離を詰めていく。目の前の怯えた兎を殺す行為は殺し合いなどでは無く、ただの狩りだ。

 従来の依頼であればとっくにレナーテは絶命している頃であるが、今回は"惨殺"という余計なオプションが付いている。すぐには終わらない。


「ふぅー……、ふぅー」


 レナーテは虚空を見つめ、深呼吸をする。

 かつてない恐怖の中で、未だはっきりと残っている天上生としてのプライドを奮い立たせた。

 迫る遮陽を、覇気の衰えた瞳でなんとか睨み付け立ち上がった。その場から跳ねるようにして飛び退き、距離を取る。


「いいねぇ〜」

 

「ば、馬鹿にしないで欲しいな。これくらい、すぐ慣れる」


 《殺気》に関しては、レナーテは自らの経験不足を認める。恐怖を完全に消し去る事はできないが、これまで積んできた研鑽のことを思えばまだ戦える。才能で様々な困難をねじ伏せて来た経験が、この状況をも超えられると確信させた。


 同時に、本能が必死に逃げろと訴えていた。怖くて逃げ出したくて仕方ない。

 目の前に立つ男に、自然における上下関係を根底に刻み込まれてしまったのだ。

 それでも、レナーテは震える指先で奥に見える大木の葉と葉を結んでいく。


「なんでもいいぜ。やってみな」


 彼女の術式構築を遮陽はあえて見逃した。レナーテは歯を食いしばる。

 後悔させてやる。こんな失態、あって良いはずがない。実力はこちらの方が上なのだ。

 彼女の中で、怒りが恐怖を上回りつつあった。レナーテは両腕を交差させ、術式に魔力を連絡させる。


「《飢えた地竜シュトルツ・ファンアーデ》!」


「はい無駄」


 遮陽がパンと手を鳴らす。

 魔術発動の寸前、レナーテが通したはずの魔力が、霧散して消えた。


「え──?」


 驚愕し、レナーテは周囲を見回す。術式に不備はない。見ると、当たりの木々に刻まれた紋様がレナーテが連絡した膨大な魔力を吸収していた。


「うそ……」


「そもそもな。殺し屋の根城に単騎で突っ込んでくるのがおかしいんだよ。天上生ってのは向こう見ずの考え無しなのか?」


 殺し屋なら、少しでも滞在する場所にはいつ敵が攻め込んできても良いように、最低でも確実に逃走できるルート、さらに用心深ければ、迎撃するための罠などを張り巡らせるのが定石だ。

 遮陽が大いに尊敬するダガーは一流の殺し屋。彼女が無数の木々に刻んだ紋様術式は、《転移回路》の写しとして機能させるためのものだが、それ以外の機能も多く備えているのだった。


 魔術が使えない。

 その事実にレナーテは戦慄する。

 紋様にはテリトリーがあり、広範囲に魔力を連絡しなければならない大魔術のみが対策されているのだとレナーテは推測した。術式に必要分の魔力が込められる前に、紋様が吸収してしまうのだ。

 膨大な魔力量を活かし、大魔術の連発で押し切る物量戦法を得意とするレナーテには苦しい状況である。


「次は? 無いならいい加減始めちまうぜ?」


「……っ」


 まだ何をした訳でもない、そんな遮陽の余裕にレナーテの心が再び恐怖に染まり始めた。

 そして彼女には、立て続けに能力を否定されたことで「この男には何も通じないのではないか」といった予感が過っていた。

 何より常時遮陽から放たれる《殺気》がレナーテを弱腰にさせる。


「おし、なら始めるか」


 より一層《殺気》を強めた遮陽は、首を鳴らしながらレナーテへ向けた進行を開始する。


「あー、でもちょっと分かんねぇことがあってよ。どこからが"惨殺"って判定になるんだろうな?

