第29話 生まれながらの敗北者
「よぉぉぉぉぉぉし!」
霧生の雄叫びに共鳴して、本日幾度目かも分からない大歓声が闘技場に巻き起こる。
この第7試合目の結果にて霧生の勝ち星は3つとなり、1週間に渡る天上選抜選も終盤に差し掛かっていた。
地に伏せる対戦相手に背を向け、霧生は闘技場の出口へと向かう。
この1週間で霧生の人気は爆発的に上昇し、降り注ぐ応援の声は初戦の比ではない。
それに程々に答えながら、霧生は闘技場を出た。
観戦を終えた人々が溢れる闘技場前の大通りに出ると、そこで霧生はとある人物を見つけた。
正確には見つけた、というよりは追いかけた、というのが正しい。
彼女に早足で追いついた霧生はその肩を軽く掴む。すると彼女は、諦めたように「はぁ」と溜息を吐いた。
「ようクラウディア」
逃げるように大通りを歩んでいたその少女の名は、《天上生》クラウディア・ロードナー。
彼女は両手をローブのポケットに突っ込んだまま、やや気まずげ、そして怒気混じりの表情で振り返る。
闘技場を出た時点で追いかけて来る霧生に気づき、近寄るなという雰囲気をふんだんに放っていたクラウディアだったが、その努力は徒労となった。
「……話しかけてくんなよ」
クラウディアは半目でこちらを睨んでくる。
「そんなこと言って、今日も俺の立ち合いを観に来てたんだろ?」
クラウディアの肩から手を離し、嬉々として隣を歩み始める霧生。
「悪いか」
「全然」
クラウディアの向かう先は《天上宮殿》と地上を繋ぐ《転移回路》であろう。各区に一つずつ設けられてある《転移回路》の中で、ここから最も近いのは魔術区のものだ。
「なにか用でもあんのか?」
「いいや無い。見かけたから世間話でもと思って」
「じゃあついてくるな。私は帰るんだ」
霧生から視線を逸らしながらクラウディアは歩調を早める。
霧生はそんな彼女よりもやや早く歩き、体を横に開いて会話を続けた。
「まあまあ、俺達の仲じゃないか。ん?」
言いながら霧生は、クラウディアの右ポケットから何か機器的なものがはみ出ているのに気が付く。
よくよく眺めて見ると、それにはレンズが付いておりビデオカメラのようだった。
霧生の視線に気づいた途端、クラウディアはカメラをより深くポケットに押し込む。
「それ……カメラか?」
「……そうだよ。良いだろ、別に。放っとけよ」
ふてくされた表情を作っているが、クラウディアの頬は少し紅潮していた。
カメラの用途など安易に推察できる。霧生に勝つため、その技を研究するべく立ち合いを動画に収めていたのだ。
クラウディアに対してはあえて挑発的な態度をとることに決めていた霧生だったが、そんな彼女の研究熱心さに感動し、思わず声を上げる。
「素晴らしい!」
「…………」
「俺の見込んだ通りの奴だなお前は!」
霧生は嬉しさのあまり、クラウディアの背中をバシバシと叩いた。
彼女の基礎能力が2週間前に比べて飛躍的に向上しているのは見ただけで分かる。短期間でここまで仕上げてくるなど、霧生の予想を軽く超えてきていた。凄まじい意気込みだ。
「き、気安く触んじゃねぇ!」
クラウディアは顔を赤らめ、霧生から距離を取った。
「なんだ照れてるのか?」
「照れてない! ……てめぇ天上に来たら覚えてろよ……!」
「ああ、そういえば俺、まだ天上生になるつもりはないぞ」
クラウディアの言葉で、霧生はそのことを思い出した。
霧生の不可解な言動に、クラウディアの歩く速度が落ちる。
「え……? じゃあお前……なんで選抜戦に出てるんだ?」
霧生が《天上選抜戦》で優勝しても天上生にはならないことは、学長にしか伝えていない事実であった。クラウディアの困惑も当然である。
「エルナスに勝つため……だな」
少し答えるのを躊躇ったが、霧生は言った。
「エルナスってあのエルナス……? なんでエルナス?」
クラウディアにとっては意外な解答だったのだろう、目を丸くして話題に食いついてくる。
