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前世の記憶が戻ったようです 3




~前世の記憶が戻ったようです 3~




「……うっ」


ひくっ、と再び喉が引き攣ったのは落ちた衝撃からだろうか。

毛足の長い柔らかな絨毯のお陰で、そこまでの痛みを感じることはなかった。

けれど、ずっと痛み続けていた後頭部は到底無事だとは言い難く、痛む上に乱暴に揺さぶられているかのような気持ち悪さがせり上がってきて意図せず涙がじわりと滲んだ。



────泣くな

────我慢しなきゃ



前の私、大人だった自分の意識は冷静にそう思う。

けれどどんなにそう思ったところで、身体は幼女だ。

感情はどうしても身体年齢に応じたそれに引き摺られてしまう。

ただ大人の意識が片隅にポツンと存在しているだけであって、今の私は本当に大人なわけじゃない。


「ふえぇ~……」


それは、ごくごく自然なことだった。

年相応のレーンの身体、意識、感情のままに、この状況に対して、泣くという反応を示したのは、それが当たり前だから。


痛いから、泣く。

助けてほしいから、誰かの存在を求めて泣く。


それが子どもの本能だ。

私が子どもの頃だってそうだった。

どんなに前世の大人の記憶や意識が存在していても、今の私はほんの4、5歳程度の子ども。

だから、泣いたことを不自然だとは思わない。

それでもやっぱり、意識の片隅では『泣き止まなきゃ』という思いを抱えてはいたけれど。


「うっ……ひっく…………ふぅ……」


頭が痛い。

泣いたせいで喉が引き攣る。

だけど、泣き止まなきゃと強く思ったことは正解だったようで、すぐに泣き声は引っ込んだ。

まだまだ色々と苦しいけれど、それも徐々に落ち着いてくるだろう。


涙でぐしゃぐしゃになった顔をぐしぐしと乱暴に拭っていたその時、ノックもそこそこに、部屋のドアが勢いよく開け放たれた。


「お嬢様っ!」

「!」

「フローレンお嬢様どちらにいらっしゃいますか!?」


ドア側から見た位置では、ベッドの横に落ちた私の姿は見えなかったらしい。

焦ったように悲痛な声を上げながら、部屋に入ってきた誰かが私を探す気配がする。



────あの声は、私の侍女……?



