第五章14 大切なもの
――消えていく。身体はしっかりと残されたまま、しかしその内から溢れていた力が、あっという間に消え去っていく。
その無力感を噛み締めながら――ツカサは、バタリと倒れ込んだ。
「……」
「……」
静まり返った空間。五人の人間が居るというのに、不規則な二つの荒い息遣いのみがやけにうるさく聞こえてくる。
他の誰もが声の出し方を忘れてしまったばかりでなく、身動き一つ、呼吸の仕方すら記憶の彼方に置き忘れてきたかのような静寂。
「う、」
その静寂を――
「うおおおおおおおっ!」
ミコトの突き上げる拳と快哉が、勢い良く突き破った。
その意味を理解し、ユウが続けて雄叫びを上げる。リョウカが口を押さえて崩れ落ち、アカリがミコトに向かって駆け出す。
しかしその歓喜の光景を、ツカサは見ていなかった。
目を瞑り、息を吐き出し、そしてぐるぐると回る思考が頭に鳴り響く。
――ああ、僕は、負けたのか?
しばらく無力に横たわって、しかしツカサは目を開けた。
そして上体を起こして座ってみれば、ミコトとアカリが抱き合い、傍に立つユウがそれを見守り、少し離れたところでリョウカが喜びの涙を流している。
試合終了。勝者の喜び。感動の勝利。
どう見ても、そういう景色だった。
ツカサがミコトに命じた内容はシンプルに一つ。『消えろ』、だ。
彼が今も存在しているということ自体が、ツカサの敗北を意味している。
だがしかし――納得はできない。
「……どうして」
その思いが、ツカサの口から言葉となって零れ落ちる。
途端、喜びを分かち合う四人がぴたりと止まり、ツカサのほうを見た。
「どうして。なんで。なんで、僕は負けた?」
一度溢れれば、それは止まらない。
「どうしてですか? なんで、彼女はいきなり現れたんですか? 彼女はスキャンに映っていなかった。その理由は何となく分かります。でも僕は会場全体の、動く物体の位置を正確に把握していた。一体どうやって、僕の索敵を逃れたというんですか? 分からない。全く分からない」
ツカサの口は未練たらしく、次々と問を紡ぐ。分からないことを全て母親に訊こうとする子供のように。
「いや、何よりも分からないのは――」
そして続いた言葉は――さらに幼い、駄々のような言葉だった。
「どうして、僕は彼に負けたんですか? 僕の意志は強かった。想像力だって誰にも負けていなかった。だからここまで勝ち残ってきたんです。それなのに、どうして彼に負けてしまったんですか? 僕の想いは、誰にも負けていないはずなのに――!」
こんんはなずじゃない。僕は強かった。僕は彼女を。
負け惜しみ以外の何物でもない言葉を吐き散らかしながら、しかしそれでもツカサは理由を求めた。
この行き場の無い、耐え難い無力感の理由を。
「……まず、最初の疑問に答えるとな」
おもむろに、ユウがそう言葉を発した。
「お前は、俺たちのことを知らなさ過ぎたんだよ。リョウカの能力を、お前は知らない」
「彼女の、能力……?」
そして語られた言葉で、ツカサは気が付く。
彼女が自分の前で、一度も能力を使っていないことに。
「私の能力は、『完全停止』。触れた物体に流れる時間を、完全に停止させる能力です」
「完全に……停止……」
リョウカ自身に告げられたその能力を、ツカサはオウム返しに呟く。
完全停止。止まる。動かなくなる。それは、つまり。
「お前の索敵は確かに凄かった。でも、前提を間違えてたんだよ。言ったよな、お前――『会場全体の、動く物体を把握していた』って」
ツカサは、確かにそう言った。そしてそれで完璧だったはずだ。
何しろ、ツカサの感覚から逃れられるものは居ないのだから。どんな僅かな動きだって、ツカサにはありありと感じ取れるのだ。
だが――
「敵は必ず動くものだと、お前は思い込んでいた。それはお前の感覚が鋭すぎて、どれだけ息を潜めようともその動きを感じ取れてしまうからだ。実際、生き物が完全に自分の音を消し去るのは不可能だからな。でも……」
そんなツカサの心の内を読んだかのように、ユウは言い当てた上でツカサのミスを指摘した。
そう、ツカサは思い込んでいた。自分の索敵が完璧だと。そこから逃れるのは不可能だと。しかし。
「不可能を可能にするのが左手の能力だ。……それはお前自身が、一番分かってただろうにさ」
その言葉はツカサの安いプライドを、バッサリと斬り捨てた。
自分の能力が最強だというプライド。その力は借り物でしかないのだから、安いどころか価値のないものだと、今になってツカサは気が付く。
「結局、お前の能力は強過ぎたんだよ。だから俺たちのことを深く考えなかったし、相手の能力が分からないことを怖いとも思っていなかった。それが、お前がハナサキを見落とした原因。敗因の一つだよ」
確かに、ツカサの能力は最強だったのかもしれない。
しかし、ツカサ自身は弱かった。つい忘れてしまっていたそれを、今はっきりと思い知らされた。
「一つ……?」
打ちのめされたまま、ツカサはユウの言葉に問を投げる。
「ああ。もう一つ、お前の最大の敗因はな」
