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今の私と、過去の私 3




~今の私と、過去の私 3~




その後。

兄さまに抱きかかえられたまま、私はお母さまの待つサロンへと向かうことになりました。

自分で歩く気満々だった私なのですが、兄さま曰く『この方が早いから』とのことで、サロンまで降ろしてもらえなかったんですよね。

まぁなんとなく理由は理解できます。

サロンに向かう途中で、何度も何度も私が絵の前で足を止めてしまうと思ったんでしょう。

目を惹かれた絵から遠ざかる度に『あ~……』と残念な声を上げる私に対し、どれくらいの回数の『あとで』の言葉を兄さまが発したことか。

さすがロイアス兄さま、レーンの行動を一から十まで細かく把握しておいでで。

そんなこんなで、余計な寄り道をすることなくサロンに到着した私は、待っていてくれたお母さまと一緒に、思う存分お茶とお菓子を堪能しました。

朝ごはんもお昼ごはんも抜いていてお腹がスカスカ状態だったので、いつも食べている以上に食べられた気がします。

正に至福のひとときでした。

お菓子、最高です。

口の中でほろほろと解けていくこの焼き菓子なんて、いくらでも食べられそう。

それになんだかとても懐かしい感じがします。

この口に入れた時にいっぱいいっぱいに広がっていく香りも、サクサクと優しい食感も、遠い昔にどこかへと置き忘れてしまったかのような不思議な懐かしさを感じるのです。



────……あ



……思ったその時、ふと頭の中をあることが過りました。

それは、今ではなく、遠い遠い前世(かこ)の記憶。


優しい笑顔と、甘い香り。

差し出されたそれに歓喜の声を上げるのは、レーンではなかった頃の私。



『いつも頑張ってるあなたに差し入れだよっ』



そう言って顔を出してくれるあの子を、いつも楽しみに待っていた私。

大切にしていたあの頃の時間、そして思い出。



────そうだ、あの子だ

────私の夢を、ただ只管に応援してくれていた……



私の大好きなお菓子を差し入れに持ってきてくれて。

挫けそうになった時は叱咤したり、励ましてくれたり。

いつだって、どんな時だって、私の支えになってくれたあの子だ。


今、お菓子とあの子が結びついた。

お菓子の甘くて優しい香りが、あの子の存在を、私の記憶の中から引きずり出した。

ロイアス兄さまの魔法に触れた時だってそうだ。

あの時も確かに、私の頭の中に、はしゃぐあの子の姿が浮かんだじゃないか。


ふとした何かが、私の前世(かこ)の何かに触れる。

最初は、兄さまの魔法。

さっきの絵だってそう。

今のお菓子だってそう。

何気ない小さな小さな切っ掛けが、何かの拍子に私の前世(かこ)の記憶に揺さぶりをかけているみたいだ。


知ろうとしたからだろうか。

分かりたいと思ったからだろうか。

思い出そうとしたからだろうか。


そんな私の思いが、少しずつ少しずつ、失った何かに手を伸ばそうと動き始めている。


「……あまい、かおり」


ぽつんと呟いたそれは、無意識に零しただけの独り言。


「レーン?」


だけど、しっかりとそれを拾った誰かがいて。

独り言だったはずのそれは、独り言ではなくなってしまった。


「甘い香りがどうかして、レーン?」


不思議そうに訊ねてきたお母さまの言葉にハッとなる。

完全に意識は違うところに向いていた。

