第9話 メンコだったら勝ち
タイル張りの天井から砂埃がパラパラと落ちる。
「これだよこれ」
霧生は天井を見上げながら呟く。その視界は少しボヤケており、残念ながらしばらくは立ち上がれそうにない。
普段の霧生なら、今のような不意打ちの攻撃を《抵抗》無しでいなすことも可能である。しかし今朝の自分戦において限界まで酷使された体は思うように動かず、《抵抗》も紙同然のお粗末なものになっていた。それが攻撃をモロに食らってしまった原因だ。
とは言え、お互い万全の状態のファイトだけが勝負ではない。
天井から視線を下ろすと、大男は霧生のことなど既に意識の外のようで、背後に佇んでいた青年のジャケットを預かったり、椅子を引いたりと従者のようにせっせと世話を始めている。
アッシュグレーの髪をした長身の青年は、椅子に座って肘を付き、机の上に生徒端末を置いてそれを弄り始めた。
彼は今の一連の出来事には微塵も関心がないらしく、霧生にはチラリとも視線を向けることはなかった。
だが、講義室全体の視線は霧生達に集まっている。
大男がかなりの実力であるのは一撃を受けることで知ることが出来た。そんな彼が付き従う青年の力は、当然その上を行くものなのだろう。彼の洗練された佇まいからも、それは感じ取ることができる。
霧生はおもむろに生徒端末の画面を開く。壁に叩きつけられた衝撃によって、画面には少しヒビが入っていた。
しかしそれを気にすることはない。
なぜなら霧生が今手に持つ生徒端末は自分のものではなく、殴られると同時に大男から盗み取ったものだからだ。
霧生は端末を操作して学園側が登録したプロフィール画面を開く。そこには大男の本名と生徒ID、その他もろもろの個人情報が液晶に表示された。
霧生は端末を見ながらのそりと立ち上がり、パンパンとローブに付いた埃を払った。講義室の上級生達がどよめく。
「あいつ、やる気か?」「正気かよ」
「スタンズ・ヴァン・モール。24歳。そんなナリでも一応生徒なのか」
スタンズは名前を呼ばれることで、気付かぬ内に端末を奪われていたことに気付いたようだ。
鋭い視線を霧生に向ける。得体の知れない新入生がスタンズから端末を盗み取ったことを察して、講義室の面々は一層どよめきを強めた。
「凄い新入生だな……」「よくやるわ」「私見えなかったんだけど」
スタンズの端末の画面を落として、彼の元まで歩いていく。
「ロックはしないタイプなんだな。俺と気が合うかもしれない」
スタンズの間合いにも躊躇なく踏み込むと、彼はグッと拳を握りしめた。これでいつあの岩のような鉄拳が飛んでくるのか分からない。
しかしスタンズは端末を奪われたことで、やや警戒心を強めている様子だ。霧生はあえて無防備な隙を晒すことで、更にスタンズの不信感を煽る。
そして彼が色々と思考を重ねているであろうその間に、我関せずと生徒端末を操作する青年を、背後から視線だけで軽く覗き込んだ。
彼の端末にはポン、ポンと次々とメッセージがポップしており、時折自分でも文字を打ち込んでいる。どうやらチャットに勤しんでいるらしい。
「それを返せ」
スタンズが野太い声で言ってきた。
霧生は青年の端末から、手に持つスタンズの端末に視線を移す。
「ああ、これか」
霧生はスタンズの端末を持ち上げ、それを手のひらの上に水平に持ちかえた。
スタンズが手を伸ばしてくるが、霧生はそれを差し出した訳ではない。彼の手が端末に触れそうになった時、霧生は親指を画面の上に添え、端末をガッと力強くホールドした。
スタンズが視線を向けてくるのと同時に、霧生は片足を滑らせ、最速の一歩で青年の横側に踏み込みを入れる。
「ッ!」
スタンズの手がぐんと伸び、霧生の肩を掴むが少し遅い。
霧生はその手を振り切り、端末に全体重を乗せて勢いよく右手を振り下ろした。
そう、青年の端末目掛けて。
「ダラァッ!」
パァァン!
破裂音に近い音が響き、スタンズの端末は限りなく平行に青年の端末に打ち付けられた。
2つの端末がひとかたまりとなってバウンドする。
「何しやがるッ!」
スタンズの怒号。
そして宙に舞った端末は破片を巻き散らしながら、再びテーブルの上に落ちる。
青年の端末は見事に裏返しになっていた。
「撃滅」
そこでようやく、青年は霧生に冷たい視線を向けた。
「これがメンコなら俺の勝ちだぞ」
「なんだお前、頭おかしいのか?」