第五章1 六十四人
六十四人。今現在、『イマジン鬼ごっこ』に参加している人数だ。
『①右手で触れられた参加者は、消える』
『②左手には、触れたものに影響を与える能力が与えられる』
『③参加者は、絶対に死なない』
想像力が物を言う、常に消失の危機と隣り合わせのデスゲーム。
全国の高校生が全員参加していたことを考えると、六十四人という数字は極めて少ないと言えるだろう。
勝ち残り、生き残り、願いが叶う一歩手前まで来ている――選ばれた者たちだ。
その選ばれた者たちの中に、彼――ミコトは入っていた。
彼の左手の能力は、『強制退場』という。
一人でも多くの命を救いたい――そんな思いから生まれた能力。
触れた参加者をゲームから除外し、唯一――今となっては唯一無二の、消失の危機から人を救える能力である。
戦闘力皆無のミコトがここまで戦ってこられたのは、ひとえに仲間たちのお蔭だ。
ユウ、アカリ、リョウカ。それ以外にも、手を貸してくれたり、共に戦ってくれた仲間も居た。
その中には、消されてしまった人も居る。その人たちのためにも、そうでない人たちのためにも。
ミコトは、最後まで勝ち残らなければならない。
それがミコトに唯一出来る、彼らへの恩返しだった。
「何を考えているのかしら」
と、それまでミコト一人だった空間に、突如女性の声が響いた。
なんだか随分と久しぶりに聞いた気がするが――二度と聞かずに済むのなら、是非そうしてほしい声。
即ち、このゲームの元凶にして支配者――女神である。
ミコトが今居るのは、ゲームの合間に必ず訪れる真っ白な空間。
特に何があるでもなく、女神と少し会話をする、それだけの空間だ。
「絶対に勝つって、それだけですよ」
ミコトは女神の問に、短く答える。この決意だって、もう何度も女神には伝えている。
毎度似たような会話しかしないと言うのに、何故わざわざこの空間に呼び出すのだろうか。理由なんて、無いのかもしれないが。
「そう。それにしても、本当に貴方が勝ち上がるなんて。ユウキが残るより面白いけれど、やっぱり意外だわ」
そして女神は、遠慮会釈なしにミコトの神経を逆撫でする発言をした。
ホシカゲユウキ。ミコトと同じ能力を持ち、ミコトより強く――ミコトたちを守るために消えた男だ。
彼が消えたという事実を、堂々と悪びれもせず口にされ、ミコトは女神を睨み付ける。
そもそも、このゲームが無ければ彼は消えずに済んだのに。
「『強制退場』なんて酔狂な能力を選んだのは、貴方たち二人だけ。どちらが勝つかを賭けていたなら、十人が十人ユウキを選んだでしょうね」
そんなミコトの視線に気が付いていないかのように、女神は言葉を続ける。
それに関しては、ミコトも異論はない。誰が見たってユウキの方が強くて、誰かがこのゲームの筋書きを書いたとしたなら、ユウキを主人公に据えただろうと思うくらいだ。
「このまま本当に貴方が優勝したら面白いけれど……」
「しますよ」
「それは無理ね」
自分の言を翻して、女神はミコトの決意を否定する。
「……なんで言い切れるんですか?」
ミコトは弱いし、勝ち残った他の参加者は強いに決まっている。しかしそれでも、そこまではっきりと断言はできないはずだ。ミコトだって、ここまで勝ち残った一人である。
不可解な女神の言葉に、ミコトは怪訝な顔で訊ねる。
「だって、最強の敵が残っているんだもの。貴方に彼は、絶対に倒せない。天と地が引っくり返って、まとめて崩れ落ちたとしてもね」
――最強の敵。そう聞いてミコトが思い浮かべるのは、今はただ一人だ。
サカキバラツカサ。『絶対支配』という反則的な能力を持ち――ユウキを倒した張本人。
そう、彼に勝たなければ優勝は無いのだ。その事実は、重たくミコトの上に圧し掛かる。
当然、ミコト一人では勝ち目はない。だが――
「みんなが居れば、あの人にだって勝てますよ」
ミコトは、一人ではないのだ。ユウが居て、アカリが居て、リョウカが居る。
それに――ユウキが残してくれたものだってある。
「…………ふふ、いいわ。精々、楽しませて頂戴」
ミコトの言葉に含み笑いをしながら、女神は両手を広げた。
