向けられた悪意
※多少陰険な描写あり
普通じゃない状況下では、予測できないことが起きることが多々ある。
怒りに我を忘れて、使用人の集団の中に突っ込んでいこうとした私を素早く捕まえてくれたロイアス兄さまには感謝しかない。
もしこの時。
一瞬でも兄さまの手が間に合うことがなかったら。
私はどんなことになっていたか分からない。
予想外も予想外すぎた。
信じられないことに、私は使用人の一人から反撃を受けたのだ……─────
~向けられた悪意~
使用人たちが大騒ぎする中、大声で怒鳴りつけた私の言葉を聞いたことで誰もが黙った。
皆が皆、一様に罰の悪そうな顔で押し黙り、ある者は気まずそうに目を背け、またある者は、慌てて腰を折り、深く深く頭を下げた。
そんな中、この場にそぐわない鋭い眼差しとともに、私はある一人の使用人から罵声を浴びせられた。
「お嬢様は黙っててくださいッ!!!」
────なぬ!?
フツー雇い主の娘に使用人が反論するかね?
それも黙れ、とな?
よろしい。
異論があるなら聞こうではないか。
罵声の飛んできた方へと向き直り、明らかな悪意を込めたその鋭い視線を受け止め、私も真っ直ぐに相手を見つめ返す。
相手は大人……というより、その一歩手前だろうと思われる十六、七歳くらいの若いメイドだった。
それも……ものすごく見覚えのあるメイドだ。
年若いメイドが雇い主の娘に真っ向から逆らったというその事実に、再び使用人の間でざわめきが起き始めた。
明らかに顔色を悪くして、私に反論したメイドを諌めようとしている者もいる。
その人へと視線を向けて、私は緩く首を振った。
「いいよ、とめなくて」
「……ですが、フローレンお嬢様……」
おろおろとしながら、私の制止に戸惑った顔を見せたもう一人のメイドに私はニッコリと笑ってみせた。
この人に咎はない。
だって、雇い主の娘に逆らった同僚を諌めようとしたわけだからね。
それは正しいことであって、決して咎められるべきことではないんだ。
現に他の使用人の皆は、誰もが彼女のことを止める様子はない。
寧ろ彼女に加勢しようとする姿勢すら見せている。
「ほんとにいいの。あなたはなにもまちがったことはしていないなから」
「フローレンお嬢様……」
「いつもていねいにおしごとしてくれてありがとう。いまも、あいだにはいってくれてありがとう」
「そのような……私にはもったいないお言葉です」
そんなことはない。
丁寧にお仕事をしてくれる使用人の皆がいてくれるからこそ、私たち家族の生活は成り立っているんだ。
それを当たり前だと思っちゃいけない。
何でも自分でやることが当たり前だった前世の生活が身に付いているからこそ尚更だ。
「……でも。だからこそ。みんながしごとをほうきして、こうしてずっとさわいでいるこのじじつがしんじられない」
さっきは怒りの感情のままに怒鳴り声を上げたけど、今度は感情的にならないように淡々と告げた。
私のその言葉を聞いた使用人一同はハッとした表情で姿勢を正した。
ただ一人、私に反論したメイドを除いては。
このメイドだけは、尚も私を睨みつけたままでいる。
私に対して相当な恨みを抱いているようだから、睨まれるのは日常茶飯事。
そして、今のこの状況のような不敬な態度を取られるのは、実は一度や二度じゃなかったりする。
……誰にも言ってないけど。
「いいぶんがあるならきくよ? なんでしごとしてないりゆうがノーヴァこうしゃくさまになるのかな? こうしゃくさまのドラゴンのせいになるのかな?」
笑顔を崩さないまま、使用人一同の顔を見ながらそう問いかけた。
まぁ、問いかけではあるんだけど、ことノーヴァ公爵様と公爵様の竜に関しては反論させるつもりは一切ない。
だって理由にならないからね。
突然やってきたノーヴァ公爵様に驚いて何もできませんでした。
公爵様の竜が怖くて何もできませんでした。
……なんて理由、誰が認めると思う?
