『無法地帯』食堂。マナーが迷子なんですが?
おおよそ半年ぶりの更新となりました。
更新停止中の間も閲覧やブクマをいただき、また、メッセージを送っていただいたりと、色々ありがとうございました。
とても励みになっております。
~『無法地帯』食堂。マナーが迷子なんですが?~
食事風景は明らかに昨夜とは一変していた。
前菜から一品ずつ給仕されるのではなく、小さなテーブル上にデザート以外を全て並べていく形式をとっているようなのだ。
『あれ?』『あれれ~?』と疑問符を大量に浮かべる私の思考をどこかへと置き去りに、まずはお母さまの分から先に滞りなく給仕が行われている最中だ。
一体何がどうなってこうなったし。
たぶんこれはお母さまの指示なんだろうけど、どうして突然こんな形で食事をすることになったのかが全く分からない。
検討もつかない。
でも……
────この方が好きかも……
大きすぎないテーブルで、家族との距離も近く、団欒しながら食事ができるっていうのは前世の世界では当たり前の日常だったから。
まさか生まれ変わったこの不思議異世界で、あの頃のような食事風景を経験することになるとは思わなかった。
それも、こんなことは絶対に有り得ないと言い切ってもおかしくはない、大貴族の家族の食事でだよ?
────私、夢でも見てるんじゃなかろうか……?
なんていうの?
己の願望を夢に見てるってやつ?
だって普通に有り得ないもん。
公爵家の当主夫人とその子どもたちが、こんなに小さなテーブルを使って、互いが限りなく近い位置に座って和気藹々とお食事だなんて。
世界中のどこを探したってこんなことする大貴族なんていないと思う。
オンディール公爵家と同じ四大公爵家とされる他三家は愚か、階級的に中流と呼ばれる貴族家でさえも、こんな風に小さなテーブルを家族で囲んで食事をするなんてことは罷り間違ってもないに違いない。
それくらいに、これは有り得ないことなのだ。
だから私が夢を見ているんじゃないかと思ってもおかしくはなくて。
でもこれは紛れもない現実の出来事で。
その証拠に、思いっきりほっぺを抓らなくたって、すぐ側で微笑みながら優しく頭を撫でてくれるお母さまの手の温もりが『これは現実なんだ』っていうことを教えてくれている。
「うふふ。たまにはこうして小さなテーブルを囲んで家族で食事をするのもいいかもね」
ニコニコと笑顔でそう告げるお母さまの言葉に同意を示すように、ロイアス兄さまも頷く。
「レーンもそう思わない?」
優しい笑顔で問いかけられて私も大きくコクコクと頷く。
お母さまのその言葉、大いに賛成だ!
たまにと言わず、寧ろいつもそうあってほしいとすら思ってしまう。
まぁ、叶わないと分かっているからこその願望なんですけどね。
だから言われた言葉に対して過剰なまでの反応を示すのも仕方がないってもんです、ハイ。
ニコニコ笑顔のお母さまにつられ、私もニコニコ笑顔でお母さまの顔を見つめていると、不意に近づく人の気配。
スッと伸びてきた手が、些か乱暴な仕草で私の前にスープ皿を置いたことで思わずビクッとしてしまった。
反射的に見上げた先には……
────あ~……
レミア、でした。
軽く私を睨んでさっさと離れていく後ろ姿を見て思う。
────うん、やっぱ紛れもない現実だわ!
