想定外の迎えと気さくな第二王子殿下(レオニール視点)
レオくんサイドのお話です!
~想定外の迎えと気さくな第二王子殿下~
乗合馬車に揺られて40分くらいが経った頃。
少しずつ速度を落としながら、馬車はオルフェンス邸にほど近い停留場へと近づき、そしてゆっくりと止まった。
存在は知っていたけれど、利用するのは初めての乗合馬車。
これから『運賃』という名のお金を渡して降りることになる。
────……緊張してきた
エマちゃんから手渡された黄銅貨をギュッと握り締める。
何かあったら困るからと、2枚渡してくれたんだっけ。
馬車の運賃は、子どもは確か10シェル。
この黄銅貨1枚が10シェルだったはずだから、支払うのはこれ1枚でいいはず。
ドキドキしながら御者に硬貨を差し出した。
笑顔で受け取ると『ご利用ありがとうございます』と言ってくれた。
それが彼の仕事なんだろうけど、言われたお礼の言葉がなんだか嬉しかった。
「足元に気をつけて」
「あ、はい」
何気ないその気遣いまでもが、嬉しかった。
言うほうは当たり前。
言われるぼくにとっても当たり前。
だけど。
その当たり前のことがこんなにも温かいものだとは知らなかった。
今日エマちゃんと会うことがなかったら、当たり前のことは当たり前のこととして、きっと気にもかけなかっただろうから。
エマちゃんとの出会いが、ぼくに大事なことを教えてくれた。
感謝することの大切さを教えてくれたんだと思った。
そうして。
降りたあとの馬車が次の停留場へと向けてゆったりと走り出し、段々と遠ざかっていった。
少しずつ小さくなっていく馬車を見送りながら、エマちゃんもこんな風に見送ってくれたのかなぁ……と、頭の中はエマちゃんのことでいっぱいになる。
そして同時に『寂しい……』とも思ってしまった。
帰りたくなかった。
もっと一緒にいたかった。
でもそれはできなくて。
どんなに帰りたくなくても帰らなきゃいけなくて。
これから邸まで歩いていかなきゃと思えば思うほど気持ちは沈んだ。
叱られることに対してじゃない。
邸に帰ることで、本当にエマちゃんとの距離が遠ざかってしまうことが悲しかったから。
薄闇に染まっていく街の光景と、人通りがほとんどないこの停留場の静けさが、余計にぼくにそう思わせた。
寂しい。
帰りたくない。
もっとぼくと一緒にいてよ。
言いたくても言えなかった言葉が頭の中でぐるぐる回る。
「はぁ…………」
溜息をつきながら邸のほうへ向けて歩き出したその時だった。
突然強い風が吹きつけてきて、思わず目の前を覆い隠すように右腕で顔を庇った。
左手はお土産の袋を抱え込む。
この強風で飛ばされるわけにはいかなかったから。
風が止んだと同時に、一気に目の前が暗くなった。
まるで闇に覆われたような、そんな感じ。
顔を庇っていた右腕を恐る恐る離したその時……
「───ひッ……!」
ぼくの顔を覗き込むようにしながら、頭の位置を低く低く下げた巨大な黒い竜が目の前に迫っていた。
引き攣った声が喉の奥から出てきたのは無意識だった。
────に、逃げなきゃ……!!