私だったら『は?』って、鼻で笑って一笑に付すわ。
気まずそうな表情の使用人たちの顔を見て、それから私はロイアス兄さまを見上げてその表情を窺った。
『私、間違ったこと言ってるかな?』
そう問いかけるような目で兄さまの目をじっと見つめていると、優しく頭を撫でられ、それから抱き上げられた。
そのまま目線を合わせるように、コツンと額同士が触れ合った。
その瞬間、再び刺すような視線が私へと向けられる。
────またあのメイドか……
────兄さまが絡むと大抵こうだ……
「レーンの言うことは何も間違っていないよ。続きを言ってごらん」
兄さまからそう促され、私は再び使用人たちへと向き直った。
抱き上げられたままの状態なため、自分の足で立っていた時と比べて遥かに使用人たちとの視線の位置が近くなった。
あのままずっと首を上げ続けて一人一人を見上げるのはきつかったため、兄さまにこうされて実はちょっと助かってる。
逆に兄さまには、私の体重を支えてもらうという負担がかかってしまったので、そこは申し訳ないと思うんだ。
まあそれを伝えたところで、兄さまは『気にしない』と笑って、私を降ろすことなくそのままでいるんだろうけど。
「しごとをしていないりゆう、こうしゃくさまとドラゴンいがいにあるならおしえてくれる?」
ここで納得する理由が出てきたのなら、この騒ぎは不問にしてもいい。
だけど……
もしそうでないのなら。
使用人たちには多大な反省をしてもらって、直ちにいつも通りの仕事に戻ってもらう。
それが私の考えだ。
たぶん兄さまも同じ考えでいてくれると思う。
私の言葉だけで無理があるなら、きっと兄さまが助けてくれるはずだ。
そのために、こうして兄さまは私を抱き上げ、私の視線の高さを自分と同じくらいの位置に持ってきたのだと思う。
「……いいえ」
「いいえ、ございません」
「ノーヴァ公爵様のお連れになった竜の存在に怯え、気が動転してしまい、正常でいられなくなった以外の事実はございません」
「全て私どもの不徳の致すところでございます」
家令に続き、侍女長もそう述べて私たちに頭を下げた。
二人が頭を下げたことで使用人たち一同もそれに続く。
けれど。
やはりあのメイドだけは違った。
頭を下げることは当然なく、相変わらず悪意を込めた視線で私を睨みつけたままでいる。
「実際見てもいないのに、よくそんなことが言えますねお嬢様」
『ハッ』とバカにするような見下した笑みで、またもこのメイドは私に噛みついた。
バカなの?
ねぇ、このメイドはバカなの?
家令も侍女長も自分たちの失態を認めて謝罪してんだよ?
他の使用人の皆もそれに続いたよ?
なのにまだ私を攻撃したいか。
よろしい。
ならば返り討ちにしてしんぜよう。
あ、そうそう。
大人げないだなんて言わないでね?
前世は大人だったけど、今の私はどこからどう見ても紛うことなき幼女ですから。
逆に言わせてもらうとさ、雇い主と使用人っていう関係を置いといたとしても、幼女相手に明確な悪意を向けながら噛みついてくるこのメイドの方が客観的に見て大人げないと思わない?
さてさて。
幼女VSいい歳した大人手前のメイド。
はたから見たらどんな感じだろうか。
もちろん返り討ちにするとは言っても、私は幼女ですから?
ちゃあ~んと子どもらしい言い回しで論破させていただきますよ?
ってなわけで、反撃開始します!
止めなくていいからね、兄さま。
っていうか止めないで。
言われっぱなしはムカつくから!
兄さまの方へと振り返ったと同時に、視線がバッチリと交わった。
じっと無言で兄さまを見つめると、私の考えていることを分かってくれたのか───いや、間違いなく顔に出てるんだろうな……───苦笑しながら軽く頷いてくれた。
兄さまに分かってもらえた嬉しさから『ありがとう』の気持ちを込めてぎゅっと兄さまに抱きつくと、兄さまもぎゅっと抱き締め返してくれた。
同時に、睨みつけてくるメイドの視線が更にキツくなったのが分かる。
お~お~お~。
分っかりやすいですね~。
私に対する悪意がダダ漏れですよ、メイドのおねーさん。
その目は悪意というよりも憎悪です?
もっと言うなら嫉妬の感情が大半を占めてやしませんか?
まさかとは思うけど、自分よりも半分近く年下の兄さま相手に懸想してるとかそんなこと言わないよね?
私に対して攻撃的なのは、当たり前のように兄さまの側にいる私が『邪魔』だから?
う~わ!
