転生した世界はどうやら乙女ゲームの世界だったようです 3
~転生した世界はどうやら乙女ゲームの世界だったようです 3~
コンコン、と軽いノックの音がして、そのすぐ直後にドアが開かれた。
「入るよ、レーン」
という言葉とともに。
「あらあら」
声の主を認めた瞬間、お母さまが苦笑を零した。
鏡越しに見たお母さまの顔は、どう見ても『仕方のない子ね』と言っているかのよう。
ひょっこりと顔を出したのは、私やお母さまと同じ色彩を持つ男の子。
男の子と言っても、今の私よりも五歳くらい年上に見えることから、彼がレーン───フローレンの兄で間違いないのだろう。
「しばらくの間、この部屋にはわたくしとレーンの二人だけにしてほしいとお願いしていたはずなのに、一体どうしたのかしら?」
「そうなのですか? 医師の話を聞いてすぐにこちらへ来たので、そのことは聞いていませんでした」
「あらそうなの。メリダにそうお願いしていたのだけれどね。エルナにも。二人には会わなかったの?」
「ええ、会いませんでした」
「それなら聞いていなくても当然よね。それで、ロイアス? ここへ来たのはレーンのお見舞いかしら?」
「もちろん。ずっと心配していましたからね」
そんな二人の会話を耳にした私は、またしても目パカ口パカ状態に陥りました。
なぜかって?
部屋にやってきた男の子が私の兄で、名前が『ロイアス』だったという事実に直面したからですよ。
そう。
今から少しだけ前に、私はこの世界が本当に乙女ゲーム、通称『恋メモ』の世界でありませんようにと、必死にお願いをしていたのです。
せめてただ似ているだけの世界であってほしいとも。
そして兄の名が『ロイアス』でないことも合わせて願った。
名前だけでなく、兄の存在そのものが、ゲームの攻略対象キャラである『ロイアス・ソーマ・オンディール』でないように、とも。
なのに、ですよ。
現れた彼は、どう見ても『恋メモ』の攻略対象キャラである『ロイアス・ソーマ・オンディール』本人ではないですか~。
今はまだ幼くて少年、という感じだけれど、これから十年もすればゲーム画面越しに目にしていた麗しいあの姿に成長されるのですよ。
ゴージャスな金髪、それから琥珀を溶かし込んだような蜂蜜色の瞳。
お母さまも言っていたじゃないか、この色はオンディール公爵家特有のものだって。
だからこの男の子は間違いないなく私の兄だ。
そして、この世界が『ただ偶然に似た世界』などではなく、乙女ゲーム『恋メモ』の舞台となっている世界であることが確定してしまった。
とりあえず、ショックは受けませんよ?
意識半分どっか行きましたが。
当初の予定通り、私は悪役令嬢にならない方向で、今までのレーンを完全否定することなく、いい子になるべく矯正に矯正を重ねて素敵な大人の女性になるのです。
そう、身近なお手本であるお母さまのような素敵な大人の女性に。
「……ですってよ、レーン」
「……………………」
「レーン?」
「あら嫌ねぇ、この子ったらまたぼうっとして……」
「また、ですか?」
「ええ。少し前もこんな感じだったのよね」
「やはり一部記憶が欠落した影響で、ですか?」
「そうね。それもあるのかもしれないわ。ただ、自分のことが分からなくなってしまっているみたいだから、それを深く考え込んでしまってのこの状態なのかもしれないわね」
「分からないのは自分のことに対してだけ、なのですか?」
「メリダから聞いた話ではね」
「そうですか……」
呆けているように見える私ですが、頭の中では一生懸命に将来のことを考えて素敵なレディになるべく、人生のシミュレーションをしております。
それにしても兄さま、食事の席での、その……つまりは私がやらかした時に聞いた言葉もそうでしたが、随分と私が知っているゲームでのロイアスの性格とは違う気がします。
もちろん今はまだ子どもだから、という部分もあるかもしれませんが、この彼がどのようになればあの寡黙で堅物な、表情筋がほとんど仕事しない彫刻のようなお顔の超絶イケメンとなるのでしょう?
