第2話 天上生レナーテ・ベーアの過干渉
「ふーん? へえー?」
おもむろに歩み寄ってきたレナーテは霧生の体に許可なくペタペタと手を触れながら、ぐるりと周りを一周する。
触れやすいようあえてローブの裾を広げている霧生に、クラウディアが怪訝な目を向けてきていた。
「どうだ?」
「悪くないんじゃない」
目利きを終えたレナーテは不機嫌そうに答える。
今度は霧生が彼女の華奢な片腕を取り、外套の裾を捲り上げた。
傷一つ無い白く透き通った肌が顕になる。
「あんまり鍛えてないな。魔術側か」
彼女が武術に秀でていないことは一目瞭然であったが、腕を視ることでより明らかになる。レナーテは魔力の通り方が内面に偏るような体作りをしており、魔術に一極化した才能の持ち主だと推測できた。
「まあね」
用が済んだならとレナーテは無愛想に手を振り解く。
クラウディアから聞いた通りやけに嫌われているようだが、現時点でその理由を推し量ることは難しい。
とはいえ、見ず知らずの天上生に嫌われているという状況は霧生にとって好ましくもあるので、あえて解決に向けて動く必要もなかった。
「霧生くん、とりあえず一発殴らせてよ。これは私怨だからいいよね、クレア?」
外套の袖を丁寧に正したレナーテが、澄ました顔で唐突にそう申し出る。
「レナ、お前な……」
「いいぜ」
「は、はあ?」
隣に立つクラウディアがレナーテを嗜めようとしたが、霧生が躊躇いなく承諾したので言葉を詰まらせる。
霧生としては、その申し出を断る理由が無かった。
「いいね。じゃあお腹いくよ。
《抵抗》は解いといてね」
「おう」
霧生は言われた通り《抵抗》の展開を解除する。
「いやいやいや……」
右拳を左手でパシッと受け止め、レナーテはスッと腰を落とした。姿勢を調整し、最高の威力が約束された位置に霧生の腹部を持ってくる。
魔術に特化しているはずの彼女の構えはてんで素人と言う訳ではなく、流石は天上生と言うべきか、ある程度は武術の心得もあるようだった。
であれば、《抵抗》無しでレナーテの一撃を受けるのは無謀というもの。
いくら霧生でも何の防御も行うことなくノーガードで受け止めれば大ダメージは必至だろう。
「《解放》」
否、内蔵の一つや二つは覚悟しておいた方がよさそうだ。
「おいレナ! それはやりすぎだろ!」
なんだかんだで傍観を決め込みつつあったクラウディアがレナーテの《解放》を見て声を荒げた。
「じゃあいくよ〜……」
「来い!」
レナーテは拳を腰まで引き、今にも正拳突きを繰り出そうとしていた。
予想以上にレナーテが全力で打ち込んでくることを察しても、霧生が今更抵抗の素振りを見せることはない。
それどころか彼女が殴りやすいよう両手を腰に添え、ザッと足を開く。
それを挑発と受け取ったのか、レナーテは眉を寄せる。
直後、彼女の拳が放たれた。
「おりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
ドパン。
そんな衝撃に激痛が伴うことはなかった。
レナーテの小さな拳が霧生の鳩尾に届く寸前に、クラウディアの掌が間に差し込まれたからだ。
拳はクラウディアの手にすっぽりと収まっている。
「えぇ〜!? うそでしょクレア〜!?」
一瞬無表情だったレナーテが心底ありえないといった表情に作り変えたのを霧生は見逃さない。
クラウディアの険しい眼光がレナーテを射抜く。
「……今のは、死ぬだろ」
「死にはしないだろ」
「そうだよ良くて半殺しだよ」
「……あのな、レナはともかくお前は守ってやったんだぞ?」
庇ったはずの霧生にまで白けた目を向けられ、クラウディアは激しく困惑している様子である。
霧生は首を振りながら溜息を吐き出す。
「やれやれ、勝利学を履修している生徒とは思えないな……」
そんな風に煽るとクラウディアは少し悔しそうに歯を鳴らす。
実際レナーテのパンチには殺意が籠もっていなかった。それでも受ければ致命傷は免れ無かっただろうが。
「仕切り直すか」
霧生はレナーテの瞳の芯を見据える。
"クラウディアが止めると分かっていて"放った拳に価値は無い。
瞳でそう訴え掛け、次の一撃の催促をする。
するとレナーテは再び霧生の前で腰を落とした。霧生も彼女がしっかりと最大の威力を叩き出せるよう、先程と同じ姿勢を取る。
「張り切って来い!」
「マジで、お前……」
今から全力で殴られるとは思えない霧生のテンションに流石のクラウディアも諦観を抱いているらしい。
今度こそは彼女が防ぐこともないだろう。
霧生は無防備を維持しながらレナーテの一撃を待った。
しかし、いつまで待っても彼女が正拳突きを放って来る気配がない。
そしてとうとう、
「駄目だ、やっぱりあなたイカれてる」
レナーテは観念したように姿勢を戻し、両手を上げた。
それを見た霧生の口元が吊り上がる。
