第2話 学長室に呼び出される
倒れた少年が運ばれていくのを見送った後、霧生達はフロントで部屋番号を登録し、アダマス学園帝国における生活の説明をざっと受けた。
そこでは制服の採寸も行われる。係員が慣れた手付きで素早くそれを済ませると、霧生とリューナはエレベーターの前で合流した。
「まさかのお咎めなしだったな」
見知らぬ少年を昏倒させた霧生は、特に注意を受ける訳でもなく、そのまま何事もなかったかのように手続きを終えたのである。
霧生自身、それには驚いていた。
「いくら相手が悪かったとはいえ、あれがまかり通るとなるとこの先の学園生活が不安になるわ……」
"暴力"は最も効率的な手段であるが、現代においては強く忌避されている。ゆえに人はそれを最終手段として扱う。
先程はノータイムで"暴力"を選択した霧生だが、勝利を得られるなら手段は問うていない。
例えば交渉。コイントスやじゃんけんなどによる決着手段の置き換え。しかし、勝利には"相手を見る"という要素も重要になってくる。先程の少年がそれらに応じるかどうかは言うまでもなく、否であった。
脊髄反射的にそこまでのプロセスを踏んだ上で、霧生は暴力を選択したのだ。
「寛大な学園で俺としては嬉しい限りだ」
「まあ……、私もちょっとはすっきりしたんだけど」
フロントで渡されたカードキーを弄りながらリューナは言う。
丁度エレベーターがやって来たので、二人はそれに足を踏み入れた。エレベーターには霧生達の他に、数人の男女が談笑を交わしながら乗り込む。新たなる地では、まずグループに属することが生存戦略において有効な手段である。彼らも当然のようにそれをこなしているようだった。
扉が閉まり、上昇を始めると広い空間の中に沈黙が訪れる。
チーン。そんな古めかしい音と共にエレベーターは止まる。その階で同乗していた新入生達が降りていき、それを皮切りにリューナは口を開いた。
「さっき浮遊魔術を使ってたから魔術専攻だと思ってたけど体術を扱うのね? それも結構な使い手じゃない」
「あれは先手を取れたのが大きかったな」
「いや、ただの不意打ちでしょ。あんなの先手って言えないわ」
「先手だ。あれを先手必勝と言う」
「…………」
「言い返せないなら俺の勝ちだが?」
「うざっ!?」
霧生達の乗るエレベーターはすぐに最上階へと辿り着く。エレベーターから降りると、左右に長い回廊が続いていた。
霧生のカードキーに記された部屋番号が『2025』で、リューナが『2024』だ。
部屋はエレベーターから最も遠い回廊突き当りに位置していた。霧生がドアノブの隣に付いているセンサーにカードキーを翳すと、ピーという軽快な電子音と共に扉の鍵が開く。
「すげぇハイテク。この学園って古い文化を守ってるイメージがあったから意外だな」
「そういう区画もあれば、科学技術に思いっきり頼ってる区画、色々あるらしいわよ。というかカードキーってそこまでハイテクかしら」
「ふーん。いやカードキーはハイテクだろ」
「どっちでもいいわ。それより霧生はこの後どうするつもり?」
「んー、特に何も決めてない。明後日から講義が始まるんだよな。それまでに適性検査を済ませないといけないんだっけ」
入学案内状に書かれていた事を思い返しながら霧生は言う。
適性検査は受けられる講義のランクを決める検査のことである。検査の結果で定められたランクが高ければ高いほど、レベルの高い講義を受けられるというものだ。
「そう。良かったらなんだけど。一緒に適性検査行かない? どうせ混むから早いうちに済ませておきたいし」
「お、いいな。……あーでも、俺は関わっちゃいけないタイプの人間なんだろ?」
霧生がそんな意気地の悪いことを言うと、リューナは面倒くさそうに嘆息した。
「残念ながらもう関わっちゃってるから。未然に防げないと意味がないのよ。嫌なら一人で行くけど?」
「冗談だって、ぜひご一緒させてくれ。ただ、昼からにしようぜ。ここに来るまでバタバタしたから少し休みたいんだよ」
「そうね。じゃあ──」
リューナは華奢な首から革紐で下げられた銀製の懐中時計に目を通す。時刻は午前八時を迎えようとしていた。彼女が先程フロントの時計と時刻を合わせていたのを見たので、この学園における正しい時刻だ。
「12時にフロント集合でどう?」
「オーケー、そうしよう」
約束を交わすと、リューナは2024号室の扉を解錠し、部屋の中へと消えていった。それを見送り、霧生もまた新しい自室の扉を開いた。
寮部屋は1LDKの間取りであった。
玄関を抜ければダイニングキッチン兼用のリビングが広がり、左手に洋室。その先にリビングと洋室を繋ぐバルコニーがある。
広さだけではなくアメニティにも富み、新入生一人一人にこのような部屋があてがわれるアダマス学園帝国の異常な資金力が伺える。
霧生は部屋全体を念入りに調べた。
