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イマジン鬼ごっこ~最強で最弱の能力~  作者: 白井直生
第四章 競争と狂騒
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第四章10 その背を追って

 知らなかった。

 これほどまでに、心とは揺さぶられるものなのか。これほどまでに、痛いものなのか。


 既に一度、経験したはずだ。親友に殺意を向けられるという、残酷な出来事を。

 しかしその痛みは、絶望は、二度目になったからと言って欠片も薄くなるものではないと知った。


 むしろ一度希望を覚えたからこそ、その痛みは一度目に勝る。その痛みに、リョウカの心は耐えきれなかった。


 絶望し、心が砕け、何も感じられなくなる。

 心も体も頭も、全てがリョウカの制御から離れる。何もできず、何も感じず、何も考えられず、リョウカの目は虚ろに、機械的に目の前の光景を映していた。



「――リョウカ」


 近くで、自分を呼ぶ声が聞こえる。身体は動かない。だから目線も動かせない。だが、耳は確かにその声を認識した。

 ユウだ――誰も信じられなくなっていたリョウカに、また人を信じることを教えてくれた仲間。


 それに思い至った途端、リョウカの心が僅かに動く。思考が始まり、身体に力が少しずつ通う。


「悪い」


 彼はそう言って、リョウカのブレザーから宝を取り出す。そして自分たちの安全と引き換えに、それを手渡そうとしている。


 ――待って。

 私が動けないから、ユウはそうしている。でも、待って。もう少しで、動けるようになるから。立ち上がるから。


 そんな思いは声にならず、心だけが空回りし、身体はまだ正常に機能しない。

 為す術無く、リョウカはその光景を見守るはずだった。


「しまっ――」


 しかし次の瞬間、リョウカの身体は一気に動き出した。

 身体に力が漲った。思考が爆発した。心が燃え上がった。


 仲間が――ユウが危ない。

 たった一つ、今信じられるものに危機が訪れている。その事実が、リョウカを強制的に再起動させた。


 身体はかつてない速度で動き、思考はクリアに動きを制御する。


 マフラーを首から外し、左手で鞭のように振るう。それがユウとウタネの間に割り込んだところで、能力を発動する。


 そして――心は燃え上がる。『殺意』という、真っ黒な炎で。


「あああああっ!」


 マフラーに阻まれて驚愕を顔に浮かべるウタネに、リョウカは迷いなく飛び掛かった。

 右手を振りおろし、容赦なく彼女を狙う。それはすんでのところで、彼女に躱された。


「もう、許さない」


 ウタネを見据え、歯を食いしばりながら唸るように声を出す。

 あの日のこと。またリョウカを裏切ったこと。そして何より――リョウカの大切な仲間を、消そうとしたこと。


「ウタネ――あなたは、ここで消す」


 その断罪を果たすことを、リョウカは宣言したのだった。


***********


「ウタネ、退くぞ」


 剃り込み男は、低い声で呟いた。

 彼らは『ユウたちが誰も消さない』という前提で動いていた。だから、リョウカが右手を使った時点で作戦を立て直すのは当然だ――呟きを聞き取ったユウは、その考えには納得した。


