第四章幕間 星と月の物語
夜空を見上げる。吐く息は白く、指先はかじかむ。
とても寒い夜だ。身体は芯まで冷え切り、気を抜くと震えが襲ってくる。
「寒くないかい、真鈴?」
だが、彼女――月宮真鈴は、心地よい温かさを隣に感じていた。
温もりの主であるところの男、星影雄樹は真鈴を気遣って声を掛けてくれる。
彼が居れば、たとえ身体が冷え切ろうとも、真鈴の心は春の陽気に満たされる。
「……寒いに決まってるでしょ、馬鹿」
そんなことを素直に言えるはずもなく、真鈴はぶっきらぼうにそう答えた。
星を見たい、と言ったのは真鈴だった。元々星は好きだし、しょっちゅう家の窓から見上げているのだが、その日は特別だ。
年に一度のふたご座流星群の極大日、天気予報は晴れ。流れ星を見る絶好の日和だった。
場所は学校の屋上。固く冷たいコンクリートの上にレジャーシートを敷き、その上に更に毛布を敷いて、並んで座って夜空を見上げている。
真鈴の学校は屋上にいつでも入れる今時珍しい学校だったが、流石に夜は学校自体に入れない。それでもこうして夜空を見上げていられるのは、ひとえに雄樹のお蔭である。
剣道部の主将でエース、全国一の剣士である彼に、剣道部の顧問は大層甘かった。
真鈴が「学校の屋上で見たい」と言うと、雄樹が顧問に掛け合ってすぐに許可が下りた。雄樹様様だ。
思えばいつも、雄樹には助けられてばかりだ。真鈴が困っていると、いつだって彼が駆けつけて助けてくれる。
初めて会った時から、それはずっと変わらなかった。
**************
雄樹と初めて出会った時のことは、今でもハッキリと思い出せる。
あれはまだ、真鈴が幼稚園の年長さんだった頃の話だ。つまり五歳児で、そんな昔のことを鮮明に覚えているのは、何度も何度も、繰り返し思い出してきたからだろう。
真鈴の家の近くには大きな公園があり、よく母親と一緒に出掛けていた。そして大体の場合、そこに行けばご近所さんが集まっている。
そうなると奥様たちの井戸端会議が開かれるのは世の常で、母親たちはベンチや木陰で話し込み、子供たちは勝手気ままにはしゃぎまわる、というのがお決まりのパターンだった。
公園は、うっかりすると今居る場所が分からなくなるレベルの大きさだった。かくれんぼなど始めようものなら、範囲を決めておかないと永遠に全員揃うことはない。
気が付いたら皆と逸れて一人になっていた、なんてことも日常茶飯事だった。そんな場所で遊び盛りの子供たちから目を離すというのだから、母親たちは今時では考えられないほど迂闊だったと言えよう。
それがまかり通っていたのは、地域柄なのか、そういう場合でも公園に居る皆が協力して迷子を捜してくれたからである。今にして考えれば、相当に治安が良かった。
だから真鈴もその時は、「ああ、またはぐれちゃったな」くらいにしか考えていなかった。当時から向こうっ気の強かった真鈴である。そうして『捜索』されたのは両手で数えきれないほどだった。
だからいつも通り、広い芝生を一人でぷらぷらと歩き周ったり、大きな遊具で遊んだりと、勝手気ままに楽しんでいた。中々の肝の据わり具合だと、自分でも思う。
ただ、その日は一つだけ、いつもと状況が違ったのだ。何かと言うと――
「うわー、おっきい犬」
近くの木に繋がれた、黒い大型犬――後からそれが『ドーベルマン』だと知ったが――が居たのだ。
近所を散歩している小型犬や室内犬ならよく撫でたりもしていたが、始めて見る大型犬はとても同じ『犬』という生き物だとは思えなかった。
何せ、どう見ても真鈴より大きい。目線こそこちらの方が高いが、体重は間違いなくあちらの方が重たいだろう。
流石にそこまで大きいと恐怖があり、近付いて撫でてみようとは思えなかった。とは言いつつも気にはなるので、その近くで遊んで時折視線を送ったりしていた。
犬は元気に動き回り、繋がれたリードをギシギシ言わせながら跳ね回っている。飼い主らしき人は見当たらない。