そして、拍手を一つ打つ。
――いよいよ、次の戦いが始まる。
************
色も無い、音も無い、ただ空白に埋め尽くされた空間。
ここは嫌いじゃない。自分の雑念だとか周囲のしがらみだとか、そういったものが感じられない、落ち着ける場所だ。
ただ一つ、
「ねえ。今、貴方はどんな気持ちなのかしら?」
女神との対話の必要さえなければ。
「……どんな、って?」
問われた意図は理解していたが、彼――ユウは敢えて訊き返した。
あるいは、面と向かって誰かに言及してほしかったのかもしれない。
「ほぼ初対面の、善良な人間を犠牲にして勝ち上がったことについて。どう思ってるか聞かせて頂戴?」
果たして、女神はユウの予想通りの内容を、至極愉しそうな笑顔を浮かべながら口にした。
ユウたちを助けるために、ユウキは犠牲になった。そしてそれは、紛れも無くユウが採った作戦のせいだ。
「……別に、俺が頼んだわけじゃない。向こうから提案してきたんだ。もちろん、その提案に乗ったんだから、俺も悪いとは思ってる」
ユウは言い訳を口にする。おそらくそれは、自分自身に対しての言い訳だ。彼はきっと、そんなことでユウを責めたりしないだろうから。
ユウキだけではない。ミコトも、アカリもリョウカも、マレイでさえ、誰もユウのせいだとは言わなかった。きっと、そう思ってすらいないだろう。
ただ一人、自分だけが自分を責めている。
彼に提案される前から、ユウはその作戦を思い描いていたのだ。
更に言えば、実現こそしなかったものの、彼ごとツカサを消すことすら考えていた。
もしゴール地点で、残りの勝ち上がり人数を把握できていたなら。ユウはそれを実行していたかもしれない。
きっかり六十四人目で自分たちが勝ち上がれるように調整し、ツカサをルールの力で消す。
それくらい、ツカサは強かった。あの時のユウには、倒し方をそれ以外思い付かないくらいに。
「そう。じゃあ、そういうことにしておきましょう」
女神の言葉で思考から抜け出たユウは、彼女の目を見た。
愉しそうな――獲物を前にして舌なめずりする獣のような、そんな目だ。
「さて、いよいよ終わりが近づいてきた訳だけれど。貴方は、これからどうするのかしら?」
その目でユウをたっぷりと眺めた後、女神は更に問いを発した。
「なんで、そんな事を訊く?」
女神の視線と問を突っぱねるように、ユウは固い声で質問を返す。
「興味があるからよ。ここまでミコトを勝ち上がらせてきた貴方が、最後にどういう選択をするのか」
女神はその目を更に爛々と輝かせて、ユウを捕らえて放さない。心の奥底までも見透かされそうな視線に、ユウは体の内側が冷えるのを感じた。
「……別に、今までと変わらないよ」
ユウは女神から目を逸らし、呟くような声でそう返す。
そう、何も変わらない。頭を回し、能力を活用し、勝利を目指す。
そうやってミコトを勝ち上がらせ、そして。
「そう。楽しみにしているわ。何せ貴方は――」
貴方は何なのか、それは分からないまま――
白い空間は、更に白く消えていった。
************
目を開いて、驚いた。
目の前の景色が変わることに関して言えば、もう慣れてしまっている。しかし、移動した先が意外だったのだ。
ミコトは今、椅子に座っていた。
柔らかい布製の座面と背もたれ。肘掛はプラスチック製で、その先端に特徴的な機構が付いている。
目の前にも隣にも、見てはいないがおそらく後ろにも、同じ座席が並んでいるはずだ。
そしてそれぞれに、人が座っている。
辺りは薄暗い。高い天井には照明が点いているが、それは足元が確認できればいいというくらいの明るさしか提供してくれない。
そして――前方には、大きな白い幕がある。
そう、そこは映画館だった。スクリーンには何も映っていないが、観客は整然と座席に座っている。
全員ぴくりとも動いていないし、声すら聞こえてこない。これだけ人が居るのに、おかしな話だ。
しかし、試しに手を伸ばそうとしてみて納得した。身体が全く動かないのだ。おそらく、全員が同じように金縛りを喰らっている。
今ここに居るのが全て参加者だと言うなら――十中八九そうだろうが――、当然の処置だ。
