第7話 霧生にとって勝負とは
人目を嫌うレナーテに合わせ、決闘の場には第3訓練場が選ばれた。
霧生は勝利学を受け持つことになった時、学長からこの場所を自由に使って良いとの許諾を得ている。リューナとレイラに魔術を指南しているのもこの場所だ。
訓練場を囲む筒状の結界は、レナーテが展開した外からの視線と立ち入りを遮断する結界魔術である。
なにせ天上生の決闘。こうでもしなければ大パニック間違い無しだろう。
「色々考えたんだけど、やっぱりこうするのが一番てっとり早いかなーって」
正面に立つレナーテが言う。
霧生は訓練場の壁に埋め込まれた時計を見やった。
かくれんぼと決闘、思わぬ勝負のダブルブッキングだ。
22人の受講者達が足取りを合わせて散らばるように隠れていた場合、学園中を飛び回るだけで相当な時間がかかる。
既に移動とウォームアップだけで10分も使っているので、レナーテとの決闘に掛けられる時間はせいぜい10〜15分がいいところだろう。かくれんぼの猶予は30分程。
「霧生くんの性格的にもね」
「なるほどな。悪くない」
レナーテは、霧生が一つの勝負に集中出来ないタイミングを目定めてやってきたのだろう。
《天上宮殿》でユクシアとの再会を果たして以来、空からの"視線"が酷かった。今それが感じられないということは、やはりレナーテが上から霧生を監視していたということ。
そしてどんな状況、どんな理由が絡むにしろ、可能な限り挑まれた決闘は受ける。それが霧生の揺るぎ無き信条だ。
レナーテの姑息な手段も、勝負を彩る立派なスパイスなのである。
「念の為言っておくが、じっくりねっとり、血湧き肉踊る勝負がしたいなら、日を改めることをオススメする」
レナーテクラスの実力者との決闘を他念混じりに行うのは霧生にとっては不本意であった。
そんな進言を彼女は鼻で笑って切り捨てる。
「すぐに決着がつくみたいな物言いだけど、魔術戦なら私の方が一枚も二枚も上手だよ。絶対に」
冷ややかでありながら確かな自信が籠もったその言葉に、霧生は思わず息を呑んだ。
「……好きだ」
「は?」
霧生の告白にレナーテが顰蹙する。
「絶対とか、最強とか。そういう言葉を自負する奴が俺は好きだ。粉砕のし甲斐がある」
霧生は手のひらを眼前へ持って行き、それを強く握り締めた。
この一週間、レナーテは霧生の私生活を監視することで対策を立て、調整に調整を重ねたのだろう。さらにはより勝利を確実にするために嫌がらせも講じた。
──それを真っ向から叩き潰した時の爽快感はきっと計り知れない。
「……どうでもいいけどさ、私が勝ったら学園から出てってよ」
霧生の熱に対し、レナーテは黒い感情の乗った視線を返してくる。
それはやはり嫉妬心。彼女が決闘まで踏み切って来た理由であり、原動力だ。
それは悪ではない。嫉妬は誰であろうとする時はするし、勝負には常に負の感情が付いて回る。
ただ、霧生が思うのは。
「勿体無いなぁレナーテ。
本当の意味でその感情を払拭したいなら俺に構ってる暇なんかないはずなのに……」
レナーテの視線がより鋭いものとなる。
「……分かってるよそんなこと。でもどうにも出来ないから、ムカつく霧生くんを潰す。
そうしたらこの胸のムカムカも少しは晴れるはずだから」
「OK。いいぜ、お前が勝ったら俺はこの学園から出ていってやるよ。ただし、俺が勝ったらお前は──」
どう言葉にすればレナーテに伝わるのか、刺さるのか、霧生は考える。人差し指を立てながら、レナーテを中心にして円を描くように歩き始める。
微動だにしないレナーテは視線だけで霧生を捉えていた。
やがて最適の文言を思い付いた霧生は足を止める。
「敵になれ」
「……どういうこと」
その一言では案の定伝わらない。霧生は付け足す。
「友達じゃない。ユクシアの敵になれ、レナーテ」
ブチリ。そうした音が聞こえて来そうなくらいに、レナーテが激昂するのが分かった。
「ふざけるのもいい加減にしろ」
「始めようぜ。時間が押してる」
トントンと人差し指で手首を叩く。
するとレナーテは片手を上げた。その所作そのものが術式であり、周囲に荒れ狂う風が巻き上がる。
同時に彼女の長い髪も逆立っていく。
「《旋律指揮拍節》」
レナーテの掌上に収束した暴風が1尺程のタクトを形作った。それを肩まで持ち上げると、彼女は上昇していく。
僅かな所作を術式にし、魔術として展開する技量。魔術が与える周囲への影響を連鎖的に術式とする応用力。
これは相当な自信があるのも頷ける。
「なぁ。お前は今、自分が勝つことを考えている」
浮遊魔術で空に留まったレナーテは完全に魔術戦の構えだ。こうなると長引く。
故に霧生は術式を用意しながら舌戦を仕掛けた。精神力が物を言う魔術戦では有効な戦術だ。
旋風が奏でる轟音。巻き上がる砂が壁を擦る音。レナーテは機敏にタクトを振るう。