醜い嫉妬に駆られた女がよくやる常套手段じゃん。
ゲームの中のフローレンがヒロインに対してやってた嫌がらせの数々と全く同じ。
────あ~、醜い……
────人のふり見て我がふり直せ、とはよく言ったもんだね
────ここに素晴らしい反面教師がいるよ
さてと。
子どもらしいかわいい反論を開始しましょうかね。
幼女の反撃、舐めるなよ!
「うん、みてないよ? だからおしえてくれる? こうしゃくさまのドラゴン、どんなだった?」
「え……?」
「どのくらいおおきいの? どんないろしてた? おめめのいろは? ウロコはツヤツヤ?」
「えっ……?」
「どんなふうになくの? 『グルル……』ってなくの? それとも『がおー!』っていうのかな?」
「えっ、あ……」
ふっふっふ……困ってるな、ざまぁみろ。
子どもの『なにこれ?』攻撃と『どうして?』攻撃を甘く見るんじゃないよ。
何しろ子どもというのは好奇心の塊だからな。
一つ疑問が浮かべば、すぐさま大人にそれを聞く。
そして答えてもらえたら、そこから更に深く深く追求していくように『なにこれ?』『どうして?』を繰り返していくんだ。
しまいには答えられなくて、ギブアップさせられるほどに答える側は追い詰められていくというなんとも恐ろしい仕様。
もちろん質問を重ねる子どもに悪意はない。
純粋な興味と好奇心だからね。
それが分かっているから、答える側の大人は精神がガリガリ削られていくんだ。
純粋な子どもの好奇心を裏切る形となる己の不甲斐なさにな!
私?
もちろん悪意込めてますが何か?
目には目を。
悪意には悪意を。
純粋な子どもの好奇心を纏ったフリをしたフローレンという名の悪魔に翻弄されるがいいよ!
このメイドが答えられないって分かってて、竜のことあれこれと訊いてるからな、私。
「ねえ、みたんでしょ? おしえてよ?」
「………………」
「あなたがいったんだよ? わたしはみてもないくせにって。だったらちょくせつみたあなたがおしえてよ。ドラゴン、どんなだった?」
「………………」
「どうしてこたえてくれないの? わかんないから? でもヘンだよね? ドラゴンみたのにわかんないの? そんなことないよね?」
「………………」
「もしかしてみてないの? そっか。みてないならわかんなくてもあたりまえだよね」
「………………」
「……だったらさ。みてないあなたが、えらそうにわたしに『だまれ』なんていうのはおかしいよね」
「………………」
ぐうの音も出ないとはこのことをいうのか。
最初は戸惑ったような焦った声を発していたけど、途中からは何も言わなくなったのがいい証拠。
それでも睨みつけることだけはやめないんだから全くいい根性してるわ。
「みてもいないものをこわいなんて、ヘン。そんなふうにいわれるこうしゃくさまのドラゴンがかわいそう……」
「……見ていなくても! 周りが怖いと騒いでいれば誰だって怖いと思うものなんです! お嬢様はそんなことも分からないんですか!?」
またも人を見下すように『ハッ』と笑いやがったコイツ。
「わかんないよ? だってわたしみてないもん。ひとがなんていったって、じぶんのめでみてみなきゃほんとうにこわいかどうかなんてわかんないもん」
きょとん……とした表情であっさりと答えた私の言葉を聞いた使用人たちが僅かにざわめきだした。
私の言ったことに思うところでもあったんだろう。
おそらく、ノーヴァ公爵様の竜の姿を見たという使用人はほんの一握り。
実際に見た者が口にした言葉が回りに回って事を大きくしただけに過ぎないということに、やっと使用人たちは気が付いたのだろう。
噂話と同じ。
元は大したことはなくても背びれ胸びれがくっついて、更には尾びれまでが出てきて勝手にスイスイ泳いでいった……っていう感じに事実が捻じ曲がって大きく膨れ上がっちゃっただけの話よね、って。
「だれかみたひといる?」
一人一人の顔をじっと見つめていくと、その殆どが気まずそうな表情で緩く首を振るという反応が返りました。
────……やっぱりな
────大げさな伝言ゲームに踊らされたパターンか……
「いるかどうかもわからないオバケをこわがってるのとおんなじだ」
場を和ませるように『きゃはっ』と軽く笑いながら、私は『オバケ』というワードを殊更強調して件のメイドをチラリと見遣った。
その視線はもちろん『オバケが怖いなんて幼児かよ、だっせぇ!』というバカにした意味をふんだんに込めている。
だって悪意には悪意を、だもんね!
