第五章13 強制退場
「一つ、提案なんだけど……」
時は少し遡り、サクラとの戦いを終えた後。
作戦会議を終えようとした時、アカリはそう切り出した。
「ミコトくん……私を、今ここで退場させてくれない?」
「え……!?」
その言葉に、ミコトは面食らった顔をする。
鳩が豆鉄砲を食らったような、というのは彼にとても似合う表現だと思う――なんて、失礼かもしれないが。表情豊かで平和主義、そんな彼にはぴったりではないか。
「アカリ、どういうこと?」
そんな感想を浮かべているアカリに、リョウカが問い質す。
もちろん、アカリはただ退場することだけが目的ではない。
「ほら、スキャンの結果には参加者しか表示されないんでしょ? それに右手で消えなくなるから、私がいきなり現れて右手をキャッチ! って――」
「いやいや、ダメだよ! 絶対ダメ!」
その意図を説明すると、理解した途端にミコトが猛烈な勢いで反対の声を上げた。
「確かに右手では消えなくなるけど、大怪我したら死んじゃうんだよ!? そんな危ないこと、ハナちゃんにさせられないですよ」
ミコトの激しい反対の声は、アカリを大切に思ってくれていることの表れだ。だから当然、その言葉は嬉しい――それこそ、泣きたいくらいに。
「分かってるよ」
だが、だからこそ。アカリはその言葉に、甘える訳にはいかなかった。
「私だって、普通なら死んじゃうような大怪我もしたから。危ないって分かってるし……怖いよ」
第三ゲーム、ミコトを庇ったことは全く後悔していない。誇らしくすらある。
しかし、あの痛みは一度経験したら忘れられるようなものではない。
自分の身体に、何かよく分からない気持ち悪い物体を詰め込まれたような感覚。それでいて、身体中の何か大切な物が抜け落ちていくような、虚ろで寒々しい感覚。
今までに感じたことのない、しかし疑いようのない濃厚な痛みと死の感覚だ。
それは、恐怖以外の何物でもなかった。
しかし、それ以上に――
「でもね、私、怖いんだ。自分が死んじゃうことよりも……ミコトくんが、死んじゃうことの方が」
それが、アカリの正直な気持ちだった。
ずっとそうだ。ここまで頑張ってきた理由は、ただそれだけ。命を大切にするとか、正しいことをしたいとか、そんな高尚な目的はアカリには無くて。
ただ、自分の大切な人に生きていてほしい。ほんの少しでもいい、その力になりたい。
そんな、当たり前すぎる感情だけだったのだ。
「私の能力は、もう必要ないでしょ? だから、どうすれば役に立てるか、一生懸命考えたんだ」
「ハナちゃん……そんな……」
もう、『元気百倍』なんて能力は必要が無い。だって、ミコトたちはもう折れないから。
そう考えたとき、思い付いた一番役に立てる方法はそれだけだった。ほんの少しでも、ツカサを驚かせて、隙を作ることができたら。
「ユウくん。私、それなら役に立てるでしょ?」
「……」
先ほどからだんまりを決め込んでいるユウに、アカリはそう水を向ける。
彼が黙っているのが、その有効性を暗に示している。無駄なら無駄と彼は言ってくれるし、ミコトを気遣って黙っているのは簡単に想像できた。
「お願い。私――最後に後悔したくないよ。最後まで、一緒に戦わせて?」
「……!」
「アカリ……」
ミコトとユウが、ハッとしたような表情を浮かべる。リョウカが揺れる瞳でこちらを見つめている。
差し出すべき言葉は差し出した。後は、願うしかない。この気持ちに、皆が応えてくれるように。
表情をころころと変えて、苦悶を露わにするミコト。彼の目を、アカリは真っ直ぐに見据えた。
やがて目が合い、見つめ合い、ほんの数秒間――しかし間違いなく、二人の心が通う。
「……わかった」
そして、想いは届いた。
ミコトはゆっくりと、しかし間違いなく頷いて、アカリの願いを受け入れてくれた。
「ミコトくん……!」
「でも、ハナちゃんの出番は最後の最後! できることは全部やってから! そうでしょ、ユウくん!?」
アカリが溢れる喜びを顔に浮かべると、ミコトはその声を遮ってそう釘を刺した。
そのまま彼がユウに話を振ったので、アカリもリョウカもユウに向かって視線を送る。
「ああ、そうだな」
三人の視線をまとめて受け止めて、ユウは微笑んでそう答えた。
そして、こう続ける。
「で、だ。それを踏まえて、俺から提案だけど……」
真剣な表情に変わったユウの話に、三人も真剣に耳を傾けた。
「……っていう作戦。ハナちゃんの度胸と適応能力が試される感じになるけど……どうかな」
ユウが立てた作戦の説明を、三人は黙って最後まで聞き終えた。
――流石、と言うか。よくそこまで考えが回るものだなと思う。
「どうかなって、そうしないとマズいんでしょ?」
だから、アカリの答はそうなる。どうかなも何も、きっと彼の中で最適解はそれなんだろうから。
「まあ、そうだな。これ以外だと十中八九失敗する」
「なら、悩んだりしないよ」