こちらが視線を送っているからか、よく目が合う気がする。
――ずっと独りで可哀想だな。
なんて、思っていたら。
「あ――」
突然、犬を繋いでいたリードが木から外れた。
驚いたのも束の間。解き放たれた犬は、なんと一目散にこちらに向かって駆けて来る。
「ぎゃあーっ!」
その勢いたるや、鬼も裸足で逃げ出すと言うものだ。真鈴は恐怖から反射的に走り出し、犬との追いかけっこが始まる。
それまでの短い人生で、あれほど全力で走ったことはないだろうと思う。
短い脚を目一杯動かして走るが、速さの差は圧倒的だ。離れていた距離はあっという間に縮まり、後ろを振り返った時にはその巨体がもう目と鼻の先だった。
「ひぃっ……いたっ!」
その恐怖に引き攣った声を上げた途端、真鈴の脚は縺れ、べたんと転倒してしまった。
――ああ、死んじゃう。
目をギュッと瞑り、そんなことを思った。それくらい、その大きな黒い生き物は恐ろしく見えたのだ。しかし――
「タイガー、シット!」
唐突に、短く鋭い声が聞こえた。だがその声はまだ幼く、大人の男性ではないとすぐに分かる。
「よしよし、いい子だ」
おそるおそる目を開けると、そこには真鈴と変わらない年頃の男の子が居た。
笑顔で大きな犬を撫で回していて、犬も気持ちよさそうに目をとろんとさせながら、ハッハッと荒い息で尻尾をぶんぶん振っている。
「君、大丈夫? 立てるかい?」
犬――どうやらタイガーという名前らしい――が落ち着いたのを確認したところで、彼は振り返るとそう言って手を差し出した。
「あ――うん……」
真鈴がポカンとしながらその手を取ると、ぐいっと引っ張って立たせてくれる。
――助かった。この子、誰だろう。
そんなことを考えながら、ぼんやりと彼を見つめていた。
「あ……膝を擦りむいてるよ。洗った方がいい」
と、彼は真鈴を見て気が付きそう言った。見れば、スカートを穿いていて剥き出しの真鈴の膝小僧には、赤い血が滲んでいた。
「ホントだ」
真鈴からしたら、よくあることだ。だから、少しヒリヒリするものの泣き喚めくようなことはない。
「うーん。よし、そうだ!」
しかし彼は真剣な顔付きで辺りを見回した後、閃いたとばかりに手を叩く。
「どうぞ。洗い場まで連れて行ってあげるよ」
そしてくるりと真鈴に背を向けると、しゃがみ込んでそう言った。
どうやら、おんぶしてくれる気らしい。
「え……大丈夫?」
以前、友達とふざけておんぶをしようとして、潰れて痛い目を見たことがある。大人にしかおんぶはしてもらえないものと思っていたから、不安に思って訊いたのだ。
「もちろん。男の子は、困っている女の子を助けるものだからね」
しかし彼は、自信たっぷりにそう言った。別に自分でも歩けるのだが、なんとなく彼の言うことに従いたい自分が居たのを覚えている。
――今にして思えば彼の言葉、五歳児にして何たるキザな台詞だろう。
「じゃあ……おねがい」
そう言って、彼の背にしがみつく。大きくはないけれど、とても温かくて心地よかった。
「じゃあ、行くよ」
彼は片手にリードを握りしめたまま、真鈴の身体を落とさないように慎重に立ち上がった。真鈴はちょっと怖かったが、ゆっくり歩き出した彼の上は安定していて驚いた。
「力持ちなんだね」
「男の子だからね」
昭和風の男子観――というのは当時の真鈴には分からなかったが、そこにこだわりを持っているらしいことは分かった。
そして彼の背に揺られながら、ポツリポツリと言葉を交わす。
「あなた、お名前は? いくつ?」
「星影雄樹、五歳だよ。君は?」
「私は月宮真鈴。私も五歳だよ。この子は、ゆうきくんの犬なの?」
「ううん。僕の隣の米田さんの犬で、名前はタイガー」
「そうなんだ。でも、よく懐いてるね」
「米田さん、よくここでタイガーを繋いだままどこか行っちゃうんだよ。その間に遊んでいたら、仲良くなったんだ」
「すごいね。私なんか、怖くって近付けなかったよ」