そして私の視線の意味に気付いているのか、いないのか。
どっちか分からないけど、メイドから向けられる悪意の視線は相変わらず変わらない。
「見ていないからこその恐怖もあるでしょう!!」
「ないよ。みてないうちにこわいなんてきめつけてないで、じぶんでこわいかどうかたしかめにいったらよかったじゃん。じぶんのめでみて、はじめてこわいかこわくないかわかるものなんじゃないの?」
見てないのに偉そうに言ってるのはオマエだよ。
そしていい加減黙るのもオマエの方だ。
「わたしだったらぜったいにじぶんでみにいくな! ドラゴンってきっとカッコよくてキラキラしてるんだよ? それでね、おおきくって、つよくって、すっごくやさしいの!」
今よりもずっと前。
もっと小さな頃に少しだけ聞かせてもらった、ドラグニア王国の歴史を綴ったドラグニア史の一節、竜人族のお話。
過ぎる力を手放し、人と竜とに分かれ、それぞれの生を進むと決めてからも、互いが互いを思い、尊び、護り合うという誓いの下、命を繋ぎ、永く刻まれていった歴史の数々。
ぼんやりと薄れた記憶の中、こう思ったことだけはハッキリと覚えている。
『ドラゴンってカッコいい!』
『わたしもいつかあってみたい!』
見たこともない存在だったから、純粋に憧れた。
恐れるなんて、有り得ない。
怖いなんて、思ったこともない。
その気持ちは、あの頃のフローレンと同じで変わらないままだ。
「そんなもの、ただの子どもの幻想よッ!」
……まだ言うか、コイツ。
ホントいい加減に黙ってくんないかな。
自分が圧倒的に不利な状況なのは分かってるだろうに、それでも私を攻撃しなきゃ気が済まないんだろうか。
建設的じゃないな。
もういいや、面倒くさいから無視しよう。
コイツの相手するのも時間のムダだし。
そう思った私は家令の方へと向き直った。
「ねえ、カイエン」
「はい、フローレンお嬢様」
「カイエンはこうしゃくさまのドラゴンみた?」
「ええ。しっかりとこの目で見ましたとも」
「どんなだった?」
「とにかく大きくて立派でございました。あまりにも神々しい姿であったため、鋭い眼光で見据えられた瞬間に恐れ慄いてしまった次第です。面目ございません」
「ほぇ~……」
『ギンっ!』って感じで目ヂカラがすごかったんだろうな。
ただ見られただけで睨まれたと思えてしまうくらいの鋭さがあったのかも。
う~……ますます見たいッ!
「からだはどんないろしてた? おめめのいろはなにいろ? ウロコもツヤツヤしてた? キラキラしてた?」
あのメイドが答えられなかったことを全部家令のカイエンへと訊ねた。
その一つ一つに、カイエンはとても丁寧に答えてくれた。
そうして分かった、ノーヴァ公爵様の竜のこと。
身体はとても大きく、色は黒。
艶めいた鱗が光を反射して、所々で銀色がかって見えたこと。
それから、目の色は、紅。
まるで宝石を埋め込んだかのようにキレイな色だったんだって。
残念ながら、その竜の名前までは分からなかった。
鳴き声の方も、一切声を発することがなかったみたいだから、これも分からないんだってさ。
う~ん……またも残念。
「わたしもみたかった」
「はははっ、お嬢様は勇敢でいらっしゃる」
「ゆうかんじゃないよ? あこがれなの! このくにのれきしをつくったおおきなそんざいでしょ? わたしね、ドラゴンはドラグニアのまもりがみだとおもってるよ? そんなドラゴンをみたっていうカイエンがうらやましいの」
ロイアス兄さまの腕の中だというのに、私は大げさなまでの身振り手振りでカイエンに語り続けた。
一方で私の言葉を聞いたカイエンは、何かに思い当たったかのようにハッとした表情になった。
「ドラグニアの護り神……」
ぽつりとそう零し、それきり黙り込んでしまったカイエンをじっと見つめる。
それから私は兄さまの方へと振り返り、じっと兄さまの目を見つめた。
言葉は何もなかったけれど『大丈夫』だと言うように優しく頭を撫でてくれたので、別に間違ったことを言ったわけじゃなかったのだとホッとする。
「ねえ、カイエン」
「はい、お嬢様」
「こうしゃくさまがかえられるまで、ドラゴンはなかにわでまってたんだよね?」
「ええ、左様でございます。ノーヴァ公爵様が出てこられるまで、中庭でおとなしくじっと待っておりました」
「そのときのドラゴン、どんなかんじだった?」
「そうですね……我々に背を向けた状態でゆったりと寛いでいたように思えます。あの時の姿は、眠る時に体を丸める猫を思わせるような体勢でしたね」
「ねてたの?」
「いえ、眠ってはおりませんでした。辺りに注意を払っていたのか、時折翼が揺れ動いていたようにも見えましたから」
────ふ~ん……
────やっぱ思ったとおり、おとなしく待ってたんじゃん
────これのどこに恐れる要素があるかねぇ?