「うん」


 ウタネがそれに答え、二人は一目散に走り出す。

 そして、今更になって気が付く。

 宝は、男に取られていた。ユウが落とした宝を、彼はしっかり拾っていたらしい。


「待て!」


 しまったとユウが声を上げるより早く、走り出したウタネを追ってリョウカが駆け出した。彼女らしくないドスの利いた声で叫びながら、視線はウタネの背を焼かんばかりだ。


「リョウカ!」


 走り出したリョウカを呼び止めるようにユウは叫ぶが、彼女のスピードは緩まる気配がなかった。仕方なしに、ユウも彼女を追って走り出す。


「リョウカ、深追いするな!」


 もともと彼女の体力は知れていて、ユウはすぐにその背に追いつく。並びながら声を掛けるが、リョウカは目線をこちらに寄越してくれなかった。


 否応なしに、少し前のミコトの姿が重なる。第三ゲームで、エイタたちに向かって突貫する彼の姿が。

 しかし意外にも、彼女は声だけを返してきた。


「ユウ、ごめんなさい。これは私の問題です」


 冷静に抑えた声で、しかしそれは震えていて。そしてユウは気が付く。

 ――リョウカは、暴走している訳でも、やけになっている訳でもない。

 ただ、決意したのだ。ここで、過去と決別すると。


「……わかった。でも、一対二で戦うのはなしだ。俺も手伝う」


 だからユウもまた、そう決意した。彼女の選択に、最後まで付き合うと。


「でも、それじゃユウは……」


 ミコトとの約束を、破ることになる。

 ようやくこちらを見たリョウカの不安げな視線に、しかしユウは首を横に振った。


「第三ゲームの時、俺はリョウカにお願いしただろ。『いっしょに手を汚してくれるか』って」


 ミコトの心が折れた時。ユウはミコトの代わりに、彼の願いを叶えようとした――彼の望まないやり方で。

 みんなの命を助けるために、みんなの命を消し去る。そんな、倒錯したやり方。


 結果だけ見れば、それは悪とは言えない。最終的に、全ての命を取り戻すのだから。

 ただ一つ――勝ち残った人間の心が犠牲になるだけだ。


 多くの人間を傷付け、踏み台にし、消し去る。それはその人の心に、大きな重荷となって圧し掛かる。おそらく、普通の人間では耐え切れず潰れてしまうほどに。


「あの時リョウカは、それを受け入れてくれた。今度は俺の番だよ」


 だから、リョウカが誰かを消すことを望むのなら、それを共にする義務がある――ユウは、そう考えていた。ここでリョウカに全てを委ねて逃げ出したら、男が廃るというものだ。