リベンジしたい相手への関心は抑えきれないものだ。その気持ちは霧生にもよく分かる。
「実は一回負けてるんだよ俺……、あいつに」
霧生は躊躇いつつも話した。
「マジで言ってるのか……? ありえねぇだろ、お前とあいつじゃ実力が違いすぎる」
「やっぱりそう思うか?」
「当然だろ……」
呆れたようにクラウディアは霧生を見下ろす。彼女は話を信じていない様子だ。
「まあ確かに実力は離れてるが、エルナスの基礎能力は馬鹿にできない」
才能の差はさておき、エルナスの研鑽に掛けた時間は霧生をも凌いでいるはずだ。
じゃんけんでの敗北も、消耗していたからという言い訳はあれど、彼の瞬発力は確かなものであった。
「マジか……? いったいどうやって負けたんだよ」
クラウディアはショックを隠せないらしく、後頭部をガシガシと掻く。
「じゃんけんで……ちょっと……」
件の敗北については詳しく話したいことでも無いので、霧生は濁して答える。
それを察したのか、クラウディアは開けかけていた口を一度閉じ、間を置いてからまた口を開く。
「じゃんけんか。ハァ……。
……まあそれは良いとして、お前結局『勝利学』の講義はいつから始める気だ」
「勝利学は来週からになりそうだな。
選抜戦も明後日で終わることだし。というか、参加するつもりなのか?」
「あァ? 当たり前だろ」
元々『勝利学』を受けるために地上へ降りてきた彼女だ。そして霧生がそれを無断で延期させたことがクラウディアの怒りを買った。
結果、返り討ちにあったのだが、勝利学を受講する意思は変わらないらしい。それとも、今日立ち合いを見に来たように霧生を研究するために講義を受けるのだろうか。
霧生はニヤニヤしながらクラウディアの顔を見つめる。
「……んだよ、文句あんのかよ」
「そんなわけないだろ。大歓迎だ」
そうこう話しているうちに、魔術区の広場に設置された《転移回路》が見えてくる。
霧生はそこでくるりと踵を返した。
「じゃ、俺はここで」
片手を上げ、クラウディアに挨拶をする。
「マジで話しにきただけかよ、戻るのか?」
「ああ、エルナスの立ち合いを見ないといけない」
「ふうん……。じゃあな」
「ああ、また来週」
そうして霧生はクラウディアと別れた。
ーーー
《天上選抜戦》第8試合目、辛くも勝利を収めたエルナスに戸惑い混じりの歓声が降り注ぐ。
目の前には医療センターの従業員数名が立ち合いの相手を務めたヴァレリーを囲み、介抱している。
やがてヴァレリーは担架に乗せられ、勝者より先に闘技場を去っていった。
そんなヴァレリーを、エルナスは肩を小さく上下させながら見つめていた。
決して少なくない数の、冷ややかな視線が自分に向けられている。実力を誇示しようとするあまり、ヴァレリーに必要以上の手傷を負わせてしまったためだ。
エルナスは周囲を見回し、家族の姿を捉えた。その中の父もまた、感情に乏しい視線をこちらへと向けていた。
──ダメだ。
エルナスは憤りのような感情と共に、激しい焦燥を抱く。
今回の試合結果により、勝ち星が並んだ霧生とエルナスによる第9試合目が、天上生を決める決勝の戦いとなる。
しかし、そこで勝つことは難しい。奇跡でも起こらない限りは天上生にはなれないだろう。
霧生の強さは異常なレベルだ。あまりの実力差に、選抜戦を辞退した候補生もいる。
故に、それまでの戦いで認めてもらえるようエルナスは選抜戦に全力で挑んでいた。
もうそれしかすべはなかった。
しかし、全力で臨み、必死に実力を誇示しようとすればするほど、周囲の目が冷たいものになっていく。鮮やかに勝利し、喝采受ける霧生とは真逆の結果を生んでしまう。
──17年も研鑽を重ねてその程度か。
──勝って当たり前。
──格下相手に情けない。
周囲からそんな思念が伝わってくる。
否、分かっていたことだ。学園生活では権力で封殺できても、こうして日の目を見る場に出れば無慈悲な評価を受けることは避けられない。この場に集まっている生徒のほとんどがエルナスの醜い17年を、今を知っている。
