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イマジン鬼ごっこ~最強で最弱の能力~  作者: 白井直生
第四章 競争と狂騒
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第四章12 伸ばした右手

 後ろから、バタバタという足音が聞こえる。怒りの籠った視線を感じる。

 当然だ、とウタネは思う。自分を殺そうとした相手に対して、怒りを感じないはずがない。逆の立場なら、ウタネだって同じだっただろう。


 だが、ウタネにも怒りはあった。より正しくはその感情を――嫉妬と、人は呼ぶ。自分に無いものを羨み、妬み、何故自分にはそれが無いのかと怒りを感じる。それは誰でも持ちうる感情だ。


 求めるものが自分にとって譲れないものであれば、それだけその感情も大きくなる。熱く燃えたぎり、深く沈み込み、自分では制御が利かなくなる。

 そして、対象が身近なほど大きくなるものでもある。大切な幼馴染、唯一無二の親友となれば、もうこれ以上はないだろう。



 リョウカを見つけた時、ウタネの心は激しく揺れた。その時の感情は、複雑すぎてとても言語化できそうにない。怒り、憎しみ、妬み。喜び、懐かしさ、悲しさ。どれもそうだと言えるし、どれも違うとも言える。


「知り合いか?」


 そんな感情の揺らぎは、確実に表情に出ていたのだろう。大して付き合いの長くない、一緒にいた男――エトウカナデにそう指摘されるくらいには。


「……うん、ちょっとね」


 この男に、事情を説明する気にはなれなかった。利害関係だけで共闘しているような関係だ。ただ頭が切れる男で、彼がウタネの能力を買って共闘している、というだけ。


「そうか……どうする」

「どうするって?」


 問いかけるエトウに、ウタネは固い声で問い返す。彼の言いたいことは分かる。彼女を、彼女たちをどうするのか。消すのか、見逃すのか、はたまた――


「円満に仲間に出来そうならそうすりゃいい。消したいなら戦いを吹っ掛けるし、関わりたくないなら放っておいてもいい」


 選択を委ねられ、ウタネは黙考した。自分は今、彼女のことをどうしたいのか、と。


「……円満に仲間にするのは、無理だと思う」

「なら、消すか?」


 問いを重ねられ、ウタネは動揺する。

 消す。殺す。ウタネは一度、確かにそれをしようとした。だが、今はどうしたいのだろうか。


「……わかった、詳しい事情を語れとは言わない。あの二人がどういう人間か、それだけ簡潔に説明しろ」


 エトウに命じられ、ウタネは改めてリョウカの方を窺う。

 リョウカは寺のお堂で、男と話をしていた。その表情は柔らかく、ウタネとエトウの関係とは大違いだと一目で分かった。

 それを見たウタネの中に、黒い感情が一滴落ちる。


 ――また、私に無い物を手に入れたんだ。


「……男は知らない。女の方が、私の幼馴染。見ての通りの美人で、頭も結構良い。運動はそんなにできない。あと――」


 歌が上手い、と言おうとして、その言葉は喉に詰まって出てこなかった。


「――私が、一度殺そうとした相手」


 代わりにウタネは、そう口にした。それを聞いた男の顔が、ニヤリと歪む。


「なら、こういうのはどうだ?」


 それはおそらく、ウタネの感情を見透かした提案だった。

 頭が切れて性格の悪い男というのは、実に度し難いものだった。


**************


 そうしてエトウの立てた作戦と口車に乗せられ、現在に至る。

 そう、口車に乗せられている自覚はあった。良いように怒りや憎悪などの負感情を煽られ、罪悪感は薄れさせられ。

 半ば理解した上で、ウタネはそれに乗っかった。乗せられたままでいれば何も考えずに済むし、何も考えないのはとても楽だった。


 だからそれは――考えることを止めたウタネに対する、罰だったのかもしれない。



 橋だ。大きな川に架かる、大きな橋。そこはエトウの示した作戦の実行場所だった。

 彼の指示通り十分ほど時間を稼いでから来たが――エトウはまだ、辿り着いていないようだ。ウタネを追いかけてくるのがリョウカだけなところを見ると、ユウの方がエトウを追いかけているのだろう。


