封印魔術を教えてもらいます 4
~封印魔術を教えてもらいます 4~
絵本を手にした兄さまを食い入るようにじっと見つめている私の視線に気付き、兄さまは軽く苦笑した。
「そんな顔をしなくても大丈夫だよ」
笑いながらそう言った兄さまだったけれど。
絵本の表紙を開いたその瞬間、バチッという音がその場に響き、それと同時に兄さまの顔から一瞬にして苦笑が消え失せた。
軽く目を瞠り、表紙を捲った方の手を呆然と見つめている。
「………………」
今にも信じられないとでも言い出しそうな、そんな表情だった。
それくらい分かりやすい顔で、今も尚、じっと掌を見つめたままでいる。
「……レーン」
「はい」
少しの沈黙の後、静かに名前を呼ばれて素直に返事をした。
なんとなくだけど、あまりよくないことを言われるような予感がする。
やっぱり静電気バチバチの封印をかけたのはよくなかったのだろうか。
私としては、一瞬だけビックリさせて手を引っ込めてもらうだけのつもりでイメージしたものだったのに。
軽く眉を寄せて、何かを思案している兄さまをじっと見上げた。
するとその視線が、漸く兄さま自身の掌から私へと向けられた。
「今のは、雷魔法?」
「えっ?」
「絵本を開いたら雷魔法が作動するようなイメージで封印魔術を施した?」
そう言われてふるふると首を振って否定した。
大元を辿っていけば、静電気が雷に通じていることは確かだ。
実際に自然界で発生する雷は、雲の中の氷の粒子の摩擦によって発生した静電気が蓄積されて放電される、といった仕組みだったはず。
それでも微量の静電気など雷の規模には到底届かないし、発光量も放電量も雲泥の差がある。
従ってこれが雷かと問われたら首を横に振らざるを得ない。
だってどう見たってこれ、雷じゃないもん。
「さわったらバチッてなって、てをひっこめたくなるようなものをイメージしました」
「……そうか。参ったな」
「にいさま?」
「あまりにもこの魔術はレーンと相性がよすぎる。魔力を通すことで、レーンのイメージが更に鮮明に反映されて強固な封印を完成させたのだとしか考えられない」
「これじゃダメなんですか?」
「そうだね。いいと言えばいいのだろうし、ダメだと言えばダメでもある。極端すぎるんだ」
「?」
────いいけどダメ?
────一体どういう意味だ?
思わず首を捻って顔を顰めてしまった。
まるで、成功したけど失敗作だと言われた気分だ。
「相手にもよるだろうけれど、レーンのこの封印魔術は危険だ」
「えっ?」
言われた言葉に思わず疑問の声を上げる。
だって自分では危険なものだと認識したつもりは全くない。
普通に日常生活であるような現象を取り入れてみただけだ。
人によっては確かに痛いくらいに静電気を感じる人もいるかもしれない。
けれどそれが危険かと言われたらそれはノーだ。
もちろん状況にもよるだろうけど、あくまでもそれは周りに可燃物等の危険物がある場合に限られマス。
今回はそんなものは周りにないので危険ではないと言い切るのデス。
「さっきのは僕だったから手が痺れる程度で済んだけれど。この本を開いた者の魔力が低かったら確実に腕が黒焦げになっていただろうね」
「うそっ!?」
「本当。レーンがどのくらいの魔力を注ぎ込んだのかは分からないけれど、実際にこの結果がレーンが描いたイメージを忠実に再現したものだとすると、相当量の魔力が込められていると推測できる」
「じゃあ、きけんって……」
「持っている魔力が低い者には、ということだよ。ただ、世の中に高い魔力を有する者は決して多くはない。分かるよね?」
「……はい」
つまりは、魔力をそこまで持たない多くの人にとっては、この封印魔術は危険物だということだ。
たかが静電気で? ……と思わなくもない。
けれど実際に触れた兄さまが言うのだから嘘ではないのだろう。
兄さま自身の持つ魔力がどのくらいなのかは分からないけど、その魔力持ちの兄さまが『手が痺れた』と言っていた。
『バチッとなった』ではなく『痺れた』だ。
その感覚だと、静電気に一瞬だけ触れたというレベルではなく、家庭用電源での感電によるダメージを受けたと言ったほうが近いのかもしれない。
────まさか……
自分でも思っている以上に、私の持つ魔力が高いとでもいうの?