こりゃ、お母さまと兄さまと一緒に和やかに食事を楽しめるからって喜んでいる場合じゃないな。
私の目の前にスープ皿を置いたのがレミアだったということは、この食事の間、私の給仕全般を行うのはレミアで間違いないんだろう。
このまま何事もなく食事を無事終えられるとは限らない。
今までのレミアの言動を振り返ると、最悪一服盛られていても何らおかしくはないのだ。
────さて、と……
────どうしたもんかな……
今のところレミアに怪しい動きはないけど(たぶん)、一から十までずっとレミアの行動を見ているわけにもいかない。
キョロキョロしてたら『行儀が悪い』って注意されるだろうし。
だからって出されたものを食べないわけにもいかない。
食事をしなかったら皆に心配されるし、何よりも私自身がものすごくお腹がすいているわけだからね。
そんなことを考えている間にも、私の目の前には次々と料理が載ったお皿が並べられていく。
どれもこれも乱暴な手付きでガチャンガチャンと音を立てて。
奇跡的にも、盛り付けが崩れたり料理が零れたりすることはなかったけれど、どう考えてもこれはマナー違反だろう。
あまりにも給仕が雑すぎる。
普段だったらここでヴェーダを筆頭に、誰かしらから『所作がなっていない』とお小言が入るのがパターンなんだけれど、どういうわけか今日に限って誰も口を開かない。
黙々と自分たちの仕事を熟し、忙しく動き回っている。
そしてお母さまも兄さまも、特に何を言うでもなく涼しい顔で給仕を受けているだけだ。
────なんで、今日に限って、誰も、何も言わないんだろう……?
私の中で疑問が頂点に達しても、誰もそれに対する答えをくれるはずもなく。
ただただ訳が分からないままの私を置いてけぼりに食事の準備は整った。
「それではいただきましょうか」
にこやかなお母さまの言葉を合図に遅い食事が始まる。
結局私は疑問に思ったことを何一つ口にすることができないまま、お母さまの言葉に従い食事をすることになった。
用意されたカトラリーの、一番端のスプーンを手に取り目の前のスープ皿と向き合う。
その瞬間、ほんの一瞬だけ身体が強張った。
────う……っ!
こ れ は !!
────見事に野菜がたっぷりだな……
お皿の中には、前世の世界のミネストローネによく似たスープ。
どちらかというと、中の野菜がごろごろと大きめだから、トマト系の野菜たっぷりスープと言ったほうがしっくりくるかな。
身体が強張った理由は単純だ。
単にフローレンが野菜嫌いだから。
中身が私になったことで野菜嫌いは解消されているはずなんだけれど、幼いフローレンがあまりにも野菜嫌いすぎて、見た瞬間に身体が拒絶反応を示したんだろう。
────まぁピーマンの苦味に悶絶して暴れたくらいだから……
あれは私が目覚める前だったとはいえ、もう既に軽く黒歴史だ。
ピーマンの苦味に耐えきれずに暴れてひっくり返って頭打つとか普通に恥ずかしい過去だよね。
もうそんな過ちを起こさないためにも、しっかりと好き嫌いは解消していくからね、私は!
目の前の野菜スープのお皿を前に、一人そう決意していると、兄さまが心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「レーン?」
「!」
名前を呼ばれたことでハッと我に返る。
「やっぱり、野菜は無理そう?」
どうやら兄さまは、私のこの一連の様子を見て、野菜たっぷりのスープにショックを受けたものだと勘違いしたらしい。
「だいじょうぶです。ちゃんとたべられます」
「そう? 良かったら僕のものとレーンの皿を取り替えようか? レーンのものに比べると僕の方はそんなに野菜が多くないようだし」
そう言われて兄さまのお皿を見やる。
それから視線はもう一度自分のスープ皿へ。
「……………………」
確かに兄さまの言うように、私のお皿は兄さまのお皿に比べると野菜の量が少しばかり多いように感じる。
「苦手を克服することは大事だけれど、だからと言って無理をして食べてもレーンが苦しいだけだからね。せっかくの食事なのに苦しい思いをする必要はないだろう?」
なんて甘やかしに入りつつ、兄さまが自分のお皿と私のお皿を取り替えるよう提案してきた。
「でも……」
────さすがにそれはお行儀が悪いんじゃ……
出された料理のお皿を取り替えるなんてことをやったら、間違いなく叱られる。
そんなことを思いながら言い淀んだ私の心中をよそに、兄さまの手が私のスープ皿へと伸ばされる。
────ダメだってば、兄さま
────行儀が悪いって叱られちゃうよ……!
咄嗟にそう言って兄さまの行動を遮ろうとしたその時だった。
「え……っ!」
……なんていう私じゃない別の誰かの声が発せられたのは。
それも私のすぐ真後ろ。
『一体誰だ、今の声の主は?』と、反射的に振り返り仰ぎ見たその顔は、さっきから何度も何度も乱暴な手付きで私に給仕をしていたレミアだった。
────な ん で そ こ で ア ン タ が 反 応 す る し ! ?
