第四章17 足止めとその先
目の前の光景を受け入れるのに時間が掛かったのは、ミコトのせいではない。
あれほど苦戦し、完璧に敗北を喫した男が――たった数秒のやり取りで消されてしまったのだ。
信じられないし、信じたくもないだろう。ましてや、自分と浅からぬ因縁のある相手だ。その衝撃は計り知れない。
「どうやら、いい具合に戦意を喪失してくれたみたいですね。もしかして、彼は本当に仲間だったんですか?」
その下手人――ツカサと名乗ったその男は、変わらず涼しい顔でそう語る。
何の感動も、何の感傷も、何の感慨もなく。ただ、自分の行動の結果を観察している。
「誰がっ……!」
「落ち着けミコト! 今はアイツに集中しろ!」
反射的に噛みつくミコトを、ユウが諌める。ツカサの能力を考えると、一瞬たりとも油断できない。
ユウは視線をツカサからただの一瞬も外さず、全力で警戒する。もっとも、警戒したところで防げない可能性すらあるが。
「困りましたね。まだ戦うつもりと言われると、僕としても戦わざるを得ません。さっきも言った通り、僕は貴方がたを苦しませたい訳ではないんです」
当のツカサは、まだ説得を諦めていないようである。本当に苦しませたくないという思いなのか、はたまた自分が楽をしたいという思いなのか。
どちらにせよ――
「おかしいんじゃないか? 自分が勝ちたいってだけなら、さっさとゴールすればいいだろ。いつでも勝てる奴なんて放っておけばいい」
ユウは矛盾を感じてそう指摘する。
わざわざここで時間を掛けてミコトたち六人を消すくらいなら、放っておいてさっさとゴールする方が万倍も得策のはずだ。むしろそうしないと、彼自身が勝ち上がる六十四人に入りそびれる可能性すらある。
にも関わらず、ここでこうして油を売っているのはどういう訳だ。
ユウはそう考え、一つの推論を導き出していた。
「ああ、そこに気付いてしまったんですね。貴方は頭が良いみたいだ」
彼はユウが察したということを察したらしく、諦めたような笑顔でそう口にする。諦めと言っても、別にばれても良かったと言わんばかりの軽い口調で。
「お察しの通り、僕はまだ宝を一つしか持っていません。先ほどの方も持っていなかったようなので、貴方がたの誰か二人から宝を奪い取る必要があります」
そうしてツカサが口にしたのは、ユウの推測通りの事実だった。
彼がまだゴールしない――いや、できないとすれば、その理由は一つしかない。
即ち、彼はまだゴールの条件を満たしていなかったのだ。彼ほどの強さで、ここまで宝を奪う機会が無かったのは不自然ではあるが。
「……一つ、訊かせてほしい」
ユウは一転、下手に出て質問を投げる。ここまで観察したツカサの性格からして、こちらの質問には答えてくれるはずだと踏んで。
「なんでしょう?」
案の定、彼は素直にそう答える。
ユウには段々わかってきた。この男は、警戒心も敵愾心もまるで無い。そして事実、彼がそれを抱くべき強さを持った相手は、ここまで存在しなかったのだろう。
「エイタは……さっきの男は、他の参加者を消していたか?」
そしてユウは訊ねる。ユウの推測通りなら、エイタは第三ゲームと同じことをしていたはずで――
「ええ」
――それなら、彼が宝を持っていなかったのは何故か。ツカサの答を聞き、ユウは更に推測を重ねる。
「なるほど……」
そして一人ごち、ユウは一つの結論を得る。
だが、それが分かったところで現状では動きようが無かった。宝を持った容易に勝てる相手――即ち自分たちを前にして、ツカサが大人しく逃がしてくれるとは思えない。
客観的に自分たちが『蛇に睨まれた蛙』状態だと認識するなど、ぞっとしない話だが。
――時間が欲しい。ツカサから逃げ出すための時間が。