でもゲームでのフローレンは確かに魔力持ちではあったけど、あんまり魔法は得意じゃなくて、生活魔法に毛が生えた程度のレベルの魔法しか使えないって設定だったはず。
この封印魔術って、生活魔法の一部ではないのかな?
使い手は多くはないみたいだけど、実際の使用例として、恋人同士の手紙の遣り取りに多用されているくらいだし。
普通に生活魔法の括りに入るものだと思うんだけど?
「術式としては完璧。けれど魔力と融合したことで描いたイメージが鮮明になりすぎて、実際に考えていた以上の効果を伴った封印が完成している。拒否反応を起こすタイプの封印魔術を使うなとは言わないけれど、人体に影響を及ぼす危険性のあるものは使うべきじゃないな」
はい。
冷静な分析からのダメ出しをいただきました。
でも兄さまが言うように、魔力の低い人たちが触れた際に腕を黒焦げにするレベルの封印魔術は確かに危険です。
そして、対象物に注ぎ込む魔力の量とイメージとの相性次第では更に危険な威力を生み出さないとも限らないわけで。
もしそうなったとしたら、私は全く知らないところで犯罪者になってしまう、というシャレにならない未来を迎えてしまうかもしれません。
冗談じゃないです。
ゲームのシナリオ通りの破滅運命もゴメンですが、全く関係ないところでも破滅フラグ立てるとか嫌ですよ。
「……じゃあほかのにします」
「うん、その方がいいね。それと、魔力を注ぎ込みすぎないように注意して」
「? かってにすう~っとはいっていきましたよ?」
「魔力が勝手に?」
「? はい」
たぶんイメージが魔力と合わさったと感じたあの瞬間だ。
体内を巡っていた熱が、一気に腕へと向かう先を変えて流れていった。
それが収まるまで軽い脱力状態になったようにも思えたから、やっぱり兄さまが言うようにかなりの量の魔力が絵本に流れ込んだのかもしれない。
「……イメージのせいか?」
「にいさま?」
「レーン、参考のために教えてくれる? レーンが施した封印魔術は何をどのようにイメージした?」
「さわったらバチッてなるようなものです」
「うん、それはさっきも言っていたね。僕が知りたいのは、その『バチッとなる』ものの正体なんだ。何もないとは到底思えない。それを発生させる具体的な何かがあるはずだよ」
「!」
……ってことは、あれか。
細い紐状の雷雲だ。
絵本の周りをそれでぐるっと一周させた。
ロイアス兄さまはそれのことを言っているのだ。
けれど、雷雲のことをどう説明すればいい?
雷魔法かと訊かれて、それは即刻否定したばかりだ。
でも実際にルーツは同じ。
静電気の集合体が発光し放電することによって雷は起こる。
そして私自身が、この絵本に細い紐状の雷雲を仕込んだ。
あくまで大元は自然現象だけれど、それを人為的に発生させた時点でこれは魔法扱いになるの?
ダメだ、全然分からない。
説明のしようがない。
正直に全部話して、ロイアス兄さまに判断してもらうべき?