と思った私は決しておかしくない。
っていうか、その場で兄さまに対しての『えっ?』は私のセリフだろう。
なんで給仕に回っているアンタがそういう反応するんだ。
明らかにおかしいだろうに。
反応するにしたって『マナー違反です』とか『なりません』とかいうお咎めこそが、ここでは正しいそれではないのか。
とはいえ、百歩どころか一万歩譲ったとしても、そんな正論である小言をレミアになぞ言われたくはないのだが。
そんな場違いな反応をしたレミアを兄さまは一瞬だけ見やり、それから何事もなかったかのように私へと向き直る。
先ほどと変わらず、私のものと自分のスープ皿を取り替える気満々のようだ。
でも、ここで『うん』と頷いてはいけない。
何が何でも私のお皿と兄さまのお皿を取り替えるわけにはいかないのだ。
場違いなレミアの反応から察するに、これが普通に給仕された料理だとは到底思えない。
何かしら手が加えられていると思って間違いないだろう。
罷り間違っても、私に出された料理を兄さまの口に入れるわけにはいかない。
「だいじょうぶです、にいさま。ちゃんとがんばって、おやさい、たべます」
だから、何でもない風を装って健気に兄さまへと告げる。
「それに、おなかがすきすぎて、いまならにがてなおやさいも、たくさん、たくさんたべられるきがします」
これは本当。
お腹がすきすぎてガチで辛いです。
最初にお腹がすいたな~と感じたあの時から一体何時間の時が経過していったことやら。
これだけの空腹だから、あれこれと選り好みせずとも何でも食べられるような気がする。
飢えては食を選ばず、ってやつですな。
幼女の身体にこれ以上の飢餓状態を維持しろなんて普通に無理ですから。
拷問ですから!
「………………そう?」
たっぷりと間をあけて問いかける兄さまに頷いてみせて、再び己のスープ皿へと向き合う。
何か言いたげな様子ではあるけど、ここで下手に聞いたりなんてしたら、なんだかんだと言いくるめられて兄さまの提案を受け入れる羽目になりそうだから敢えて気づかないフリをする。
子どもだから察せなくても全然不自然じゃないしね。
────……さて、と
食べますか!
持っていたスプーンを一度置いてから両手を合わせ、心の中で『いただきます』を言ってゆっくりと会釈くらいの角度に頭を下げてお辞儀をする。
前世日本で生きていた頃の食事開始のマナーだけれど、おそらくこの世界で通用するものではないと思うから『いただきます』の言葉はあえて声に出すことはしなかった。
再びスプーンを手に取り、スープ皿へとそっと差し入れる。
ここまでやって、ようやく兄さまは自分のお皿との交換を諦めたようだ。
ほんの僅かに溜息が漏れたようだけれど、これにもやっぱり気づかぬフリだ。
子どもだから察せなくても……以下略。
スプーンで掬ったスープをそっと口元へと運ぶ。
トマトをベースにしたスープの芳醇な薫りが余計に空腹を刺激する。
異臭みたいなものは特には感じなかった。
一服盛られているかもしれないなんて、考えすぎだったかな。
仮に突発的にやるにしても、そもそもが短時間でできるようなことでもないのかもしれない。
細かいことはよく分からないけど。
異臭がなかったことに安心した私はスープを口に含んだ。
その瞬間、口の中いっぱいに芳醇な薫りと優しい野菜の味がふわっと広がった。
────あ、おいしい
……と思ったのはほんの一瞬だけだった。
芳醇な薫りはそのままに、優しい野菜の味を完全に上塗りするかのごとく、苦味と渋みとエグ味をこれでもかと言わんばかりにミックスした破壊的レベルのとんでもない味が口の中を支配したのだ。
「…………ぅぐ……っ!?」
思わず小さく呻いて、手にしていたスプーンを落としてしまった。
ガチャンという音から察するに、スープ皿の中に落ちたようだ。
口元に手を当て、これ以上呻き声が漏れないようにしつつ背後を覗う。
すると、私の様子を始終見ていたのだろう、厭らしい笑みを浮かべたレミアと目が合った。
────コイツ……やっぱり何か盛ってやがった……!
