第5話 流れに身を任せているだけの負け犬
《天上序列》
上位と下位に別れて成り立つその序列を巡り、天上生達は日々研鑽を重ねる。
序列は一般の生徒にとっては知らず知らずの内に入れ替わるものであり、入れ替わりが発覚する度に地上は賑いを見せる。
だが、今回の場合は賑わうなどの騒ぎでは済みそうにない。
おおよそ7年に渡って沈黙を貫いていた天上序列第2位のユクシア・ブランシェットが、首位ウィリアム・スチュアートに序列戦を申し出たのだ。
本来であれば、そんな情報が降りて来ただけでも大騒ぎになるのだろうが、さらにそれが一週間後、公開式で行われることが決定した。
先日の選抜戦に続き、異例の事態だという。
「今回の件に御杖氏は何か関わりがあるのでしょうか? 3日前、レナーテ・ベーア氏とクラウディア・ロードナー氏に連れられてどこかへ向かったとの目撃情報が寄せられていますが」
個別に魔術の指導を行うため、リューナとレイラの二人と共に第三訓練場へ向かっていた霧生は、ボイスレコーダーとメモ帳を手に持つ記者のような風貌をした生徒に捕まっていた。
ハンナと名乗った彼女の背後にはカメラが浮いている。
「あるが、詳しくは答えられない」
レナーテにもそうしたように、霧生はユクシアとの関係を安易に語るような真似はしない。
ハンナはペンを顎に当てる。
「では、来週行われる上位序列戦ではどちらが勝つと思いますか?」
「勿論、強い方が勝つ」
本心ではあるが、曖昧に答えた。
まだ始まってもいない他人同士の勝敗を断言するのは、霧生の信条に反する。
個人的にはユクシアが必ず勝つという確信があるが、対するウィリアム・スチュアートにもきっと様々な想いがあり、歴史があるのだ。
そんなウィリアムの勝利を否定する気はない。
「なるほど。先日のエルナス・キュトラ氏との立ち合いの発端が"じゃんけん"だというのは事実でしょうか?」
ハンナはユクシア関連の情報を引き出すのは難しいと見るや、スッパリと話題を変えてきたので好印象だ。
「……ああ。エルナスには一度じゃんけんで負けている」
リベンジを決めたからこそ、あの敗北は強く記憶に残っている。当然その悔しさも。
脳裏に色濃く蘇り、霧生は強く拳を握りしめた。
「そうだったの……?」
リューナが初めて知ったかのような顔で尋ねてくる。彼女には敗北の直後に話したはずだが。
「負けたって言ったろ」
「いや、それがまさかじゃんけんだなんて……。それであの……この前の試合?」
信じられない、そんな顔で問いかけてくるリューナ。
「そうだが、何がおかしい?」
「……いいえ、何も」
そう言ってもリューナはどこか腑に落ちない様子だ。
まだ勝負に精通していない彼女には理解の及ばない領域なのかもしれない。
「あの立ち合いは勝ち負けがどうという感じではありませんでしたね」
「それは違う。
あの勝負は俺の勝ちで、エルナスの負けだ」
ハンナの言葉に語気を強めて反論する。
『勝ち負けじゃない』
よく耳にする聞こえの良い言葉だが、本気で勝ちに行っている当事者からすれば侮辱以外の何でもない。軽い気持ちでも部外者が口にしていい言葉ではないのだ。
「失礼しました。後ろのお二人とはどういったご関係で?」
地雷を踏み抜いたハンナだったが、慌てることなく謝罪して話題を変えた。
「二人とも一応弟子だな」
「違うわよ。魔術を教わってるだけ」
リューナに否定される。
「なるほどなるほど……」
ハンナはメモ帳にスラスラとペンを走らせる。
その後も御杖流についてや、出自についての質問をいくつかして、ハンナは立ち去っていった。
ーーー
第三訓練場。
週に3度の頻度で、リューナとレイラに向けた霧生による個別レッスンが行われる。
術式に魔力を込め続ける素振りのような訓練で、講義終わりの彼女達の魔力は毎度全て使い果たすことになる。
距離を開けて、魔術発動直前までの術式反応を繰り返させるリューナとレイラ。
2人の習得進行状況としては、リューナの方が先を行っていると言わざるを得ない。
これは才能の差だけではなく、性根と目的の差でもあった。