「レーン?」
変な汗をかき、おまけに微妙な顔でもしていたのだろう。
ロイアス兄さまが怪訝そうな顔で私の顔を覗き込んできた。
「……くも」
「ん? 蜘蛛? それとも雲のこと?」
「そらの、くも……」
「ああ、雲の方だね。それでレーンは、その雲をどんな風にしたんだい?」
「ほそい、ひもみたいにして……」
「うん」
「……えほんに、ぐるっとまきつけました」
「なるほどね」
おおよそは読めたと言わんばかりのその言葉に、兄さまがどのような判断をするのか不安になる。
「なんとなくレーンのイメージしたものの想像はついたけれど、まだ決定打が足りないな。ちなみにその雲は雨雲?」
「あめは、イメージしてないです」
「じゃあ雷は?」
「…………しました」
でも、断じて雷魔法としてイメージしたのではない。
あくまでも静電気だし、雷の規模には到底届かないしょぼいものだ。
「雷魔法じゃないと言ったのは、雷雲でイメージしたから?」
「はい」
「……なるほどね。とりあえず、もう一度見たほうが早いかな」
危険だと言ったその口で『もう一度見る』と口にした兄さまは、再び絵本を開こうとしました。
突然その行動に至った兄さまを見た瞬間、ザァッと全身から血の気が引くような感じがしました。
「にいさまッ!!」
必死に叫んで止めようとしましたが間に合いませんでした。
絵本に触れた兄さまの手は、再びバチッという音と迸った静電気に阻まれるように弾かれてしまいました。
「ふぅん……。自然現象の雷、ね……なるほど、そういうことか」
「に……にい、さま……?」
絵本の封印魔術に弾かれたにも関わらず、ロイアス兄さまの表情は普段通りと全く変わりません。
先ほどのように、呆然とした表情で驚いている様子はありませんでした。
それよりも、納得したと言わんばかりの、満足げな顔にも見えます。
「確かにレーンの言う通りだね。微弱な雷を帯びた細い紐状の雲が絵本を守るように取り囲んでいる」
「え……?」
もしかして……
もしかしなくても……
「……にいさまには、みえ、てる……?」
「うん。正確に言うと、見えるようにした、かな」
「みえるように、した?」
「そう。レーンの封印魔術に弾かれたと同時に僕の魔力を注ぎ込んで封印を可視化したんだ。見てごらん、レーン」
そう言われて、兄さまの手元を見ました。
絵本の表紙を開いた方の兄さまの手から魔力が溢れているのが分かります。
先程も封印魔術で目にした淡い水色の光です。
私が絵本に施した封印魔術は、兄さまの手から放たれた魔力に球状に包まれるようにしてその姿を顕にしていました。
通常では目には見えないようになっている封印の術式がしっかりと形になっているのです。
「わたしのイメージ、こんなふうになってたんだ……」
思わず呟いたその声は力の抜け切った情けないものでした。
自分の頭の中で思い描いたイメージは、寸分違わず忠実に再現されていたのです。
驚いてしまったのも仕方がないというものです。
けれど、驚いてばかりもいられません。
心配なのは兄さまの手です。
なぜなら、最初に私のかけた封印魔術に弾かれて手が痺れたと言っていたのです。
それにも関わずこんなことをしているなんて正気の沙汰じゃありません。
失礼なことを思っているのは百も承知ですが、危険だと分かっているくせにわざわざ手を突っ込む兄さまも兄さまでしょう。
「あの、にいさま……その、て、は……?」
「ん?」
恐る恐る訊ねた私ですが、兄さまの反応は普段通りです。
その表情からは、痛いとも痺れているとも読み取れません。
「さっき、しびれたって……」
「ああ、それなら大丈夫。弾かれるその瞬間に、手の周りに魔力を集中させて防護壁を張ったからね」
「シールド?」
「さすがに何もしないままでは……ね。さしもの僕もあの痺れは相当堪えたから。正直あれをもう一度食らうのは遠慮したいよ」
なんと!