「根比べは俺の勝ちだな」
「それでいいよもう。私もこんなことのためにわざわざ下りて来たわけじゃないし」
「じゃあ何しに来たんだよ」
「お話。でも場所変えよっか、人が集まって来てる」
学園を騒がせる霧生というイレギュラーに天上生二人。
その上こんな目立つことをしていれば自然と注目も集まり、やや距離を空けてまばらに生徒が集まりつつあった。
ーーー
《天上宮殿》1Fエントランスホール、カフェテリア──
そんな場所で無数の視線を浴びながら霧生が席に着いてるのは決して本意ではなかった。
「なるほど、してやられたと言う訳だ」
「いいじゃん。ここなら落ち着いて話ができるよ」
「お前らはな。俺は四方八方から《気当たり》が飛んできて気が気じゃないぜ」
「そんな嬉しそうな顔して言われてもね」
レナーテに連れられた先にあったのは見知らぬ《転移回路》
《天上宮殿》に繋がる《転移回路》は全て把握しているつもりだったが、どうやら天上生のみが知っている非公開のものも存在していたようだ。
それを踏まされて、霧生は今ここにいる。
「まあでも、丁度良かったんじゃねーか?」
クラウディアとは《天上宮殿》についての話をしたばかりである。
「そうかもな。
で、話ってのは?」
霧生が話を急かすと、レナーテは瞳の光をやや落として口を開く。
「……単刀直入に聞くけど霧生くん、ユクとはどう言う関係?」
本日二度目の質問に霧生は小さく溜息を吐いた。
「……はぁ。またそれか。大した関係じゃないぞ」
「そういえばさっきもそうやってはぐらかしてたな」
先程は軽く聞き流したクラウディアが余計なことを口走る。
「……へー、そうなんだ。いつ知り合ったの? ユクが入学したのは8歳の時だからそれより前だよね?」
クラウディアと違って目の前の少女はとことん追及してくる姿勢である。
霧生は天井のシャンデリアを仰いだ。
「……7つの時。もういいだろ」
「話したがらないね〜。全然出身が違うのにどこで知り合ったの? 技能絡み?」
「レナ」
あからさまに拒絶の態度をとって見せてもレナーテが引くことはない。
こうなってくると受け身でいるのは悪手である。
はっきり伝えるしかないだろう。
そう思い、霧生は立ち上がった。
「あいつとの過去は俺の軸に近い部分にずっと残ってる。だから気安く話して自分の中の価値を落としたくない」
大したことない、というのはレナーテやクラウディアが聞けばそう思うだろうという霧生の客観的な判定である。
「……は、なにそれ」
ポツリ、レナーテが感情の籠もらない声色で呟いた。
──嫉妬心か。
完全に光の失せたレナーテの瞳を見て霧生は察する。クラウディアはバツが悪そうな顔でこちらを見ていた。
これ以上付き合う意味は無いと判断した霧生は踵を返し、出口の《転移回路》へ向かって歩き始める。
すると背後でレナーテが独り言のように言った。
「えー、もう帰っちゃうんだ。──ユクにも会わずに」
霧生の歩調が僅かに鈍る。
「せっかく上に来たんだから会っていけばいいのにね。逃げるとか……腰抜けじゃん」
その言葉でピタリと足を止めた。
「なんだと……?」
振り返ると、カフェの椅子に腰を預けたままのレナーテは意地の悪い笑みを浮かべていた。
挑発だと分かっていても、というよりは挑発だからこそ、決して霧生はその言葉を無視しない。
「だってさ、ああまで言ってのけてだよ? おかしいよね? 霧生くんさぁ──」
核心を突かれる。
そう思った霧生だったが、
「ユクと会うのが怖いんでしょ」
レナーテの口からの飛び出した台詞はからっきし的外れなものだった。
逆に意表を突かれた霧生の表情が一瞬固まる。
その反応を見てか、レナーテはシニカルに口角を吊り上げる。
「もっと言うとユクの才能が怖いんでしょ。
自分がユクと関わるに見合う存在なのか、今や自分が遥かに劣ってるかもしれないって、そう思うから会えないんだ」
追い詰めるように笑みを深め、語気を強めるレナーテ。
当然霧生には響かない。それがさっぱり筋違いであるからだ。
「ハハ」
打って変わってせせら笑う霧生にレナーテは顔を顰め、さらに言葉を続けた。
「でも大丈夫。皆そうだから。
ユクは天上序列上位第2位。ほんのちょっと研鑽するだけで遥か先を行ってしまう。挑むことすら烏滸がましい、スケールが違う存在だもん。霧生くんだけが抱く感情じゃないよ」
その言葉で今度は霧生が若干顔を顰めた。
もし今の言葉がレナーテの本心であるなら、ユクシアに同情せざるを得ない。
それを彼女が望んでいなくても、彼女に対する侮辱になるとしても。
「あれだけ才能に恵まれていても、友達には恵まれなかったみたいだな」
「は?」
皮肉なもんだと霧生は笑う。
そして大広間へと続く扉へ向けて迷うことなく歩を進めた。
「ちょ、どこ行くの」
「会いに行くんだよ。ユクシアに」