「タイガーは賢い子だよ。元気だからいっぱい動くけど、噛んだりしないから大丈夫。ほら、さっきもすぐ僕の言うこと聞いてただろう?」
「へえー。あ、そう言えばさっき何か言ってたよね。しっと? とか」
「ああ、米田さんがたまに言ってるんだ。英語らしいけど、シットは座れって意味らしいよ」
そんな他愛のない会話をしているうちに、二人は水道に着いていた。
彼は慎重に私を降ろすと、蛇口を捻って「膝出して」と言った。
「うー、滲みるー!」
「ちゃんと洗っとかないと。我慢だよ」
などと定番のやり取りをして傷を洗った後、彼の肩を借りてぴょんぴょんと片足跳びで、近くのベンチまで辿り着く。
「これでよし、と」
彼は跪くとハンカチを取り出し、真鈴の脚を綺麗に拭いて、仕上げに膝にそれを巻いた。
当時はまだそんなことを考えるべくもないが、今同じことをされたら心臓が喉まで飛び出るような時間だっただろう。たっぷり三分くらいは脚を触られたことになる。
「ありがとう……」
膝に巻かれたのは年齢に似つかわしいキャラクターもののハンカチで、それだけが彼が同い年の男の子なんだと実感させる。
しかしそれ以外は、なんというか――
「騎士様みたい」
王子様、と言うには頼りがいがあり過ぎた。それは王子様に失礼かもしれないが。
どちらかと言うと、強くて格好良くて、お姫様を守ってくれる騎士の方が、真鈴の中でしっくり来たのだ。
「ありがとう。そうなれるように頑張るよ」
彼はにっこりと笑うと、そう答えた。
**************
そんな出会いから、しばらく経って。
その後は公園に来るたびに『ゆうきくん』を探すようになった真鈴だったが、中々会えずにもどかしい思いをしていた。
だが、そんな日々はすぐに終わりを迎えた。
「星影雄樹です。よろしくお願いします」
小学校に上がったら、彼は普通に同じクラスに居たのだ。真鈴にとってその時の喜びは、今でも人生で三本の指に入る。
「ゆうきくん!」
もちろん、早速話しかけたのは言うまでもない。
そこから二人は、あっという間に仲良くなった。お互いの家に遊びに行ったり、例の公園で駆け回ったり。
時には、米田さんの家に遊びに行ってタイガーと戯れたりもした。その頃になると真鈴もすっかり慣れて、タイガーもよく真鈴に懐いていた。
当時から彼のことは好きだった。「ゆうきくんのお嫁さんになる」などという、よくある恥ずかしい台詞も臆面も無く吐いていたものだ。
それだけ、初対面の彼の格好よさは幼心に激烈に焼き付いていて、言うなれば刷り込みに近い感情だったと思う。
それが男女としての『好意』に変わったのは、『ゆうきくん』を『雄樹』と呼ぶようになった、小学校四年生の頃だったと思う。
「やめなさいよ! そんなことして何が楽しい訳?」
跳ねっ返りな真鈴はそのまま成長を遂げ、立派なお転婆娘になっていた。
曲がったことが大嫌いだった真鈴は、周りが成長するに従って現れてきた、いわゆる『いじめっ子』などと激しく対立していた。それが、上の台詞に繋がる。
「なんだよ、偉そうに! 女のくせにでしゃばんじゃねぇ!」
「女だからって舐めんな!」
殴る蹴るの実力行使も日常茶飯事、それでも真鈴は日々戦っていた。
しかしそれは、正義だとか勇敢だとかとは少し違ったと思う。どちらかと言えば――我儘に近い。
自分が嫌なものを排斥しようという、ただの反抗。たとえそれが正しいことだったとしても、根底にその気持ちがある限り正義とは言えないだろう。
そして、そんな我儘を真鈴が貫き通せたのは。
「そこまでだ」
「やべぇっ――雄樹だ!」
やはり、彼のお蔭だった。
真鈴がピンチになると、決まって彼が助けに来てくれるのだ。当時から無類の強さを発揮していた雄樹は、黄門様の印籠よろしく現れるだけで全てが解決した。
「やれやれ、逃げるなら初めからやらなければいいのに。真鈴、大丈夫かい?」