レーンとしての私を思い返そうとしていたよりもずっと遠い、レーンではなかった頃の前世(かこ)の私の方へと。

慌てて誤魔化しにかかった。

今までのレーンのことではなく、レーンではなかった頃の私を思い返していたなどと悟られるわけにはいかない。


「すきだな、って、おもっただけです」


甘いお菓子の香りが大好き。

今も昔も、私はお菓子の甘く優しい香りが大好きだ。

それを不自然にならないように、言葉少なに口にした。

幼い今の私ならば、それだけで意味のある発言になるし、そして何よりの誤魔化しにもなる。

思った通りにお母さまは私の言葉を額面通りに受け止めてくれた。


「変わってしまったと思っても、決して変わらないところもあるものね」


『ふふっ』と柔らかい笑みを浮かべながらお母さまはじっと私の顔を見つめる。


「おかあさま?」


私を見つめたまま、ニコニコと笑顔を崩さないお母さまはそっと私の頬に手を伸ばした。


「あなたはいつも幸せそうな顔でお菓子を食べているけれど、特に大好きなものは、ゆっくりと噛み締めるように味わっていたものよ。今もそうしていたようにね」

「!」


なんと!

前世の記憶に意識が向きかけていたその時の私は、お母さまの目には大好きなお菓子を存分に堪能していたように映っていたらしい。

不自然どころか自然体だったとは。

さしもの怪獣レーンも、お菓子を食べている時()()はおとなしかったと見える。

ホント絵本の『怪獣ドルン』まんまじゃないか。


「好きなものは好きなまま。やっぱりレーンはレーンね」


何度となく繰り返されてきた言葉がストンと心に落ちてくる。

ニコニコ笑顔で差し出された焼き菓子を受け取ると、その笑顔が更に柔らかいそれへと変わった。


「レーンは、絵も好きでしょう?」

「はい」

「先ほどロイアスに連れていってもらったところでも、たくさんの絵を見てきたと思うのだけれど。レーンはそのたくさんの絵を見てどう思ったのかしら?」

「……やっぱり、すきだとおもいました」

「描きたいという気持ちは起こった?」

「はい。かきたいとおもいました」


これは兄さまにも答えた通りの答えだ。

私のその返事に満足したのか、お母さまは『そう』と一つ頷いて、それからまた『うふふ』と笑った。

相変わらず少女のような人だ。


「いっぱいれんしゅうして、いっぱいかきたいです」

「レーンの好きなようになさいな」

「はい」


そうして二人笑い合ったところで、兄さまが言葉を挟んだ。


「母上、そのことで一つお願いがあるのですが」

「あら。何かしら、ロイアス?」

「絵を描くにあたって、スケッチブックがたくさん欲しいとレーンが希望していまして」

「まぁ。そうなの、レーン?」

「はい。いっぱいかきたいので、たくさんほしいです」

「ではレーンの希望通り、たくさん用意しましょうね。存分にお描きなさいな」

「はい!」

「他に欲しいものはないの?」

「にっきちょうがほしいです」

「日記帳ね。分かったわ」

「ふたつほしいです」

「二冊? さっきは二冊も欲しいなんて言ってなかったはずだけど、レーン?」


そうなのだ。

前世の私のこと、それと合わせて分かる限りでのゲームのことを書こうと思えば一冊でも十分だと思っていたのだ、さっきまでは。

けれど、ちょっとしたことから前世(かこ)の親友だったあの子のことがチラチラと頭の中に過りだしたため、前世の私自身に関わることは、ゲームのこととは別に書いた方がいいのかもしれないと思い直したのだ。