そして彼はそう言うと、ミコトに目配せをした。これはお前から言ってやれ、と言うように。
ミコトは頷いて、それに応える。
「ツカサくんが、一人だったから」
そうして彼が放ったのは、そんな言葉だった。
「……このゲームは、本来二人一組だったはずだ。お前、相方をどうした?」
「消しましたよ。足手纏いですから」
再び口を開いたユウの問に、ツカサは軽々に答える。
ミコトに組むのを断られた時点で、それは決めていた。
初めて会う相手、それもここまで勝ち残っているような連中だ。信用などできるはずもないし、役に立つとも思えなかった。なら、相手より先に寝首を掻いておこうというものだ。
「どっこい、お前の頭をしばいたヤツを見てみろ。能力も何も持ってない、ただの女の子だ」
「えへへ」
申し訳なさそうな誇らしそうな、なんとも言えない場違いな笑いを浮かべる少女。
確かに、彼女はツカサの意表を衝いた。
「どんなものも使い様――って言うと、言い方がアレだけど。お前は他人の価値を軽んじすぎたんだ。いや――」
ユウはツカサをそう断じた。
そして、その後に続いた「たった一人を除いて、か……」という低い呟きは、ツカサ以外には聞こえていなかったらしい。彼の暗い表情と声音は、ツカサに得も言われぬ感情をもたらした。
「でも……そういうことじゃなくて」
ミコトが口を開き、ツカサはその感情を置いて彼を見る。
そして、どうやら最後の決め手を彼は語った。彼とツカサの能力がぶつかり合った、あの時のことを。
「最後の瞬間、僕の胸の中には沢山の人の思いがあった。どんどん力が溢れてきた」
彼の表情は穏やかで、誇らしげで。それは、見ていて眩しいほどに。
「一人の力には限界があるんです。人間は弱い生き物で、だから、寄り添って、分け合って生きていくんだと思います。……皆がくれた力が、僕にそれを教えてくれたから」
ミコトの語る一言一言が、ツカサを優しく突き刺した。ツカサの心の弱い部分を、的確に、丁寧に。
それはきっと、昔のツカサなら分かっていたことで。
「僕は絶対に――絶対に勝てると、そう思ったんです」
誰かが自分を肯定してくれる――それが、何よりも強い自信になる。
決して一人では辿り着けない、確信に変わる。
それが、独りで戦ったツカサが敗北した理由だった。
「……誰よりも大切な人が居るってことは、すごく素敵なことだと思います。でも……」
黙りこむツカサに、ミコトは少し考えて口を開く。
「だからって、他の人を蔑ろにしちゃ、いけないんです。それが……僕が、学んだことだから」
続いた彼の言葉は、ツカサにとって『正しいこと』として響いた。
今さら否定するべくも無い。それがツカサが負けた原因で、かつて持っていた『正しさ』なのだから。
――そのせいで、一番大切なものを失ったとしても。今なら、それが分かる。
「そんな綺麗言……一番大切なものを死ぬ気で愛して、何が悪いんです」
しかし、それを素直に認めるのが悔しくて、ツカサは今度こそ本当に駄々を捏ねた。
自分でも正しくないと思う、幼稚な言い訳。しかし間違いなく、自分の思っていたこと。
「ちっとも悪くなんかないです。でも、」
それをミコトは、否定せずに受け止めて。
そして――
「それ以外のものも、愛せたら。そのどれよりも大切な一番のものは、最高のものになると思いませんか?」
笑ってしまうくらい、さらに綺麗な言葉で塗りつぶした。
愛に限りなんて無い、というその言葉は、ツカサのちっぽけな想像力を遥かに超えていった。
――なるほど、これは敵うはずがない。
「ぷっ……」
彼の優しさに、その大きさに。ツカサは思わず吹き出し――
「ははははは! はははっ、ははははは……っ!」
笑いと、そして涙が零れ落ちた。
ツカサはずっと、自分のあの時の行動を悔やんでいた。
大切なものを放って、他のものを助けたあの時のことを。
だからツカサは、ミコトを否定した。ミコトと、かつての自分を、完膚なきまでに。
しかし――ミコトの言葉は、その否定を否定した。
かつてのツカサも、間違っていなかったんだと。他のものを大切にしたからって、一番大切なものを捨てたことにはならないと。
そう認められて――救われた気がした。
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「……前言を、撤回します」
ツカサはひとしきり笑って、泣いた後、静かにそう発した。
そして――
「貴方は、その幼馴染の女の子を愛していた――とても、愛していた」
驚くほど、その言葉はミコトの心に染み渡って。
思えば、ミコトは彼をそれほど憎んではいなかった。ユウキを消したことを許すつもりは、もちろん無いけれど。
だが――ミコトはどこかで彼のことも、尊敬していたのかもしれない。
一人の女の子を一途に想い続けた、強い心の持ち主として。
だからきっと、彼に認められることが、とても嬉しかった。今までの戦いが、苦しみが、頑張りが、そこで報われた気がしたのだ。だから――
「――はい」
ミコトは静かに答を返し、満ち足りた笑顔を浮かべた。




