第14話 挑戦的な思考
ハオの未知数の実力を確かめるために勝負を挑んだ霧生であったが、彼の方は乗り気ではなかった。
それなら仕方ないと、霧生は肩を竦める。
「僕は平和主義者なもんで」
霧生が差し出した手に掴まってハオは立ち上がった。風貌こそボロボロだがハオに大したダメージはない様子だ。
あれだけ一方的な仕打ちを受けて置きながらケロッとしているところを見るに、買いかぶりではない。
彼が体中の砂埃を払っている間、ダネルが地面に散らばったハオの持ち物を拾う。
「平和主義者の来る所か?」
霧生が尋ねる。
技能を受け継ぐことを目的とするアダマス学園帝国。技能そのものが平和とは程遠い存在だ。由緒正しければ正しい程、その根源は"暴力"や"支配"にある。
外敵から身を守るため。喧嘩に勝つため。報復をするため。戦争に勝つため。人を殺すため。そうして現代に至るまで磨かれて来た。特にハオが得意とするのであろう武術では。
「少なくとも前にいた所よりは平和そうだ」
「ああ、お前も只者じゃない感じな」
ダネルが拾い集めた荷物を破けた鞄にまとめ、ハオに手渡す。
「ありがとう。何か買いかぶってくれてるみたいだけど、僕はそんな大した者じゃない。少しこういうのに馴れてるだけでね」
ハオは薄く笑う。打たれ慣れているのは事実だろう。
相手に手応えを感じさせつつ、自分のダメージを最小限にするのは達人の芸当だ。
「はぁ、明日からは目立たないようにしなくちゃな……」
ハオは髪をいじりながら呟く。その後再び溜息を吐くと、通りに向けて歩を進めた。
霧生が自然と後を追おうとしたところ、ハオはピタリと足を止め、振り返ってきた。
「心からお願いしたい。僕には構わないでくれないか?」
そしてそう言った。
「嘘だろ!? 俺はお前と友達になりたい」
自分と張り合える強敵の一人として、ハオに可能性を見ていた霧生は声を荒げた。
「僕は嫌だ。見たところ君は平和を脅かす、僕にとって最悪のタイプだ」
「なんでそんなこと言うんだ」
「そのギプス、まだ新しいね。昨日か今日着けたばかりだろ。正直、入学早々そんな怪我してる君とは関わりたくない。平和じゃない匂いがぷんぷんする」
そう言われると霧生に言い返す言葉はなかった。
平和、普通、平凡。霧生があまり好まない言葉だが、それを望む人間は嫌いではない。そういった者こそ、なんとしてでもそれを手に入れるための、並々ならぬ力を宿していたりするものだ。
「面白そうな奴なのに」
霧生は去って行くハオの背中を眺める。その胸中に残念という思いはない。あるのは彼を怒らせてみたいという挑戦的な思考であった。
ーーー
『抵抗基礎』を終え、リューナが向かったのは別棟の講義室。そこではSランクの講義である『高位魔術・転移』が行われる。
高位魔術の講義はまず座学から始まる。大方の基礎知識を座学講義で教えると、次は筆記試験。その試験をクリアし、理解していると判断されるものだけ実技の講義に移行することができる仕組みだ。
講義室に着いたリューナは、室内に溢れる上級生達の姿を見て少し緊張した面持ちを浮かべた。
リューナが今朝受けてきた二つの講義は適正ランクの高い講義ではなかったため、自分が受けられる最高水準の講義はこの『高位魔術・転移』が初めてだ。
辺りをざっと見回して気付いたことは、新入生の姿がまるで見当たらないということ。Sランクの魔術適正を持つ新入生が自分だけのはずはない。
リューナはその理由を察していた。
おそらく、適正が高くてもいきなり高位の講義を受ける新入生は少ないのだろう。
高位の講義においては、『術式学』や『抵抗基礎』などの基本的な知識があることを前提とされる。
Sランクという適正は、受けられる権利を得ているだけで、現段階で習得できるかどうかは自分で判断しなければならない。
