第6話 いきなり申し込まれた決闘は勿論受ける
翌日午後1時前。霧生は勝利学にあてがわれた102大講義室の戸を開く。
中へ入って室内を見渡すと、その閑散とした空気に驚いた。
収容人数400名を誇る大講義室。前回は400名以上の生徒が殺到し、その使用に恥じぬ講義、『勝利学』の威光を示した。
しかし2度目の講義にして、大講義室の席はたったの20分の1程しか埋まっていなかったのだ。
「嘘だろ……?」
前回、勝利学の実情を知っても席を立たなかったおおよそ100名の猛者が、さらに4分の1にまで減ってしまっている。
目をこすり、改めて確認してみても見間違いでは無いし、魔術による幻覚である気配も無い。
「そんなぁ……!」
毎週予定していた勝利の皮算用が狂い、霧生は頭を掻きむしる。
てっきり2度目の講義では、勝利学の実情を聞きつけた、打倒霧生を目論む向こう見ずな輩が大勢集ってくるものだと思っていた。
(やはり前回全員の腕を負傷させたのが悪かったか……?)
「アニキ、どうぞこちらを」
教壇に辿り着く前に立ち止まって頭を抱えていたところ、歩み寄ってきた少年、ノアが学内新聞を手渡してきた。
「アニキ?」
「はい。好きに呼んでくれとおっしゃったので」
キラキラとした目で頷くノア。どうやら前回の講義以来、よく分からない方向で慕われてしまったらしい。
霧生は手渡された新聞を開いてみる。
そこには『ウィリアム・スチュアートVSユクシア・ブランシェット』の文字がでかでかと見出しに取り上げられていた。
「裏です、アニキ」
言われて新聞を裏返してみると、今度は霧生に関する記事がいくつか目に入ってくる。
軽く流し見しただけでも、
『研鑽が生んだ闇、御杖霧生』
『学園に広がる歪んだ勝負観念』
『御杖信仰者が集う魔の講義、勝利学』
『現代技能にあるまじき"御杖流"。天上生の見解』
などと、あることないことが悪意上乗せで記載されている。
「ボロカスだな」
講義に参加する生徒が激減したのはこの所為でもあるようだ。2度目にして魔の講義などと揶揄されるのは流石に抗議したいところであるが──
「今ここにいる者達は精鋭と言う訳だ」
霧生は室内を見回した。
この人数なら大講義室の広さは必要ないが、色んな勝負をしていく以上、広いに越したことはない。これからもこのまま使わせて貰うことにしよう。
まずノアの肩にポンと手を置いて、霧生は座席の方へ向かっていく。
前回の講義と同じく正面左側に座るのはリューナとレイラだ。
「リューナ、お前は大物になると思ってる」
「な、なによいきなり……」
リューナは文句を言いつつも霧生から得られるものを有意義だと捉えている節がある。故に勝利学への参加も躊躇わないのだろう。
一方、隣にいるレイラはリューナに合わせて付いてきているだけだ。
「フン」
見下すような視線を送ると、レイラの眉がピクリと反応した。
「だからアンタね……」
「リューナさん、いいんです」
続いてリューナ達の少し後ろの方の席に腕を組んで落ち着いているのはクラウディア。霧生はそちらまで進み、彼女の肩にもポンと手を乗せる。
「そうだろうそうだろう。お前は絶対来るよな」
ニコニコと笑みを浮かべながら、何度も肩を叩くとうざったそうな顔をして手を払われる。
「触んな」
「照れない照れない」
「照れてねぇ。さっさと始めろ」
霧生は愛すべき勝利学受講者全員の元を回っていくつもりだったが、クラウディアに言われて帰っていく。
「さて、さっそくだが今日の講義は……」
教壇に立った霧生が口を開くと受講者達が固唾を飲む。
前回は最初から飛ばし過ぎた感じが否めないので、今度のものは誰もが楽しめる勝負を考えていた。それは──
「かくれんぼだ!」
勝負名を告げても、何かのリアクションが返ってくることはない。受講者が減るとこういった空気感も寂しくなるものだ。
若干の不満を抱きながら、霧生はルールの説明に移る。
「当然だが鬼は俺がやる。君達は俺に見つからないように隠れてくれ。
