第11話 才の代償
大水晶の間。中央にある石英の球体が映し出すのは寮へ向かって歩く霧生の姿である。
苛立ち混じりの高揚感を胸に、レナーテはその憎たらしい背中を睨みつけていた。
こちらの視線に気付いているのに歯牙にもかけない態度が鼻につく。彼を見ているだけで胸の奥に強烈な嫌悪感が湧き上がる。
だが、それももうしばらくの辛抱だ。
今度約束した決闘に勝てば、正式に彼を学園から追い出せる。
納得はいかなくとも、前回の件が彼にとって例外であったこと自体はレナーテにも理解が及んでいた。
少なくともその例外を躱して勝利すれば、彼の性格上約束を反故にするとは思えない。元よりそれを考慮して条件を提示したのだ。
全ての勝負に前向きな姿勢を見せてきた霧生が、たかだか殺意程度であそこまで態度を変えてくるとは思わなかったことが、レナーテの誤算である。
(でも、今度こそ消えてもらう)
レナーテは手のひらに強く爪を食い込ませた。
準備は完全に整っている。
日常的な癖、魔術的傾向、魔力総量。彼の私生活を監視することで、それらは全て解析済み。武術では及ばないだろうが、魔術戦に持ち込めばこちらに圧倒的な利がある。
少しの間ではあったが霧生と対峙し、術式を一見できたことも次の決闘に活かせるだろう。
壁際に視線を移す。いつもならそこにユクシアがいて、本を読んでいる。
研鑽に明け暮れる天上生のほとんどは地上の細事に興味を持たない。そのため大水晶の間はいつも人気が無く、そんな静かな空間だからこそユクシアが居着いた。
彼女がいたからこの空間は居心地が良かったのだ。同じ時を過ごす内に、いつしかレナーテにとっても体の一部のような場所になっていた。
だが、あの男の存在を知ってからは違う。彼女は老練の間で鍛錬に勤しむようになった。
クラウディアもそうだ。彼に変えられた。彼女は霧生に勝つため、毎日血反吐を吐くような特訓をこなしている。
気に入らない。周囲の環境が誰かの手によって否応なしに変えられていくのは。
彼がいる限り、レナーテの望む日常は戻らない。
じわじわとまた悪感情が膨れ上がっていった。こんな時、この宮殿にはそのむしゃくしゃをぶつけられる相手がいない。
レナーテは爪を噛みながら大水晶の景色を分裂させる。
「……仕事、しなきゃ」
天上生の中で最も大水晶を巧みに扱えるレナーテは、上空からの殺し屋捜索を任されていた。
こんなくだらないことでも集中できたら一時の安息が得られるはずなのに、霧生の存在が頭から離れない。
レナーテは水晶の半分に霧生を映しながら、気怠げにもう半分で景色を動かしていく。
そして、視界の端に偶然にもそれを見つけた。
「これって……」
──広範囲に渡る魔力連絡。
《森林迷宮》の上空に迸る低密度の魔力は、おそらくある程度高度な魔術の展開を誤魔化すために、分散させたもの。地上にいればまず察知は難しい。
大水晶を持ってしても、視覚を200%以上シンクロさせているレナーテでなければ発見できなかった。水晶を半ば独占的に使っているレナーテだからこそできる技。
レナーテは視界を前進させて《森林迷宮》に潜り込んだ。地面を這うように木々を掻き分け、ぐんぐんと加速していく。
──そうして二つの人影を捉えた。
墨の入った黒装束の男と、胸元の空いたブラウスにホットパンツの女。
発見と同時に彼らの視線がこちらへ流されそうになり、レナーテは咄嗟に視界を切った。
「うそでしょ、見つけちゃった」
殺し屋。今密かに学園を騒がせている悪要因。
彼らのために、大人数の講師が動員され、天上生の下界が禁じられている。宮殿を覆う結界には通常の5倍の魔力を回し、警戒態勢を強いられている。
これに関して、レナーテは不満を抱いていた。否、レナーテだけではない、ほとんどの天上生がきっとそうだろう。
