第23話 かくれんぼ開始
「うっす。今日もやる気十分だな」
午前9時の座学棟104講義室。早い時間からいつも通り最前列を確保していたリューナに霧生は声を掛けた。
その隣の席にはレイラもいる。
1時限目、この講義室では『術式学Ⅰ』の講義が開かれる。開始まではまだ20分程あり、室内の生徒はまだチラホラといったところであった。
奥からおどおどとした会釈を送ってきたレイラに軽く手を上げて返すと、霧生はリューナの隣の席に腰を下ろす。
「霧生、あなたね……」
「ってどうしたそれ。喧嘩でもしたか?」
おおよそ昨日の一件についてであろう。振り返ったリューナは説教でも始めそうな顔をしていたが、その額に出来た痣にめざとく気がついた霧生は言葉を遮った。
「喧嘩ってアンタじゃないんだから。
というか私よりそっちの方が酷い有様じゃない」
額の痣を前髪で誤魔化しながら、リューナは霧生の制服に目を移す。
つい先日まで新品だった制服のローブはズタズタになっており、所々乾いた血が黒いシミを作っている。
「お、これか?」
見ようによっては汚らしい、そんな格好で堂々と講義室に足を踏み入れた霧生はなんとも誇らしげな表情だ。
そしてよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、霧生は歓喜の笑みを浮かべながらローブの襟をちょいと持ち上げた。
「中々イケてるだろ。ダメージローブだ」
「全然イケてないけどね。昨日の件でしょ?」
「ああ。ちょっと狂犬を怒らせすぎてだな」
「普通にアンタが悪いわ。むしろよくそれで済んだわね」
霧生が『勝利学』の講義を無断欠勤した件で、天上生クラウディア・ロードナーの怒りを買ったことはリューナも知っている。
その後、完膚無きまでに返り討ちにしたことまでは知らないようだが、これは黙って置くのが吉だと霧生は考えていた。
というのも、リューナが天上生に強い憧れを抱いているからである。発展途上である彼女のモチベーションが下がるのを懸念してのことだ。
「そういえば聞きたいことがあるんだった」
そして霧生には最優先で為さねばならないこともある。
「何?」
「天上候補生ってのは、どうやったらなれるんだ?」
霧生の質問に、リューナは意外だといった目をする。
「霧生も天上生目指すことにしたんだ?」
「天上生じゃなくて、天上候補生な」
「あ〜」
一週間と少し前、霧生が天上候補生エルナスに敗れたことを思い出したらしいリューナは合点がいったように相槌を打つ。
霧生が為さねばならぬこと。
言うまでもなく、それはエルナスへのリベンジであった。
エルナスに勝負を受ける気がないなら、そうせざるを得ない状況を作ればいいだけ。
考えた結果、霧生自身も天上候補生になるという結論に至る。
そうすれば天上生の座を巡ってぶつかり合うことになるからだ。
天上生という地位に執着している様子のエルナスは、その気にならざるを得ない。
「天上候補生は講師の推薦があればなれるわ。
それで不定期に開催される天上選抜戦にて、天上生になる資格を巡って戦う」
「マジか。絶対楽しいやつじゃんそれ。
次の天上選抜戦の日程は決まってるのか?」
「ええ、丁度今月末よ」
「よし。じゃあ出るわ、俺」
「流石に難しいんじゃない?
講師は高位の講義を全て修めた生徒しか推薦できないとか厳しい規定が色々あるし。
霧生はGランクでそもそも高位の講義が受けられないじゃない」
天上生を目指しているだけあって、リューナはよく調べているようだ。
「それは自薦で通す。俺も一応講師だし」
「推薦権を持つ講師も決められてるんだけど」
「なら学長に全力で頼み込む」
「……そこまでするの?」
「俺にはもう後がないんだ……」
「どんだけ切羽詰まってんのよ」
エルナスが天上入りして引きこもってしまうのは、霧生からすれば非常に面倒なのである。
そうなる前にリベンジを済ませて置かなければ、リベンジのために天上入りを余儀なくされてしまう。
それは避けたい。
霧生には"果てしない研鑽"を積む気などさらさら無いのだ。
勿論、いずれは天上生全員に勝つつもりでいるが、地上にも魅力的な勝負はゴロゴロと転がっている。
それをさらえないうちに上へ行くのはいくらなんでも勿体無い。
それが霧生の考えである。
(天上選抜戦に勝って、天上入りを取り下げる。これがベストだな)
「まあ頑張って。私達の魔術指導もお忘れなく」
「そりゃ勿論」
リューナとの会話を終え、入り口から入ってくる生徒を眺めていると、霧生はその中にある人物を見つける。
話している内に講義室は混み合い始めていた。
「おう、ハオ」
席の間の通路を通り過ぎようとしたところで、霧生はその生徒の腕をとる。
前髪を鼻まで垂らし、完全に隠れた目元。纏う新品のローブも、猫背なせいかどこか締まらない。
そんないかにも根暗だという雰囲気を必要以上に撒き散らしながら講義室に入ってきた彼の名は、ハオ・ジア。
一週間前、講義で目立ったことにより"才能潰し"の標的にされた少年である。
「えっと、あの……、誰ですか?」
掴まれた腕と霧生の顔を交互に見ながら、ハオは尋ねてくる。
「お前やっぱり擬態してたな」