蜘蛛の子を散らすように逃げ出したいじめっ子たちを見ながら、雄樹は呆れた声を上げる。
そして振り返ると、真鈴の様子を見ながらそう訊ねた。
「全然余裕」
実際擦り傷やら打ち身やらは全身に負っているが、真鈴は気丈にもそう言い張る。
「そんな見え見えの意地を張られると、こっちも何も言えないなぁ。でも、顔だけは冷やしておこう。痣とか瘤とかになったら困るからね」
もちろんそんなことはお見通しで、雄樹は有無を言わさず、真鈴を保健室まで連れて行こうと手を取る。
「別にいいわよ、今さらそんなこと気にしてないし」
「僕が気にする。せっかく美人なんだから、もう少し真鈴も気を遣ってくれると嬉しいんだけど」
――全く、コイツは。
小学校四年生という多感な時期にあって、彼は言う方も聞く方も顔から火が出るような台詞をあっさり言ってのける。
真鈴が赤面して何も言えないのをいいことに、彼は悠々と真鈴を引っ張って歩き出した。
「もう少し穏便に収めたりはできないのかな」
「無理。だってアイツらムカつくんだもん、みみっちいったらありゃしない」
道すがら雄樹がそんなことを言うが、にべもなく真鈴はそう断言する。
言っても聞かないから実力行使をしている訳で、真鈴はそこに一切の躊躇は無い。
どちらが正しいかを置けば、実は相手からしたってそれは同じことだ。真鈴は退けと言われても退かないから、結果として喧嘩になる。
結局意地の張り合いでしかなかったのだが、当時の真鈴にそんなことを考える頭は無かった。
「はあ――僕のお姫様は、大人しく守られてくれる気は無いらしい」
「もう、お姫様とかやめてよ! 聞いてるこっちが恥ずかしい!」
初対面のあの台詞からか、雄樹は時折真鈴のことをそう呼ぶ。これももちろん恥ずかしい案件なのだが、同時に嬉しいとも思ってしまうのが厄介なところだ。
女の子はいつだってお姫様でいたい――というのは、乙女が過ぎて真鈴には認め辛い感情だったが。
「まあ、それが真鈴のいいところなんだけどね」
雄樹はそんな言葉も気持ちも全て流して、またも真鈴を赤面させた。
**************
などと、昔のことを思い出していたら。
「ほら、これで温かいだろう?」
横で雄樹がゴソゴソ動いたかと思うと、真鈴に身体を寄せ、自分が掛けていた毛布をまとめて二人に掛けた。
「……馬鹿」
心臓が跳ね上がる。顔もおそらく真っ赤だろう。辺りが暗くて良かったと思いながら、真鈴はかろうじてそう返した。
素直に「ありがとう」と言えない自分が憎らしい。昔のように素直になれたら、どれだけ良かっただろうか。
「――雄樹って」
「うん?」
だから、真鈴は少しだけ勇気を出した。いつもよりほんの少しだけ、素直な気持ちを伝えたくて。
夜空を見上げたまま、唐突に声を上げた。
「……星みたいだよね」
「……どういうことかな」
彼からしたら訳の分からないだろうことを言いだした真鈴に、しかし雄樹はこちらを向いて、優しく訊き返す。
「いつも馬鹿みたいにキラキラしてて……すごく遠くに居て。でも、いつだって、見上げればそこに居る……みたいな」
彼は、本来なら真鈴が隣に居ることなどできないくらい、ずっと立派な人間だ。
なのに彼は真鈴のことを気にかけてくれて、でも想いを伝えることはできなくて。
「それで、星と同じで……同じくらい、」
「同じくらい?」
「……なんでもない」
――星と同じくらい、好き。
やっぱりそれは言えなかった。
「……そっか」
雄樹はそう言って、真鈴と同じように夜空を見上げた。
そしてしばらく経ってから、やはり唐突に声を上げた。
「僕が星なら……真鈴は月かな」
今度は、真鈴が雄樹を見つめる。
「どうして?」
「星よりずっと明るく輝いてる。夜の暗闇を照らして、行く先を教えてくれるんだ」
訊ねる真鈴に、雄樹は滔々と答えた。しかしそれは、買い被りというものだ。
「馬鹿ね、月は太陽の――星の光を反射して光ってるんだよ。星の方が、ずっと明るいんだから」