一瞬にして恐怖に支配されてしまったぼくの頭の中に『逃げなければ』という言葉が浮かぶけれど、身体は動いてくれない。
後退ろうと足に力を入れていても、ガクガクと震えるだけで僅かな一歩さえも踏み出せなかった。
────なんで……
────なんで、竜が、ぼくの目の前にいるの……
身体が震えて、歯がガチガチと鳴っているのが分かる。
抱え込んだ袋が微かにぐしゃりと音を立てた。
その音さえもが耳の奥に大きく鳴り響いているように感じる。
ぼくの身体の中にある全ての神経が、目の前の竜を警戒して鋭くなっているようだと思った。
あの鋭い爪を持った前足を振り翳されてしまったら。
一瞬でぼくの身体は薙ぎ払われて命を落とすことだろう。
そんな恐ろしい考えはいくらでも頭に浮かぶのに。
どうやったら逃げられるのかという考えは一つも浮かばない。
「うぅ~……」
目の奥が熱くなった。
じわりと滲むのは涙。
今日だけで何度も泣きそうになったけど、エマちゃんに『泣かないで』って言われる度に頑張って堪えたはずだった。
最後まで泣かずに済んだはずだった。
……だけど。
これは……
────無理だよ……
────怖いよ……
王国の象徴だってことは知ってる。
尊い存在だということも知ってる。
でも……
本で見るのと、本物を見るのとではわけが違う。
本物を知らない頃に想像していたその姿と、今目の前で見ている姿は全然違う。
こんなにも大きくて、威圧感があって、押し潰されそうなくらいに圧倒的な存在感を纏っているだなんて知らなかった。
怖いのに、目をそらせない。
身体の自由を奪われていると感じたのはきっと気のせいじゃない。
まるで、心臓をぎゅっと鷲掴みされているみたいだ。
だからこそ、怖い……
あまりにも神々しくて。
あまりにも強大すぎて。
そんな存在を目の前にした自分は、ものすごくちっぽけな価値のない存在だと思えてしまうから。
「イヤ、だ…………」
圧倒的な存在感を放ちながらぼくの目を覗き込むように見据えてくる黄金色の瞳から少しでも意識をそらしたくて、震えながら首を左右に振ったその時。
今度こそ堪えきれなかった涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「ぅくッ…………!」
呻くような引き攣れた声も我慢できずに、涙は次から次へと零れ落ちる。
そこから、段々と声が出るようになったと気づき、大きく息を吸い込んで泣き声を上げそうになったのと同時に、頭上から切羽詰まったような大声で名前を呼ばれた。
「レオッ!!!」
「!!?」
ハッとなって声のほうへと顔を向けた。
「兄さまッ!?」
ぼくを呼んだ声は、確かにウォーレン兄さまのもの。
けれど、どこにもその姿は見えなかった。
「どこ……? 兄さま……? ウォーレン兄さまぁッ……!?」
必死になって叫んだ。
ううん、泣きながら叫んだんだ。
「ちょ……! 早く私を下ろしてください、ルーファス! レオが泣いているではありませんか! すぐにでも安心させてあげなくてはッ!!」
焦った兄さまの声が聞こえるけどやっぱり姿は見えない。
「だから身を乗り出すなって! この高さから落ちたいのか、このバカ!」
「バカとはなんですか、バカとは!!」
「衝動に任せて動こうとするからだろうが! ここから落ちて無傷でいられると思うなよ? 控えめに言っても手足の骨の二、三本は軽く折るぞ」
「手足の骨折がなんだって言うんです!? 私には、レオが泣いている事実のほうが重大なんですよ!!」
「……ウォーレン、取り乱しすぎ。兄上が見たら信じられないようなモノを見る目で驚くぞ?」
「今はセドリック殿下は関係ありません!」
「あぁ、もう。どうする、ルーファス? どう見てもダメっぽいんだけど、ウォーレン。本人の望み通りここから落とす?」
「……やめろ、ランディ。冗談どころか本気でシャレにならないから」
────だ、れ……?
見えている竜の頭の更に後ろのほうに、淡い色合いの髪の毛が見えた気がした。
それと、兄さまのものとは違う声が二人分。
一人は『ルーファス』って言ってた。
それってノーヴァ公爵家のルーファスさま?
じゃあ、今ぼくの目の前にいるこの黒い竜は、ルーファスさまの竜ってこと?