さすがに毒物ではないみたいだけど、この苦味と渋みとエグ味のトリプルパンチはキツい。
味覚がバカになるレベルの酷さだ。
前世の大学時代にサークルの飲み会で罰ゲームとして飲まされたセンブリ茶にも匹敵する。
まさか転生した先でセンブリ茶レベルのものを口に入れることになろうとはさすがに予想はしてなかった。
っていうか、予想できるはずもない。
────くっそ~……
────許すまじ、レミア!!!
このままずっとレミアの方を見ていると不自然な上に何かされたことがお母さまたちにバレてしまうため、私は怒りと悔しさとがぐちゃぐちゃに入り交じった気持ちをぐっと堪えつつスープ皿を見つめた。
だけど、いくら感情を抑えられたとしても、表情まで誤魔化せるかと言われたらそれは否だ。
まず、涼しい顔をしていられるようなレベルの味ではないことが一つ。
それから最も重要なのは、私はすぐに顔に出てしまうということ。
言葉で誤魔化そうとしても表情で一発バレしてしまうのだ。
……っていうか、あまりの味の酷さに声なんて到底出せそうにないんだけど。
呻き声を抑え込むだけで精いっぱいだ。
「レーン?」
「やっぱりお野菜はダメみたい?」
そして当然ながら、両隣からは疑問の声が上がる。
訝しげな表情の兄さまと、心配そうな表情のお母さま。
双方から顔を覗き込まれて、私は反射的にふるふると首を降る。
『大丈夫』の一言でも言えればよかったんだろうけど、今手を離すのは無理だ。
呻き声どころか奇声が漏れそう。
本当に抑え込むだけでいっぱいいっぱいなのだ。
「苦いお野菜でも入っているのかしら?」
……そう言って、お母さまが自分のお皿のスープを口に含み緩く首を傾げる。
「変ねぇ。それらしいものは入っていないようだけれど……」
違います。
苦味は苦味でも野菜の苦味ではないのです。
ピーマンやらゴーヤの苦味の方が1000倍以上はマシだと断言できるレベルのとんでもない破壊的な味なんです。
ダークマターと称してもいいと思うのです。
それくらいに酷いんです。
有り得ないんです。
そしてお母さまのスープが苦いはずはないのです。
だってこの苦味はピンポイントで私を狙って混入された『何か』によって作られた苦味なのですから。
「いくら母上が大丈夫だからといっても、同じようにレーンが大丈夫だとは限らないでしょう」
そう言って兄さまが溜息を一つ。
「大人である母上とは味覚も違うのですから」
再び溜息を吐きつつそう続けた兄さまは、徐に私へと向き直った。
「僕とレーンにも同じことが言える。今からでも遅くない。やっぱり僕のものとレーンのものを取り替えよう」
え!?
いやいやいや!
ダメでしょう、それは!
食べる前に取り替えるのだって立派なマナー違反なのに、食べかけのお皿を取り替えるとかもっと酷い。
っていうか!
このとんでもない苦味と渋みとエグ味の合わさった破壊的な味の異物混入スープを兄さまに渡すわけにはいかない。
ここは何としてでも、断固拒否を貫かねば!
私のお皿に伸びてきた兄さまの手を反射的に掴み、またもふるふると首を降る。
迂闊に声が出せない以上、行動で拒否の姿勢を示すしかない。
「レーン」
ここで『平気』だと言えたらどんなによかったことか。
それが歯痒くて仕方ない。
交換はしない。
これは兄さまが口にしていいものじゃない。
そんな思いを込めて兄さまの顔を見上げつつ首を降ったというのに。
ちっとも隠せていない分かりやすいこの表情のせいで、私の意図は兄さまにこれっぽっちも伝わらなかった。
「無理しなくていいから」
ポンポンと頭を優しく撫でられると同時に掴んでいた手をやんわりと外されてしまい、あっという間に私のスープ皿は兄さまの手へと渡ってしまった。
────ウソでしょ、兄さま!?
止める間もなく、私の異物混入スープは兄さまの口へと運ばれていく。
────ぎゃああああああああああ!!!!!