真鈴が雄樹に勝っている所など、一つも無い。
他の人から、正義感が強い、などと言われたことはある。だがそれは結局のところ我儘なだけで、それを譲らずに済んできたのは雄樹のお蔭で。
真鈴は雄樹にひっついて、喚いていただけだ。
「ああ、そうか。なら――逆だね」
「逆?」
しかし雄樹は、納得したようにそう言った。
真鈴がどういうことかと訊き返すと、彼は笑ってこう言った。
「そう、逆。僕が月で、真鈴が星。僕が輝いているんだとしたら、それは真鈴のお蔭だから」
真鈴は、ひどく動揺した。彼がそんな風に思っているなんて考えたこともなかったし、真鈴にそんな覚えは全く無かったからだ。
「どういう――」
「『騎士様みたい』」
重ねて訊ねようとする真鈴を遮って、雄樹はそう口にした。
そして真鈴は、息を呑む。それは、初めて会ったあの日、真鈴が口にした言葉で。
「あの言葉があったから、今の僕がある。だから全部、真鈴のお蔭なんだよ」
彼がその言葉を、そんなにも大事に、これほどの時間が経っても覚えてくれているなんて。
何の気なしに口にした、ただ真鈴の口から零れただけの言葉を。
「そんな――」
こと、という言葉は、雄樹が突然叫んだことによって遮られた。
「あ、流れた!」
見れば雄樹は腕を上げ夜空を指差していて、彼が流れ星を見つけたのだと気が付く。
「え、どこ!?」
真鈴も今までのやり取りをすっかり忘れて、夢中になって夜空を見上げる。
「わー……」
ひとつ、またひとつ。
二人の見上げる先には、流れ星がぽつぽつと流れていた。
それはとても綺麗で、幻想的で、世界がいつもと違って見えて。
今この瞬間を二人で過ごせることが嬉しくて、つい舞い上がってしまう。
「ねぇ、何をお願いしたの?」
訊ねる自分の声が、聞いたことが無いくらい細く柔らかい女の子の声になっていて、真鈴は心底驚いた。これが雰囲気の為せる業なのだろうか。
「いつまでも真鈴と一緒に居られますように」
「~~っ」
ハートを撃ち抜かれる、とはこういうことだ。こんな恥ずかしい台詞を華麗に決めて見せるのは、世界中探したって雄樹くらいしか居ない。そうに違いない。このイケメンめ。
「真鈴は何をお願いしたの?」
「わ、私? 私は……」
さらりと質問を返してくる雄樹に、真鈴はしどろもどろもいいところだ。
――私も同じだよ、なんて、言えたならよかっただろうけど。
流石にそれは、恥ずかしくて言えなかった。代わりに――
「……いつか私が、雄樹を助けられますように」
そう答えた。
それは真鈴が伝えられる精一杯の、偽りのない、素直な気持ちだった。
「だから、いつだって僕は助けられてるんだけどなあ」
「それでもいいの。私が助けたって実感が欲しいだけなんだから」
ぽりぽりと頬を掻く雄樹に、真鈴はそう言って笑ってみせた。
真鈴は、知る由も無かったが。
その笑顔は、今までのどの笑顔よりも幸せに満ちていた。
**************
――ユウキを助ける。
ようやくそれが、叶えられたと思ったのに。
イマジン鬼ごっこが始まってすぐ、左手の能力を決める時。
マレイに全く迷いは無かった。
ユウキが勝つために、必要な力を。そう考えた結果が、『聖剣作製』という能力だった。
――これで、ユウキの力になれる。彼と一緒に、最後まで戦える。
そう、思っていたのに。
眠った途端に見たのは、幸せな悪夢だった。自分の願いを、かつての幸せを――そして現実を見せつけられる、そんな夢。
「ユウキ……」
呟くと、勝手に涙が零れた。どうやら眠ったまま泣いていたらしい。慌てて、ぐいっと袖で顔を拭う。
そして、涙を零すまいと上を向く。見上げても、目に入るのは味気ない蛍光灯に照らされた天井だけだった。
室内だから当然だし、ずっと朝のままだから夜空など望むべくもない。
第四ゲームが終了し、ミコトたちを見送った後、マレイは言われた通り入れる建物を探した。