そう思い当たったところで、少しだけ目の前の竜に対する恐怖が薄れたような気がした。
それでも、じっとぼくを見据えたままでいる黄金色の目は鋭く冷たく見えるのだけれど。
その時、竜が緩く首を傾げたように見えた。
ほんの一瞬だけ。
その一瞬の間に、ひょこりと金髪の頭が覗いた。
黒い竜との色合いでやたらとその金髪は目立って見えた。
「お前がレオニール?」
突然言われた言葉に反射的に頷く。
「俺、ランドール。ウォーレンと一緒にルーファスに連れてきてもらってお前を迎えにきた」
「え……?」
「……で、合ってるよな、ルーファス?」
「お前の場合は違うだろうが、ランディ。お前にとって迎えはあくまでもついで。本来の目的は別のところにあるだろうが」
……あ。
今度はルーファスさまが顔を出した。
ローブのフードを被ってるけど、隙間から覗く色素の薄い髪の毛と薄暗闇にも負けない輝きを放つあの緋色の瞳は間違いなくノーヴァ公爵家のルーファスさまだ。
ってことは、先に顔を出した金髪の、ぼくと同じくらいの年の子が『ランディ』って呼ばれてた子なんだ。
……ん?
あれ?
その前に名乗ってたよね?
『俺、ランドール』……って。
ランドール……ランドール!?
え、待って!
ランドールって、この国の第二王子殿下の名前じゃ……?
そう思い当たって、恐る恐る見上げた先。
悪戯っぽくニカッと笑った彼の青い目とぼくの目がバッチリと合ってしまった。
ああ、間違いない。
ランドール第二王子殿下だ……
なぜこの場に第二王子殿下がいるのか。
それもルーファスさまの竜に乗って、だ。
更にはウォーレン兄さまもが一緒に竜に乗ってここに来ただなんて。
一体何がどうなってこんなことになっているのか全然分からない。
最初に竜を見て恐怖してから頭の中が真っ白だ。
考えるということを諦めてしまっているように何も考えられない。
そんな感じでぼくが混乱している間に、ルーファスさまが最初に竜から降りてきた。
ランドール殿下を腕に抱えて。
そして最後に、ウォーレン兄さまがルーファスさまに支えられながら慎重に竜から降りてくる。
少しだけ顔色が悪く見えるのは気のせいかなぁ。
ぼんやりとそう思った時、駆け寄ってきた兄さまからぎゅっときつく抱き締められていた。
「レオ……レオ! ああ、無事に帰ってきてくれて本当によかった……!」
ぎゅうぎゅうと力任せに抱き締められてちょっと苦しかった。
でも、今ウォーレン兄さまがこうしているのはぼくが黙って邸を飛び出していったことを知られてしまったからだ。
姉さまのためだと勢いで行動した結果が兄さまをこんなにも心配させた。
きっと今頃、邸の誰もがぼくを心配しているはずだ。
叱られる覚悟はもうできているけれど、今はそれ以上に罪悪感に押し潰されてしまいそうになる。
「ゴメンなさい、兄さま」
反射的に出た言葉だけれど。
何度繰り返しても、全然足りない。
それくらい、ぼくがやったことは『いけない』ことだったんだ。
『離して』とはとても言えなくて。
抱き締められて苦しくても我慢した。
そんなぼくのことを見かねてか、ルーファスさまが兄さまの肩をポンと叩いた。
「締めすぎだ、ウォル。弟を窒息させて落とす気か? このままだとお前の腕の中でレオが死ぬことになるぞ?」
────わぁぁぁ!?
────やめてルーファスさま!
────そんな物騒なこと言わないでぇ!!
