第8話 悲痛なラブコール
「園内に殺し屋が?」
学長に先刻の報告を行った霧生は、彼の反応を見て雲行きの怪しさを感じていた。
「学長がご存知無いとは」
アダマス学園帝国のセキュリティは万全だと言っても過言ではない。
霧生が入学するに当たって、園外にいた非常勤の講師から入学案内状を盗み取らなければならなかったのは、セントラルターミナルに通ずる《転移列車》に乗車することでしか学園に入ることが敵わなかったからである。
その唯一のルートを辿れば、当然防犯的備えのある学園側は、想定外の来訪者を感知することができる。故に霧生は入学して早々に学長からの呼び出しを食らったのだった。
妹、水面の侵入は霧生の立ち合い見物に招致された各国の大御所達に合わせて上手くやったのだと推測していたが、殺し屋達も学園側に気付かれずに侵入する手段を得ている。
だとすれば学園のセキュリティに問題があると疑わざるを得ない。
「ふ、誤魔化せんな」
霧生が疑念の視線を送っていると、学長は参ったとばかりに腕を組む。
「なぜこんな事態に?」
「すまないが、それには答えられない」
学園側の機密ということなら霧生に追及の余地はない。
「しかし、我が校の講師の誰よりも早く気付くとは。流石、日陰に慣れているな」
とはいえ件の殺し屋は霧生も無関係では無い可能性がある。しっかりとした対策が聞けなければ放置できない。
「どうするつもりですか?」
霧生は学長のジョークには付き合わずに尋ねた。
「……わざわざ園内に入ってきたからには殺しをやるつもりなのだろうが、"今のところ"犠牲者は発見されていない」
目的を突き止めなければ動きようもない、そんな学長の思考を読んで、霧生は不確定な情報を補足する。
「奴らは天上生を探しているようでした。断定は出来ませんが」
《天上宮殿》に滞在する天上生を殺すタイミングは中々生まれない。狙いが天上生なら、彼らが攻めあぐねている線もある。
優秀な講師も多いアダマス学園帝国で殺人をして即退散、というのは難度が高いはずだ。それが天上生なら尚更で、すでにこちらが存在を認知しているとなれば、さらに困難になるだろう。
だが、相手はそれが出来る手練であると、霧生は見ている。
「では一部の講義を短期的に中断し、講師達を殺し屋捜索に動員する。
そして天上生のみに注意喚起、及び下界を禁じ、混乱と殺し屋に気取られるのを防ぐ為、地上の生徒達には伝えない。これでいかがか?」
依頼なのか、そうでないのか。依頼だとすると、標的は一人か複数か。殺し屋の数は最低でも二人。
彼らの目的が明確ではない以上、こちらは後手に回るしかない。誰が狙われているかも分からないのに、殺しを防ぐのは至難の業だ。
「それくらいの対策が限界でしょう」
「あまり考えたくない策になるが、犠牲者が一名でも出れば索敵は容易くなる」
「……それだけは避けたいところですね」
もっとも、この閉鎖的な学園で標的複数の仕事なら、殺しは短い時間に完遂されると考えた方が良い。
一人死んでいることを確認したら、その時にはすでにこの学園を離れ、依頼達成としている可能性が高い。
学長もそれは重々理解しているだろう。一人殺されてから、というのは楽観的な考えだ。同時に、一人も殺されず、という考えも──
矛盾したこの状況には、その場その場の絶妙な対応と、運が求められる。
「確認ですが、俺も動いていいですよね」
念の為、霧生は聞いておく。
「そうしてくれるなら私としてはとても助かる」
ーーー
2日後、《天上宮殿》最上階。
ビクトリア調装飾模様の内装が特徴的であるその空間は、数多の魔術により何十倍もの広さに郭大されていた。
空間の至るところに設置されたカメラが、部屋の中央に立つ天上序列第一位の男、ウィリアム・スチュアートを映す。そしてその姿は地上に中継されているのであった。
そして宮殿に立ち入る権利がある霧生は、ユクシアとウィリアムの立ち合いを間近で見ることに決めていた。天上生達が幾重にも展開した結界魔術の外側で、ウィリアムの様子を観察する。
茅色の髪に、スラッとした体躯が纏うのは"銀"の外套。
落ち着いた瞳からは凄まじい練度を感じるが、これから迎える戦いに対する気迫は欠けている気がした。
「その怪我、レナにやられたってマジか?」
立ち合いの見物に、霧生の隣を陣取ったクラウディアが尋ねてくる。
「おう、クラウディアか。これな、マジだぜ」
「なんか、悪いな」
「お前が謝ることじゃないだろ」
覇気無く謝罪するクラウディアに肩を竦める。霧生はレナーテにも謝罪を求めていない。
先日の出来事はただの事故だと思っているのだ。
「レナのやつ、お前に勝ったって言いふらしてる」
ビキビキと、霧生の額に青筋が走る。
が、堪えた。
「……今回ばかりは許す。俺も負けたとは思ってないし」
そもそも勝負が行えなかった。
さりとて、あの顛末でレナーテが勝利を謳うのも仕方ない。霧生にとっては勝負で無くとも、彼女にとっては紛れもなく勝負だったのだ。
「何となく何があったか分かるのがアレだな……」
クラウディアは何かを思い返すように呟いた。
視線の先にいるウィリアムが、静かにユクシアの来訪を待っている。こうして30分前から待っている彼だが、依然《気》の高まりは感じられない。
「……あいつはな、プライドが高すぎるんだ。魔術の名家も名家のベーア家に生まれて、才能もあって。ユクと初めて会った時も、レナの方が魔術の腕は上だった」