あの口数の少なさから、さぞや子どもの頃から無口キャラだったに違いないと勝手に思っていたのですが、現状はどうやら違っているようです。
はい。
ショックは受けたりしませんが混乱はしております。
────あの無口ロイアスが喋っとる……!
多分、今の私が占める気持ちはきっとこう。
やっぱりゲームの世界だと分かった後だったとしても、ここはちゃんと時の流れがある現実世界なんだな、って。
未だ目パカ口パカ状態の私を覗き込むようにして身を屈めた兄さまが、私に何かを確認するかのようにこう問いかけてくる。
「僕が分かる? レーン」
「? ロイアスにいさま……?」
「………………」
「……?」
えっ?
なんで?
訊かれたから答えたのに、思いっきり眉間に皺寄せてる。
不機嫌一歩手前という感じのこの渋面は、ゲーム画面越しに何度も見てきた、彼の数少ない表情変化の一つだ。
まだ幼いのに、すぐに大人になった彼と一致するあたりさすがだ。
今目の前にいる少年ロイアスも、ゲームのロイアスも同じなのだ。
現実とゲームを同一に考えちゃいけないんだろうけど、とにかく同じなのだ。
この場合は魂が同じ、とでも言った方が自然なのかもしれない。
生きてる人間にゲームキャラと同じとか言うのは失礼だしね。
それよりも、今は兄さまが眉間に皺を寄せたこの渋面の原因が問題だ。
なぜに訊かれたことに答えただけでこんな顔をされねばならんのだ。
さすがにこっちも不機嫌になるわけにもいかないので、またあの手を使うことにした。
そう、メリダにもやったあの手だ。
「にいさま?」
コテンと首を傾げながら上目遣いで顔色を覗うという、あのあざと可愛いを狙っての幼女の必殺技だ。
兄さまが簡単に騙されてくれるとは思わないけれど、少しでもこの渋面が崩れてくれればいいなという意図はある。
「……忘れていますね」
「それはどういうことかしら? ロイアス」
兄さまの言葉に対し、お母さまは怪訝に思ったようだ。
声にそれが滲み出ているのが分かる。
「レーンがあなたのことを忘れている様子はなくてよ?」
「ええ、そうですね」
「では何を忘れているというの?」
「僕に対する呼びかたですよ」
────……なんですと!?
兄さまは兄さまだろう!?
だからちゃんと呼んだではないか、『ロイアス兄さま』と。
これの何をもって兄さまは『忘れている』とのたまうのか、詳しい説明を求む!
小一時間もいらんけど。
「今までのレーンは、僕を『ロイ兄さま』と呼んでいました。けれど、今のレーンはそうではなく『ロイアス兄さま』と……」
────そっちかい!!
呼んだ名前が正式なものか愛称なのかの違いだけじゃないか!
つうか面倒くさっ!
兄さま面倒くさいよ!?
っていうか兄さまはそういうキャラなの??
周りに然して興味も持たないような、真面目で堅物なそんなキャラだったじゃないか、大人の兄さまは!
「ロイアスはそれじゃダメなの?」
「ダメですね」
「それはどうしてなのかしら?」
「これでは子どもらしさがないではないですか。急に大人びてレーンらしくないというか……違和感しかないです」
「……確かにそうかもしれないけれどね。それでもレーンはレーンなのよ?」
「…………分かっています」
分かっているとか言いつつもめっちゃ不満そうだな、兄さま。
でも……そっか。
今までのレーンじゃなくなるというのは、そういうことなのか。
不満に思うと同時に、今まで通りじゃなくなって寂しい気持ちもあるのかもしれないな。
「でもね、ロイアス。今までと同じように、というのはさすがに無理があるわ。それと、今までのことを思い出せというのも酷な話よ?」
「……それも分かっています」
お母さまからの冷静な指摘に、兄さまがぐっと唇を噛み締めたのが目に入った。
「今までのことを思い出せとは言いません。それと、今までのように振る舞えとも。寧ろ振る舞い自体は今まで通りじゃない方がレーンのためなので、そちらは別に問題視していません。僕はただ……レーンが今までのことを何一つ覚えていなかったとしても、呼びかただけは、今までと同じであってほしいと……」
「ですって、レーン?」
苦笑しながらお母さまからそう促され、私は恐る恐る兄さまの顔を覗き込んだ。
眉間の皺は変わらず取れないまま、険しい渋面の表情で私を見つめている。
「……ロイにいさま?」
これでいいですか?