────コレ、アカンやつやぁ~!!!!!
「きゃああああッ!! ダメです、ロイアス様ッ!!」
そして背後もうるさかった。
兄さまを止めた声は言わずもがな、だ。
何度も言うが、なぜアンタが止めるんだ。
ていうか、いつ異物混入させたか分かんないけど、さっきのやり取りからして最初から兄さまがスープを飲む可能性も十分にあっただろうことを本気で気づいてないっぽいところが失笑もんだわ。
まぁ……笑っていられる状況ではないんですけどね、私。
あまりにも口の中がカオスすぎて……
そんなことよりも、私は兄さまを止めなきゃいけないんだ。
一瞬だけレミアを一瞥した兄さまだけど、口元へスプーンを運ぶ手が止まる様子はない。
レミア如きに止められるわけがないんだけど。
とはいえ、私に兄さまを止められるかと問われれば、否……としか言いようがない。
意外と兄さまは頑固なところがあるのだ。
一度私を甘やかしに入ってしまうと特にそれが顕著だ。
軽く注意を引いた程度ではダメなのだ。
これはもう、強引にでもスプーンを叩き落とすべき?
それか昨日の夕食の席の時のようにお皿ごとひっくり返したほうがいいの?
ああ、でも。
さすがにそれは行儀が悪すぎる。
だからといってこのまま異物混入スープが兄さまの口に入るのはいただけない。
背に腹はかえられぬってやつか。
もういいや。
どうせ何度も叱られる覚悟はしてきてるんだ。
今更お説教項目が一つ増えたって、叱られることに変わりはないんだ。
────よし!
────兄さまの手からスプーンを叩き落とす!!
口の中のカオス状態に耐えつつ、私は口元を押さえていない方の手で兄さまの手首を叩こうとした……んだけど、ダメだった。
意識とは別に身体の方がそれを嫌がったというか。
兄さまの手首を叩こうとした手は、私の意思をまるっと無視して、叩かずに手首を掴まえるという動きをとった。
────あれ……?
「レーン?」
だけど、兄さまの動きを止めるには充分で、兄さまの意識はスープのほうから一気に私のほうへと向いた。
まぁいいや、予定とは違ったけど結果的にはオーライだ。
あとはスープを飲まないように説得するのみ。
だけど。
『そのスープ、飲んじゃダメ!』と言いたくても、口の中が大惨事で口を開くこと自体が困難だ。
喋ることが不可能だから、やっぱり兄さまを見上げながらふるふると首を降ることしかできない。
「食事している最中に手を掴んで邪魔するなんて行儀が悪いよ、レーン?」
そして伝わらない。
だ~か~ら~……
────そ れ を 兄 さ ま が 言 う な し ! !
っていうか!
兄さまだって人のこと言えないんだからね!
第一、兄さまが食べかけの私のスープ皿を自分のものと取り替えたことだってもんのすごく行儀が悪いことなんだから!!
「いいからレーンはこっちを飲んで?」
「……んくっ!?」
伝わらないもどかしさと、自分のことを棚に上げて『行儀が悪い』と言い続ける兄さまの理不尽加減にプンスコと怒っていたら強引に何かを飲まされた。
口元を押さえていた手を退けられて、ほぼ強制的に飲まされたそれは果実水だった。
苦味と渋みとエグ味で舌がやられているせいで味はほとんど分からなかったけど、ほんのりとオレンジの香りがしていたからたぶん合っていると思う。
それよりも、兄さまから果実水の入ったグラスを押しつけられたことで反射的にそれを手にしてしまい、止めにかかっていたはずの兄さまの手首を解放する羽目になってしまった。
当然のことながら、ストッパーがなくなった兄さまの行動を妨げるものは何もない。
後ろでレミアがギャーギャー言ってるけど、そんなものに気を取られる兄さまではない。
今度こそ制止することができず、兄さまが異物混入スープを口に入れる様を見ていることしかできなかった。
────サイアクだ…………
────分かっていたのに止められないなんてサイアクだ……
未だかつて見たことのないほどの険しい表情に変わっていく兄さまの顔を、半ば絶望的な気持ちで見つめていた。
本当に、本当に申し訳ない。
こんなとんでもないものを兄さまの口に入れる事態になってしまうなんて。
何度謝っても足りないよ。
心底申し訳ないと思う気持ちと、口の中がカオスなお陰で涙が出そうだ。
「……最悪だ」
ぽつりとそう言うなり、兄さまは放り出すようにスプーンをスープ皿へと落とした。
ガシャンと鈍く響く音に驚いて思わず兄さまを見上げる。
それだけ、普段の兄さまからは考えられないほどの乱暴な手つきだったのだ。
「これは食べられたものじゃない。下げてくれ。レーンの皿もだ」
何かを追い払うような手の動きは、やっぱり兄さまには有り得ないほどの乱暴な手つきだった。
異物混入スープのあまりに酷い味に、丁寧な所作を心掛ける余裕などないのだろう。
確実に味覚がバカになるようなレベルの苦味・渋み・エグ味のトリプルコンボだもん。
これは仕方がない。
────うぅ~……
────こんなことを考えてる場合じゃない
────兄さまにもお水を飲んでもらわないと……
と、思ったはいい。
兄さまのお水、私が飲んじゃった後じゃんか!