名高いアダマス学園帝国において、天上に至るまで研鑽を積んだ、才ある者の中でもさらに抜きん出た天上生。それがなぜ外からやってきた殺し屋などに意識を割かなければならないのか。
彼らは殺しが得意な、多少腕の立つ凡才。それを恐怖の対象として見るのは、自らが積んだ研鑽の否定にもなりうる。
レナーテ達は周囲に天才しかいない環境、いわば荒れ狂う川の流れの中で、日々研磨されてきたのだ。
レナーテの心境が、状況に照らし合わされる。
(あいつら、八つ当たりには丁度いいじゃん)
殺し屋が消えれば霧生との決闘もすぐに執り行える。程良い前哨戦にもなる。まるでデメリットが見当たらない。
即座にレナーテは術式を練った。
寸前で視界は切ったが、おそらく視線を気取られた。用心深い殺し屋達はその場から去るかもしれない。急がねば。
ハミングによる旋律術式に、レナーテは魔力を通した。
「《転移》」
ーーー
アダマス学園帝国を囲む《森林迷宮》の、武術区に面する位置に遮陽とダガーの二人は拠点を構えていた。
「これで完了だ」
「流石姉御、なんでもできちまう」
無数の木々に紋様を刻むことで、広範囲に渡る術式を組み上げ、それをいつでも稼働させられるように魔力を通したダガーに、遮陽が称賛の言葉を送る。
結界の一つも張らず丸一日掛けて組んだ古典的な術式は、察知されないことに特化している。連絡する魔力の密度は限り無く低く、それも時間経過で木々に刻んだ紋様が吸収していき、いずれ知覚できなくなる。
「あとはタイミングだなー」
ダガーが組んだ変則的な術式は、地上で確認した《転移回路》の写し。当然《天上宮殿》に繋がるものだ。彼らは宮殿へいつでも侵入できる所まで段取りを進めていた。
とは言え《天上宮殿》の守りが手薄でないことをダガーは知っている。組んだ術式は所詮コピー。《転移回路》がどこに繋がるものかも分からなければ、宮殿内の間取りも把握出来ていない。
侵入は博打とも言えるが、それでも天上生一人くらいであれば殺して帰って来られる自信が彼女にはあった。
だが標的は二人。一人ずつに分けて殺しを行えば、その痕跡を辿られて二回目が難しくなる。その上、クライアントの要望は「惨殺」である。困難な状況下で、さらに不必要なプロセスが挟まるのだ。
ダガーと遮陽で一人ずつ同時に殺せるならそれが理想だが、遮陽は応用力に乏しく、下調べの無いアウェイな地で臨機応変な殺しを行えるか分からない。
正面からの戦闘が見込める依頼なら頼りになるが、どうしても手数の多くなる殺しは遮陽には向いていないのだ。
「お前が忍者としての修行を怠っていなければこういう場面でも楽なんだがな……」
「それが出来てたら今頃ダガーと組んでねぇって。姉御が一人で二人殺って来てもいいんだぜ?」
「やれないことはないだろうがいかんせんリスクが高──」
会話の途中で"視線"を感じ、ダガーは首を横に向けた。ほんの一瞬遅れて遮陽もそちらに首を向ける。
視線は彼らが捉える前に途切れていた。
「……おい今」
遮陽は恐る恐るダガーの顔を見る。
「ああ、視られたな。一人だ」
「どうするよ……?」
遮陽が伺うように聞くと、ダガーは無慈悲に答える。
「勿論ここから離れる。術式も破棄する」
「うあ゛あ゛ああああああ! 最悪だ!」
「そう焦るな、まだ2週間ある」
「焦ってるんじゃなくて面倒くせぇんだって!」
喚く遮陽をよそに、ダガーは痕跡を消す作業を始めようとした。
その時。
ダガー達にとっては見慣れない魔力が周囲に散り、それが一箇所に収束する。直後、二人の正面に一人の少女が現れた。
翠色。色付きのローブがふわりと翻る。
「あ──?」
天上生、レナーテ・ベーアがその地に降り立った。