盗聴器や隠しカメラの類、プライバシーに関わる魔術的展開が行われていないか。
それらの疑念を晴らし、洋室に移動する。シングルベッドの傍らにあるローテーブルの上にアタッシュケースを雑に置くや否や、ぼふんとベッドに身を投げた。
「……疲れたな」
大の字になり、窮屈でない程度に高い天井を見上げながら霧生は呟く。
やがて体を起こすと、アタッシュケースから医療器具を取り出し、ここに至るまでに負った節々の傷を手当てし始めた。邪魔なロングコートはブランケットの上に脱ぎ捨てる。
「逃げるが勝ち……。完膚なきまでに俺の勝ちだ」
ずっと胸に溜め込んでいた勝利宣言を吐き出す。心地の良い達成感が喉元を降りていく。
忌まわしい一族と縁を切るため、そして"あいつ"がきっとここにいるという期待を抱いて、霧生はここへやって来たのだ。
先にシャワーを浴びるべきだった。
治療をしながら思い至ったが、もう遅い。大方の処置を済ませた霧生は再びベッドに仰向けになり、そのまま静かに眠りについた。
リーン。
そんなチャイムの音が部屋に響いて霧生は目を覚ました。ムクリ、特段焦ることもなく体を起こす。洋室の壁に掛かっている時計は午前十時を指している。
眠れたのは二時間にも満たない時間だったが、それは霧生にとって久方ぶりの安眠であった。
ベッドから降りて、音を立てることなく玄関へ向かう。
(リューナじゃない)
息遣いや微かな身じろぎの音。それらで扉の向こうに立つ者がリューナではないことを悟る。と、そこで霧生はチャイムによって点滅しているドアホンなるものの存在に気づいた。
一々そんなスキルを使わなくとも、現代のセキュリティ技術は十全らしい。
自分の間抜けさに苦笑しつつドアホンのモニターを覗き込むと、そこには寮の従業員の制服を着た女性が写っていた。
「はい」
点滅するドアホンのボタンを軽く押して、霧生は応答する。
『こんにちは。フロントサービスの者です。御杖霧生様の部屋でお間違いないでしょうか』
「そうですが、どのようなご要件で?」
『学長より御杖様のお呼び出しを承っております。つきましては、学長室までご同行いただきたく存じます』
拒否権は無さそうな言い回しに霧生は目を瞑る。なぜ自分が呼び出されるのか。霧生にはいくつか心当たりがあった。
記憶に新しいのは先程の一件だ。あの少年に暴力を振るったことを咎められるのだろうか。
とにかく学園の長に呼び出しを食らったのなら行くしかない。
「分かりました。今行きます」
霧生はベッドの上に脱ぎ捨てていたロングコートを羽織り直し、カードキーをしっかりと持って玄関の扉を開けた。
「では学長室まで転移いたしますので、お手を拝借してもよろしいでしょうか?」
霧生が部屋の外に出ると、女性はそう言って手を差し伸べてくる。霧生はカードキーを後ろでかざし、部屋の扉を施錠した。
「ああ、どうぞ」
「失礼します」
霧生が左手を差し出すと、その上に女性は右手を重ねた。
「……申し訳ございませんが、《魔力抵抗》の解除をお願いします」
「ああ、申し訳ない」
《魔力抵抗》は魔術、物理共に有効な基本的な防衛術である。この女性はおそらく魔術側に薀蓄が偏っていて《魔力抵抗》と呼んだが、武術の世界では魔力を《気》と呼んでいたりするので、その名称は《魔力抵抗》に留まらない。
一般的には《抵抗》と略すことが多い。
本来は戦闘時のみに展開するものだが、しばらく心休まる時がなかった霧生は常時それを展開していた。
女性が少し苛立った表情をしているのも仕方がない。霧生にからかわれたと勘違いしたのだろう。
「改めて、失礼します」
だがその誤解を解く間もなく、女性は転移を発動させた。
瞬時に視界が切り替わる。霧生は気づけばどこかも分からない部屋の、巨大な扉の前に立っていた。考えるまでもなく、ここが学長室なのだろう。
足元には魔法陣。霧生は転移で共にやってきた女性の手首を見やった。そこには小さなタトゥーが彫られており、淡く光っている。
(やけに高精度な転移だと思ったが、《転移回路》か)
《転移回路》とは、あらかじめ任意の場所にいくつか術式を固定し、それをまた別の場所と紐付けつけておく、術式の展開を簡略化した状態で転移を発動する高等技術のことである。
これは術式を固定した座標にしか転移できないが、通常の転移のように一々術式を一から組み上げ、座標を計算しなくても気軽に転移することができる。このように人を運んだり、荷物を運んだりするのに便利だ。
寮従業員の女性の場合は、手首に術式を刻み込み、歩く転移魔法陣として活用している。ただ、術式の展開コストや維持が困難なため、個人で運用するのはどんな達人でも困難である。
(この学園では従業員の作業を効率化するために大規模な術式維持が行われているんだろうな。生徒もそれにあやかれたりするのか?)