いや、理想を言えば――
「ユウ、君の考えが僕と一緒なら――僕がその役を買って出よう」
その考えを読んだように、ユウキが不意に声を上げた。
ユウは驚いて彼の方を振り向き、慌てて視線だけはツカサに貼り付け直す。
「いや、それは……!」
願っても無い申し出ではあるし、事実ユウが誰か一人を選ばなければならないとしたら彼を選んだだろう。
しかし――ユウキがどこまで考えているのか。もしユウの描いた『理想』の方まで思い至っているとしたら、それは即ち――
「僕以外に適任は居ないだろう? それに足止めなら、僕だけでいくらでもできる」
ユウキのその言葉で、それがユウの想定した全てを飲み込んでの進言だと理解する。
その上で彼が、その役割を引き受けると言ったことも。
だがしかし、ユウは決断しかねた。
ミコトとアカリは、それなりに密度の濃い時間をユウキたちと過ごしてきただろう。しかし、ユウとリョウカに関してはまだ会ったばかりに等しい。
その彼に、こんな大役を――ともすれば人身御供とも言える役を、押し付けるのは許されるのだろうか。
「大丈夫さ、僕も彼と心中するつもりはないからね」
そんなユウの逡巡を、葛藤を見透かしたように、ユウキはそう言って笑った。その言葉に、ユウの気持ちは大きく揺らぐ。
「何やら作戦を立てているみたいなので、先に言っておきましょう。今から少しでも動いたら敵対行動とみなします」
そしてそのまま、決断の時は来た。
機先を制すツカサの問いかけに、これ以上の対話の余地は失われた。それ故に、ユウはユウキと目を合わせ、最後の意思を確認し――
「全員ゴールまで走れ!!」
ミコトたちに聞こえるように全力で叫ぶと、脇目も振らず駆け出した。
ミコトが、リョウカが、アカリが、一歩遅れてマレイが走り出す。
「残念です」
耳元で、声が聞こえた。ツカサだ。
彼は早々に反応を示し、最初に動いたユウの傍に瞬間移動をしたのだ。
だが、ユウは彼に目もくれなかった。それくらいの信頼を見せなければ、これくらいの事態には対処してもらわなければ、彼に残ってもらうことなどできない。
「そうだね」
そして信じた通り、予想した通り、ユウキもまたユウのすぐ傍に一瞬にして現れた。
そのまま聖剣を振るうと、ツカサの右腕に容赦なく刃を叩き込む。
「――!」
腕はユウに届きはしなかったものの、しかし斬り落とされてもいなかった。これもツカサの能力の一環だろう。
そのまま立ち止まった二人を置き去りに、ユウは加速して走り抜ける。
「ユウキ!」
「ユウキさん!?」
しかしマレイが、ミコトとアカリが立ち止まって振り返る。ツカサと向き合ってこちらに背を向けているユウキに呼び掛けながら。
「みんな行ってくれ。僕はここで彼を足止めする」
ツカサから目を離さないまま、ユウキははっきりとそう宣言した。
「イヤ! ユウキが残るなら私も!」
「マレイさん、聞き分けてください! 俺たちは足手まといだ!」
予想通りのマレイの反応に、ユウは用意していた台詞を投げながら右手を引っ張る。
「おいミコト、手伝え!」
「っ……ユウキさん!」
彼女も必死だろう、引っ張っても中々動かず、ユウはミコトに応援を要請する。
ミコトはユウキを、マレイを、ユウをそれぞれ一瞥したのち、再度ユウキに向かって一言叫んだ。
「任せてくれ。後で必ず追いかける――この剣に誓って」
ユウキはその全てに応えるように、聖剣を高く掲げて朗々とそう唱えた。
その姿は、物語の勇者のように凛々しく、荘厳で、堂々たるものだった。
「――行きましょう、マレイさん!」
その姿を見て、その言葉を聞いて、ミコトは彼を信じることにした。
