第24話 リベンジの重み
「……今期の天上選抜最有力はエルナス・キュトラか」
「……不作、ですね」
「ううむ」
「彼は天上生には相応しくないかと」
扉の向こうからそんな憂いげな会話が響き、霧生はドアノブに手を掛けるのを少し躊躇する。
『術式学Ⅰ』の講義を終えて、霧生は学長室の前までやって来ていた。
講師として特例でこの場所の座標を教えて貰っているため、霧生はいつでも学長室へと赴く事ができる。
「入りたまえ」
特段気配を消している訳では無かったので、扉の反対側に立つ霧生に気付いたらしい学長が言葉を投げかけて来た。
霧生はドアノブに触れる直前で止まっていた手を動かし、学長室に足を踏み入れる。
「失礼します」
部屋には定例通りプレジデントデスクに居座る学長の隣にもう一人、女性の講師が立っていた。
空間を一瞬で見回し、霧生は視線を学長へと落ち着ける。
「君か」
学長は霧生の姿を見て愉快そうに表情を崩す。反して、隣の女性講師の目は厳しいものであった。
彼女は霧生が初めてこの部屋に来たときもいた、《写し身》の魔術で姿を隠していた講師の一人である。
「存外ここへ来るのに躊躇が無いのだな」
「ええ。これからもたくさんお世話になる予定です」
霧生は誰かに頼ることに抵抗がない。
目的のためなら使えるものは使っていく、そういったスタンスである。
意図せずして出来た学長とのコネクションも、ふんだんに行使していくつもりだ。
学長は薄く笑みを浮かべたまま、口を開く。
「一昨日の件は聞かせてもらった。あのクラウディアを下したらしい」
ピリと、空気が張り詰めるのが分かる。
故意に《気》を漏らしたのは学長の隣に立つ女性講師だ。
学長は彼女を一瞥してから尋ねてくる。
「彼女はどうだった?」
単刀直入な質問に対し、霧生も簡潔に答える。
「ぬるかった。が」
学長は表情を変えなかったが、隣の女性講師は違った。クラウディアと深い関わりのある人物なのか、憤りを隠し切れていない。
否、隠すつもりが無いというのが正しいか。
霧生は言葉を続ける。
「次は違う」
「そうか」
学長は満足げに目を瞑る。
今のは霧生にクラウディアを焚き付ける意図があったのかの確認だろう。
あれ程までに打ちのめして置いて、学長に情報が行っていない訳がない。
「なんだ、勝負か?」
先程から試すように《気当たり》を重ねてくる女性講師に、霧生は問うた。
彼女のそれは怒りから来ているものと推察できたが、霧生からすれば誘惑でしかない。
否定されることも無く視線が交差し、霧生は遠慮なく《抵抗》を纏う。
「すまない。クラウディアを候補生に推薦したのは彼女でね」
そこで学長の仲裁が入った。
「そうでしたか」
教え子がやられて気に食わないのだろう。
彼女が憤る理由を霧生は察する。
(やるなら次のクラウディアに勝った後の方がいいか)
「御杖霧生。名前は?」
「ルーナ。お見知りおきを」
好戦的な女性講師と名の交換、もとい時と場所を改める約束を交わすと、霧生は《抵抗》を解いた。
「それで、今日のところはいかがした」
一旦場が鎮まったのを見て、学長が尋ねてくる。
霧生は丁度推薦についての話があってここへ来ていた。
しかし本題に触れる前に、気になることがある。
「その前にエルナスの話の続きを聞かせてもらっても? 少し聞こえてしまいまして」
エルナス・キュトラ。
彼との再戦を熱望する以上、先程の会話は聞き過ごせない。
霧生はハオの鮮烈な宣戦布告を受けて尚、エルナスへのリベンジを優先しているのだ。
「彼を知っているのか?」
学長が目を細める。
「地上で幅を利かせてますからね。
しかしなぜ彼が天上生に相応しくないのでしょう」
聞くと、学長は笑みに苦味を持たせた。
「エルナスは17年前にこの学園へ入学した生徒だ。今年で24になる」
その言葉だけで、霧生は学長の言わんとすることが理解出来てしまった。
エルナスは7歳からこの学園へ入学し、以降研鑽を積んでいる。