近くに会ったのはマンションがほとんどで、それは流石に入るのが憚られ、しばらくぶらぶらと歩いていた。
すると学校が目に入ったので、ひとまずそこの保健室に入って仮眠を取っていたのだ。
ベッドの上に腰掛け、そして考えるのはやはりユウキのことだった。本当に、寝ても覚めても彼を思ってばかりだ。
ゲームが始まってから、二人はずっと順調に勝ち進んできた。マレイの能力で敵を倒し、ユウキの能力で倒した敵を退場させる。完璧な正義の道だ。
しかし――今になって思う。
果たして自分は、本当に彼の力になれていたのかと。本当にそれでよかったのかと。
彼がここまで負けなしだったのは、間違いなくマレイの能力が一因だろう。役に立ったと言えばその通りだ。
だが、結局戦っているのはユウキ一人だった。マレイはいつもと変わらず、ただ彼に任せて隣で喚いていただけだ。
それに、彼の能力が『強制退場』だったから良かったものの、もし何か別の能力だったらどうしたのだろうか。
彼一人に手を汚させて、自分はその横でやはり彼の戦いを見守るだけだったのだろうか。
マレイの自戒は止まらない。
ゴール前、ツカサが手にした折れた聖剣が脳裏に浮かぶ。
もしあの時、ユウキと一緒に残っていたら。結果は違ったのだろうか。
彼が聖剣を折られて負けたんだとすれば。自分が隣に居れば、何とかなったのではないか。
一番大切な時に隣に居なくて、何が『力になりたい』だ。
その後悔が、今のマレイの一番大きい部分を占めていた。
アカリに最後に掛けた言葉は、そのまま自分に突き刺さる。
ずっと一緒に居る。それが、マレイの一番の――そして、一度も口にはできなかった願いだった。
もし、口にできていたら。彼に伝えていたら。
何か、違ったのだろうか。
意味の無い仮定だ。もう過ぎた出来事だ。今さら嘆いても過去は変えられないし、自分の行いが消えることは無い。
だが、願わずにはいられない。
「絶対――ユウキを助けて」
呟くそれはやはり、どこまでも身勝手な願いだ。
それでも構わない。彼が生きてさえいれば。
だって――ひとつ、確かに言えることがあるとするなら。
マレイの想いだけは、本物だということ。
正直に伝えられなかった。だが、そこには確かに彼への想いがあって。
彼を大切に思うその気持ちだけは、絶対に間違いなんかじゃない。
マレイは、ミコトたちのことを考える。彼らなら、本当に最後まで勝ち残り、願いを叶えるかもしれない。
その願いは、全員を救うこと。その中には当然、ユウキが居る。
――だから、お願い。
もしこの願いが叶うなら――次はちゃんと、伝えるから。今度こそ本当に、ユウキの力になるから。
『だから、いつだって僕は助けられてるんだけどなあ』
その時、あり得ない声が聞こえた。周りを見回しても誰も居ない。
ただの幻聴だと、すぐに分かった。マレイの脳内で再生された、都合の良い記憶。
『ただ――何か言いたいことがあるなら、言ってくれたら嬉しいな』
言いたいことなど、腐るほどある。
――どうしてあの時、一緒に居てと言ってくれなかったの。なんであんな奴に負けたの。
――ごめんなさい。あなたにばかり押し付けて。いつも守られてばっかりで。
――私のせいで、あなたは負けた。強いあなたが、あんな卑怯な手で負けて、悔しかったでしょう。
だが、それら全てを飲み込んで。
マレイはたった一言だけ――一番大切な言葉を告げた。
「ユウキ――大好きだよ」
――次はきっと、本物のあなたに、ちゃんと伝えるから。
マレイは立ち上り、窓際へと歩く。
そこから見上げた空は青く、眩しくて。
「絶対――みんなを助けて」
流れ星の流れない空に、マレイは願いを託すのだった。
第四章完結です。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
例によってまたお休みをいただきます。次回の更新は、木曜日の活動報告にてお知らせする予定です。
2019/1/15 白井直生