この場に集まる者が口々にウィリアムとユクシアの立ち合いの話に興じる中、クラウディアがぽつぽつと話し始めた。
「でも、レナが幼い頃から研鑽を積み続けた魔術も、ユクは少し研鑽するだけで追い抜いてよ。そんなことされたら悔しいとかそんな気持ち以前に、すげーって思っちまわないか?」
「…………」
特に考えずに答えようとしたが、答えられなかった。
霧生は顎に手を当てて考える。幼い頃ユクシアと何度も勝負した時は、何も考えずにただ欲望と感情に従っていただけな気がする。
だがもし今、そういう相手と巡り会えたなら、凄いとは思うだろう。でも──
「それでも、お前はユクに挑めるんだよな」
クラウディアが言った。
「自分が出来ないことをぽっと出のお前がやってるから、辛いんだと思うぜ、レナは。
だからその……あいつのことはあんまり」
「いや、悪くは思ってないぞ全く、最初から」
「あぇ? ……なんだ、それならいいんだけど」
むしろ霧生はレナーテが落ち着くのを心待ちにしている。現在、頭の中にある2つの主題の中の、一つはレナーテに関してのことだ。
必要以上に煽らなければレナーテもそう簡単に一線は超えまい。次の勝負は血湧き肉踊る熱い勝負を、彼女の体にこれでもかと言うほど叩き込んでやるつもりだ。
「いやなんかお前がいつもより機嫌悪そうにしてるからレナの事だと思ってだな……」
それは完全に別件であろう。霧生が頭に抱えているもう片方の難事。殺し屋についてである。
四六時中気を張っているから、そう見えるだけだ。
「というかガッツリ聞いといてアレなんだが、勝手に話していいのか? そんなこと」
「勿論レナには言うなよ……!」
クラウディアが周囲を見回しながら言う。レナーテはこの場所にはやって来ていなかった。覗き見が得意な彼女は、別の場所で立ち合いを見物するのかもしれない。
それからしばらく待つと、最上階の間へ続く階段を、コツコツと誰かが上ってくる音が聞こえてきた。
天上生達のどよめきも一瞬。すぐに静寂が訪れ、それに合わせるかのようにユクシア・ブランシェットが姿を現した。
夜空色の外套が翻る。
「お待たせ、ウィリアム」
「7年待ったよ、ユクシア」
そこでウィリアムが初めて見せた戦気は、外で見ている霧生まで高揚させるものだった。
が。
「ようやく、証明してくれるんだね」
その言葉で酷く落胆する。
僅かにユクシアの手が震えたのを、霧生だけは見逃さなかった。
「……キツイな」
ウィリアム程の男がユクシアの化物地味た才能を見抜いていないはずがなかったのだ。
そして清き技能者らしく、天上生らしく、彼女と己の差を客観的に見比べる事が出来ていた。
第一位ならあるいは。霧生の淡い期待は容易く打ち砕かれる。
「今日の為に研鑽は怠らなかった。全力でやるよ、君の踏み台に相応しいよう」
霧生は二人に背を向け、来た道を引き返していた。
「どこいくんだよ」
クラウディアが後ろから声を掛けてくる
「帰る。見てられねえ」
振り返ることなく答えると、霧生は《天上宮殿》を後にした。
ーーー
アダマス学園帝国、地上。中央区のとある広場。
「すげぇな天上生。はー、こんなことってあるのか。俺もアレくらいの才能を持って生まれてたらなァクソ」
地上の生徒の誰も彼もが中継されるその映像に夢中になっている中、遮陽もまたそれに釘付けになっていた。
モニターの中では、天上序列第一位のウィリアム・スチュアートと、第二位ユクシア・ブランシェットによる凄絶な立ち合いが行われている。
「というか、そこら中にいる奴全員がエリートってカンジだわ。やべぇ所に来ちまったもんだなダガーよ」
「そうだな」
遮陽の隣に立つダガーは、天上生二人の戦いをつぶさに観察していた。否、観察はすでに終えている。今彼女がモニターを眺めているのは、純粋な興味であった。
「ありゃあ良い女だ。いいとこに生まれて、才能もあって容姿にも恵まれてって。人生楽しくて仕方ねーだろうなオイ」
「そうだな」
「ダガー!? いつまで見てんだまさかまたビビッてんのか!?」
「うるさいなお前は。そんな訳あるか」
「うグッ……」
唐突に声を上げた遮陽の顎に拳を入れながら、ダガーはモニターから視線を逸らす。
すると遮陽は安心したようにダガーの肩に手を回しケラケラと笑う。
「そうだよな姉御。良かった良かった」
「確かに、私達とは比にならないほど凄まじい才覚だが……」
「アレなら問題無く殺れちまうよな〜」
嬉しそうに笑う遮陽の腕を払うこと無く、ダガーは歩みを進めた。
「一稼ぎするか、遮陽」
「おうよ」
ーーー
地上では天上選抜戦の時を超える、盛り上がりの絶頂を迎えていた。首位を争う天上序列戦に決着が訪れたのだ。
あちらこちらでユクシアの名が聞こえる。
寮までの帰路についている霧生は、彼らを眺めながらゆっくりと歩いていた。
『凄まじい戦いでしたね! ぜひ勝利の感想をお聞かせください』
そこかしこの音響から響く声。
ユクシアを取り立てようとする誰かが彼女にインタビューをしているらしい。
『あの日の』
いつかを思わせるような弱々しい声が響き、霧生は目を瞑る。
『はい?』
彼女は第一位を下すことで、さらに追いやられてしまった。いつもの通り、こうなることなど、分かり切っていたのだろう。
『あの日の続きがしたい』
長い長い間を置いて、彼女はそう零す。
何言ってんだ、と霧生は内心吐き捨てた。
「俺はそのために来たんだぜ、ユクシア」