きっと一冊で全てを纏めるにはページが足りない。

ふとした時に読み返すにも両方がごっちゃになっていたら目的の箇所を探し当てるのに苦労する。

それを考えたら、最初から私自身に関わることとゲームに関することはきっちり分けて管理しておいた方がいいというものだ。


「わたしのこと、かくことがいっぱいふえました」

「? ああ、さっき言っていたレーンの秘密メモのことかい?」

「そうです、にいさま」

「レーンの秘密メモ? それは何かしら?」

「自分のことで気がついたことを書き留めておきたいみたいですよ、レーンは。あまり人には見せたくないようなので、日記帳に書くのだと言っていました」

「まぁ。そうなの、レーン?」

「はい。じぶんをしるためのわたしのひみつメモです」


私に関わる大事なこと。

それは誰にも言えない秘密であると同時に、私がここで生きていく上で、どうしても思い出さなければならない答えである気がする。


「レーンは面白いことを考えつくのね。なんだかとても楽しそう」


『秘密』というワードに惹かれたのだろうか、お母さまがニコニコしながらそう言った。

感覚的には子どもの他愛ない隠し事めいたものなのだろう。


……けど。


これは他愛ないどころか、本当の、本気での隠し事だ。

下手をすれば、一生一人だけで抱え込んで生きていかなければならないレベルの隠し事。

打ち明けられるとしたら、相手は今の私と同じ転生者に限られる。

出会えるかどうか、いや、存在しているかどうかさえも分からない。

仮に存在していたとしても、自分が転生者であることが分かるような言動を取ることはまずないだろう。

なぜならそれは『異質』だから。

異質な者が異質であることを主張するなど有り得ない。

あったとすれば、それはよほどのバカか考えなしかのどちらかだ。



────そう、私は、異質……



今更ながらにその現実を思い知らされ、知らず知らずのうちに手をぎゅっと握り締めていた。

手の中に焼き菓子があったことも忘れて。


「あ……」


『パキッ』という微かな音が、それまでの私の思考を遮断した。

気付けば手の中の焼き菓子は割れていて、小さく砕けた欠片がパラパラと零れ落ちていた。


「あらあら」


くすくす笑いながら、お母さまが私の手の中の割れた焼き菓子を取り上げると、それをさっとペーパーナプキンの上へと置いた。

それからタイミングよくメリダから差し出された手拭いで、焼き菓子の欠片まみれになった私の手をきれいに拭いてくれた。


「大好きなお菓子のことを忘れるくらいに、何を考えていたの?」

「え……?」

「お菓子以上にレーンが夢中になる何かが気になってしょうがないわ」


『うふふ』と笑ってお母さまは続ける。


「それも秘密にされてしまうのでしょうね。残念だけれど」

「おかあさま」

「いつかレーンが、もう秘密にしなくてもいいと思えたその時には。母さまに教えてくれる?」

「!」


それはあくまでも、話せるのならば、という前提での言葉だ。

話を聞いてくれるというその申し出も、その気持ちも本当にありがたいと思う。

けれど。

話せる時は、『いつか』は、きっと来ない。

それだけは最初から分かっている。

だけど、私は頷くのだ。


「……はい」


心配をかけてしまっている家族を安心させるための小さな嘘で。



────誰にも、秘密……



これは決して誰にも言えないこと。

()()()()()()でない限り、前世(かこ)の私のことも、あの子のことも話せない。

一人で抱えて生きていくための、私だけの秘密メモ。

誰にも言えない事実と向き合うために必要な、気休めにも等しい一種の逃げ道のようなもの。


……でも。

私は逃げない。


こうしてフローレンとして生まれ変わって、フローレンとして生きていくと決めた。

これからフローレンとして生きていく中で、挫けたり、逃げたくなる時が必ず来ると思う。

そんな場面に直面した時、冷静に自分を見つめ直すため、私は私のことを記録して残しておく。

意味があるかどうかは、その時にきっと嫌でも分かるだろう。



────二冊で足りるかな……



次から次に書くことが増えて、あっという間にページがなくなりそうな気がする。



────ま、いっか

────足りなくなったらその時にでもまた考えれば



そんな風に安直に思ったこの時の私なのですが。

まさかその後『日記帳がみるみるうちに足りなくなり、最終的には両手で数えても足りないほどの数が必要になる』という事態に陥ってしまうという未来が待ち構えているなんて、思ってもいませんでした。


一寸先は闇、とはよく言ったもんです。

生まれ育って慣れ親しんだ日本を離れ、違う世界に来てから初めてそれを痛感することになるとは。

いやはや、人生というやつは何があるか分からないもんですね。





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