心の中であわあわと慌てていたら、兄さまの腕がスッと離れていった。
「……すみません。レオが無事だと分かって心の箍が思いのほかあっさりと外れてしまったようです」
力の限りに抱き締めていた自覚はあったみたい。
苦しさから解放されてホッとしたのと当時に深呼吸をしていた。
ほとんど無意識だった。
あれだけ出ていた涙もいつの間にか引っ込んじゃったみたいだ。
そんなぼくをじっと見ている青い目。
気づいてハッとなる。
「はじめまして、だな。レオニール」
握手を求められるように手を差し出され、反射的にその手を取ろうとしたところでギリギリ思いとどまる。
相手は第二王子殿下だ。
いくら殿下のほうから手を差し出されたからといって、その手を軽々しく取っていいものではない。
あくまでもぼくの立場は臣下だ。
「……このような形での初見となり大変申し訳ありません。更には見苦しいものまで殿下のお目に入れることとなってしまいました。重ねてお詫び申し上げます」
不思議なことに、目上の人に対する言葉は澱みなくスラスラと出てきた。
いつでも王宮へと出仕できるように礼儀作法を厳しく叩き込まれていたおかげだ。
嫌だと思ったことはなかったけれど、あまりの厳しさに根を上げそうになったことは何度かある。
それでも頑張ってよかったと思えたのは、無事にとは言えないけれど初対面の第二王子殿下に対して言葉を詰まらせることなく口上を述べることができたからだ。
これでもすっごく緊張していたんだよ?
本来だったら、こんな街中で、こんな有り得ない状況の中で出会って初見のあいさつをすることになるなんて思いもしなかったんだから。
ウォーレン兄さまには落ち着いてあいさつしているように見えていたようだけど、そんなことはない。
心臓は痛いくらいにバクバクいってるし、目には見えないだけで背中に嫌な汗が流れていってる。
……だというのに。
「ちゃんとした場じゃないから気にするな。俺だって今はお忍びだし?」
なんてことを第二王子殿下は言うのだから始末に負えない。
この言葉にどう反応を返せというのだろうか。
引き攣りそうになる笑顔を何とか堪えつつ兄さまの顔を窺う。
……何とも言えない顔で苦笑していた。
兄さまも反応に困っているのかもしれない。
ただただ、笑顔が引き攣らないよう気をつけながら殿下の言葉を黙って待っていたら明るい調子でこう続けられた。
正確にはぼくに向けてではなくウォーレン兄さまにだったけれど。
「なぁ、ウォーレン? こないだ言ってた、レオニールとの顔合わせするってアレ。今こうやって会ってるわけだし、改めて王宮でやらなくたっていいよな? な? 実際には会うの二度目になるのに白々しく『はじめまして~!』とかやる意味ないだろ? バカみたいじゃん」
あまりにも信じられない言葉が飛び出してきて呆気に取られてしまった。
「え、っと……?」
────殿下は、本気でこんなことを言っているの……?
「ンなわけにいくか。バカも休み休み言え、ランディ」
「いったぁッ!? 何すんだ、ルーファスッ!!」
「!!」
呆れた声と同時に鈍い音。
そのすぐ後に上がった非難混じりの声。
信じられないものを見てしまった。
ルーファスさまが!
第二王子殿下に!
拳骨を落とした!!
「え……」
待って!?
今、確かに、ルーファスさまが、第二王子殿下に、拳骨を落としたよね!?
しかも何の躊躇いもなく!!
「えぇぇぇぇぇぇ~~~~!!?」
反射的に叫んでしまった。
有り得ない、有り得ない、有り得ない!!
