焙煎その2 今日のおすすめ
焙煎その2 今日のおすすめ
大広間の一角で、柱時計が時を告げる。
「おや、もうこんな時間かね?」
柱時計の針は、ちょうど正午を示していた。
カフェドラでは、外の時間はとても重要だ。カフェを訪れる客の大半が、ダンジョン外からやって来る一般民だからだ。
ダンジョンからこの部屋までは一本道で、しかも距離が短く魔物も出現しない。ゆえにダンジョンを訪れる者は、必然とこの広間を通る事になる。確実に、しかも比較的安全に通れる事から、この店を訪れる一般民は多い。
柱時計が時を告げ終えると、それに合わせるかのようにドアが開く。
「おなかペコペコー、マスター今日のお勧めは?」
ドアを開けるなり、その客はそう言いながらテーブルに向かう。客は、見かけは十代半ばの少年で、栗色の髪の毛の合間から三角の耳を、腰からフサフサ尾を生やしていた、ルナール族…略称ルナ…と呼ばれる、狐人だ。彼は、肩から何か入った布袋を担いでいた。
「あ、マロンさんいらっしゃいませ。いつも時間通りですね」
「えへへ、僕はそれが取り柄だから」
マロンと呼ばれた少年は、照れくさそうな顔をすると担いでいた袋をおろし、席に着く。
「エルさん、いつものお願い。それと、今日のお勧めは?」
メニューも受け取らず、マロンはエルに言った。
「今日のお勧めは、厚切りベーコンとダンジョンキノコの串焼き風よ」
エルの言葉に、じゃあそれでとマロン。
マロンは、カフェドラの常連の一人だ。常連では比較的時間に正確で、いつも正午きっかりに来る。
「マスター」
「うむ」
エルの合図にマスターはうなずくと、用意していた串にベーコンとキノコを数個突き刺し、自らのブレスで焼き始める。
やがて、店内に香ばしいベーコンとキノコの匂いが漂い始める頃、
「お待たせしましたー」
エルの声と共に、マロンと他の客の前に料理が並べられる。
「へえ、これは美味そう」
フォークとナイフを手に、マロンがうなづく。
皿には、ブレスで炙られた厚切りベーコンが数枚盛られていた。だが、その隣にならぶキノコは、大人の拳程の大きさがあった。
キングマッシュルームは、ダンジョン内で最初に発見された事から通称『ダンジョンキノコ』とも呼ばれ、文字通りマッシュルームに似た形状で赤茶色に白い斑点がまばらに付いた外観をしている。
このキノコは健康や美容に効果があると言われ、王族や貴族の女性に人気が高く都では高値で取り引きされるが、自生するのはダンジョンや洞窟のような暗くて湿った場所に限られ、特に大振りな物は本物のダンジョンでなければ育たない為入手は困難とされる。もっとも、カフェドラのマスターにとっては、もっとも入手が容易な食材のひとつに過ぎないのだが。が。
やがて、マロンの食事が一通り終わる頃、湯気の立つカップを銀のトレーに乗せてマスターがテーブルまで歩いて来る。
「マロンや」
テーブルにカップを置くと、マスターはマロンに向き直る。
「今日は蜂蜜はあるかい?それと、ハーブとスパイスも頼む」
「んー」
マロンは、一口だけコーヒーを飲んでから答える。
「あるけど、どれぐらい?」
「蜂蜜は最低2瓶は欲しい、ハーブとスパイスはあるだけ」
「マスターにしては珍しいね、何か有ったのかい?」
「ブラックポーションの在庫が必要になったのでね」
「ふーん、なるほど」
マロンはうなずくと、再びカップを手に取る。
「やっぱり、あの噂は本当だったんだ」
「噂?何それ?」
空になった皿の後片づけをしていたエルが、マロンにたずねる。
「アーサーの遠征の話さ」
ああ、なるほど、とエルはうなずく。
「噂じゃ、不眠不休の強行軍になるらしい」
マロンの話によると、アーサーが向かっているダンジョンある山に向かうには、魔物の群生する森を抜ける必要があるらしい。
「その森だが、魔物の数が半端じゃないらしい」
「そんなに多いの?」
「ああ、いちいち相手にしてたら、いつまで経ってもダンジョンには辿りつけない」
「それで、アーサーさんは?」
「噂じゃ、夜も寝ずに駆け足で森を抜けよう、って話さ」
「なるほど、それでブラックポーションがたくさん要りよう、って思ったのね」
うなずくエル。
「コーヒー、ごちそうさま」
空のカップも片付けられる。
「さて…」
マロンは足下に置いてあった袋の紐を解く。テーブルの上には蜂蜜の大瓶が3つ、乾燥した薬草やハーブの束が8つ程並べられる。どれも、ブラックポーシュンの調製に必要な物ばかりだ。
「さあ、これで全部だよ」
マスターは、エプロンのポケットから小さな布袋を引っ張り出すと、テーブルの上に置く。
「全部買おう」
マロンは布袋を手に取り、重さを確かめる。その表情に、驚きの色が現れる。
「マスター、代金にしてはいつもより多いよ」
「いや、いいんだ。今回は特別に注文したい物があってな」
「特別注文?」
「レッドペッパーを入手してきて欲しいんじゃ」
「レッドペッパーだって!」
「無理か?」
「そんなことは無い、無いけど…」
「大丈夫じゃ」
口ごもるマロンに、マスターはエプロンのポケットから更に何かを取り出し、マロンに握らせる。
「何かあったら、これを相手に見せればいい」
ほとんど中身が空になった袋を手に、マロンは扉の向こうへと姿を消す。
「マスター」
「どうした、エル?」
厨房の流しで食器の後片づけをしながら、エルはマスターにたずねる。
「どうしたんです、急に材料を買い求めたりして。ブラックポーシュンはまだ在庫は十分だったと思いますが」
「ああ、その事か」
「それに、急にレッドペッパーを注文するなんて、一体何を?」
「何、少しブラックポーションの改良をしたいと思ってな」
「改良?」
「どうも、嫌な予感がするんだよ」
「予感?」
二人の会話は中断された。
「腹減ったー。マスター、今日のお勧めは?」
ドアが開いて、新しい客が入ってくる。
エルは、急にあわてたように厨房を飛び出し、扉へと向かう。
「いらっしゃいませ!今日のお勧めは…」
(焙煎その2 終わり)