第4話 日陰の追い人
──日本、とある県境に在るとある山地。
登山客や村民すら立ち入らない人里離れた山懐に、格式高い日本家屋がポツンと建っていた。
生い茂る木々に囲まれ、朝露に濡れた本瓦葺の屋根が、かろうじて差し込む日の光に当てられきらきらと光っている。
家裏の露地庭園にて、
御杖家の次女──御杖水面は、苔生した丸石に腰掛けて上流を眺める祖父の背後に身じろぎ一つせず佇んでいた。
御杖家現当主、御杖霹誉。
齢九十にもなろう老人の背が嫌に恐ろしい。内の恐れを悟られぬよう、水面はただ無心で祖父の言葉を待つ。
そんな彼女の背後には、さらに二人の男女が立っている。
彼らは水面が連れてきた殺し屋であった。
男の名は"遮陽"
女の名は"ダガー"
どちらも殺し屋としての通り名だ。
水面が選りすぐんで連れてきた以上、言うまでもなく腕利きの者達であるが、それでも祖父の目利きを通さなければならない。それが御杖家における鉄則だった。
「いつまで黙ってんだよ、この爺さん」
「静かにしていろ」
長すぎる沈黙に痺れを切らし、遮陽がぼやいた。嗜めるダガー。
そんなやり取りにピクリと肩を震わせた水面は、彼らに向けてくすんだ無機質な眼光を向ける。
──次、勝手に口を開けば殺す。
遮陽は怯むこと無くあからさまに不満げな表情をしたが、大人しく口を閉ざしたので不問とする。
祖父からの返答が無いとはいえ、彼らが未だ殺されていないということは、一応基準を満たしているということであった。
祖父は今、水面の出した策を検討している所なのだろう。
霧生が滞在するアダマス学園帝国に、2名の殺し屋を送り込むという策。
その目的は霧生を殺すことでも連れ帰らせることでも無い。
霧生との約束通り、しばらく祖父をここに留めておくためだ。祖父にはそうすることのメリットも示している。
「良かろう」
長き沈黙を経て、祖父のしゃがれた声が響いた。許諾。
「じゃあ《天上生》きっかり2人、"惨殺"して来て。前金は振り込んでおくから」
水面が振り返らずに告げると、遮陽とダガーの気配が一瞬にして遠ざかる。
彼らが完全に察知できない域まで出ると、祖父が口を開く。
「血の臭いがする殺し屋は好かん」
「ごめんなさい」
三流だと言わずに好みを口にする辺り、祖父はあの殺し屋2人を認めたようだ。
「しかし水面、おまえがやれば良かろうに」
「お兄ちゃんの怒りを買う」
「そうか」
殺し屋を送り込んだことが漏れれば怒りの矛先はこちらに向くだろうが、間接的であればその分散ができる。水面は最悪祖父に全て擦りつけるつもりでいた。
霧生は血を分けた弟妹には甘い。水面達の境遇を知っているからこそ、何度立ち塞がろうと本格的な処置には踏み切ってこない。
ともあれ、己の因果で周囲の人間が死に至る結果になれば、兄もあの学園から出ざるを得なくなってくるだろう。どういう訳か、丁度学園のセキュリティは甘くなっている。
水面から見ても多かれ少なかれ手練のいるあの学園では、祖父とて霧生との長期戦は見込めないのだ。
「あやつを怒らせたくないのは儂とて同じ……」
祖父の場合は完全に手遅れだ。
それが分かっているからか、深いシワが刻まれた顔にどこか寂しげな笑みを浮かべていた。
やがて丸石から腰を上げた祖父が水面の隣を過ぎ去ろうとして立ち止まる。
「また立姫に似てきたな」
祖父は伸びた水面の髪を見つめてそう言った。
ーーー
御杖家を中心に広がる結界から一刻も早く抜け出すため、殺し屋ダガーは駆ける。
その背を追うのは遮陽。2年前からダガーと組んでいる殺し屋だ。
「ったく、あんな小娘に顎で使われるなんて、変な性癖に目覚めそうだなダガー。ありゃ女子高校生、JKって言うんだぜ」
遮陽が纏う黒装束が風を切ってはためく。
先程からブツクサと文句を垂れる遮陽にダガーは頭痛がしていた。
彼は頭が回らないと言う訳ではなく、むしろ切れる方だが、いかんせん自信過剰すぎる。
ダガーの全力疾走になんなくついて来る辺り、実力は確かだ。正統な由緒とは言えないが、遮陽は忍者の系譜で、純粋な戦闘力なら歴で勝っているダガーをも上回るだろう。
「やっぱりイラつくなぁ。俺が勝手に受けといてアレだけど、飛んじまうか? 前金だけでとんでもない額だぜ」
嶽の道無き道を進み、結界を出たところでダガーは足を止めた。
《抵抗》を切っての全力疾走だったので、露出の多い肌には草葉による切り傷が残る。
「やってくれたな遮陽」
ダガーは遮陽の胸ぐらを掴み、ぐいと引きつける。
「ん、なにがよ? いっづァ!?」
引き付けるや否や胸の谷間を凝視し始めた遮陽の顎を弾き、ダガーは無理矢理視線を合わせた。
「私達はあそこで死んでいたかもしれなかった」
怒気を込めて遮陽の迂闊さを詰る。
「おいおい、あんな死にかけみたいな爺さんにビビっちまったのか? まだあのJKの方が覇気があったろ」
ダガーは突き飛ばすように遮陽の胸ぐらから手を離した。この男が身内から切られ、一人で殺しをやっていた理由を改めて痛感する。
「力はあってもお前には匂いを嗅ぎ分ける力が足りないようだな。アレは化物だ」
おそらく自分達が束になっても敵わない、とまでダガーは言わなかった。
遮陽の好奇心に火でもついてしまえば取り返しがつかないからだ。
「そこまで言うんなら飛ぼうぜ」
遮陽は名を変えて一から殺し屋としてのキャリアを積むことに何の抵抗もない。信頼の文字からは掛け離れた人物だ。報復を恐れることも無い。
故にダガーのような制御役が必要なのである。
しっかりと手綱を握っていれば優秀なパートナーである。今回の件は少しでも目を離してしまったダガーにも責任の一端があった。
「どうせ面倒くせえ仕事だしよ」
ダガーは考える。
この依頼は何かおかしい。天上生という括りはあるものの、無作為に学生2人惨殺するだけにしては一月と期日が長すぎる上に、報酬額も異常だ。
かの名門校、アダマス学園帝国の存在はダガーも知っている。御杖水面からの情報によれば、本来強固なセキュリティが甘くなっているという。
「いいや。ひとまず潜入して、依頼の達成が可能かどうかを調べるのが妥当だろう。幸い期日は長い。逃走ルートの確保も余裕を持って行える」
彼らは何者で、どういった思惑があって依頼を持ちかけてきたのか。
最悪の場合、出奔することも視野に入れておくが、彼らの依頼を蔑ろにするのは後のことを考えるとなるべく避けたい所であった。
「チッ、マジかよ。だっる」
「お前のせいだ。可能なら速やかに済ませて、以降奴らとは関わらないようにするぞ」