リューナは講義室の最前列の席に着く。
革紐に繋がれた懐中時計に目を移せば時刻は講義開始の十分前。リューナは時計のリューズをカチカチと回す。銀のシンプルな装飾が施されたこの懐中時計は母の形見だ。
譲り受けた当時は手巻きの機械式故に煩わしさを感じたが、今では肌に馴染み、手放せないものとなっている。
講義が始まる前に今朝の授業の復習でもしようとリューナがノートを広げると、隣の席に静かに腰を下ろした女生徒がいた。
青い髪をした気弱そうで小柄な少女だ。歳はリューナと同じか少し下くらいで、リューナがそちらに視線を移すと目が合った。
真新しい制服から漂うのは新品の服特有のどこか油っぽい匂い。察するに、彼女も新入生なのだろう。
彼女はこちらへ擦り寄ってきて、周囲を気にするような小さな声で尋ねてくる。
「あの……、新入生です、よね?」
「ええ。どうしたの?」
「良かった……。あの、その、上級生ばっかりだったから凄い不安だったんです。私、レイラって言います。一緒に講義受けませんか……?」
仲間を見つけ、心底安堵したように脱力する少女に、リューナの緊張も少し和らぐ。
「いいわね。私はリューナ、よろしく」
リューナもまた、手を差し出し名乗る。レイラと名乗った少女はその手を恐る恐る掴み、弱く握り返してきた。
「よろしくお願いします……!」
手を離したレイラは席に置いた荷物を持って立ち上がる。そんな所作を見てリューナはやや首を傾げた。
「どこ行くの?」
「後ろの方の席に移動しませんか……?」
その言葉を聞いて、彼女はあまり向上心のない人間なのかとリューナは一瞬思った。しかし向上心のない人間が高位の講義に出てくる訳がないと考え直す。上級生ばかりで不安だったとレイラは言ったのだ。
「どうして?」
「……視線、感じませんか?」
「あー……」
言われてみればそうだと気づくが、自分の容姿が良いことを自覚しているリューナは他人からの視線に慣れている。目の前のレイラもかなり整った顔立ちをしており、そのはずなのだが性格や経験の問題なのだろうか。
否。リューナはレイラが後ろへ行きたがる賢明な理由を察していた。
「分かった」
立ち上がると、講義室の後ろのがらんと空いている席まで誘導される。
そこで再び席に着くと、レイラは耳打ちしきた。
「あんまり前の席とかに座って目立たない方がいいですよ……」
レイラの表情は真剣だ。
リューナは問い返す。
「潰されるから?」
「……分かってて前の席に?」
一昨日、ダネルに邪険にされた理由もリューナは知っている。今朝の講義でも、友達を作ろうと数人に声を掛けてみたリューナであったが、適正ランクを言うと彼らは離れて行った。
母から聞いていた通り、この学園では強すぎる才能は開花する前に排除されるのだ。それ故、適正の高すぎる者は避けられる傾向にある。
だが、生き残った者は上に行く。
リューナが目指す高みは憧れの母がかつて研鑽した地、『天上宮殿』である。
「ええ。だって馬鹿らしいじゃない。そんなこと気にしながら講義受けるの」
今天上宮殿にいる彼らが、地上での生活を細々と生き抜いてそこにたどり着いたとは思えない。
それをなぞる訳ではない、リューナ自身が、他人に足を引っ張られることを前提とするのを嫌っているのだ。
「凄いなあ……。きっとリューナさんのような人がどんどん上に行くんでしょうね……。じゃあ……前行きますか?」
レイラは真意が見えない表情で言う。
馬鹿らしいとは言ったものの、リューナに協調性が無いわけではない。首を横に降った。
「ううん、ここでいい」
友達に合わせるという名目なら後ろの席でも構わないし、別に前の席に拘りはないのだ。
それをレイラに伝えると彼女は嬉そうに笑顔を咲かせた。
そして時間より少し遅れて講師が教壇に立ち、講義が始まる。