名前は、確か……


「メリ、ダ……」

「そちらですか、お嬢様っ!?」


そうだ、メリダ、だ。

レーンの記憶の中に、その存在は確かにしっかりと刻み込まれている。

いつもいつもレーンの駄々こね我儘に一番困らされていた人物でもある。

そんな彼女が真っ先に部屋に飛び込んできてくれたのは、もちろんレーン───私専属の侍女だからという理由がある。

……けれど。

それだけじゃないって私は思いたい。

そうでなければ、こんなに悲痛な声で慌てて来てくれるなんて考えられないから。


「ひ、ぐっ……」

「フローレンお嬢様!」


治まったはずの嗚咽が漏れたことで、メリダが今の私の状態に気が付いた。

ベッドのすぐ側、落ちたままの状態で必死に声を抑えようとして泣いているというその状況に。


「メリダ……」


もはや涙を拭うこともせず、私は助けを求めて、駆けつけてくれたメリダへと手を伸ばした。

うつ伏せに倒れたままで弱々しく手を伸ばす、泣いてぐしゃぐしゃになった私を見たことで、メリダの顔が一瞬にして青ざめた。


「フローレンお嬢様!」


慌てて抱き起こそうとした手が、不意にぴたりと動きを止めた。

下手に動かすのは危険だと判断したためだろう。

なにせ私は食事の席でやらかした盛大な()()()で頭を打って寝込んでいた身だ。

更には追加でベッドから落ちているという今のこの状態。

打ちどころが悪かったらと思うのは当然で、状況をろくに確認しないまま動かすことは避けるべきだときちんと弁えているからこそ引いたのだろう。

浮かべた顔色とは反対に、メリダはとても冷静だった。


「エルナ。奥様と医師をお呼びして。すぐに」

「はい、ただ今」


後から駆けつけたのだろう、もう一人の侍女───エルナにそう指示を出すと、メリダは再び私へと向き直った。


「お嬢様、私の顔が見えますか?」


問われてゆっくりと頷く。

頭を動かしたことで後頭部に痛みが走り、思わずぐっと唇を噛み締めた。

反動で再び涙がじわっと滲み出す。


「頭がぐらぐら揺れた感じはありませんか」

「いま、は……な、い……」


頷くと頭が痛むので声を出しての返事に切り替えた。

それでも泣いた直後である今は、若干嗚咽が残っていて返事一つ返すのも大変なことだった。

油断したらまた『ひぐっ……』と泣き声を発しそうになるのだ。

いくら前世という名の過去の経験があっても、私は所詮この世界では4、5歳程度の幼女でしかない。

決して大人などではない、哀しいくらいに年相応の、レーンと呼ばれる幼女なのだ。


「気分が悪かったりなどはありませんか」

「それも、ない……」

「ではお身体の方はいかがですか? 特に酷く痛むところなどは」

「あたま、だけ……。え、っと……その、それは……その……」

「お食事の時にぶつけたところでございますか?」

「……うん」


さすが私の専属というか、なんというか。

察しが良くていらっしゃる。

言いにくくて口ごもった私の言いたいことをすぐに察知してくれて、その上言葉少なめに確認してくれる。

既に私の中で黒歴史と化してしまった事実をしっかりと見ていたはずなのに、敢えてそれの深い部分には触れないでいてくれる。

その心遣いが身にも心にも深く沁みる。


「お身体は、本当に大丈夫なのでございますね?」


心配からか微かに眉を寄せて重ねて尋ねられた。

ベッドから落ちた影響を訊かれているのは分かっていた。

だけど、床で頭を打ったことに比べたら、柔らかい絨毯の上に落ちた時の衝撃は比べるまでもなく優しかった。

多少の打ち身はできていても、この程度なら全然我慢できる。

前世の記憶が戻る前の私ではそうじゃなかったかもしれないけど。


「……だいじょうぶ」


問われた言葉に素直に返した。

後頭部の痛み以外は本当に平気だし、そもそも自分が我慢すればいいだけのことだから。


「お嬢様」


微かに困惑した様子のメリダを見て『あ~……』と言いたくなったのを慌てて飲み込んだ。

察するなというのは無理があるだろう。

だってそうだ。

今までのレーンのパターンではぎゃんぎゃん泣き喚いて会話すら成り立たなかっただろうから。

だから私の今のこの反応は、彼女からすれば予想外のことだったのだろう。

それもとんでもなく斜め上を行く想像の範囲外という域の。


「今日のお嬢様は、いつもの元気で活発なお嬢様と違ってしおらしくいらっしゃいますね」



────そりゃ中身が変わりましたからね!



……とは言えない。

とりあえず意味がわからない、というキョトンとした顔で首を傾げてみた。

ちょっとあざとく見えればいい。

そんでもって幼女のあざと可愛い魅力にコロッと騙されてくれないかな~……という打算もコミコミで、もう一度コテンと反対側に首を傾げた。


しかし痛い!

誤魔化しのためとはいえ、頭の痛みと引き換えにせねばならんとはキツイ!


しかも未だうつ伏せ状態でこれやってるからね、私。

器用すぎでしょ。

この体勢で顔を上げ続けるのもそろそろ限界だ。

バターンと顔から倒れそう。


「お嬢様」

「?」

「頭を動かしては痛みますでしょう?」


メリダの表情から困惑は消えたけれど、その変わりにと苦笑が浮かんだ。

急に別人レベルでおとなしくなった私を不思議に思いながらも心配が勝った、そんなところだろうか。


「身体を起こしてもようございますか?」

「……おねがい」

「はい。では失礼いたします」


苦笑が柔らかい笑みへと変わり、そっと伸ばされた手が私の両脇の下へと添えられた。

くっ、と力が込められたのはほんの一瞬。

幼女の身体はすぐに抱き上げられ、慈しむような温もりに包まれた。

気付いた時にはしっかりと抱えられ、同じ目線の高さでメリダと見つめ合う形になった。


「大丈夫でございますか、お嬢様」


抱き上げたことで頭がぐらぐら揺れたり、めまいがないかを心配してくれているんだろう。

どちらも問題はない。

優しく、でもしっかりと支えるように抱えてくれているからか、メリダの腕の中はとても安心できる。


「ん……だいじょうぶ」


思わず伸びた小さな手がメリダの頬に触れた。

それと同時に、互いの額と額をコツンと軽く触れ合わせて、私なりの『大丈夫』のサインを送る。


「ありがとう、メリダ」

「お……お嬢様っ?」


さすがにこれは驚かせてしまったようだ。

まぁ今までのレーンはこんなことやらなかっただろうからね。

いや、それとも『ありがとう』の方か?