そんな気持ちを思いっきり込めた目でウォーレン兄さまを見上げる。
諦めたようにゆっくりと首を振られてしまった。
見間違いでも気のせいでもなく、紛れもない事実だった。
「え……だって、殿下……」
不敬どころか叛逆と捉えられたっておかしくはない王族への暴挙なのに。
そんな様子なんて全くないランドール殿下とルーファスさまの態度が異常すぎる。
いっそ不気味なほどに。
「……レオ。気にしたら負けです」
「え、でも……?」
「彼らにとってはアレが普通なんです。だからレオ。アレを気にしてはいけません! いいですね?」
「う……うん…………」
不自然なまでの笑顔で押し切られて悟ってしまった。
ウォーレン兄さまも諦めてしまっているのだと。
そんなぼくと兄さまの遣り取りを他所に、向こうは向こうで悶着していた。
第二王子殿下がルーファスさまに噛みついていたのだ。
「顔を合わせるって意味ではさっき立派に果たしたじゃん!」
「完全な非公式な上に、ほぼ偶然居合わせたも同然のコレのどこが顔合わせだ! ただ単にお忍びスタイルで街中でバッタリ会っただけじゃねぇか。ウォルがセディに時間調整の話を持っていってる時点で公式の場での引き合わせは確定してんだよ」
「めんどくさい!!」
「そう言って脱走やらかそうとして事態を更に面倒な方向に捻じ曲げてんのは他でもないお前だけどな」
「うぐ……ッ!」
「自分で自分の首絞めてることに気がついてるか?」
え、と……これって……
「ランドール殿下、完全に追い込まれてない……?」
「まぁ、口でルーファスに敵う相手はいないでしょうね。口調こそ悪いですが、彼の言うことは全てが正論ですから。反論すればするほど追い込まれて言い負かされます。下手に反論せずに素直に己の非を認めて受け入れるのが賢明ですよ」
「……うん。そんな感じがする。あんな笑顔で追い込まれるとか逆に怖い……」
そう。
最初の拳骨から始まって、ずっとルーファスさまは笑顔なんだ。
笑顔で次から次へとド正論を並べてじわじわと第二王子殿下を追い込んでいる。
最終的に反論の材料がなくなった殿下は黙る羽目になった。
ぐうの音も出ないとはこういうことを指して言うんだろうかと思えたほどに、ルーファスさまはキレイに第二王子殿下を黙らせたのだ。
そうして、一つ気づいたことがある。
さっきから何度か聞いた『顔合わせ』と『時間調整』という言葉。
それがぼくに対して向けられていること。
「あれ……?」
「どうしました、レオ?」
「兄さま、もしかして……先週くらいから言ってた、土の曜日か日の曜日の都合のいい時間がどうの……っていうあれって……」
「ええ。あなたとランドール殿下との公式の場での正式な顔合わせの前段階の、仮の顔合わせとしての日時を決めるためのものですね」
「……その仮の顔合わせって、実は今日、だったり、した……とか……?」
もしそうだったとしたらぼくはとんでもないことをしてしまったかもしれない。
いくら突然の話であったとしても、最優先とされるのは王家からの要請に他ならないのだから。
「その件に関してはお前が気にすることは何もないぞ、レオ。まだ知らされていなかったお前はまだしも、ランディはそれを知っていながら脱走を企てたわけだからな」
「えっ!?」
「まぁ一瞬にしてルーファスに捕まって連れ戻されたわけですが」
そんなルーファスさまと兄さまの言葉に、当の本人であるランドール殿下はそっぽを向いてどこ吹く風……といった様子だ。
反省の色は……たぶんない。
こういったことは一度や二度のことじゃないのだろう。
「ちょうどいい。二人揃ってる今のうちに『仮の』顔合わせの日時を決めておけ。そのほうが手間取らずに済んでいいだろ」
「そうですね」
「ちょ……ルーファス! ウォーレンも!」
「お前が考えなしに逃げるからこうなる」
「ぐぅ……ッ!」
「面倒事を後回しにしようと考えるから余計に面倒になるんだ。何をするに当たっても、最優先事項がない限りはその場で最も面倒なことを真っ先に片付けるクセをつけとけ。そうしておけば後がずっと楽になるから」
「……な、なるほど」
「さすが。為になりますね」
「…………覚えとく」
説得力のあるルーファスさまの言葉に思わず頷いてしまった。
それは兄さまも同じだったみたい。
殿下だけは渋々……という感じだったけれど。
そうして、乗り気でない殿下を何とか宥め賺す形で『仮の』顔合わせの日程を決めることになった。
最初の予定だと、今日が無理なら明日……という話だったけれど、互いに落ち着いてからが良さそうだという結論が出て、来週の土の曜日にぼくが王宮に上がる形で『仮の』顔合わせを行うことになった。
その翌日に、宮中伯である父さま立会いの下で国王陛下と謁見する形での正式な顔合わせを行うらしい。
……大掛かりすぎる。
ランドール殿下が面倒だって逃げたがる気持ちもちょっと分かる気がした。
でもね。
それはもう、決定事項なんだって。
ぼくが第二王子殿下の側近になることは生まれた時から決まっていたことらしい。
知らない間に自分の道が決められているって何だか変な感じ。
兄さまも同じように、最初から第一王子殿下の側近になることは決まっていたみたいだし。
父さまが陛下の側近である以上、息子であるぼくたちも陛下のお子である殿下がたに従くのは必然っていう決まり事ができていたんだと思う。
嫌とかじゃないよ?
