第五章7 あの時
レオンスプリングタウン。そのうちの、umiとyamaを繋ぐ連絡通路。直角三角形の斜辺に当たるその通路は、他の二つと比べて距離が長い。
そこを、ミコトとユウは歩いていた。umiからyamaへ向けて、真っ直ぐに、黙々と。
歩きながら、ミコトは自分の心臓が激しく脈打っているのを感じる。
これから一世一代の大勝負に挑もうと言うのだから、それも当然だ。今まではほとんど巻き込まれるままに戦ってきたが、今度は違う。
明確に、戦う相手まで理解した上で、真っ向から戦おうとしている。
ここまでの、常に身の危険があるという肌がひりつくような緊張感とは違う。体の内側が冷えていくような、胃袋の辺りが縮まるような感覚がある。
戦うべき相手は、ミコトたちの行く先で待ち構えている。それは、ユウの研ぎ澄まされた感覚によって分かっていた。向こうも当然、ミコトたちが向かって来ているのを分かっている。
それがそのまま、お互いの立場を表している。つまり、ミコトたちは挑戦者なのだ。頂点に立つ相手に挑む、挑戦者。
不安はある。恐怖もある。だが、準備は出来ている。
ミコトとユウが会話をしないのは、それが既に必要のないものだからだ。話し合うべきことは、既に全て話し終えてきた。後は、それを実行するだけだ。
そして――歩きついた、その先に。
「こんにちは。やはり、勝ち残っていたんですね」
「そっちこそ。随分派手に暴れたみたいだな」
yamaと連絡通路の境目、円形の広場になったところで、彼――ツカサは待ち構えていた。
話しかけてくるツカサに、ユウが言葉を返す。
「こんなもの、暴れたうちに入りませんよ。彼との勝負に比べればね」
「……それもそうだな」
『彼』。それが指すのはただ一人、ユウキだ。ツカサの戦歴でも、おそらく最強だったであろう相手。
そして、ミコトたちとツカサを結ぶ因縁の人物だ。
「おや、冷静なんですね。ユウキさんの話題を出せば、少しは動じてくれるかと思ったんですが」
いけしゃあ」しゃあと、ツカサはそんなことを吐かした。
相手の逆鱗と分かっている部分に、躊躇なく触れて冷静さを奪おうとする。絶対的な強さを持っているくせに、そういう搦め手も利用してくるのだから手に負えない。
もっとも、強さがあるからこそできる発言でもあるが。
「……お前、やっぱり性格悪いな」
「あの時に自覚しました。だからもう、躊躇しないことに決めたんです」
直截に指摘するユウに、ツカサはそう言って笑みさえ浮かべて答えて見せた。
「どうしたんですか、ミコトさん。さっきから静かですが」
そして彼は、不意にミコトに水を向ける。
ここまで一言も発していないミコトは、ただ一言だけ、こう告げた。
「……僕たちが、勝ちます」
「もう、言葉は不要という訳ですか。いいでしょう」
その通りだ。彼と戦うことは、既に決まっている。彼には彼の、ミコトたちにはミコトたちの信念がある。どちらが正しいかなど関係ない。
必要な言葉は、既に交わし尽くした。それでもお互いに相容れない以上、もう戦うしかないのだ。
互いの信念を懸けて戦い――勝った方が、願いを叶える。このゲーム、この鬼ごっこの、最後の大勝負だ。
そして次の瞬間、全てが動き出す。
開始から二十五分が経過。三度目のスキャンが表示される。
それを合図に、先に動いたのはツカサだ。先ほどリョウカたちが取った作戦を、彼もまた利用したのだ。
彼は瞬間移動で、ミコトたちの背後に現れる。普通なら、それだけで勝負が決してしまうような一手。
しかし彼の伸ばしたその右手は、待ち構えていたユウの聖剣によって弾かれた。
「その剣は……」
「ああ、お前なら分かるよな」
ほんの少しだけ驚く様子を見せたツカサに、ユウは返す刀で斬りかかる。
そこから数度に及んで、瞬間移動と剣戟の応酬が続いた。
その後ツカサは距離を取り、唐突に床に手を着いた。
それに合わせて床は大きく盛り上がり、巨大な質量を持った波を発生させる。
「『エクス』……」
応えるように、ユウは呟きと共に聖剣を大上段に構える。
それと同時、ミコトは隣でツカサと同じように床に手を着いた。
「『カリバー』!!」
ユウの叫びに合わせ、ミコトは能力を発動する。
二人に向かって迫る硬質な濁流が消え失せ、開けた視界を、ユウの振り下ろした刃から放たれた光流が埋め尽くした。
「――驚きました」
二人の背後から声が響き、ユウが再び迫る右手を剣で受け止める。
「そこまで再現可能だとは思っていませんでしたし――何より、ミコトさん」
間近でユウと顔を合わせながら、ツカサは語る。そしてちらとミコトに目を向けると、こう続けた。