どちらにせよ驚かせてしまった事実に変わりはない。


「すぐに奥様とお医者様がお見えになりますから。今しばらくの辛抱ですわ」

「ん……」

「ではベッドに戻りましょうね」


今いる場所からほんの目と鼻の先、今まで寝ていたその場所へと目を向けて少しだけ憂鬱な気分になる。

また寝たきりの状態になるのは嫌だなと、そんなことを考えてしまう。


「メリダ」

「はい、何でございましょう?」

「ねたく、ないの……」

「お嬢様?」

「よこに、なりたくない……。あたま、いたくなるから……」


頭が痛いまま横になるくらいならこのまま起きていたい。

もちろん幼女のこの身体では横になって休むのがいいんだろうけど、私は嫌だ。


「かしこまりました。では横にはならずに、楽な姿勢で座ることにいたしましょうね」

「すわるって、ベッドに……?」

「ええ。椅子にかけるよりは身体に負担はありませんからご安心くださいな」


ニコリと邪気なく微笑んだメリダは、私を抱きかかえたまま器用に枕周りへとクッションを敷き詰めていく。

そのまま寄りかかると、まるでソファーに沈むような感じで心地いいのだろうか。

思わずメリダの顔をじっと見つめていると、再び『ふふっ』と柔らかい笑みを返される。


「さあ、どうぞ」


そっとベッド上へと下ろされ、勧められるままに敷き詰められたクッションへと寄りかかる。

ソファーよりも柔らかな弾力が、そのまま上半身を包み込むような優しさで受け止めてくれて、思わずほうっと息を吐いた。


「お身体、辛くはございませんか?」

「へいきよ。ありがとう、メリダ」


あまりの心地良さと、メリダの心からの気遣いに、またもするりと『ありがとう』の言葉が飛び出す。

やはり今度も驚かれてしまった。

先ほどのように声を出すことはさすがにしなかったけれど、軽く目を瞠っていたのがその何よりの証拠だ。



────やっぱりというか、何というか……

────今までのレーンはろくにお礼も言えない子どもだったんだな……



そんな悲しい現実を確認する羽目になって、余計に悲しくなってしまったのはここだけの話。

大事なことなのにね。

挨拶と『ありがとう』と『ごめんなさい』の言葉は、人と人とが関わる上で最も大事な言葉なのにね。


これはもう矯正が必要だわ。

私の、私による、私のための、レーン矯正計画を立てなければ。

今までのレーンから脱却するべく、これでもかってくらいの常識人間になるために努力しなければならない。

それだけこの幼女は有り得ない。


密かにそう決心していると、驚きから平静へと立ち直ったメリダが恭しく頭を下げた。


「フローレンお嬢様の為ならば」

「!」

「どうぞいつでも私をお呼びくださいまし」

「メリダ……」

「私だけではありません。エルナも、他の者も。この家に仕える皆が、フローレンお嬢様の味方でございますからね」


今度は私が驚く番だった。

あんなにも我儘で傍若無人な小さな女王様に迷惑ばかりかけられて、心底苦労させられていただろうに。

それでも皆が私の味方なのだと言ってもらえるとは。

もちろんそれが仕事だからだと言われてしまえば、それまでなのだけれど。

でも、ただの仕事だと思っているのならこんな風に言ってもらえるはずはない。

これは上に仕える者の常套句などではない、心からの、本心からの言葉だ。


「ありがとう。とっても、うれしい……」


こんなレーンでも、見捨てないでいてくれて本当にありがとう。

それから、今までずっと困らせてごめんなさい。


そう続けて言えればよかったんだけれど。

さすがにそこまでは言えなかった。

本来のレーンの性格が邪魔しているのか、本当に素直にならなきゃいけないところで素直になれない。

意地っ張りな性格がこの子の本来の姿なのかな。

それはそれで、私もそんな意地っ張りな性格とうまく付き合っていかなくちゃいけない。

この意地っ張りさんをどういう風に素直にさせるか。

そこは私の頑張り次第で少しずつ変わっていけるよね。


転生した理由は分からない。

突然前世の記憶が蘇った理由も同じ。


だけど。

私が今ここでこうしている理由はきっとあるはず。

いつかそれが分かる日が来る気がする。


だから、私は生きようと思う。

今いるこの場所、この世界の、レーンという一人の少女として。

この世界に転生した意味があったのだと心から理解するためにも、それは大事なこと。


多分私はこれから先、色んな人と出会う。

万人から好かれたいだなんて無茶なことは思わない。

ただ、悪い印象を持たれない、感じのいい人になれたらいいなとは思う。


今までは我儘お嬢様だったけれど。

これからは素直ないい子に、そして将来的には素敵なレディになれるように頑張ろう。


そんなことを、私はこの短時間の間に思ったのだった。





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