寧ろその逆。
ぼくにそんな大役が務まるのかなぁ……って不安になってるくらい。
でも、やらなきゃいけないんだよね。
決まっているとは、つまりはそういうこと。
与えられたその役目に見合うために努力をしていかなきゃいけない。
仕える殿下のために。
強いては自分のために。
改めてそう考えたところで身体に余計な力を入れてしまったらしい。
ぐしゃっという不自然な音がして、無意識のうちにお土産の紙袋を押し潰してしまっていたことに気づいた。
「あ……っ!」
────姉さまのお土産が……
そう思った時、殿下に訊ねられた。
「それ。クララットの催しで買ったやつ?」
「は、はいッ!」
正確にはエマちゃんが買ってくれたものだけど。
「そんなに畏まらなくていいって。堅苦しいのキライだし」
そういうわけにもいかないのに。
いくら本人が『いい』と言っても畏れ多すぎておいそれと『はい』なんて頷けないよ。
こういう時、どうしていいか正直困る。
そして困った時はウォーレン兄さまだ。
チラリと見上げる。
眉間に皺を寄せながら、目を瞑ってこめかみに手を当ててるよ。
今にも『頭が痛い』って言い出しそうな予感。
だってさっきも似たようなこと言われたもんね。
「……こちらが『なりません』と言ったところで引く気はないのでしょう、ランドール殿下?」
「当然じゃん」
返った言葉にウォーレン兄さまが小さく息を吐き出した。
間違いなく溜息だ。
「レオ。ランドール殿下の望む通りにしてあげなさい」
「えっ? でも、兄さま……」
「一度言い出したら聞きませんから、殿下がたは。下手に説得するほうが骨が折れます。本当の意味で無理難題なものでない限り、諦めて望む通りにしてあげるほうがよほど建設的というものです」
「そうそう。別に死ぬわけじゃないんだから気楽にな? ついでに俺のことは『殿下』じゃなくて『ランディ』って呼んでくれよ」
「え……」
サラッとハードル上げられた……
畏まるなってだけでも結構な難易度なのに、そこに更に愛称で呼べだなんて無茶ぶりがすぎるよ……
「『気楽』とか……強要しているヤツが吐くセリフじゃねぇな」
「うるさいよ、ルーファス」
すごいな、ルーファスさま。
さっきの拳骨もそうだけど、言葉遣いも強気以前の問題だ。
兄さまが言ってたように相当に口が悪い。
なのにランドール殿下は全く気にしていない。
寧ろそれが普通だと言わんばかりの態度だ。
「さすがに公式の場では許されることではありませんが、親しい間柄の者しかいない私的な場でのものなら問題視はされないでしょう」
「うんうん。いつでも気楽にしてほしいっていうのが本音だけど、さすがに公的な場でもそれをさせるつもりはないから安心してくれ。何ならウォーレン、お前も気楽に接してくれていいんだぞ?」
「遠慮いたします。元より私は誰に対してもこうですので」
「相変わらず堅いやつだな。もっと砕けてみてもいいだろうに」
「必要ありません」
言い出したら聞かないのはウォーレン兄さまも同じだと思う。
ランドール殿下のこと、どうこう言える立場じゃないよね……とは思うけれど、ややこしくなりそうだから黙っておくことにした。
「そういうわけで、俺もお前を『レオ』って呼ぶから、お前も俺のことは『ランディ』って呼んでくれ。私的な場だけでいいからさ」
「はぁ……」
「同じ年の友だち、お前が初めてなんだ」
「え……」
今、殿下、友だちって、言った……?