それが意味するのは、17年もの歳月を費やして尚、未だ天上に至っていない、ということなのである。
一昨日、霧生との勝負を断ったこと。クラウディア以上に彼は相手の質を見抜く力を持っていた。
17年。エルナスの背景が見えてくる。
「要するに彼は、才能に乏しい」
ルーナが皆まで言う。
そんな彼が天上候補生までようやく登り詰め、長きに渡る悲願を成し遂げようとしているのなら、霧生の勝利はそれを阻止するのと同義だ。
「…………」
「天上入りしたとしても、彼が潰れてしまうのは目に見えている」
先日、才能の原石であるクラウディアを見せられた霧生としては否定し難い事実である。
あのレベルがゴロゴロしているのなら、エルナスが努力だけで対抗するのは無理がある。
「それにあの振る舞いもどうかと私は思っています。彼は天上宮殿と地上を行き来し、なんとも厚かましい態度をとってるのだとか」
それは才能への嫉妬。
エルナスなりの抗い、自尊心を保つ行為に他ならないだろう。
だが、学園の質を追求する学長やルーナがそこを汲み取る必要などない。
「なんてことだ……」
「どうかしたのか?」
険しい顔立ちをしている霧生を学長が覗き込んでくる。
それに答える余裕を無くした霧生は片手で頭を押さえながら深く反省する。
学園に来て舞い上がり、ここ最近は自分の勝利のことばかり考えていた。
エルナスの事を大して知ろうともせずに、危うく独りよがりな勝利を得てしまうところだった。
否、そんな勝利も良い時は良い。
しかし、霧生は考え直さなければならない。
自分は、エルナスが得ようとしている最上級の勝利を妨げてまで勝利するべきなのか。
他人の勝利を尊重することは、"究極の勝利"に近づく一歩であると霧生は考えている。
勝利には、感情や、それに至るまでの道筋が内包されている。
そうでなければ質は生まれない。
重い。
霧生を不安が襲う。
今一度自問する。
それらを踏まえてでもエルナスに勝ちたいか? と。
そんな迷いを切り捨てるかのように、直ぐに答えは出た。
勝ちたい。
霧生は安堵の息を漏らしつつ、そうして霧生は口を開く。
「ふう。今日ここに来た理由はですね、学長。
僕を天上候補生にして頂けませんか?」
学長はエルナスに期待していないようだが霧生は違う。
リベンジという動機は勿論あるが、彼には可能性を感じていた。それは才能の問題ではない。
勝利への固執という点だ。現に彼は17年折れることがなかったのだろう。
限界が訪れているかもしれない。折ることになるかも知れない。
だが、だからこそ良い。
「君が天上生になりたいのか?」
学長は驚いていた。
「そうではなく、天上選抜戦に出たい」
霧生がそう言うと、エルナスの話をした後故に学長にも伝わる。
霧生が彼との勝負を欲していることを。
そして学園側としてはエルナスを切る良い口実になるので、タイミングも良かった。
「良いだろう」
間も空けず学長は頷く。
その隣のルーナは複雑な表情をしていた。
「ただし、一つ条件がある」
学長は続ける。
「選抜戦は基本的に人知れず行われるものだが、君が出るのなら大闘技場での全体公開式にしたい」
その条件は霧生にとって不意を突かれたものであった。
そもそも選抜戦がどのような形式で行われるか霧生は知らなかったが、エルナスは違うはずだ。
彼は大勢に見られる気構えなど用意していない。
この条件は霧生ではなく、エルナスに響くもの。
とはいえ学長の狙いはそこでは無く、霧生の技を生徒達に見せてやりたい、もしくは自分も見たい、という考えから来るものだと推測される。
一族の不利益は霧生の構う所ではなかった。
エルナスの精神面での問題だけが霧生の憂いである。
ただでさえ自分との勝負を望まない彼のポテンシャルをこれ以上下げたくはない。
(だが、呑まない訳にはいかない、か)
特例を通す学長を立てる必要もある。
「分かりました。ではそれで」