霧生の接近に備えた術式を用意しつつ、彼女は着々と本命の魔術を構築していっている。
互いが互いの術式構築を妨害し、その中でどちらがより魔術を発動できるかが本来の魔術戦であるが、霧生にはまるでその気が無い。
「俺もそうだ。勝つことばかり考えてる。そして世界中の人間、規模の差はあれど、誰もが己の勝利を主軸に置いて動いている」
少なくとも、霧生はそう信じている。
「なのにその勝利に飽きてるなんて、惨すぎると思わないか?」
「あなたに何が分かるの……私だって。──もういい」
ピリと、肌がひりついた。
レナーテから漏れた明確な《殺気》に、霧生は瞠目する。
第三訓練場を覆う程の大規模な術式。
彼女が連絡する膨大な魔力が辺りに煌めく。
「待て、レナー……ッ!」
「《狂奔する序奏》!!」
そして大魔術が解き放たれる。
嵐という災害そのものが、狭い地形の中で霧生だけを狙い、押し寄せた。
ーーー
ーー
ー
ポタポタと血が滴る。
未だに空に滞在するレナーテを、霧生は片目だけで見上げていた。
「気分はどうだ?」
傷付いた霧生を見下ろすレナーテに尋ねる。彼女が髪を掻き上げると、爽快といった表情が顕になった。
「最高」
「なら止めだ」
タクトを操って追撃の術式を準備しつつあるレナーテに軽く掌を向ける。
「……は?」
今の魔術は、霧生が死んでも構わないという殺意が込められた攻撃であった。
煽りすぎた霧生も悪いと思い、甘んじて受け止めたが、それでレナーテに失態の念が無いのならこの後の戦いは勝負に成り得ない。
「命のやり取りが絡む戦いを、俺は勝負だと思わない」
霧生は踵を返す。
《技能》としてではなく激情による殺意はやむを得ないこともある。だがこのまま決闘を続ければ才気溢れるレナーテが道を逸れてしまうかもしれない。そうなれば自分の責任だ。
霧生はそれが恐ろしかった。
「言い過ぎた俺も悪かったが、少し頭を冷やしてくれ」
そして、思っていた以上に彼女のユクシアに対する想いは深いものだったらしい。安易に刺激して良いものではなかった。
「うるさい、《慟哭迸る──」
訓練場の壁へ向けて進む霧生に背後から魔術を放とうとするレナーテ。
「また今度な」
それが発動する前に、霧生は続く"足跡"を術式とし、転移した。
ーーー
リーン、リーン、リーン、リーン。
寮自室の隣室、つまりリューナの部屋のチャイムを連打しながら霧生は声をあげる。
「リューナ発見! リューナ発見!」
すぐに部屋の扉は開き、リューナが顔を出した。
「よく分かるわね……って、何をどうしたらかくれんぼで血まみれになれるの……?」
「急いでるから後でな!」
リューナを発見したことにより、かくれんぼの生き残りはラスト1名になる。
残り時間は10分。レナーテとのいざこざで時間を食ってしまった為に、一番厄介なクラウディアを後回しにすることとなってしまった。
講義室から伸びる彼女の痕跡は時間経過によって途切れてしまったので、学園中をくまなく走り回って付近の色濃い痕跡を嗅ぎ取るしかないだろう。
寮を出た霧生は弾丸のごとく走り出した。
セントラルターミナルから螺旋を描くようにクラウディアの捜索を開始する。
かくれんぼと言えば、リューナを狙う少年ハオ・ジアもそうだ。彼とのかくれんぼも現在進行形で続いている。
あれから一応探してはいるのだが、一向に見つかる気配が無い。無期限とはいえ、いい加減本腰を入れて探さなければ慢性的な状況に慣れてしまうだろう。それは避けなければならない。
そんなことを考えながら中央区のバザールを減速して駆けていた時──
──見ろ、すげぇのが走ってるぞ。
──天上生じゃない。放っておけ。
「……!」
"悪意"とすれ違う。
霧生は正面に生み出した《気段》につま先を当て柔らかな急停止をした。
レナーテの《殺気》に当てられ、敏感になっていなければ気づくこともなかった細やかな気配。技能的なものでは無く、第六感のような、肌で感じる直感に近い感覚。
忌むべき殺し屋の臭いだ。
振り返って索敵を行うが、すでに彼らの姿は見当たらない。それらしい痕跡も残されていなかった。
手練も手練、本職の技。
同時に霧生は褐色の粒子、クラウディアの痕跡を視界に捉えた。
時計台の針が3限目終了のおよそ5分前を指している。クラウディアとの勝負を捨て置くことなどできるはずもない。彼らの追跡は今からしても遅い。学長に判断を仰ぐのが賢明だろう。
霧生はクラウディアの痕跡を追い、再び走り出す。
途切れ途切れになっている彼女の薄い痕跡は、広場の大噴水まで続いている。
常に飛沫が舞い、視界の悪い噴水の中央。脚に纏う《抵抗》を団扇のように広げ、空蹴りを繰り出すと、その風圧で水飛沫が吹き飛ぶ。
そうしてそこにずぶ濡れのクラウディアが現れた。
「粉砕!」