ほぼ強引な形で飲まされた果実水は、私のものではなく兄さまのものだった。
既にグラスの中身は飲み干してしまって空っぽだ。
だったら私のものを兄さまに……と思うも、なぜか私のところにはお水どころか飲みものが何も用意されていない。
くっそう、レミアのやつ……とことんまであの酷い味で私を苦しめようってか!!
飲みものがなければあの酷い味を中和することができないからな。
本っっっっ当にやり方がみみっちい。
別に私はいいんだ。
最初っから何かされるだろうってことは分かっていたから。
……だけど。
まさかこんな風に兄さまを巻き込むことになるなんて普通は思わないじゃんか。
こうなることが読めなかった自分が腹立たしい。
兄さまを強く引き止められなかった少し前の自分を張り倒したくなる。
「うぅぅぅ~~~~」
────悔しいよぅ……
やっとの思いで出た声は唸り声で。
でもハッキリとした言葉にはならなかった。
その代わりとでも言わんばかりに涙だけがボロボロと零れ落ちてくる。
泣いても何の解決にもならないって分かっているのに。
それでも泣き止むことができない私はどれだけの愚か者なんだろう。
「……大丈夫。大丈夫だから泣かなくていいんだよ、レーン?」
そう言って優しく頭を撫でてくれる兄さまを反射的に見上げる。
「……この世のものとは思えないほどの酷い味だったけどね」
無理に作ったと思われる笑顔はなんとも形容しがたい奇妙なものだった。
もうちょっと酷かったら『デッサン狂ってるの?』と突っ込みたくなるくらいの出来損ないの笑顔だ。
「レーンもよく頑張ったね」
続けてそう言われて、やっとのことで小さく『ごめんなさい』と言えた。
それ以上の言葉は言えなかった、口の中が大惨事で。
崩れかけた苦笑顔でまた兄さまが頭を撫でてくれた。
そうして兄さまが私を構ってくれているその間に、今までずっと静観していたと思われたお母さまが、使用人ズたちを側に呼んではあれこれと指示を出していたみたいだ。
先にヴェーダが動き、次いでエルナがお母さまに何かを囁かれ頷いているのが目に入る。
そうしてエルナが動き出したのと同時にお母さまがこう言った。
「何をしているの、レミア。あなたもヴェーダを手伝ってこちらに果実水の追加を運んできてちょうだいな。すぐにでもロイアスに飲ませてあげないと、このままでは辛そうだわ」
「はっ、はい! ただいま!」
突然お母さまにそう言われ、慌ててレミアが厨房の方へと向かう。
兄さまの名前を出したからなのか、その慌てようは尋常ではなく、そこに更に焦りも加わったようでバタバタと足音をたてながら駆けていっている。
どんなに急ぎであっても、給仕担当の使用人が走るようなことはあってはならない。
やれば確実にお叱りの声が飛ぶ。
なのに、やっぱり誰もがレミアの行動を咎めない。
『これはいよいよおかしいぞ……』と、そう思ったその瞬間だった。
「きゃあぁっ!?」
というレミアの甲高い叫び声が上がり、反射的に視線が声の方へと向かう。
振り向いたその視線の先で、エルナが派手に転けた。
いつの間に下げたのか、野菜スープの入ったお皿を手にしたままのエルナが、レミアに倒れ込むように転倒したのだ。
「ちょっと……何するのよ、エルナッ!!」
「ごめんなさい! 慌てていたものだから、バランスを崩してしまって……って、大変! あなたのエプロンを汚してしまったわ! すぐに洗わないと染みになってしまう! これは責任を持って私がお洗濯するから!」
「えっ? ちょっ……何勝手にエプロンを脱がせてるのよ! 返しなさいよ!」
「汚れたままのエプロンで給仕だなんて、ロイアス坊ちゃまにもお嬢様にも失礼に当たるでしょう? 代わりに私のエプロンを使ってちょうだい!」
ぎゃあぎゃあ喚くレミアに構わず、エルナは自分のエプロンをさっとレミアに着つけている。