……と言わんばかりに、また反対側へとコテンと首を傾げてみる。
だけど、やっぱり険しい表情は崩れなかった。
「……これからもそう呼んで」
ムスッとした調子でそう告げた兄さまの口元が僅かに歪んでいるように見えた。
あまり分からない表情の変化だけれど、それでもさっきと比べると不機嫌さはちょっとだけ和らいでいるのかもしれない。
そのままじっと兄さまの顔を見つめながらぼんやりと思う。
兄さまは子どもの頃からあまり笑わない子だったのかな、なんて。
「約束」
「はい、ロイにいさま」
「……うん。忘れないでね、レーン」
「はい」
念を押すように言われて素直に頷く。
そこでやっと兄さまの眉間の皺が取れて、険しい表情が薄れていくのが分かった。
そのまま笑ってくれたらいいのに……という望みが叶う可能性は低い。
変化の少ない表情は兄さまのデフォルトだ。
それはきっと、子どもである今から大人になるまでずっとそのままなのだろう。
すっと伸びてきた手が優しく私の頭を撫でた。
ゆっくりと髪を梳くように動いた手が、微かに後頭部に触れた時、思わず『ぎゃわっ!?』と変な悲鳴を上げてしまった。
「レーン?」
「ロイにいさま、そこは、いたい……」
「ああ、ゴメン。床でぶつけたところだったね。大きなコブになってる」
ええ、ええ、分かってますよ。
あれだけ派手に床に沈んでぶつけたわけですからね。
思わず涙目でじとりと睨むと、ここで漸く兄さまの動かない表情が崩れた。
苦笑を伴うそれに。
「あれだけ暴れたんだから仕方ないよね」
「うぅ……。はい……」
反論の余地もございません。
自分でもあれは有り得ないと思うもん。
その時は私の方ではなく、レーンの方だったけどね!
「母上」
「あら、何かしら?」
「この後頭部のコブに関して、医師は何と?」
「特に何もなかったわね。できる限り安静にして、あとは冷やす……といった、基本的なことを言われたくらいかしら? こうして見たところ身体は元気なようだし、他に異常がなければ特別な治療は必要ないそうよ」
────あれ?
────いつの間にお医者さまとそんな話してたの?
私そんなこと一言も聞いてない。
自分の身体のことだからちゃんと聞かなきゃいけないことだったのに何たること!
「それなら治してしまっても問題はありませんね」
そう言うなり、兄さまが軽く口を引き結んだのが分かった。
何事かと目を瞬いたと同時に、兄さまの瞳が一瞬だけ強い光を纏って煌めいたのが目に入った。
その直後、触れられた後頭部に体温とは違った種類の温もりを感じ取り、それが徐々に冷たく冷えていくのが確かに分かった。
「え……?」
────痛みが、消えてく……!
そう気付いた瞬間、またも私は目も口も大きく開いたままの状態で固まった。
今のこれって!
もしかして、もしかしなくても……?
────魔法っていうヤツですか~!?
そう。
この世界には魔法というものが存在していたのでした。
まさかそれを、身をもって体験することになろうとは夢にも思いませんでしたよ。
────わぁぁ~、魔法とかあの子が喜びそうだなぁ~……
ひんやりと冷えて癒されていく後頭部のコブを気にしながら思い浮かべたのは、なぜか前世での親友のはしゃぐ姿だった。