学園内ならどこに隠れても構わないし、動き回っていてもいい。姿の認識とその宣言を持って"発見"とする。
制限時間は『勝利学』の規定終了時刻まで。俺は1時30分までここで待機する。何か質問は?」
時刻は午後1時5分を指している。『勝利学』の終了時刻は午後2時30分だ。
言い終えた時点で講義室を飛び出したのはクラウディアのみ。それ以外の生徒は未だ席に着いたままである。
「はーい質問質問」
「どうぞ」
元気よく手を上げた新入生らしき女生徒に手を向ける。
「先生は多分、私達の顔と名前を覚えていませんよねー? それでかくれんぼが成立するの?」
「成立する。顔も名前も覚えていなくても、俺は君達を一人残らず見つけることができる」
「マジ? すげー」
答えると、そんなリアクションをして彼女は部屋を出ていった。釣られて何人かの生徒も出口へと向かう。
「御杖、今回は何を目的とした勝負なんだ?」
そんな中、次に質問をして来たのはニースだった。
今の彼には適正検査の時のような傲慢さが感じられない。霧生への態度を完全に一新し、謙虚に学ぶ姿勢を見せている。
「言うまでもなく、俺が勝つための勝負だが」
「聞き方が悪かった。この勝負で俺達は何を意識すればいい? 前回の腕相撲で色んな《気》の扱い方を見せてくれたように、今回もただ俺達に勝つって訳じゃないんだろ?」
「ほう」
感心して顎に手を当てる。
霧生の目的は勿論、第一に"勝利"。しかし、申し訳程度には受講者達のことも考えている。
ニースがそれを読み取ってくるとは。
隠れるのに使う時間を惜しまず、講義室に残っている生徒はこの時点で12人。
クラウディアのように、かくれんぼと聞いた時点でその難易度を察することは難しい。
「微量と言えど、常に体から放出される《気》。呼吸に混じる《魔力》。足跡。匂い。お前達がいつもだだ漏れにしているそんな痕跡……意識して、どこまで消せる?
俺はそれを追う」
「やっぱり普通にそういうことだよな……。よし」
ニースは表情を曇らせながら講義室を出ていく。
霧生が与えたヒントは、かくれんぼとなれば誰もが意識することだろう。かくれんぼでなくとも、人探しなど、普段の生活の中でしばしば役立つ普遍的な技能だ。
霧生の意図は、ニースにとっても想像通りだったようだが、彼らは敗北して初めて気づくことになる。
その質の差を。
《技能》を用いたかくれんぼは力量がハッキリと出る勝負だ。己の痕跡を巧みに操り、全く異なる性質に変えたり、あえて残して誘導したりなどが出来なければ、霧生とは渡り合えないだろう。
扱う時だけではなく、それらを常時意識するだけで《気》の扱いは向上していくし、周囲に溢れる痕跡を五感で捉えることができるようになる。
この学園では、そういった日常的な研鑽法を教える者が少ないと霧生は感じていた。
生徒達は次々に講義室を出ていき、室内は霧生ただ一人となり、やがて時刻は午後1時30分を迎えた。
ホワイトボードに背を預けていた霧生が動き出す。
「合計22人……。まずはクラウディアからだな」
クラウディアは痕跡を極力消して、真っ先に講義室を出ることで時間経過による追跡難を狙っているらしい。
だが無駄だ。
クラウディア程の才気を完全に消そうと思えば、相当な鍛錬が必要になる。極限まで薄められても消すに至らないなら、気配の追跡を極めている霧生相手には意味を為さない。
3歳から4歳にかけて丸一年山に閉じ込められていた経験が活きる。
「何度でも粉砕してやる」
そう意気込んで講義室の扉を開くと、目の前に一人の少女が立ち塞がった。
彼女の名はレナーテ・ベーア。
先週も大講義室を出ようとした所を見計らって現れたので、霧生はデジャヴを感じる。
しかしあの時とは随分と雰囲気が違う。
引き締まっているというのか、洗練されているというのか。とにかく、鋭い気迫を放っている。
霧生が声を掛ける前に、彼女の方が先に口を開いた。
「よう霧生くん。いきなりで悪いんだけど、私と決闘しない?」
「いいぜ、やろう」
霧生は二つ返事でその申し出を受けた。