「周りはみんな年上ばっかだし。一つしか変わらないと言っても身内だし。同じ年で仲良くできる相手がずっと欲しかった。だから……ホントは側近とかそういうの、どうでもよくて。俺はただ……お前と友だちになりたい。そう望むのは、欲張りか?」
「!! そんなことは……」
仲良くしたい。
友だちになりたい。
そう望むことが欲張りだなんて思わない。
だから咄嗟に、ランドール殿下の言葉を否定した。
一瞬だけ、そう言った殿下の瞳の奥に悲しげな色が見えたからかもしれない。
自分が心から望んでも、それを簡単に手にすることが叶わない立場ゆえの悩みもあるんだと思う。
それは殿下だけじゃなく、ぼくだって似たようなものだから。
だから。
否定するのではなく、受け止めて、肯定してあげたかった。
欲張りでもなんでもない。
それは普通のことなんだよって。
誰もが同じように望むことなんだよって。
そう、言ってあげたかったのかもしれない。
自分も同じだって、伝えたかったのかもしれない。
「ぼくも、同じだから……」
「!!」
「今すぐには無理かもしれないけれど……少しずつでもよければ、その……ぼくも、殿下と気軽に接していけるような、そんな友人関係になりたい……です!!」
気づいた時には、自分でも驚いたくらいにするりと言葉が出ていた。
それは紛れもないぼくの本心で、そうして言葉にしてみて初めてぼくは自分の思いを自覚したのだ。
────そっか……ぼくも、同じくらいの年の友だちが欲しかったんだ……
今日エマちゃんと初めて会った時に気づいた、様々な気持ち。
相手が女の子だったからすぐには気づけなかったけれど、一緒にいられたあの時間の中で、既にエマちゃんはぼくの『トクベツ』として、無意識のうちにぼくの心の中にその存在を大きく刻みつけてしまっていたんだ。
それと、もう一つ。
大事なことに気づいてしまった。
誰かと友だちになるのに、言葉なんて要らないということ。
『友だちになりたい』と望んで、相手と向き合った時にはもう既に、友だちとしての関係は始まっているんだということに。
「……ありがとな、レオ!」
はにかむように笑った殿下に手を取られ、告げられたその言葉。
まさか殿下にお礼を言われるなんて思いもしなかったけれど、真っ直ぐに告げられた『ありがとう』の言葉はストンとぼくの胸に刺さり、そこからじわじわと身体中を廻るように広がっていく。
それはきっと『嬉しい』と感じた素直な気持ちだったんだと思う。
「でも。殿下じゃなくて『ランディ』がいい」
「う……あ……ランディ、さま…………」
「……むぅ。『さま』はいらない。『ランディ』。もっかい!」
「えぇ~…………少しずつって言ったのに……」
戸惑いながらも少しだけ恨めしげにそう告げたぼくを見てランドール殿下は笑う。
「あははっ! 口調はそのままでよろしくな? あとは敬称なしで『ランディ』って呼び捨ててくれたらカンペキだから!!」
「無茶ぶりがすぎる……」
「一度言い出したら聞かないヤツだからな、俺は」
「それ、自分で言うかなぁ……」
なんだかんだで、気づいた時にはぼくの口調もずいぶんと砕けて気安いものに変わってきていた。
ぼく自身が気づく前に、ウォーレン兄さまやルーファスさまのほうが先にそれに気づいていて、そんなぼくと殿下との遣り取りを優しい顔で見守ってくれている。
「そのうち慣れるって。今度から公式の場以外で堅苦しい口調と敬称つきで名前呼んだら返事しないからな?」
「えぇっ!? それはちょっとひどい……!」
「だったら。早いとこ砕けた口調と呼び捨てに慣れてくれよな?」
「うぅっ……が、頑張る……」
「おう。頑張ってくれ!」
そうして。
ほとんど成り行きではあったけれど、思いがけない迎えと同時に出会ったランドール殿下とぼくは『側近』という立場をすっ飛ばして、いきなり『友人』関係を築くこととなった。