 彼はエトウより頭が切れる――というのが、ウタネの評価だった。もしかすると、今頃あっさりやられているかもしれない。

 そうなった場合は、ウタネが実力で――リョウカを消すしかない。


 橋の中心近くまで来てウタネは立ち止まり、振り返ってリョウカを見据える。


「逃げるのは、終わり?」


 息を切らしながらリョウカも立ち止まると、彼女は気丈にそう問いかけてきた。


「うん――ここで、全部終わらせよう」


 ウタネもそれに気丈に答え、二人は数歩の距離を置いて向かい合う。

 視線が交錯し、様々な感情が二人の間を飛び交った。



 しかし――結論は、変わらなかった。



 二人は右手を構え、同時に一歩を踏み出した。

 細かく地味な動きで――しかし、命の懸った戦いが始まる。


 上下左右に揺さぶりをかけながら、ウタネは右手をリョウカに届かせようとする。

 リョウカはその右手を取ろうと、同じように右手を動かす。


 お互いの右手が何度も近付き、何度も離れる。

 お互いが触れたくて、お互いに触れたくない。

 もどかしい時間が、二人の間に重く流れる。


 しかしその時間は、リョウカがウタネの右手を掴んだことであっさりと終わりを告げた。

 即座に二人の左手が動き、同時にウタネの右腕に触れる。


「『完全停止』!」

「『能力無効』!」


 ウタネは、止まらない。彼女の能力は、他のあらゆる能力を無視する。

 ウタネが思い切り腕を振り回して、二人の手が離れた。

 まるで、リョウカの全てを拒絶するかのように。


「――!」


 そして、リョウカの視線が泳ぎ――ウタネは、エトウが現れたことを察した。

 後ろを振り返ると、リョウカの視線の先にはやはりエトウが居た。それを見た途端、ウタネはそちらに向かって駆け出す。


「あ――」


 察したようなリョウカの声が、一音聞こえた。彼の能力を考えれば、すぐに分かることだろう。

 だがウタネは知っている。ウタネの方が足が速いし、ここからリョウカは間に合わない。


 エトウの立てた作戦は、ウタネの罪悪感を最も薄れさせる手段だった。即ち――ウタネはリョウカを消す必要が無かった。


 ここは橋だ。それなりの高さがあり、下には大きな川が流れている。

 このゲームは一見、右手で消さなければどうにもならないように見える。どんな怪我でも時間を置けば治り、参加者が死ぬことはないからだ。


 だが、実は無力化する手段は他にもある。例えば――溺れさせる、というのがそうだ。

 怪我は治る。溺れたって生き返るだろう。だが生き返ったところで、水の中に居たらそのままもう一度溺れるだけだ。


 永遠に溺れさせる。それはある意味消すことより残酷だが、直接手を下さないというだけで心理的なハードルは相当に低かった。


 だからウタネは走る。男の作戦に従って、自分を安全圏に置くために。

 リョウカに背を向け、彼女と向き合うことから逃げ出して。そして――



 エトウが、左手を地面に着いたのが見えた。



「え――」


 ――ちょっと待って。私はまだ、辿り着いてない。

 思わず漏れた一音を、エトウは確かに聞いたらしい。


 直後、ウタネの身体を浮遊感が襲った。体重を支える物が無くなり、抵抗なく自由落下が始まる。

 かくんと下がった視界の中、エトウの顔が愉悦に歪んだのを見て――ウタネはそれを悟った。


 ――ああ、私は裏切られたんだ。


 エトウは橋と道路との境目に居て、橋の方に自らの能力――『物体透過』を使用したのだった。

 他の物体に触れられなくなった橋は、何も支えることができない。その役割を果たすことができない。


 つまり――橋の上に居たウタネとリョウカが、足元からすり抜けて落ちていった。


 ウタネは思わず、手を伸ばす。二人を見て嗤う、エトウへと。