きっとそれを父や兄も感じ取っているのだろう。
南口からこちらを見据える、全ての元凶である忌まわしき少年にエルナスは視線を移す。
目が合えばたちまち至った。
才能の差、自信の差、経験の差。自分が少年より劣っていること。
『俺はお前に勝ちたい』
彼が言った先日の言葉を思い返すと、エルナスは腸が煮えくり返るようだった。
その"必然"のために、千載一遇の機会を潰された。
そしてその怒りをぶつけようにも、すぐに鎮火してしまう。
17年で嫌という程思い知らされた事実が刃となり、喉元に突きつけられる。
圧倒的な才能には、例えどんな手段を用いたとしても勝ち目は無い。
彼らは勝つ資質を生まれながらに持ち合わせているのだ。
父が席を立ったのを見て、エルナスは目を伏せ、観客に背を向けた。
ーーー
憔悴しきった顔が鏡に映る。
選抜戦が始まってからというもののまともな睡眠がとれていない。だがそれでもここまでの立ち合いはつつがなく勝利することができた。
「あいつさえ……あいつさえいなければ……!」
バシンと、鏡に平手を打ち付ける。
鏡の向こうの自分が恨めしそうな眼でこちらを見ていた。
そんな時、エルナスの心境とは場違いに、リーンと聴き心地の良いチャイムの音が部屋に鳴り響く。
「……」
それを無視してしばらく鏡を見つめていたエルナスだったが、2度目のチャイムが鳴り、しぶしぶリビングに赴いた。
壁に設置されたドアホンモニターを覗き込むと、そこに映っていたのは父の姿。
エルナスは目を見開き、シャツのボタンを締めた。ポールハンガーに掛けてあった上着を羽織り、急いで玄関へ向かう。
そして僅かに躊躇った後、ドアを開いた。
「ち、父上……」
待ち構えていた父の顔を見上げると、随分と老けた印象をエルナスは受ける。しかしそれも仕方ない。家を出てからかなりの年月が経っているのだ。
「……お久しぶりです。どうぞ中へ」
ドアを大きく開き、エルナスは部屋の中に父を招き入れようとする。しかしエルナスの父はそれを手のひらで制止した。
「いや、ここでいい」
冷たい視線にエルナスは小さく怯む。
「どう……されたんですか……?」
尋ねると父は手を下ろし、言った。
「エルナス、天上選抜戦を辞退しなさい」
「え……」
父の言っていることが一瞬理解できず、エルナスは言葉を詰まらせる。
心臓が脈打つのが加速していくのと共にその言葉を飲み込み、震える唇からようやく声を振り絞った。
「どうして……でしょうか……?」
無機質な視線が突き刺さる。答えはすぐに返ってきた。
「お前はよくやった。だからもう無謀な戦いに臨む必要はない」
生まれて初めて掛けられた父からの労いの言葉。
そこに感動は無い。いくら反芻してみても、エルナスの心が満たされることは無かった。
中身の無い言葉など、エルナスは求めていない。
それにエルナスはまだ諦めてなどいないのだ。
霧生に勝てないことは分かっている。だがどうにかできないか、なにか起きないかと、僅かな可能性を模索している。
「ですが……」
「分からんのか、これ以上キュトラ家の顔に泥を塗るなと言ってるんだ」
有無を言わせない、そんな剣幕で言葉を遮られ、エルナスは一歩後ずさった。
彼はしばらくエルナスを見下ろした後、言葉を紡ぐ。
「それが出来ないなら、お前とは縁を切る」
ーーー
2日後。
霧生の鮮烈な勝利を目にするため、今日も闘技場には無数の観客が集まっていた。
かつてない程の熱気はもはや闘技場に留まらない。学園の至るところに設置されたモニターの前に、闘技場に入れなかった生徒達が押し寄せ、霧生とエルナスの立ち合いが始まるのを今か今かと待ち侘びている。
だが何やら様子がおかしい。
霧生が闘技場に現れてから、すでに数十分が経過していた。
長らく続いていた歓声はざわめきに変わり、誰もが疑念を抱き始めた。
そのままさらに1時間が経過し──
とうとうそこにエルナスが現れることはなかった。