傍目で2人を見ながら技の稽古を行っていた霧生は、ふと思い立ってレイラの方へ歩み出した。
「よう。今日も駄目駄目だな」
声を掛けられて、レイラは小さく肩を震わせる。そしておずおずと振り返った。
「すいません……」
「なんでレイラにだけいつもそんな当たりきついのよ、アンタ!」
こちらに耳をそばだてていたリューナが横から口出ししてくる。
霧生はつま先で軽く土煙を起こし、舞い上がったそれを指先で軽く薙ぐことで、不定形術式を構築する。
魔力の連絡で発動するのは《聞き耳封じ》の魔術だ。リューナと霧生達の間に見えない壁が生まれ、双方向の音の行き来が行われなくなった。
「《桎》」
堪らずこちらに向かってこようとしたリューナの足を、土の手が拘束する。
霧生は彼女に向けて『続けろ』というジェスチャーを送る。そうするとリューナは渋々といった様子で訓練を再開する。
リューナは相変わらず察しが良く、無理に我を通そうとはしない。霧生が強行したのを見て何かあるのだと理解したのだ。これは研鑽においても重要な性質だと言える。
リューナの才能を再認識しつつ、霧生は改めてレイラに視線をやった。
肩まで伸びたシアンの髪を弄りながら、落ち着かなそうに霧生を見上げている。
しかし、
「そういや"才能潰し"はどうなったんだ?」
「え──」
霧生が放った言葉でピシリと表情が凍りついた。
「ほら、エルナスがいなくなるから体制も変わるだろ。トップは誰になった? スタンズって感じじゃないよな」
トップが降りたからと言って、伝統ある"才能潰し"が解体されるとは考えづらい。
「その、何の話か……」
「大丈夫、リューナには聞こえてない」
やや気不味そうにリューナの方を向くレイラ。
レイラがリューナの才能を潰すため近づいて来たことを、霧生は初対面の時点で見抜いていた。
新品の制服を身に着けているが、そもそも彼女は新入生ではないのだ。魔力の感じや立ち振る舞い、何より目を見ればその人となりは判別できる。
レイラの擬態は完成度が低かった。
「……トップには別の人が収まりましたよ。スタンズさんじゃありません」
いつもより声色を低くして、否、本来の口調でレイラは答えた。
「そうか。へぇ」
「……なんで言わないんですか?」
おおよそ親睦を深めた後に裏切ることで、リューナの心を折るのがレイラ達"才能潰し"の算段だったのだろう。"才能潰し"の妨害や、様々な困難を共に乗り越えて来たはずの友人に裏切られれば、いくらリューナと言えど耐えられるかは分からない。
しかしそれは、早い内に霧生がリューナに話しておけば破綻する策である。
分かっていながらリューナに教えない霧生に、彼女は疑問を抱いているらしい。
「そういうやり方も一つの勝ち方だからな。友人として教えてやりたい気持ちもあるが、俺はそれを乗り越えて勝つリューナが見たい。
って言っても今は現状維持って感じか?」
トップを挿げ替えれば方針も変わる。特にリューナは霧生に近い生徒なので今後は対象から外れる可能性も高い。
故にレイラは指示待ちの状態で、とりあえずリューナとの関係を深めているだけかもしれない、と霧生は推測していた。
「知ってたから私にキツかったんですね」
「残念ながらそういう訳じゃない」
レイラには全てにおいて勝つ気が見られず、主体性も無い。
極力勝負を避け、ただ流れに身を任せているだけの負け犬であるから故に霧生はきつく当たっていたのだ。
エルナスのように、どんなことをしてでも目的を達成してやるという気概が感じられれば友好的に接するはずだ。
と言ってもエルナスのようにというのは難しい。エルナスは伝統ある"才能潰し"を自分が天上入りするためだけに利用していたのだ。
所属する大半の生徒は全体の慢性的な勝利を考えていることだろう。
「まあ……邪魔してこないなら、何でもいいですよ」
「俺が邪魔してもお前は逃げるだけだがな」
ただ、清くひたむきに天上生を目指すリューナの隣で、見せかけだけとはいえ研鑽をしていたレイラが何も思わないはずがない。
霧生が分かりやすくリューナの方を向くと、レイラは意志の籠もらない研鑽に戻った。