しらばっくれても霧生の目は誤魔化せない。
ハオの姿は以前とはかけ離れており、見抜くには相当目を凝らさなければならなかった。
外見は勿論、歩幅や呼吸、匂いから脈数まで気を使った、本格的な擬態である。
「あーもうなんでバレるんだ」
観念したように髪をぐしゃぐしゃと掻きむしるハオ。
先に進もうとする生徒達が後ろにつかえ、それでも霧生が腕を離す気がないのを見て、ハオは仕方なくといった様子で後ろの席に居着いた。
そこでようやく霧生は手を離す。
「はぁ、なんで分かった? 擬態は完璧なはずなのに」
自分の体を見下ろしながら、ハオは嘆いた。
「気の質だよ。こればっかりは偽るにしても限度があるだろ?」
「気持ち悪っ。ふつー普段から人の気の質なんて見ないから……」
ハオは顔を顰め、やや身を引く。
霧生はそんなハオを指差し、良い笑顔を浮かべて言った。
「粉砕」
「は? なにが?」
ハオの表情が困惑のそれへと移り変わっていく。
「気にしない方が良いわ。こいつちょっと頭がおかしいの」
隣で話を聞いていたリューナが見兼ねて振り返り、口を挟んできた。
「だよね。
ん? 君めちゃくちゃ可愛いね? 名前は? どこ出身? 何カップ?」
リューナの容姿に気づき、ハオは声のトーンを上げた。
急に身を乗り出して迫ってくるハオに、今度はリューナが身を引く。
「ああ、あなたも結構アレな感じなのね……。首突っ込んで悪かったわ。やっぱり勝手にやってて」
リューナは、霧生に絡まれたハオに対して助け舟を出したつもりだったのだろう。
最初の講義での振る舞いを思い返すと、ハオが本来目立ちたがりで陽気な性格であることは察せられる。
さらにこんな一面もあるのかと、霧生は興味津々でハオを見つめていた。
高度な擬態をしている以上必然ではあるが、リューナはハオがあの時の少年だとは気づいていない様子だ。
「彼女とはどういう関係なんだ?」
振り返っていたリューナが再び前を向くと、ハオはこちらに視線を向けて尋ねて来た。
霧生はハオの脳内プロフィールに『女好き』を追加しながら口を開く。
「友達だよ。すげー良い奴なんだぜ」
「ねぇ、私の話なら別のところでしてくれない?」
「なんだ照れてるのか?」
そう言って視線をやると、リューナはそっぽを向く。
ハオはほうと息を吐いていた。
「マジタイプ……。なんて名前か教えてくれない?」
「御杖霧生」
「君じゃない。彼女」
ふざけるなと、ハオは霧生を嗜める。
「リューナだ」
「リューナちゃんか……」
リューナに羨望の眼差しを向けるハオの前に、霧生は一本指を立てる。。
「おっと、リューナと仲良くなりたいなら俺へのリベンジを果たしてからだ」
話の流れを自然に勝負へ持ち込むのは霧生の得意技である。
その発言を受け、ハオは鋭い視線で霧生を睨んだ。
やがて何か察したのか、彼は不敵に笑ってみせる。
「フ……なるほど、君もリューナちゃんを狙っているというわけか」
「当然だ。こんな逸材、この俺が見逃すとでも?」
ハオの瞳の奥に見え隠れする闘志を見抜き、霧生は挑発を重ねる。
ハオは少し笑みを深めた後、目を細めた。
「しかしリベンジというのはなんだ。君に負けた覚えなどないが」
自身の敗北に気づけていないこと程、情けないことは無い。
霧生は思わず顔を背けて失笑してしまう。
しかしすぐにムッとした顔のハオに視線を戻して言い放った。
「俺がお前とのかくれんぼを勝手に始めていたと言ったら?」
「……っ!」
ハッとして目を見開くハオ。
霧生の口元が吊り上がる。
「気付いたな」
かくれんぼなら見つかってしまった時点で敗北。擬態を見破られたことは、敗北に当てはまる。
ハオは苦虫を噛み潰したような顔で「なるほど」と呟く。
先程霧生が放った「粉砕」という言葉は、その勝利宣言であった。
「分かった……。ならまた君が鬼でリベンジさせてくれ」
「受けて立つ。
ただ、勝負は嫌いなんじゃなかったのか?」
「かくれんぼのような平和的勝負なら悪くはない。それに、彼女の前で負けっぱなしとはいかないからね」
立ち上がり、リューナにシグナルを飛ばすハオだったが、当の彼女は既に関わり合いにならないことを決めたようで、レイラとの談笑を楽しんでいる。
「そうか。じゃあ期日はどうする?」
「無制限でいいよ」
「……何?」
ハオの口から出た言葉が信じられず、霧生は聞き返した。
「無制限だ。
僕と君は二度と、"出会わない"」
聞き間違いだろうか。
そんな霧生の懸念を一蹴し、ハオははっきりと断言する。
ハッタリではないのだろう。言葉から自信が滲み出ている。
「それだとリューナとも関われなくないか?」
「その点は問題ない。別人として新たに関係を築くからね」
それでいいのかという点は置いておくとして、無謀とも言えるそんな挑戦に霧生は心底打ち震えた。
ハオの大胆な勝負心に。そして彼を正面から叩き潰した時に得られる勝利を想像して。
「良い度胸だ……。絶対見つけてやる」
「どうかお元気で」
捨て台詞を残し、ハオは去っていく。
霧生は無意識に立ち上がり、高揚した気持ちを抑えながらその背中を見送った。
「あれ、彼講義は受けなくていいの?」
ハオの退室に気付いたリューナが野暮なことを尋ねてきた。