 目を抉って、皮剥いで、臓物引きずり出せばいいのか?」


 それはレナーテの恐怖を煽るための言動だった。現に引き攣っていくレナーテの表情を見て、遮陽は笑う。


「個人的にはとりあえず四肢もいどきゃいいだろって思ってるんだが……、お嬢ちゃんはどう思う?」


「い……そんな、の」


 訪れる悲劇を想像し、レナーテの戦意は完全に削がれる。


「あーいや、答えなくていいんだ。直接体に聞いてみるから、よっ!」


 ダンと、遮陽が駆け出した。


「ひっ……!?」


 逃げ出そうとして、レナーテは体勢を崩した。が、咄嗟に浮遊魔術を展開する。

 体表の魔力連絡で完結する浮遊魔術なら、紋様に魔力を吸われる前に発動させられる。

 レナーテは一気に飛翔した。


「《悪法・落明》」


 遮陽の術式により、レナーテの体を冷たい魔力が這う。

 ブチリ。唐突に耳元でそんな音がしたかと思えば、レナーテの"視界"が失われた。


「なッ……!? ぁぐッ!」


 視界が黒く染まり、前が見えなくなったレナーテは木に衝突する。混乱によって魔術の維持もままならない。彼女はなす術もなく地面に叩きつけられる。


「なん、なんで……!? そ、そんな、これ……! いや、うそ……!」


 体を起こしたレナーテは息を荒くしながら必死に自分の目元に触れる。眼球は無事なのに、前が見えない。バクバクとレナーテの心臓が脈打つ。


「残念なお知らせだ。お嬢ちゃんは失明した」


 遮陽の足音が近づく。

 レナーテは遮陽のそんな足音を術式とし、魔力を込める。

 今は目より、逃げなければ。


「《タキオ──」

「《悪法・落舌》」


 また冷たい魔力が体に伝ったかと思えば、今度は"声"を失う。詠唱をトリガーとするレナーテの《転移》は発動しない。


「お嬢ちゃんは、言葉を失った」


 ──絶望。


 遮陽の足音がすぐそばに聞こえ、視力を失ったレナーテは的外れな方向を力無く見上げる。機能を失った瞳から涙が流れる。

 彼女は命乞いをしようと口を開いたが、声にもならない掠れた嗚咽が漏れるのみだった。


「可哀想に。だからって情け容赦はしねぇが」


「…………っ!」


 レナーテは顔を歪め、涙を流しながら首をふるふると振るう。彼女の恐怖が加速する。


 遮陽が扱う《悪法》は人の"恐怖"を術式とする呪術。レナーテが恐れれば恐れる程、その威力は増し、遮陽の圧倒的優位は覆らない。

 遮陽が入念にレナーテの恐怖心を煽るように振る舞っていたのは、確実に依頼をこなすためであった。

 "惨殺"は、標的に時間を与える行為。死に窮した人間の行動は予想できない。その不確定を潰すための下準備はどうしても必要になる。


「……っぁ!」


 遮陽は明後日の方向を向くレナーテのこめかみに膝蹴りを叩き込む。掠れた悲鳴を上げながら、彼女は地面に倒れ込んだ。

 レナーテは全ての魔力を《抵抗》に回し、体を丸める。それが彼女にできる精一杯の足掻き、延命措置であった。

 そんな彼女を、遮陽は思い切り踏みつける。踏みつける。踏みつける。


 《抵抗》は干渉を完全に無効化できるものではない。中途半端なものでは貫かれるし、厚く纏っていても、遮陽は少しでも薄い所を狙って着実にレナーテにダメージを与えていく。一方的に攻撃を受け続けることで、レナーテの《抵抗》は徐々に擦り減っていった。


「ぅ……、ぅ……」


 執拗に、遮陽は何十何百とレナーテを足蹴にし続ける。

 ガン、ガン、ガン。

 繰り返される衝撃の中、レナーテは恐怖と後悔と屈辱にさいなまれ、泣いた。

 遮陽が殺意を持って振り下ろす度、レナーテの心が擦り切れていく。抵抗出来ない者相手に、人はここまで残虐になれるものなのか。

 レナーテは霧生へ魔術を解き放った時の爽快感を俯瞰で思い出した。自分も、この男と何も変わらない。軽々しく人に殺意を向けたことが、返ってきたのかもしれない。


 ガン!