出会ってから今まで、彼が負ける姿はただの一度も想像したことがない。だからこの場は彼に任せればいい。いや、そうするしかない。
ミコトはマレイに向かって叫び、走り出す。
「--っ! ユウキ、絶対だからね!」
マレイも同じくユウキの勝利は疑ったことがないはずで、しかしそれでも散々悩んだ挙句、ようやくそう叫んで走り出した。
「行かせると思いますか?」
しかし正にその通り、ツカサがそれを見逃すはずがなかった。彼はそう言うと再び瞬間移動し、今度はミコトの傍へと現れると右手を伸ばす。
「ああそうだ、ミコト。一つ伝えておくよ」
それはまたも阻まれ、二人の間に剣を差し入れたユウキはそのまま喋り出した。
そしてミコトと一瞬目を合わせると、こう告げた。
「『強制退場』には先がある」
「先……?」
告げられた不可解な言葉に、ミコトは疑問を呟く。
「ああ、そうだ。さあ、行ってくれ!」
しかし、詳しい話を聞く時間は無かった。ツカサは再び姿を消し、ミコトの反対側でユウキと再びかちあっていた。ユウキが居なければ、ミコトたちは今頃五回は全滅していただろう。
「ミコト、行くぞ!」
ユウキとユウの叫びで、ミコトは仕方なしに走り出す。ユウキの言葉の真意は、この戦いが終わった後で聞くしかない。
「ユウキさん、合図を打ち上げたら切り上げてください!」
去り際、最後にユウはそう叫ぶ。
あなたが犠牲になる必要はない――というのは、心の中で呟くに止めた。おそらく、彼はそれを口にするのを望んではいないだろうから。
ユウキは、それに親指を立てて了承の意を示す。
そして今度こそ、ミコトたちはユウキとツカサから離れていった。
「さて。それじゃあ、もう少し僕と遊んでもらおうか」
改めてツカサと向き直り、ユウキは好戦的な笑みを浮かべて剣を構える。
しかし対するツカサは、顔をしかめている。
「時間稼ぎ……少し理解に苦しみます。尊い犠牲、というヤツですか?」
その表情から読み取れるのは苛立ちと不満だ。ここに来て初めて表情を崩した彼だが、その原因はミコトたちに逃げられたことか、はたまたユウキが余裕の表情を浮かべているからか。
「面白いことを言うね。何故そう思うんだい?」
「貴方は僕に勝てない。確かに素晴らしい反応と剣の腕のようですが、ほら。さっきから貴方の剣は僕に傷一つ負わせられていない」
ユウキの問に、ツカサは立て板に水と答える。確かに彼が腕を広げて示す通り、先ほどユウキが振るった剣はツカサの腕を捉え、しかしその腕に傷は付かなかった。
「なるほど。それはすまない、勘違いさせてしまったようだね」
しかしユウキは焦る様子も無く、そう答えて唐突に剣を振るった。
当たるはずのない距離、その行動にツカサはますます顔をしかめるが――
「――!」
一陣の風が通り抜け、そして気が付く。
自分の頬が割れ、血に濡れたことに。
「斬れないと分かっていたら、もう少し気合を入れて斬っていたよ」
驚愕に目を見開くツカサに、ユウキは再び剣を構えると言い放つ。
そして堂々とした宣言を、自信たっぷりに続けた。
「彼らにはああ言ったけど……僕は君に勝つ気満々さ」
*************
ミコトは考えていた。ユウキに言われた言葉の意味を。自分の能力のことを。
『強制退場』には先がある――その言葉は、ミコトの中で大きな引っ掛かりとなって渦巻いていた。その言葉の真意を、ミコトはどこかで分かっているような気がしてならないのだ。
「ミコト、ちゃんと走れ! 置いてくぞ!」
ユウは先を走りつつ、ミコトにそう叫ぶ。
その声で現実に引き戻されたミコトは、慌てて速度を上げた。このメンバーで最後尾というのは、流石に一男子として忸怩たるものがある。
「ユウくん、これからどうするの?」
ミコトが追い付いて訊ねると、ユウは宝を握りしめ方向を確認して答える。
