第28話 天上選抜戦、開幕
アダマス学園史上稀に見る凄まじい熱気が、魔術区と武術区の境目にある闘技場を包む。
グラウンドの3倍の広さもあるアリーナ席は混雑を極め、上空には何台もの空撮ドローンが試合開始に備えて待機していた。
中央区、魔術区、武術区を横断する大街道には無数の屋台が立ち並び、見慣れない服装をした学園外からの来客も数多く見受けられる。
この祭騒ぎの原因は、本来人知れず行われるはずの《天上選抜戦》が、全体公開式になった為であった。
僅か一週間前に急遽決まったその変更は、瞬く間に学園全体へと浸透し、現在『学園祭』に匹敵する程の盛り上がりを見せている。
それを遥か上空、《天上宮殿》から大水晶を通して見下ろすレナーテは、ある生徒の立ち合いが始まるのを静かに待っていた。
大水晶を操るレナーテの後ろには、選抜戦の見物を決めた天上生達が少なからずいる。
「悲惨だな……」
背後で誰かが呟いた。
レナーテも思う。これは悲惨だ。
選抜戦の全体公開はおよそ20年ぶり。それは候補生全員の許諾があって為されたことだったが、今回はそれがなかったと聞く。
立ち合いが見世物になるのは、技能界では往々にしてあることだ。それを好む者も多く、文化として認めてもいい。
だが、"果てしない研鑽"を目指すような生徒に至っては、研鑽を見世物にされることを嫌う傾向にあった。
レナーテにしてみてもそうだ。なにせ研鑽の趣旨が違う。他人の賞賛を糧とする者もいるが、それは程度が低いとレナーテは昔から思っていた。
そして大衆の目があることは、敗者の心を必要以上に挫くことにもなる。
レナーテには現学長の意図が掴めなかった。
それらの懸念を捨て置いてまで、"彼"の見せる技に価値があるということなのだろうか。
だとしても、気に入らない。
大水晶の景色の中に親友であるクラウディアを見つけたレナーテは、術式を操り拡大していく。
彼女はアリーナ最後列の立ち見席で、腕を組みながら壁に背を預けていた。
こちらの視線に気付いたクラウディアはしっしっと手の平を二度払う。
クラウディアが下にいる理由など考えるまでもない。その目で彼の立ち合いを見るためだろう。
あの日以来彼女も変わった。
"老練の間"に籠もるようになり、毎日ボロボロになるまで天上生らしからぬ研鑽を積んでいる。
その様子を見れば例の新入生が只者ではないことなど明らかなのだが──
「なぁんか気に入らないなぁ……」
たった一人の少年が学園に変化をもたらそうとしている。
レナーテだけが、その兆しにいち早く気がついているのだった。
ーーー
おびただしい熱気、つんざく歓声。
それらが濁流の如く流れ込んでくる長い廊下の先に、眩い陽光の扉が見える。
軽快なブーツの靴音が、乱れぬ歩調で響く。
歓声は次第に増し、霧生が陽光の扉をくぐった時、それは最高潮に達した。
──オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!