 とうとう《抵抗》は貫かれ、強く後頭部を踏みにじられたレナーテは顔の半分を湿った地面に押し付けられる。


「弱い者いじめも悪くねぇなぁ」


 遮陽はレナーテの髪の毛を掴み上げ、彼女を無理矢理立たせると、その鼻先に思い切り拳を叩き込んだ。


「……ぇあ゛ッ!?」


 遮陽は鼻を押さえながら痛みにのたうち回るレナーテの背中に跨り、その動きを止める。そして右手で首根っこを鬱血する程強く押さえ付け、左手で彼女の左腕を捻り上げるようにして掴んだ。


「じゃあまずは腕からいくぞ」


 惨殺が始まる。

 《解放》を使った遮陽はレナーテの腕を勢い良く引っ張った。


 ミシィ。

 骨が悲鳴を上げ、関節部に内出血が広がる。レナーテは目を見開いていた。しかし悲鳴は上げられない。

 ミシミシと腕に異常な負荷が掛かっている。《抵抗》を振り絞って抗っているが、もはや引き千切られるのは時間の問題だった。


「ぐ……ぅぅ……ぃぅぅ……!」


 背後では、遮陽が鼻歌混じりにどんどん力を強めてくる。

 レナーテにはどうすることも出来ない。涙を流し、ただ耐えることしか。耐えても意味がないことは分かっていた。誰にも告げずにここへ来たのだ。誰も助けに来るはずが無い。

 止めどなく溢れる涙が地を濡らす。傲慢さゆえの顛末。顔はぐしゃぐしゃに歪み、天上生の風格はどこにもない。


「結構頑張んじゃねーか!」


 遮陽はうなじを押さえつけていた手を離し、変わりに肩を踏みつけることでレナーテの自由を奪う。

 空いた右手は、ミシミシと悲鳴を上げる彼女の腕の先、指へと掛けられた。そこから人差し指をぐっと握ると、それを逆方向にねじり倒す。


 ボキィ!