案の定返ってきたユウの言葉に、アカリも淀みなく答を返す。
そして笑って、こう続けた。
「ユウくんのこと、信頼してるんだから」
ここまで、一体どれだけ彼に助けられてきたことか。正にユウ様仏様、足を向けて眠れないというもの。彼に朝の挨拶を忘れていたどこかの誰かを、膝詰めで滾々と叱りたいくらいだ。
「うん……うん。……そうだよな」
彼はちょっと驚いた様子を見せた後、やがてゆっくりと、何かを噛み締めるようにそう答えた。
そして一呼吸間を置いた後、決然とした声を上げた。
「よし! それじゃあ、ツカサに一泡吹かせるとしよう!」
「「「おー!」」」
その声に、三人が揃って気合の声と拳を上げる。
やることは固まった。後は――
「じゃあ、ミコトくん。お願い」
アカリは両手を広げてそう言った。
ここでやるべき、最後の仕上げ。アカリの退場だ。
「……うん。じゃあ、手を握ってもらっていいかな」
そう言いながら、ミコトは自分の左手を差し出した。
アカリはじっと、その手を見つめる。
その手に触れれば、もう後戻りはできない。アカリは退場し、生身で最後の戦いに向かうことになる。
――恐怖はある。でも、迷いはない。
アカリは左手を差し出し、ミコトの掌にそっと重ねた。
大丈夫だ。きっと上手くいく。それに、ようやく――
「じゃあ、行くよ?」
「うん」
遠慮がちに声を上げるミコトに、アカリは笑ってそう答えた。
「――『強制退場』」
そして、ミコトの声が響いた。
能力が発動し、アカリはゲームから退場した――
「……びっくりするくらい、何も変わらないんだね」
はずなのだが。
ミコトが手を離しても、自分の身体に変化が生じたようには思えない。
「大丈夫、ちゃんと退場できてるよ。ほら」
しかしミコトがそう言って左手を再び差し出したので、おそるおそる、今度は右手をゆっくり伸ばす。
「あ……」
そして、伸びきらないアカリの右手を、ミコトが左手で不意に握り締めた。
「ね?」
「……うん」
温かい。握られた右手で、ミコトの左手をぎゅっと握り返す。
――ようやくだ。ようやく、普通に手を握れた。右手と右手ではなく、右手と左手で。
それが堪らなく嬉しくて、でも手を繋ぐだけじゃ不満で、だけど今は我慢しないといけないから苦しくて。
「……ミコトくん。右手も出してくれる?」
色々な思いを押し殺して、アカリはそれだけミコトに告げた。
「? うん」
首を傾げながら差し出された彼の右手を、アカリは左手で握る。
「んーっ!」
そして両手を繋いだまま、ぎゅっと力を込め、目を瞑って、声を上げる。
「な、なに……?」
「どうかな。元気、出た? 元気百倍?」
戸惑うミコトに、アカリはそう訊ねた。
「うーん……元気百倍ではないなあ」
「そっかあ……」
ミコトの答は予想通りで、アカリの能力は失われたと再確認する。
このゲームで唯一、あの能力だけは気に入っていた。だから少し残念な気もするが、あんな能力が活躍する機会はないほうがいいのだ。
そうやって前向きに捉えようとするアカリに――
「うん。百倍なんてもんじゃないですよ」
ミコトがそう言って、いつもの笑顔でその思考を全て吹っ飛ばした。
****************
――百倍なんてもんじゃない。
アカリが居てくれるだけで、ミコトの元気は千倍にも、万倍にもなる。まして手を握ってくれたなら、それはもう元気無限大というものだ。
今だってそう。
後ろから走ってきたアカリが、バレーのスパイクの如く、あまりにも綺麗にツカサの頭を叩いたのだ。その光景が可笑しいやら、気持ちいいやら、頼もしいやら。
ともかく、ミコトは元気と勇気が湧いてくる。
そして湧き出る感情を力に変えて、ミコトは最後の一歩を踏み出した。
左手がツカサに向けて伸びる。右手をアカリに封じられたツカサが、こちらに向かって左手を伸ばす。
「これで――」
「最後だ!」
二人の声が交錯し、二人の左手がお互いを捕まえた。
「『強制退場』!」
「『絶対支配』!」
これが正真正銘、最後の戦いだ。
触れた参加者を問答無用で退場させる『強制退場』。
触れた物を問答無用で従える『絶対支配』。
お互いに能力を発動したとすれば、即座に矛盾が生じる。
ミコトの能力と、ツカサの能力。ミコトの想像力と、ツカサの想像力。ミコトの意志と、ツカサの意志。
そのぶつかり合いを制した方が、勝利する。
負けられない。ミコトの願いが、皆との約束が、これまでの全てが、この瞬間に懸かっている。
全神経を集中し、ミコトは頭の中にイメージを描く。
ツカサを退場させ、仲間と喜びを分かち合う瞬間を。
その光景が、振り絞ったと思っていたミコトの気持ちに、更なる活力を与えた。
どんどん湧き上がる。湧き上がって、溢れて止まらない。勝つ。勝ちたい。皆のために。皆と一緒に。絶対に――
「うおおおおおっ!」
「はあああああっ!」
二人の雄叫びが、何もかもを切り裂いて響き渡った。
――きん。