野菜スープで汚れてしまったレミアのエプロンとは対称的に、派手に転けたはずのエルナのエプロンはなぜかまっさらでキレイだった。
自分が転けたはずなのに、エルナは運良くスープの被害を免れたのだろうか。
そんなことをぼんやりと思っていたら、レミアがエルナに掴みかかったのが目に入った。
「私のエプロン……返しなさいよ……ッ!」
ヒステリックに叫びながら掴みかかってくるレミアを躱そうと動いたエルナの手から、何かが落ちた。
正確には、エルナが手にしていたレミアのエプロンからだ。
コツンと控えめな音をたてて落ちたのは、何かの小瓶。
「……これは?」
いつの間にか騒ぎの場へと近づいていたメリダが落ちた小瓶を拾い上げる。
その瞬間、レミアの顔色がサッと変わった。
「それ……僕が探していた調味料です!」
続いて発せられた声は、厨房から出てきた一料理人のもの。
気がつけば、エルナとレミアのいる場を囲むように使用人たちが集まってきていた。
給仕担当の使用人だけでなく、厨房を預かる料理人までもが騒ぎの場へと出てきている。
そんな中、お母さまがスッと立ち上がった。
静かに騒ぎの場へと歩み寄り、メリダが手にした小瓶を渡すよう促す。
「確か厨房で調味料を紛失したという報告が入っていたわね。この瓶の調味料がそうなのかしら?」
メリダから小瓶を受け取ったお母さまが、真っ先に声を上げた料理人へと問いかける。
そのお母さまの言葉を受けて、問われた料理人はしっかりとそれを肯定した。
「はい。そうです! なくなったと思っていた調味料で間違いありません!」
「そう……」
料理人の答えを聞いてお母さまが軽く溜息をつく。
「この瓶は、今エルナが手にしているエプロンから落ちたようね?」
「そのようでございますね、奥様」
お母さまの言葉に頷くメリダ。
小瓶を拾い上げたメリダはそれが落ちた瞬間を見ている。
今エルナの手にしているエプロン───つまりはレミアのエプロンのポケットに小瓶が入っていたということだ。
「さて……これは一体どういうことかしらね?」
言いながら、お母さまがレミアへと近づく。
「厨房で紛失したというこの調味料の小瓶が、どうしてあなたのエプロンから出てきたのかしら、レミア?」
静かに問いかけるお母さまに詰め寄られ、レミアは顔面蒼白だ。
先ほどはエルナに掴みかかっていたレミアだけど、今は逆にエルナに押さえ込められ、しっかりと捕まえられている状態だ。
当然、逃げられない。
そもそもが、雇い主である当主夫人からは逃げられるわけはないのだが。
「なぜあなたがこれを持っているのか。そして……何の目的で使用したのか。ゆっくりと聞かせてもらいましょうか」
中身を確かめるように軽く小瓶を傾けるお母さま。
見つめるその目が若干細められたのは、小瓶の中身の減り具合に何かを思ったからなのか。
そこまでは私には分からない。
「そう。ゆっくりと、ね……」
『ゆっくり』の言葉を強調して再度繰り返し、お母さまは口元に笑みを浮かべる。
だけど目元は笑っていない。
怒ってますね、間違いなく。
「別室へ連れていってちょうだい」
その指示に従い、男性の使用人がエルナからレミアの身柄を預かった。
暴れるかと思われたレミアは、予想と違って暴れることはなく、男性使用人に引き摺られるようにして連れていかれた。
レミアにしてはずいぶん大人しいなと思ったけど、顔色が悪いまま固まっていた様子から、ようやく自分の仕出かした事の重大さを悟ったのかもしれない。
だとしても今更遅いっつうの。
一連の様子をずっと眺めていると、エルナが連れていかれるレミアの背に向けて無表情且つ半眼で『んべっ!』と舌を出すのが見えて思わず目を剥いた。
驚きのまま凝視する私の視線に気づいてか、こちらへと振り返ったエルナがそっと唇に人差し指を当て、それから無表情とは一転、柔らかく笑んだ後に徐々に苦笑した。
────今までのって……もしかして……わざと……?