開けた視界に飛び込んできたのは二階席一面を埋め尽くす人の群集。
彼らの視線が一斉に集まり、霧生は小さく目を瞠る。
得もしれぬ高揚感。大衆を前にした勝負はこれが初めてではなかったが、この規模となると流石の霧生も初体験だ。
視線を移すと、中央口の真上にはVIP席が設けられ、そこには学長や講師、学園外からやってきたいかにも要人といった風貌の人物達が座っている。
(悪くない)
満足げに口角を上げながら、依然として歩みは止めない。
綺麗に整備された乾土は、太陽の光を反射し白く輝いている。
そして直線上。
そこには《天上選抜戦》に想いを懸ける候補生の一人が、真逆の位置から真っ直ぐ闘技場の中心へと向かって来ていた。
小柄で中性的な顔立ちをした彼の名は、ヴァレリー・ベナセラフ。
リューナ曰く、入学から僅か3年で推薦を受け、候補生になった銃格闘の使い手だそうだ。
《天上候補生》として霧生が戦う一人目の相手である。
互いに闘技場の中心を目指し、距離が縮まるにつれて空気がひりついていく。ヴァレリーの集中、覇気が伝わってくる。
こちらが間合いに入るか否かの所でヴァレリーが足を止めたのを見て、霧生もまた足を止めた。
「ヴァレリー・ベナセラフ」
「御杖霧生」
名乗りを受け、名乗りかえす。
両者の間に勝負の判定を下す第三者はいない。立ち合いの開始を合図する者も。
それは何もかも委ねられているということを意味する。
「まったく、こんなことになったのは君のせい?」
ヴァレリーは観客を見回しながら尋ねてくる。
「ああ、悪いな。大事にするつもりはなかったんだけど……」
「相当強いんだろうね」
今年入学したばかりの新入生が《天上候補生》になるなど、前代未聞である。
霧生の参加が決まったことで、学長が立ち合いを公開式に変更した点から、その意図をほとんどの生徒が察している。
故に、選抜戦において最も注目される生徒は霧生だ。
他の候補生にとっては迷惑極まりない事態だろう。一週間で新入生である霧生の対策などできようはずもない。不必要なプレッシャーも背負わされる。
しかし、対面するヴァレリーからは、不安が感じられなかった。
大勢の前に出ている以上、多少の緊張はしていても、エルナスのように切羽詰まった様子ではない。自信が失われていなかった。
その理由は、まだ学園に来て3年ということもあるだろうが、そもそも《天上生》という地位が、がむしゃらに目指す地点ではないからだろう。天上生になること自体を目的にするのではなく、"果てしない研鑽"をすることを目的にすることこそが、本来の在り方だからだ。
そしてヴァレリーは勝利に執着していない。才能があるが故の余裕。
(気負って戦う必要はないか)
霧生はどこか安心している自分を俯瞰しながら、不敵な笑みを浮かべた。
「お前が想像している5倍くらいは強いぞ」
「怖いなぁ。ま、でも。勝ち負けに関してはやってみなきゃ分からないよ」
執着はしていない。だが、負ける気もない。
そんな意気込みでヴァレリーは宣戦布告の《気当たり》を放つ。
丁度、壁に彫り込んである大時計が立ち合いの待ち合わせ時間を指した。
「じゃ、やるか」
霧生は強く土を踏み込み、御杖流《無手霞崩しの構え》をとる。
学長を立てるためにも半端な技は見せられない。
「ああちょっと待って」
そう言ってヴァレリーはコートの内側からリボルバー式の拳銃を取り出した。
シリンダーを開き、ポケットから取り出した大口径の弾薬を一つずつ丁寧に装填していく。
「でかいな」
人に向けて放つには適さないであろうサイズの弾薬を見て、構えを解いた霧生はそんな感想を口に出した。
「だろう? S&W社のM500だ。ゼロレンジならどんな強固な《抵抗》も貫く」
5発。装填し終えるとヴァレリーはコートを脱ぎ捨て、それをすぐ傍に放った。
ドサリ、コートの重量に似つかわしくない音が鳴り、土煙が舞う。
「これ一丁。再装填の予定はない」
「言うねぇ」
シリンダーにキスをし、ヴァレリーは静かに撃鉄を起こす。
そしてその銃をこちらへ向ける。
霧生は改めて構えをとった。
ようやく立ち合いが始まる。
ここまでの厳粛とは言えないやり取りに、観客は困惑している様子である。
だが観客はどこまでいっても観客でしかなく、これは1対1のシンプルな戦い。
どちらが天上生にふさわしいか、当人達で判断する。そこへ他の者が介入する余地などない。
そして既に戦いは始まっていた。
銃口は霧生の額に向けられ、照準が合っている。
直後、霧生はヴァレリーから放たれた僅かな《気》を感じとる。
引き金を引く予兆。構えたまま、弧を描くように左足を下げ、その場から退く。
が、ヴァレリーはワンテンポ置いて、引き金を引いた。
発砲音、もとい爆発音が轟く。
霧生が後退した直後の位置、完璧なタイミングで弾丸が放たれた。
──うまい
霧生が反応することを読んで、フェイントを掛けてきた。発砲する直前に感じられる《気》の再現も見事だった。
流石は《天上候補生》といったところか。
霧生は高い構えから局部的に《抵抗》を厚く纏った左手を振り下ろし、弾丸を垂直位置から無理やり弾く。
バチィン!