もし動けるのなら、ここは今すぐにでも戦場になるはずである。
それを良しとしないのは――
「さて。みんな、よくここまで勝ち残ったわね」
全員を集めてのルール説明。それが、女神のやりたいことという訳だ。
スクリーンの前に現れた彼女の声は、スピーカーを使っている訳でもないのに良く聞こえた。
「これから第五ゲームの説明をするけれど。内容は至ってシンプルよ」
女神がそう言うと、スクリーンに文字が映し出された。
『ペア・サバイバルゲーム』
『①二人一組で戦う』
『②最後まで生き残ったペアの勝利』
黒い背景に白い文字で、たった三行の文章。記されたルールは、それだけだった。
「簡単でしょう? 要するに、最後の一組になるまで生き残ればいい。ああ、どちらか片方が生きてさえいれば問題ないわ」
女神の言う通り、第一ゲーム以来のシンプルなルールだ。ここへ来て、何の捻りも無いサバイバル。生き残れるのは二人か一人だ。
それはミコトたちにとって、吉と出るか凶と出るか。
「さて、早速ペアを決めていきましょう。ああ、無理矢理組ませるようなことはしないから安心して頂戴」
女神はそう言うと、パチンと指を鳴らした。すると次第に、会場にざわめきが広がっていく。
どうやら、全員が動けるようになったらしい。それと同時に――
「ミコト?」
「ユウくん!」
唐突に、ユウが右隣に居ることに気が付いた。お互いに声を上げ、驚きを露わにする。
それまで、隣に誰かが居るのは分かっていたが、それが誰かは全く分からなかった。これも女神の不可思議な力の為せる業なのだろう。
「ユウ!」
「ミコトくん!」
「ハナちゃん、リョウカちゃん!」
そしてその奥にリョウカ、更に奥にアカリが居ることにも気が付いた。
二人の声を聞いたミコトは、喜びの声を上げる。
こうして四人がまた揃ったこと自体、幸運なことだ。もしかしたら、ミコト以外の三人が消えていたかもしれないのだから。
「あいてっ」
思わず席を立ち駆け寄ろうとしたミコトだが、それは見えない壁に阻まれた。どうやら、第二ゲームの直前のような状態になっているらしい。
思い切り顔面をぶつけ、ミコトは痛みに声を漏らす。
「ああ、まだ自分の席から動かないで頂戴。今の席は、第四ゲームの勝ち抜け順になっているわ。仲間が居たなら、近くの座席に居るはずよ。今のうちに、話せるのなら話しておくといいわね」
チームを組ませるのだから妥当な方法、ミコトは痛む額をさすりながら、なるほどと納得する。
しかし、隣のユウが、その向こうのリョウカとアカリが、穏やかでない表情で固まっているのを見て、一つの事実に気が付く。
そう、勝ち上がった順に並んでいるのだとすれば。
ミコトの左隣、直前に勝ち上がった人物は――
「サカキバラ、ツカサ……!」
ミコトが振り返った先、すぐそこに彼は座っていた。
相変わらず穏やかな表情を浮かべ、こちらにちらりと目線を向けている。
「そんなに敵意剥き出しの目で見られると、流石に嫌な気持ちになりますね。仕方のない事でしょうが」
ツカサはそう語るが、彼の表情には微塵もそんな様子は見て取れない。声だって、世間話でもするような気楽な調子だ。
「分かってるなら、黙って睨まれてろよ」
ミコトを挟んで、ユウがツカサに向かって剣呑な声を上げる。苛立ちを隠そうともしないその声音は、ユウとしては珍しかった。それだけ彼も、ツカサに対して怒りを感じているのだろうか。
「いえ、そういう訳にもいかないんですよ。何せ、知っての通り僕は一人ですから」
「はあ?」
返ってきたツカサの言葉に、ユウは怪訝な顔だ。ミコトたちも全く同じ顔で、ツカサの言葉の意図が全く分からなかった。
黙ってろと言われて、一人だから黙らないという回答。どういうことかと首を捻るが、ツカサは予想外の台詞を口にした。
「もし、良ければ。ミコトさん、僕と組みませんか?」
「な――」
あまりの突拍子のなさに、言葉を失う。
笑えない冗談だ。いや、最早冗談にすらならない戯言だ。
ユウキを――自分たちの仲間を消した男と手を組むなど、本気でそんなことがあり得ると思っているのだろうか。ミコトは、彼の正気すら疑った。