 ――なんで。この野郎。殺してやる。疑問と怒りと殺意に塗れた視線と右手を、エトウに向けて伸ばした。


 しかし当然、それが届くことはない。その行動に意味は無い。ただの後悔、未練、負け惜しみだ。

 そんな、虚しいだけの右手を――



 誰かの温かい手が、きつく握りしめた。


************


 焦りと走りで揺れる視界の中、リョウカは見た。

 ウタネの仲間だった、男の顔。その表情が、かつてないほど残忍に歪むのを。


 先に男を見つけたのはリョウカだった。だから、彼女はウタネとほぼ同時に走り出せた。思考の隙間と、ウタネが振り返るのが同じ長さだった。


 男の能力は『物体透過』。今リョウカは橋の上。この高さ、しかも下は川。橋に能力を掛けられたら、リョウカは川へと真っ逆さまだ。

 それを察したのと、ウタネが走り出すのが同時だった。


 ウタネのほんの二歩後ろを、リョウカはほぼ同じ速度で走る。ウタネの背中と、男の挙動が見える。

 そこで彼が地面に手を着いた――ウタネもまだ、橋の上に居るのに。


「え――」


 リョウカの耳に、ウタネの声が届いた。

 それは驚愕に揺れる声で、不満に満ちた声で、恐怖に怯える声で。


 ウタネは彼に裏切られたのだと、一瞬にして理解した。


 ――ざまあみろ。誰かを裏切った人間は、誰かに裏切られるんだ。それは私を裏切ったことに対する罰だ。いい気味だ。

 そんな残酷な感情が、刹那だけリョウカに浮かぶ。しかしそれは、どちらかと言えば理性から発された感情だったらしい。


 ウタネの背中と――彼女が伸ばした、意味のない、恨みに満ちた、縋るような右手を見た途端。

 全ての思考と感情が吹き飛び、リョウカの身体は、勝手に動いていた。


 ウタネまでの距離は、変わらず二歩ぶん。その背に触れることすらできない距離。

 リョウカは咄嗟にマフラーを外し、左手ごと前に突き出して、能力を発動する。


 『停止』したマフラーはその場に固定され、足場――この場合は『手場』とでも言うべきか。

 とにかくそれは、確かな拠り所となった。力を込めれば、反作用がリョウカにちゃんと返ってくる。何も無い空中にあって、力を発する源となる。


 リョウカは左腕に全霊の力を込め、自身の体を引き寄せる。その左腕から力を受け取る。腹に力を込め、脚を大きく振り、背筋で身体を支える。

 マフラーからの力を受け取り、増幅し、大きくスイングされたリョウカの体が前方へと投げ出された。


 左手をマフラーから離したリョウカは、落下しながら前方へと進む。

 同じように落下するウタネの、わずかに上を通り抜け――ウタネが伸ばしていた右手を、同じように右手を伸ばして掴んだ。


 ウタネは、きょとんとした表情でこちらを見上げた。リョウカも彼女を見下ろしていて、一瞬、しかし確かに、二人の目がお互いを見た。


 時間は無い。それこそ、本当に一瞬だ。

 何故自分がこんな行動を取ったのかも分からない。ウタネを許したはずもない。何かを言いたいのは確かで、しかし何を言えばいいかは皆目見当が付かない。

 しかし、たった一言、今この瞬間に伝えることがあるとすれば――


 リョウカは、自分の胸に左手・・を当てる。

 ウタネを見て、その目をしっかりと見据えて――そして、笑った。

 それは頭によぎった、声とガタイの大きな、心優しい男のお蔭だろう。



「――後は、任せたよ」



 場面におよそ似つかわしくない、穏やかな声でリョウカはそう発する。

 ウタネの右手を、絶対に離さないように、しっかりと握りしめて。



 次の瞬間、リョウカの意識は完全に停止した。

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