掌底と弾丸が衝突し、一瞬歓声が掻き消される。
位置的に弾き辛いものを無理して地面に誘ったので、衝撃が《抵抗》を貫き、肩まで伝わる。
その間に、ヴァレリーは距離を詰めて来ていた。
おそらく1発目はそのための発砲。
彼は《解放》による身体強化もあり、既に霧生の懐へ到達していた。
疾走の間、腰に構えていた拳銃を振り上げ、ヴァレリーは霧生の下顎に銃口を突き当てる。
引き金に掛けた指に力が籠もったのと同時に、霧生はバレルの横を叩き、それを払った。
発砲は無い。照準が逸れたのを見た途端、ヴァレリーは凄まじい反射神経で発砲を取りやめたのだ。
払われた手はそのまま周回し、それに従ってヴァレリーも体をひねっていく。反対側から返ってくるのは左手、と思いきや右足。
「ハアッ!」
胴体を狙った後ろ回し蹴り。
霧生は右手でそれを掴み、ヴァレリーの体を一本で支える左足を狙う。
が、ヴァレリーの脇から銃口が現れたのを見て咄嗟に手を離し、身を引いた。
バンッ!
2発目。霧生の頬を大口径の弾丸が掠めた。
背後でその流れ弾が講師達の手によって張られた結界に着弾した。
ヴァレリーはいつの間にか持ち替えていた拳銃を再び右手に戻し、さらに踏み込んでくる。
その足の上に、霧生は踏み込んだ。
ダン、といった音と共に土煙が波紋のごとく広がる。
──御杖流、鬼傅き
「ッ!」
ヴァレリーの顔が苦痛に歪む。
彼は霧生の右足に銃口を向け、右足を退かす。
そのアクション一つが致命的な隙となり、そしてそれを霧生が見逃すはずもない。
下げられた銃口を持ち上げられないように手首を上から抑え込む。
すると、ヴァレリーは迷うことなく拳銃を手放し──地に落ちかけたそれをつま先で弾き上げることによって、左手に移した。
そして霧生の手が届かない所に銃を持つ左手をグンと引き下げ、その銃口を向けるや否や発砲する。
3度目の爆音。
霧生は余裕を持ってそれを躱し、素早く左足を滑らせ、肘関節を決め、そのまま投げに入った。
力に逆らうことなく宙に舞うヴァレリー。
その中で、彼の左手にある銃は霧生に向けられている。
完全に決まっている関節を意に介さず、ヴァレリーは無理やり照準を合わせにきていた。
霧生は釣り手を放し、銃口に腕を伸ばす。
バンッ!
今度はやや曇った爆音が響いた。
──霧生の拳の中で。
ヴァレリーはズンと闘技場の土に叩きつけられる。
「ハァ……ハァ……ありえ……ない、でしょ……なにその強さ」
肘をキメられたまま、地面に組み伏せられたヴァレリーは言った。
その左手に銃はない。
4度目の発砲を押さえ込むのと同時に、霧生が奪ったからである。
僅かに血が滲む手に、霧生はM500を掴んでいた。
ひしゃげたバレル、銃口をヴァレリーに向け、霧生は言い放つ。
「バン」
5発目の銃声が鳴り、ヴァレリーは目を瞑った。
──ワアアアアアアアアアアアアアア!
大歓声。
組み伏せられたまま、既に息を整っていたヴァレリーに霧生は問う。
「続けるか?」
「いや、参った……」
その言葉を聞き受け、霧生は彼の腕を解放する。
そして右手で作った握り拳を天に突き出した。
「俺の勝ち!」
歓声は増す。
学長の方へ向けて軽く会釈し、歓声に手を振って応えながら霧生は出口へと踏み出した。
南口には他の候補生が第1試合目を見物していたらしく、その中には険しい顔をしたエルナスもいる。
そんな彼を一瞥し、霧生は闘技場を後にした。