普段からきっちりと仕事を熟すエルナが、いくら急いでいたからといって転ぶとは考えられない。
レミアを押さえ込むために敢えてああしたのだとしたら……大した演技派だ。
それもあれだけ派手に転けておきながら、自分のエプロンは汚さずにレミアのエプロンだけを確実に汚している。
あの僅かな時間であれだけのことをやるなんてどれだけ頭の中で計算を重ねていたのだろうか。
全く以て恐れ入る。
「さあ、フローレンお嬢様。もっと果実水を飲んでくださいまし」
「……あ。はい」
気がつけばすぐ側にヴェーダが来ていて、未だグラスを持ったまま呆然としている私に果実水を飲むよう促す。
いつの間にか空っぽだったグラスには爽やかな柑橘の香りの果実水が満たされていた。
隣では兄さまがこれでもかとばかりに、出された果実水を呷る勢いで飲んでいる。
普段のマナーはどこ行った状態だ。
「全く。厄介なものを入れてくれたものだ。果実水だけじゃなかなか中和されない」
そう吐き捨てる兄さまの顔は渋面のまま。
私だって同じだ。
「ロイにいさまごめんなさい」
少しずつ喋れるようにはなってきたけれど、口の中はずっと苦々なままだ。
空気に触れただけで口の中の苦味やら渋みやらが増す気がする。
そのくらいに強烈な酷い味なのだ。
「いいよ、気にしないで。レーンもよく頑張ったね。昨日だって辛かっただろうに」
「……ふぇ?」
「昨日の晩餐の席で暴れただろう?」
「………………」
蒸し返さないでくれ。
黒歴史なんだ。
何も言えずに黙っていると、渋面のまま兄さまは続けた。
「あの時食べた料理にも、今日みたいに苦味や渋みをつけるものが混入されていたと思われるからね。詳しくは母上が調べてくれるはずだよ」
「そう、ですか……」
昨日の料理もあの破壊的な味にされていた可能性があるのか。
じゃあ、ピーマンの苦味に悶絶したわけじゃなかったってこと?
悶絶した本当の理由は混入された異物の苦味?
でも……どっちかなんて、関係ない。
前世の記憶が目覚めて、フローレンが私と一つになったという事実に変わりはないから。
俯き、グラスの中の果実水をじっと見つめていると、兄さまがぽつりと零した。
「何だかとんでもない食事の席になってしまったね。……それに。これ以上食事を続けるのは、どう考えても無理があるかな」
「…………ソウデスネー」
バカになった味覚で食事が味わえるわけはなく。
必死に口の中の苦味やらなんやらを中和するために飲みまくった果実水だけでお腹がいっぱいだ。
お腹は満たされているのに、気持ちがちっとも満たされない食事ほど虚しいものはない。
何なんですか。
私には頭を打つ呪いの他に、ごはんを食べられない呪いもかかっているんですか。
嫌すぎるんですけど。
嫌 す ぎ る ん で す け ど ! !
押しに押して遅くなった上に、結局ほぼ食べられない状態のまま、食事とは言えない食事の時間は強制終了を迎えたのでした。
はぁ……哀しすぎる。