「ぁぐァ────!?」


 レナーテの《抵抗》が緩み、筋繊維がブチブチと断裂する音が響く。遮陽の指が、今度は中指に掛けられる。加えてそれも躊躇うことなく、稼働範囲外へと曲げられた。


「ゥ──ぃッ!?」


「何本目で千切れるかねぇ〜」


 遮陽がレナーテの薬指を掴む。ボキリ。それを作業のように、また折る。


「──ッ゛!?」


 ──嫌だ。痛い。恐ろしい。もう嫌だ。


 こんな恐ろしい男にも、ユクシアなら立ち向かえるのだろうか。

 絶望の中、レナーテは憧れの彼女の事を思い浮かべる。彼女なら理から外れた存在を相手にしても、才能だけできっとねじ伏せてくれる。


 ──ユク。


「ほらほら、もっと気張らねえと!」


 ただでさえ異常な負荷が掛けられているのに、指が折られる度、《抵抗》が維持出来なくなってくる。

 ブチブチブチと、筋肉がさらに裂けていく。一気に激痛が押し寄せ、レナーテはからの叫び声をあげる。遮陽に慈悲などなかった。


 ──助けて、ユク。


 ついに《抵抗》が切れて、レナーテはぎゅっと目を瞑る。

 その瞬間、遮陽が背後から飛び退いた。


 腕は解放され、その後レナーテは浮遊感に包まれる。彼女は自分が誰かの腕の中にいるのだと気づいた。

 スタンと、少し離れた場所に着地すると、レナーテは優しく地面に下ろされる。


「クソ、大丈夫か、レナーテ……!」


 そんな焦燥混じりの声を聞いて、レナーテは目を見開いた。それは今朝まで激しく憎んでいた男の声。


『霧生くん?』


 レナーテは唇を動かして尋ねる。


「ああ俺だ。良かった、無事で……」


 レナーテの瞳からまた涙が溢れ出る。

 あれ程憎み、キツく当たったのに、霧生は心から安心したように息を吐いていた。


『私、目が』


「大丈夫。こんなのただの呪いだ。ゆっくり深呼吸しろ」


 レナーテが嗚咽混じりに深呼吸すると、霧生はレナーテの目元を優しく撫でて、呪術によって乱れた《気》を整える。喉元にも手をやり、絡みついていた遮陽の魔力を取り除く。


「あ……あ……」


 レナーテの視界にぼやけた光が灯る。掠れているが、声も出せた。視界に映った霧生は、ボロボロのレナーテを見て顔を悲痛に歪ませている。


「霧生くん……どうして……」


「お前からの視線が無くなったからおかしいと思ってな」


 どうして。その先の言葉は様々であったが、霧生はなぜ助けに来られたのか、という質問だと解釈した。

 ここ2週間程、レナーテは睡眠以外の時間を霧生の監視に費やしていた。それが唐突に無くなったことに不審感を抱き、霧生はここに至ったのである。


「あーあー、こりゃあ面倒くせぇ。最低か? お前」


 しばらく様子を見ていた遮陽だったが、飛び退いた所から二人へ《殺気》を放った。


「ひ……っ」


 ビクリと、散々恐怖を植え付けられたレナーテが怯える。霧生はその殺気にまるで動じること無く、そして遮陽には見向きもせずにレナーテに尋ねた。


「一人で逃げられるか?」


 問われ、レナーテはなんとか立ち上がろうとして見るが、情けなくも腰が抜けていた。


「あ、ち、力が入らない……。魔力も、もう……」


 震える声でそう答えたレナーテは、遮陽の強烈な《殺気》を受けても臆することのない霧生に驚愕する。


「そうか。じゃあ少し、待たせることになる」


 そう言って、霧生は地面につけていた片膝を持ち上げる。その表情は重たい。霧生はできれば、この先の光景をレナーテに見せたくないと思っていた。


「困るなァオイ。天上生きっかり二人って言われてんのに。……いや、一人個人的に殺すって体ならいけるか?」


 遮陽も目の前に現れた少年が只者ではないことは、何の前触れも無く現れた時点で察している。

 レナーテと違って"殺し"の世界に慣れているのだろう。だが、自分達と同じ匂いが全くしない。霧生から感じ取れるのは、レナーテと同じ、ぬるま湯の甘ったるい気配。

 現に、仲間が殺されかけたというのに彼は《殺気》の一つも放ってこない。邂逅時、不意打ちのチャンスをレナーテを救うために消費したのが決定的な証拠だ。

 多少腕は立つのだろうが、カモだと遮陽は確信する。

 "殺し合い"は実力の上下を区別するものではない。敵が絶命すれば、それだけでいい。


 振り返った霧生は悲しげな目で遮陽を見据えていた。動きがないように見えても、遮陽は既に霧生を殺すための技を幾重にも用意している。それを霧生は見抜いていた。

 霧生が少しでも隙を見せれば、たちまちそれらが襲いかかってくるのだろう。紛れもない、本物の殺意を持って。


「霧立姫」


 ため息を吐くように、霧生はその銘を呟いた。

 藍色の組紐が解け、静かに舞う。

 現れた刀の柄を握り、刀身が抜き出される。その刃は、きっと男を殺すために振るわれる。

 諦念。霧生の目が僅かにくすんだ。



挿絵(By みてみん)

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[良い点] 唐突な挿絵とそのクオリティに驚きました。いいなー。
[一言] 挿絵めっちゃかっこよかったです
[良い点] 挿絵ヤベェすき
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