霧生が学長室を前にしてそんなことを考えていると、女性が目の前の扉を開いた。
その先には扉のサイズの割にはこじんまりとした空間が広がっており、漆がたっぷりと塗られたアンティークなプレジデントデスクの向こう側に、馬鹿馬鹿しいくらい大きなサイズの木椅子に座る一人の老人が見える。
いや、老人と呼べるかどうかは怪しい所であった。歳は50前半くらいだろう。短くした白髪混じりの黒髪は清潔感ある髪型に整えられており、口ひげを少し残し顎ひげはさっぱりと剃ってある。
ひげもじゃで大還暦にもなろう老人が出てくるんじゃないかと期待していた霧生だったが、その期待は裏切られた。
まず間違いなく彼が学長なのだろう。
彼の目立った特徴といえば、右目の深い古傷だ。どうやら隻眼らしい。残っているもう一つの荘厳な眼差しが霧生を鋭く射抜いていた。
「どうぞ」
従業員の女性の強張った声が響き、霧生は学長室へと足を踏み入れる。ガコンと背後の扉が閉められた。
「君がなぜ呼び出されたのか、分かるかね」
閉扉による反響音が消えると、学長は霧生に尋ねてくる。笑みも浮かべず、威圧的な佇まいに霧生はどう答えるか迷う。
「さっきの件か?」
相手が好戦的に感じたので、霧生は相手が学長であることを理解していながら、あえてぶしつけに聞き返した。
すると学長は「クク」と笑いを噛み殺すかのような呻きに似た声を上げた。途端に学長の雰囲気が柔らかくなったように感じる。
「いいや。この学園ではあのような小事を一々取り上げたりしない」
学長は首を横に振る。
(暴力を小事とは)
霧生には学園の在り方が少しずつ掴めて来ていた。
このアダマス学園帝国では、多くの人間が忘れてしまった魔術、護身の域を出た武術、
ひとくくりにして《技能》と呼ばれるそれらを絶やさぬため、そして受け継ぐために才ある生徒が集まる。
技能が日々失われていくのは、人という種が争いや面倒事を避けて生きられるように、世界を進歩させていくからだ。
世界中どの国でも、道徳観念に則った法整備、リテラシーが強化されていく。その流れに順従していたら、技能は必要に駆られない。
ゆえに、技能を学ぶ学園の環境が現代社会と同じでは話にならないのだ。
技能を扱う者達にその扱い方を委ね、向上を促す。暴力を学園の長が堂々と"小事"と言ってのける所以である。
つまりこの学園は、争いや面倒事が大好きな霧生にとっても最高の環境ということだ。
霧生は少し考える仕草をしてから次の心当たりを口に出した。
「さっきの件じゃないとすると、学園外にいる非常勤講師から入学案内状をスった件だな?」
「それもノーだ。ここでは才ある生徒を集っている。そんな芸当ができるものを拒むのは学園の不利益に他ならない」
学長から大方予想通りの受け答えを得る。
となると霧生の心当たりはあと一つしかない。
──俺の育ちが良くない。
口に出そうとしている言葉を一度心の中で反復していると、学長の方が先に言葉を放ってきた。
「御杖霹誉は苦しんで死んだか?」
やっぱりな。