────逆に人間に気を遣って、怖がらせないように背中を向けてたようにも思えるんだけど?
たぶん……っていうか、きっとそうだ。
竜は人間が好き。
だけど、人間は皆が皆そうじゃない。
それが分かっているから、公爵様の竜はああしたんじゃないかって思えてならない。
「せなかをむけてたのは、みんなをこわがらせたくなかったからだね、きっと」
「お嬢様……」
「おそとのほうをむいてたのは、わるいものがはいってこないようにちゅういをむけてくれたからなのかも」
そう続けた私の言葉を受け止めたカイエンの目が軽く見開かれた。
「だって、まもりがみだもん!」
渾身の笑顔でそう言い切ると、カイエンの顔がくしゃりと歪んだ。
それはまるで不甲斐ない己を恥じるかのような表情で。
泣き出す一歩手前でそれを必死に堪えているような表情にも見えた。
「ええ! ええ、そうでございますね。お嬢様の仰る通りだったのでございましょう。なのに我々はいつまでも抱いた恐怖を引きずったまま碌に動けもせずに……情けない限りです」
そっと両手で手を取られ、深く頭を下げられた。
それは、今までの時間を無駄にしてしまったことを後悔しているかのようだった。
「……じゃあみんなもみとめてくれる? いままでさわいでしごとをしていなかったりゆうは、こうしゃくさまにも、こうしゃくさまのドラゴンにもないんだって」
「当然でございます! 我々が仕事をしていなかった理由がノーヴァ公爵様と公爵様の竜にあるなんてことは断じて有り得ません!」
顔を上げ、スッと姿勢を正したカイエンが使用人一同へと向き直った。
その瞬間、侍女長を筆頭に再度使用人たちが私とロイアス兄さまに向かって頭を下げた。
深く……深く。
……だけど。
やっぱりというかなんというか。
件のメイドだけは違った。
頭を下げるどころか、相変わらずの悪意を込めた目で私を睨みつけたままでいる。
もうこれは悪意どころか、それを通り越しての憎悪の感情だ。
最初からずっと思ってたことだけど。
なんでここまでの悪感情を向けられるのかが分からない。
「後から聞いた話じゃ、いくらでも好意的に、自分の好きなように解釈できますよね? 所詮は子どものおとぎ話レベルの幻想であり妄想でしょう? 全く現実的じゃないですね。それを私たちに押しつけるのはやめてくれませんか。私たちの仕事の邪魔しかしない我儘お嬢様?」
「………………」
もうここまで来るといっそ清々しいね!
コイツの標的はあくまでも私一人。
やり込める確実な方法なら……ある。
できればこれは切りたくなかったカードだけど、コイツが黙らない以上は切るしかないんだろうか。
切れば大打撃を与えることはできる。
ただ、これによって与えるダメージは限りなく大きい。
既に自分の非を認めている他の使用人たちにも伝播するレベルのものなのだ。
これはどうするべきか。
切るか。
切らないか。
頭の中で考えること数秒。
答えは出た。
……いや、強制的に出さざるを得なかったというべきか。
それは私の頭上から、怒りの感情を込めた兄さまの深い溜息が聞こえたから。
反射的に仰ぎ見た兄さまの表情は、今まで見たこともないような静かな怒りに満ちていた。
「ロイ、にいさま……?」
パッと見た感じはほぼ『無』と言ってもいい変化のないそれ。
ただ、その眼差しだけは凍てつくほどの冷気を孕んでいて。
見ているだけで身体中が凍りついてしまうような、そんな錯覚に陥りそうになる。
どこまでも冷たく恐ろしい。
そんな視線を崩すことなく、兄さまは、私を悪意の標的にした件のメイドを、無言で、静かに、冷ややかに見据えていた……─────