「貴方も、その領域に到達したんですね」
彼は今のやり取りで、ミコトたちが使った手を全て把握したようだ。
ユウの能力による、聖剣の再現。そして、ミコトの『強制退場』の真の力。
ユウが剣を振り抜き、弾かれる形でツカサは飛び退いた。
「ああ――ユウキさんの剣と、ユウキさんの能力。一度はお前を追いつめたこの力で、今度こそお前を倒す」
そしてユウが、ツカサに向けて剣を突きつけ、そう宣言した。
***************
ツカサは思い出す。彼との――ユウキとの、激しい戦いを。
最初は、訳が分からなかった。ツカサがユウキの全身を覆う拘束を成功させ、勝利を確信した時。
彼はその拘束を、一瞬にして消し去って見せたのだ。
それまでに彼が見せていた力では、どうやっても説明の付かない現象。しかしそれは、何度かの試行と思考、観察と考察の末に、ようやく一つの理解を見た。
何度か、と口で言うは易いが、それは相当に大変な道のりだった。何しろ、彼がその手を使うまで追い込む必要があったのだから。
四方八方からの地面の隆起。逃げ場がないほどの大きさの物体の投擲。防ぎきれない破壊力を持った攻撃。
それらを繰り返してようやく、彼が『物体に掛けられた能力を解除している』と看破したのだ。
「なるほど……物体を『退場』させている、という訳ですか」
「おや、もう気付かれてしまったみたいだね。ご明察だよ」
ツカサの言葉に、ユウキはあっさりと頷いて見せる。
仕組みが分かったところでどうしようもないので、ツカサが察した時点で隠す意味は薄いだろう。分かっていないうちは、頭をそこに割かせるという効果もあっただろうが。
「結局、変わりませんね。お互いの実力は拮抗したまま。これでは勝負が着きません」
ツカサの打つ手を、ユウキはことごとく潰して見せ。
ユウキの打つ手を、ツカサは防ぐことができる。
お互いに決定打を持たず、しかも手札を出し尽くしているようだ。これでは泥沼である。
「ああ、その通りだ。だからこれは、お馴染みのアレだよ」
しかしユウキはそれを承知の上で、そう言って笑って見せた。
「後は覚悟と根性――心の勝負ってね」
「なるほど。それでは、負ける訳にはいきませんね」
続いた彼の言葉に、ツカサは敬意を以て応える。
お互いの能力は分かった。お互いの強さは分かった。後は心の勝負――先に集中力を切らし、心が負けた方が負ける。
これはもう、そういう勝負になったのだ。
そこから二人は、ひたすらに全力を揮い続けた。
心の勝負、と言ってしまった以上、どちらも一歩も退くわけにはいかない。二人の頭からは、お互いを打ち倒すこと以外の事情は全て消え去っていた。そうでなければ、目の前の敵を倒すことはできないからだ。
ツカサの瞬間移動。ユウキの剣戟。大地を従え、光を放ち、周囲のことごとくを破壊しながら、それでも尚二人の勝負は続いた。
しかし何度も言うように、単純な戦闘力ではユウキが常に一歩上を行っているのだ。それは技術であり、反射神経であり、戦いの経験である。彼が長年培ってきたそれらは、ツカサとて真似できるものではなかった。
それでも彼が攻めあぐねているのは、二人の武器と防具の数の違いのせいだろう。
ユウキの武器は、まずもちろん聖剣。そして、ツカサにとっては触れた瞬間にゲームオーバーの左手と、その他肉弾攻撃だ。防具は右手に持つ聖剣のみ。
対してツカサの武器は、まず全員共通、一撃必殺の右手。更に左手も、一撃必殺の効果を秘めている。相手に触れて支配してしまえば、それで勝利が確定だ。肉弾攻撃はもちろん彼も使える。
そして、ツカサは全身これ防具である。能力のお蔭で、ほとんどのダメージはまともに通らないのだ。
つまり、勝利条件がツカサの方が多い。
ユウキの勝利条件は二つ。ツカサの防御をぶち抜いて意識を奪うか、左手でツカサに触れるか。
対してツカサは、右手が触れるか、左手が触れるか、意識を奪うか。この時点で一つ差ができている。
更に言えば――むしろ、これが一番大きな点だが――ユウキにとって、ツカサの左手は完全な地雷なのだ。
「僕の左手が怖いですか?」
「ああ。実に厄介だ」
身体に触れればもちろんアウト。左手同士でも、どちらの能力が優先されるか分からない。それはツカサも同じだがら、どちらも左手は警戒している。
そして――
「その聖剣を、信じていたのではないですか?」
聖剣に、ツカサの左手が触れた場合。それが支配されるかもしれないと、恐怖を抱くのは当然だろう。と言うより、普通なら確実に支配できるのだ。
それを分かっていて、ツカサは敢えて煽るようにユウキに問いかける。
「ああ、信じているとも。でも、無策に突っ込むほど愚かではないつもりだよ」