兄さまは封印魔術に弾かれるよりも先に手の周りに魔力を集中して防御を図ったらしい。
「それにしてもレーンは恐ろしいな」
「どうしてですか?」
「だってそうだろう? この完成された封印魔術を見ても何も思わない?」
「? わたしのおもいえがいたとおりのイメージですよ?」
「うん、それが恐ろしいと言っているんだよ」
「???」
「最初に言ったよね、簡単なイメージでいいと」
「? ……はい」
「果たしてこれは簡単なものだと言えるかな?」
「え~と……」
簡単です、なんて言ったら変な顔をされるかな?
でも本当に『静電気だ』って思いついてから次々に『こうしよう』っていう形が浮かんできたんだもん。
私にとっては簡単っていう以前に、こんな風に色々と思い浮かぶこと自体が当たり前で普通だったから、他の人が言う簡単の基準が分からない。
「一言で言うとこれは複雑。簡単なもので浮かぶイメージではないよ。レーンの説明を聞いて大体の形は想像できたけれど、それでもこうやってちゃんとした形を見るまでは、こんな風になっていたなんて分からなかったからね」
「にいさま……」
「全く……前提からして覆された気分だ」
「えっ?」
「封印魔術を施す際のイメージは大抵が一つであるケースが殆どだ。だと言うのに、レーンはそれを一つどころか二つも三つも掛け合わせているわけだから、僕がこう言いたくなっても仕方がないことだろう?」
「………………」
そんなこと言われたって、できちゃったもんはできちゃったんだ。
確かにイメージ自体、多少捻ってみたのは否定しないけど、それでも一つから次々に連想されて掛け合わせていったようなものだ。
「だから恐ろしいんだよ、レーンは」
咎めるでもく、窘めるでもなく、ただただ苦笑しながら兄さまが私の頭を撫でた。
いつの間にか絵本は閉じられて、可視化された状態だった私の封印魔術もすっかりと見えなくなってしまっていた。
「簡単なイメージで、ここまで複雑なものを思い描くことができるその想像力。そして何よりも……」
コンコンと軽く絵本の表紙を拳で叩き、兄さまは続ける。
「この歳でそれを形にしてしまえるそのセンスが恐ろしいよ。それもたった一度の試みで成功させてしまうのだから尚更にね」
言いながらも兄さまの苦笑は崩れない。
でも……この居た堪れなさは何なのだろう。
叱られているわけでもないのに、なぜか悪いことをしてしまって、それを反省している気分になる。
「できれば、これから先は複雑なイメージの封印魔術は使わないようにね」
「にいさま」
「封印魔術だけに限らず、他の魔法に関しても同じかな。下手に才能があると気付かれでもしたら、魔術師団に勧誘されたり、もっと酷い場合は魔法研究のために利用される可能性だってあるからね」
「う゛ぅ゛……ッ!」
それは嫌だ。
別に魔法に興味がないわけではないけど、究極にまで極めたいとかちっとも思わないし、魔術師団に入るとか絶対に危険だと思う。
おまけに研究材料になるとか論外だ。
何をされるか分かったもんじゃない。
そんな危険地帯に踏み込んだら最後、次々に死亡フラグを建築してしまうではないか。
冗談じゃないぞ。
ゲームのシナリオの悪役令嬢フローレンの破滅フラグを叩き折ろうとしてるのに、なぜにまた、ここでも違う種類の破滅フラグを立てにゃならんのだ。
っていうか、さり気に兄さま脅してきてね?
絶対これ脅しだよね?
気のせいじゃないよね?
ジト目で兄さまを見上げると、案の定、苦笑が返ってきました。
「冗談だよ。魔術師団に勧誘というのは有り得ない話ではないけれど、さすがに研究のために利用されるというのはないから」
「……………………」
────コンチクショウめ……!
どうやらからかわれていたようです。
っていうか、ホント兄さまのキャラはどこ行った。
これがどうなったらあの堅物ロイアスになるのか、誰か私に小一時間ばかし分かりやすくじっくり説明してくれないだろうか。
もうここがゲームの世界じゃないとは分かってはいるけど、このキャラのブレというか……どうしても全くの別人みたいで気になってしょうがないよ!