「僕と組めば、少なくともこのゲームに参加している人は救えるはずです。貴方は、ユウキさんと同じ能力を持っている――違いますか?」
しかし、彼は大真面目な顔でそう続けた。
ミコトの能力に関しては、ユウキとのやり取りを見ていれば分かったかもしれない。
だが、彼からそんな提案が飛び出すとはまったく想像していなかった。
少なくともその発言は、人を消すことを『悪』と認識していない限り出てこないはずだ。
「幸いにして、僕はかなり強い。それは他の誰でもない貴方たちが、一番良く知っているはずです。僕がミコトさんを守り、ミコトさんは他の参加者を退場させる。悪い話では、ないと思いますが」
一応、話の筋は通っている。彼が善良な感覚をまだ持っていたとするなら、あり得なくはない結論。
彼の言う通り、悪い話ではない。彼の強さを持ってすれば、このゲームに参加した全員を退場させることも現実的になってくる。
だが、それだけでは駄目なのだ。
「じゃあ……仮にそれで最後の一組になったら、どうするんですか?」
「ミコトくん!?」
ミコトは、その提案を受け入れたと仮定した問を投げた。隣の隣の隣から、アカリが素っ頓狂な声を上げたのが聞こえる。しかし元より、ミコトはその仮定が実現するとは思っていない。
「あのやらしい女神のことだ、十中八九残った二人で戦わせる気だろう。願いを叶えられるのは最後の一人だけだしな」
そもそもこのゲームが終わったらどうなるのか、その部分についてユウが推論を口にする。
二人組で勝ち残って、最後にその二人を戦わせる。ありがちな展開だし、彼の言う通り女神が好みそうな状況である。
「そうですね。その場合、ミコトさんがご自身を退場させていただくのが一番かと」
相方が誰であれ、ミコトが勝ち残ったなら、どちらかが退場すれば最後の戦いは必要なくなる。その前提からすると、ツカサの立場ならその答になるだろう。
予想通りの回答で、そしておそらく――ミコトがこの提案を受け入れられない、決定的な理由だ。
「それで、あなたは何を願うんですか?」
そこが、そこだけが問題だった。
ミコトたちの誰かが勝ち残るのなら、誰であっても願いは同じ――このゲームで失われた命を取り戻す、それがミコトたちがここまで戦ってきた理由だ。
だがしかし、ツカサは勝ち残って何を願うのか。
「……勘違いされてるようなので言っておきましょう。貴方には二つしか選択肢は無い」
ミコトの質問に、ツカサは答えなかった。それまで一部の隙も無くフラットにコントロールされていた彼の表情と口調が、僅かに曇ったのをミコトは感じる。
その時点で、ミコトたちと彼との道は完全に分かたれた。
「僕と組んで、六十四人の命を救うか。僕と組まずに、誰も救えず僕に消されるか」
そして彼は、有無を言わさぬ口調でそう告げる。
要するに、自分が負けるとは微塵も思っていない。さっきの提案は彼なりの慈悲だと、そう言わんばかりの言葉だ。
「いいえ」
それを聞いて、ミコトは首を横に振る。
確かに、彼は強い。ミコト一人では決して敵わないし、四人で戦ったって怪しい。
だが、だからと言って諦めるつもりは毛頭ない。
ミコトはもう、願いを叶えて全ての人を助けると、心に決めているのだ。
それに、ユウキの残した言葉がミコトの中で希望となって燃えている。
「僕は――僕たちは、あなたを倒して、全ての人を救います」
だからミコトは、ハッキリとそう答えた。
「そうですか……残念です。僕は、貴方たちを消したくはなかったのに」
明確な敵対の宣言に、ツカサは無表情にそう返した。
どこまでが彼の本心なのかは分からない。しかしどうあれ、結論は出た。
二人は同時にくるりと振り向き、お互いに背を向ける。
もう、この場で話すことは無い。次に会う時は、お互いの願いを懸けて戦う時だ。
「ユウくん、ハナちゃん、リョウカちゃん」
ミコトは三人に声をかけ、一人ひとりと目を合わせる。
そして、力強い声で一言だけ伝える。
「絶対に勝とう」
頷き合い、心を交わし。
最後の戦いに向けて、四人はもう一度決意を固め直した。




