焙煎その1 カフェの朝
焙煎その1 カフェドラの朝
「ばーいバイ煎、ばっびっぶっべっぼおぉぉぉぉぉ」
呑気な歌声と共に炎が吐かれ、網の中のコーヒー豆が焼かれていく。
その時広間のドアが開き、装備に身を固めた冒険者が数人姿を現す。
「よお、景気はどうだい?」
冒険者のうち、リーダーらしき男がそう言いながら広間へと入っていく。男は五十代で頭に白髪が混じり、装備には年期がこもっていた。その側へ、エプロン姿のリュカオーン娘がメニューを手に駆け寄る。
「いらっしゃいませ!ご注文は何になさいます?」
「おや、エルちゃんじゃないか。今日は遅刻しなかったんだ」
「えへへ」
「今日はメンバー多いんだが、席は空いてるかな?」
そう言うリーダーの肩越しからは、彼の仲間らしき人影が十人程見える。エルは、ひとりふたりと人数を確認する。
「じゅ、十人ですか?」
「そうだ」
「大丈夫だ」
と、厨房で作業をしていたエプロン姿のドラゴンが答える。
「早く入って来いや、アーサー。俺とお前の仲だろ?」
間もなく数個のテーブルが一列に並べ直され、その両脇に冒険者達が5人ずつ座る。
「こいつらにはブレンドとクッキー二皿を、俺には『ブレスコーヒー』」
「いいのか?炒りたてならここにあるが、イタリアンしか焼けないぞ」
微かな煙と芳香を立ち昇らせている網…焙煎器の中の豆を見せながらドラゴンは答えた。
「それがいいのさ」
アーサーと呼ばれたリーダーは、片目をつぶってニヤリと笑う。
「お前さんとこのコーヒーは、睡魔に効くからな」
やがてテーブルにコーヒーカップとクッキーの盛られた大皿が並べられ、広間内はコーヒーの豊かな芳香で満たされる。
「リーダー、何ですかそれ?」
アーサーの脇に座っていた、若い冒険者がアーサーのカップを指さす。
アーサーのカップは他の冒険者よりふた回りほど小さい、デミタスと呼ばれるサイズのカップだ。
「これか?これはブレスコーヒーだ」
「ブレスコーヒー?」
「ドラゴンのブレスで焙煎してあるんだ。こいつは特別濃いからな、特別効くぞ」
「へえ」
「お前も試してみるか?」
そう言ってアーサーは、デミタスをその若者に差し出す。それを見て、他の冒険者はにやにや笑い出す。
「では…」
差し出されたカップの中身を、若い冒険者は恐る恐る口に含む。
「うぐっ、○×△◇!?」
ベロを出してしかめ面をする冒険者を、どっと笑い声が包む。
「な、何ですかこの苦いのは!?」
エルから差し出された水を飲みながら、若い冒険者は渋い顔をする。
「あっはっは、慣れれば俺のように病みつきになるぞ」
アーサーはデミタスを取り返すと、何事も無さそうにその中身を口に含む。
その様子を見ていたドラゴンが、エプロン姿のまま厨房から出てくる。
「ところでアーサー、今日は大事な用事があってここに来たんじゃないのか?」
「わかるか?」
「ああ、俺とお前の仲だもの」
「そうか」
アーサーはデミタスをテーブルに戻すと、ドラゴンに向き直る。
「実は頼みがあるんだ」
「頼み?」
「お前にしか頼めないんだ。と言っても、冒険につき合ってもらう訳じゃない」
ドラゴンは、テーブルを見回す。アーサーを始め、他の冒険者も皆真剣な表情をしていた。
「ブラックポーションを、できれば10本頼みたい。金なら幾らでも出す」
「10本?」
「今回依頼を受けた探索は、かなり長くなる」
「戻れる保証は?」
「…」
アーサーは答えない。
そんなアーサーに、ドラゴンも問いかける様子は無い。冒険者の事情をあれこれ詮索しないのが、この店のルールだった。
広間を沈黙が流れる。
「そうか…」
口を開いたのは、ドラゴンの方だった。
「少し待っていてくれ」
厨房に戻るとその奥の扉を開く。扉の奥は倉庫らしく、扉越しに麻袋や食材の並ぶ棚が見える。ドラゴンは一旦倉庫に入ると、間もなく瓶の入った箱を手にアーサーの前に戻って来た。瓶の中には、ドロリとした黒い液体が詰められていた。
「これがブラックポーションだ、一口飲めば一晩は眠らずに済む。一度に飲み過ぎるなよ」
ドラゴンはそう言いながら、一本ずつ冒険者の前に並べていく。
「お代はいらない、あんたとの仲だ」
冒険者達がどよめく。何か言おうとしたアーサーに、ドラゴンは続ける。
「その代わり約束しろ、必ず生きてまたこの店に来ると」
「あの人、マスターの知人だったんですか?」
冒険者が店を出た後、テーブルの後片づけをしながらエルが言った。
「ああ、昔一緒に冒険をした仲でね。コーヒーの豆と知識は、その冒険で得たものなんだ」
そう答えたドラゴンの横顔は、いかにも寂しげであった。
「マスター、あの人達無事に戻ってこれるんでしょうか?」
エルの問いに、ドラゴンは答えなかった。
広間のドアが、再び開いたからだ。
「マスター、席空いてる?」
数人の若者達であった。一般民らしく、みな軽装だ。
「いらっしゃいませ!ご注文は?」
笑顔に戻り、メニューを手にお客に駆け寄るエル。
カフェドラの朝は、まだ始まったばかりだった。
(焙煎その1 終わり)