砕けた気安い口調や、敬称なしでの愛称呼びに慣れるのは大変そうだけれど。
それでも殿下が喜んでくれるのなら頑張ってみようかな……と思えるくらいには、ぼくは殿下が好きなんだと気づいた。
それくらいに、ランドール殿下は親しみやすくて、変に気取ったり飾ったりしない気さくな王子だった。
「……っと。もうすぐ19時か。早いな」
「えっ? もうそんな時間なのか? ルーファス! 早くしないと俺がクララットにいられる時間がなくなる!」
「1時間あれば十分だろ? それに食いもん関係の店以外はもう閉まってるぞ?」
「えぇ~?」
「この時間は店の並びを見て楽しむってよりは、閉店後の店先に灯されたランタンの明かりを楽しむほうに催しの趣旨が切り替わってるだろ」
「詳しいですね、ルーファス。オルフェンス家の管轄の町の催しですのに」
「まぁ、なんだかんだで毎年ちょいちょい顔出し程度には見て回ってるからな」
「そうでしたか」
「その流れでレオのことも偶然発見したわけだしな」
「えっ? そうだったの?」
「そうですよ、レオ。ルーファスが知らせてくれなかったら、今頃あなたが邸にいない事実で大騒ぎになっていたでしょうから」
「いや? まだオルフェンス邸では騒いでんじゃねぇのか? お前、ここでレオに会ってからまだ邸に伝達飛ばしてねぇだろ?」
「はっ!? 言われてみれば……」
「今からでも遅くねぇからさっさと伝達飛ばしとけ。それとも何か? 伝達はせずにお前とレオをヴァイアランに乗せてオルフェンス邸まで飛ぶか?」
ルーファスさまからそう言われて、ぼくとウォーレン兄さまはほぼ同じタイミングで、悠然とその場に佇む黒い竜を見上げた。
相変わらず神々しすぎて、やっぱりちょっとだけ怖い。
「いえ……邸まではさすがに遠慮します。邸に着くまでにレオとはきちんと話をしておきたいので」
「ぼくも……できれば、そうしたいです」
「そうか? 急がなくていいなら無理にとは言わない。その代わり、邸にはきっちり連絡入れておけよ?」
「はい。これ以上は余計な心配をかけるわけにはいきませんので」
兄さまが断ってくれたおかげで、竜に乗せられる心配はないと分かりホッとした。
ルーファスさまの竜だから大丈夫だとは分かっているんだけど、あの黄金色の瞳には全てを見透かされてしまいそうで、じっと見つめ続けているとどこか居た堪れない気持ちになってしまうのだ。
「お前も乗せてもらえばいいのに。すっげぇ速くて爽快で感動するぞ?」
……なんてランドール殿下は言うけれど、いきなりは無理なんだってば。
そんな殿下は、ルーファスさまの竜の前足にぎゅうぎゅうとしがみついている。
立派な前足を覆う鱗に思いっきり頬ずりをしながら竜を戸惑わせてさえいるのだから恐ろしい。
全身から『竜大好き!』っていう気持ちが溢れているように見えるのはきっと気のせいじゃないんだろうな。
じ~っと見つめていたら、不意に竜が頭を低く下げてきて、あっという間にぼくの顔の前に迫ってきた。
────ひ……ッ!
ほとんど反射的に漏れそうになった悲鳴を喉の奥で何とか堪え、後退りそうになる身体にも鞭打って根性で耐え忍びつつその場に佇んでいると、大きな舌がぼくの顔をベロンと舐めた。
「へ……?」
今、ぼく、竜に、舐められ……?
「え…………」
舐められたの!?
「えぇ~……?」
呆然としていたからなのか。
あまりにも突然すぎて頭の中が真っ白になってしまったからなのか。
あんなに怖いと思っていた、目の前の竜の黄金色の瞳は、もう、全然、怖いだなんて思えなくなっていた。
不思議なことに、とても温かくて優しい色にしか見えなくなっていたのだった……─────
次もレオくんサイドのお話になります!