「さっきも言ったように、とりあえずゴールに向かう」
「でも、まだ宝が足りないよ?」
ユウの答に、アカリが質問を挟んだ。ゴールするとしても、あと六つの宝を集めなければならないはずだ。
「エイタが宝を持ってなかっただろ? でもアイツは第三ゲームと同じことをしてたんだからそれはおかしい」
ユウは説明を返すが、訊ねたアカリも聞いていたミコトもまるでピンと来ていなかったので「つまりどういうこと?」とミコトが訊き返す。
「どこかに宝を隠してたはずだ、ってこと。おそらくゴール付近にセーフティーゾーンを作って、そこに集めてたんだと思う。宝の数は第三ゲームの比じゃないから、持ち歩けないだろうし」
「なるほど」
ユウの噛み砕いた説明を聞いて、ようやくミコトにも理解が及んだ。横で納得の声を上げているのを見るに、マレイもよく分かっていなかったらしい。
「つまり、そこを見つければゴールの条件は満たせるってことだね」
「うん。それに上手くいけば――」
リョウカが説明をまとめると、ユウはそれを首肯した。しかし中途半端に言葉を切り、急に黙り込む。
「ユウくん?」
「――いや。とにかく、そこもゴールの近くのはずだし、ゴールの状況も確認しておきたい。一旦ゴールを目指すのはそういうこと」
上手くいけば何なのかと呼び掛けるミコトだが、ユウはそれには答えず話を畳んだ。そうされてしまうと問い詰めるようなことはし難く、気になりつつもミコトは頭を切り替える。
とにかくゴールを目指す。それだけを頭に叩き込み、ミコトは遅れないようにと脚を動かすことに集中する。
「で、ミコト。さっき考え込んでたことの結論は出たのか?」
「へ?」
しかしその矢先、ユウに話を振られてミコトは間抜けな声を出す。
「ユウキさんに言われたことだろ? どういう意味か分かったのか?」
お見通しなユウの問いかけに、ミコトはまた頭を悩ませる。だがやはり、分かっている気がするのに答は出てこない。
「んー、この辺まで出かかってるんだけど」
ミコトは顔をしかめながら、そう言って自分の鳩尾の辺りを示す。
「まだまだ出て来なさそうだな、それ。『先』か……未来とか可能性とか、そういう意味合いだろうけど……」
要するに全然らしいミコトにツッコみつつ、ユウもまた頭を巡らせているようだ。しかしこればかりは、実際に使っているミコトの方が思い付かなければ駄目だろう。
「後で考えるよ。それに、ユウキさんと合流できたら聞けばいいし」
ミコトは走りながら難しいことを考えられる頭を持っていない。だからそう言って考えるのは後回しにした。
「そうよ、アイツたまにカッコつけて意味深なこと言うんだから。ちゃんと分かりやすく言えって話よね」
「あはは、まあそうですね」
「戻ってきたら説教してやる」と息巻くマレイに、ミコトは苦笑いで答える。勝利の凱旋に小言を差し込まれることが決定したユウキには同情を禁じ得ない。
そうしてミコトも、そしておそらく他の皆も、信じようとする。ユウキの勝利を。彼が戻ってくることを。
だが、ツカサの底の知れなさが、そこに一滴の不安を落とす。波紋を起こし、広がって心を揺らそうとする。
「ユウキさん……」
あれ程強い人を、ミコトは見たことが無かった。エイタを見た上でそう言えるのだから、それはもう考え得る限り最強だと言える。しかしツカサの能力もまた、ミコトの想像の埒外にあった。
真っ向勝負でどちらが勝つか。そう聞かれればミコトは「ユウキさんです」と答えるだろう。
しかし――願わずにはいられない。願いというのは不安の裏返しなのだと、ミコトは思い知った。
「絶対、勝ってくださいね――」
ミコトは、そう『願い』を口にするのだった。