ユウキの聖剣は、他の能力を無視して力を揮う――というのは、ツカサは知らない事実だ。だが、それくらいあっても不思議ではないと考え及んではいる。
実際これまで、色々な場面でユウキはそれを行使してきた。直近で言えば、透過の能力を無視して実体を捉えたり等だ。
それでも、ツカサの能力とぶつかったとき、果たして今まで通りにそれを跳ね返せるのか。
一抹の不安が、ユウキの行動を縛っていた。
「僕が欲しいのは、確実な勝利だ。一か八かに頼るほど、追いつめられてはいないしね」
煽りに簡単に乗ってこない辺り、流石としか言いようが無かった。
そう、攻めきれないのはツカサも一緒なのだ。これは単純に、ユウキが強すぎるというだけである。
何か、一つ。何か一つ、決め手が欲しかった。
その願望が、その思考が、ツカサに悪魔的な閃きをもたらした。
「では、追い詰めてみせますよ」
ツカサはそう言うと、一気に距離を詰めて攻撃を開始した。
重要なのはタイミングだ。ただそれを実行しても、何の決め手にもなりはしない。
ここぞ、というタイミング。そう、できれば――ユウキが勝利を確信した瞬間。
しかし、わざとらしく隙を作ってはいけない。それが察知されれば、ユウキは必ず警戒してしまう。
ごく自然に、ユウキが競り勝つ場面が必要だ。
つまり、結局は全力で戦うのみ。それで勝ててしまえば、こんな作戦を取る必要も無い。
強気で攻めればいい。その結果隙が生まれるのなら、それが作戦を実行する時だ。
そして、その瞬間は意外に早く訪れた。
ユウキに伸ばした右手が、聖剣によって弾かれる。それを囮とし、ほぼ同時に伸ばした左手をも、彼は防いで見せたのだ。前腕を斬り飛ばす勢いで左腕に直撃した聖剣は、今までで最速の動きをしたに違いない。
体勢が崩れたツカサに、止まらないユウキの聖剣が迫る。面を叩き斬る軌道の聖剣には、ツカサの防御を打ち破りかねない破壊力が籠っていた。
――ここだ。
ツカサは弾かれた左腕を勢いのまま後ろに回し、自分の背中に触れた。
そして、能力を発動する。
「な――」
ユウキが、驚愕の声を漏らした。それと同時、振り下ろす剣から力が抜け落ちる。
それもそのはずだ。何せツカサは――
「マ……」
ユウキが最も大切に思っているであろう女性に、化けたのだ。
『絶対支配』による形状の変化。それを自らに使い、マレイと呼ばれていた女性の外見をそっくりそのまま再現した。
正義の人である彼には、問答無用で叩き斬ることなどできるはずもない。
思惑通りに緩んだユウキの剣に、ツカサの左手が触れた。
「さあ、『一か八か』の時間です」
驚き、そして戸惑いに揺れるユウキの目を見ながら、ツカサはマレイの声でそう告げる。
実際、どうなるかは分からない。しかしツカサは、半ば勝利を確信していた。
左手の能力の優劣は、イメージと意志の強さで決まる。『心』を揺さぶり隙を作った時点で、ツカサは優位に立っていた。
そして何より、その確信こそが。
ツカサの勝利を決定付けていた。彼は何の躊躇いも無く、能力を発動した。
「……マレイ」
ユウキが、彼女の名前を呼ぶ声と。
――パキンと金属が割れる音が、虚しく響いた。
聖剣は、真っ二つに折れた。その切っ先を、見開いた虚ろな目でユウキが追いかける。
「……すみません」
我ながら、汚い手だったと思う。卑怯な手だったと思う。
しかし――その穢れた右手を伸ばし、気高い彼にべたりと触れる。
刹那、ユウキと目があった気がした。たとえそうだったとしても、この時の彼が何を考えていたかは、おそらく一生分からないままだろう。
そうして、ユウキは消えた。彼の持っていた荘厳な剣は、半ばで折れたままガランと音を立てて地面に落ちた。
――勝った。
激しい戦闘だった。ギリギリの勝負だった。その戦いを、これ以上は無い非道な手で終わらせた。
心臓は未だ激しく脈打ち、今さらのように冷や汗が背筋を伝う。
ツカサは荒い息で、落ちた聖剣の残骸を見つめる。それを拾い上げようとして、すぐに思い留まった。
「――すみませんでした」
そして聖剣に向かって、彼の名残に向かって、九十度の礼をして謝罪する。
そんな行動には何の意味も無い。ツカサがユウキを消した事実は、もう一生消えることは無いのだから。
「でも……僕には、成し遂げたいことがあるんです」
だから分かってくれ、などとは口が裂けても言えないが。
せめてもの誠意としてそう告げてから、ようやく聖剣を拾った。
これが、あの時起きた全て。ツカサの中の、『最強』との戦いの記憶。
そして――ツカサから見た、ユウキという人間の全てだった。