「ユウ……」


 何か言いたげに、しかし言葉が見つからない様子で、リョウカはユウをじっと見つめる。


「お喋りはここまでだ。見ろ、二手に分かれたみたいだ」


 だが、リョウカの言葉を待つゆとりは無いようだった。前を走る男とウタネが、左右に分かれて走り出したのだ。


「ウタネを追うだろ。俺は男を見ておくからさ」


 ユウはリョウカに、そう声を掛ける。

 それがどういう結末であっても、


「邪魔はさせない。二人で決着を着けてくるといいよ」


 ユウにできるのは、それだけだ。ユウがウタネを消したところで、何も意味は無いのだから。


 リョウカはユウと目を合わせ、少しだけ躊躇うように目を伏せた。

 しかしすぐに、決然とユウの目を見返して――


「……ありがとうございます」


 そう言うと、ウタネが向かった方へと走り出した。

 それを見送って、ユウは反対方向へと駆ける。



「……負けるなよ」


 リョウカの無事を祈る言葉を呟き、ユウは目の前の敵を追いかけた。


***************


 少し前を駆けるその背中を、縋るように追いかける。息が切れ、脚が重く、額には汗が滲む。


「待ってよ、歌音!」


 こちらを振り返らずにひたすら駆ける少女を、必死で呼び止める。

 するとその声に気が付いて、彼女はその場で足踏みをしながらこちらを向いた。


「もう、遅いよ涼香! 早くしないと始まっちゃうよー!」


 わきわきと無駄な動きをしつつ、焦りを浮かべる歌音がそう言った。


「元はと言えば歌音が寝坊したからでしょ!」


 歌音が予定通りの時間に起きていれば、今頃目的地には到着しているはずだった。

 正当な文句を言う涼香を尻目に、歌音は「行くよ!」とさっさと走り出す。


「……もう!」


 涼香は彼女を追いかけ、ばたばたと脚を懸命に動かした。




「ギリギリセーフ!」

「はあ、ま、間に、あった……」


 やがて二人が辿り着いたのは、隣町の小さな市民ホールだった。

 二人の住んでいるところからは、電車で一駅、そこから徒歩で十分ほど――実際には走って五分にしたが――の場所だ。小学校四年生の二人からすれば、それなりの遠出である。


「楽しみだね、コンサート!」

「うん!」


 二人がここに来たのは、とある歌手のチャリティーコンサートが目当てだ。二人とも彼女の歌が好きで、それを生で、しかも無料で聴ける機会と来れば逃す手は無かった。

 心を躍らせながら席に座った瞬間、会場の照明が落ち、舞台の幕が上がる。拍手が会場を満たし、舞台の中央には初めて見る『本物』が居た。


『皆様、本日はお越しいただきありがとうございます。是非、最後まで楽しんでいってください』


 それだけの簡単な挨拶の後、すぐに前奏が流れ出す。静かなバラードは一瞬にして会場を虜にし、もの悲しくも美しい歌声が涼香の心を鷲掴みにした。


 ――すごい。


 その曲はもちろん涼香も知っていて、CDで何度も聴いたことのある曲だ。しかし、実際に歌っているのを見ると――それはもう、涼香のよく知っている曲ではなくなっていた。


 歌声一つで、ここまで感情を表現できるんだ。ここまで情景が思い浮かぶものなんだ。こんなにも胸を打つ旋律になるんだ。


 涼香は感動に次ぐ感動に心を揺られながら、食い入るようにステージで歌う彼女を見ていた。


「きれい……」


 そして思わず、そう呟いた。ステージで歌う彼女はきらきらと輝いていて、どこまでも美しかった。




「すごかったねー……」

「うん、最高だった……」


 やがてコンサートは終わりを迎え、二人は椅子に腰かけてため息交じりに喋っていた。

 最初から最後まで感動しっぱなしで、ずいぶんと疲れてしまったのだ。


「よし! 涼香、私決めたよ!」

「わっ、びっくりした。何が?」


 突然復活し、立ち上がって大きな声を出した歌音に驚きながらも、涼香は問い返す。


「私将来、絶対歌手になる! それであの人みたいに、いろんな人を感動させる!」


 びしり、とよく分からないポーズを決めながら、ウタネはそう宣言した。


「歌音……うん、うん! 歌音ならきっとなれる! 歌音の歌、すごく上手だもん!」


 じわじわとその言葉が涼香の脳に染み渡り、そして完全に理解した途端に彼女は声を上げた。

 歌音の歌は何度も聴いたことがあり、涼香はあの歌手の歌に負けないくらい、その歌声が好きだった。


「えへへ、ありがと!」


 歌音は恥ずかしそうにはにかみながら、そう答える。

 にへら、という擬音がしっくり来る笑顔は、歌音らしく可愛らしい。


「わ、もうこんな時間。そろそろ帰らないと!」


 彼女は恥ずかしさからか視線を逸らすと、時計を見つけて焦った声を上げた。

 二人は急いで身支度をすると、徒歩十分の道のりを、やっぱり走って五分で帰った。




「でも、本当にすごかったね」


 電車に乗ってからも、話題はそれしかなかった。幼い二人にとっては、それほどまでに衝撃的な出来事だったのだ。


「私も、あんな風に歌えるのかな……」


 それは、涼香の口から思わず零れた言葉だった。当時の涼香は、音楽は好きだが聴くばかりで、歌ってみたことはほとんどなかった。

 そんな涼香が『あんな風に歌ってみたい』と思うほどに、その歌声は感動的だった。それは正に、『憧れ』というものだったのだろう。


「え!? 涼香も一緒に歌う!?」


 そんな何の気なしの涼香の言葉に、歌音は激しく食い付いた。目をキラキラさせてこちらを見る彼女に、涼香は気後れする。


「歌ってみたいけど……私、歌音みたいに上手くないし」

「そんなことないよ! 涼香、歌ってみたら絶対上手くなると思う! だって涼香の声、すっごくきれいだもん!」


 ぼそぼそと呟く涼香に対し、歌音は大きな声で涼香の弱気を否定する。

 きれい。自分があの歌手に抱いた感想を、歌音が自分に向けて言ってくれている。


「ね、とりあえず今度カラオケ行ってみようよ! きっと楽しいよ?」


 そして明るく話す歌音のお蔭で――涼香も、少しずつその気になっていく。


「うん……行ってみよっか」


 はにかんでそういう涼香に、歌音は満面の笑みを見せた。



 これが――二人の思い出。

 歌音が歌手を目指すと決意し、涼香が歌を『歌うこと』を好きになったきっかけ。

 それは胸の奥底できらきらと輝く、眩しい記憶だった。


*************


 少し前を駆けるその背中を、縋るように追いかける。息が切れ、脚が重く、額には汗が滲む。


「――なんで今思い出すかな、こんなこと……」


 リョウカは愚痴るように呟いた。自分の前を走るウタネ、彼女との距離は中々縮まらない。

 そんな追いかけっこがもう十分以上も続いているからだろうか――余計な事を、考えてしまうのは。


 あの時とは違ってウタネは振り返らないし、リョウカも声を掛けない。

 ただひたすらに走るウタネを、黙々と追いかけるだけ。追いかけた先に、何が待つのかも分からないまま。


 ――追いつかないと。


 その思いだけで、リョウカは走っていた。追いついて、戦って――ウタネを、この手で消す。

 二度の裏切りを受けて、もうそれしかないとリョウカは思っていた。ここできっちりと決着を着けて、過去と決別する。それによって、リョウカはユウを守ることもできる。


 だが――チラつく記憶が、迷いを生じさせる。

 ずっと思い出さないようにしてきた、二人の特別な思い出や、ありふれた日常。それがこの十分余りに、浮かんでは消えてリョウカを惑わせた。


 そんな風に、揺れる心に戸惑っていたから――リョウカは、気が付けなかった。

 ウタネがずっと、本気で走っていないことも。辺りをぐるぐると回って、どこにも向かっていないことも。

 そして――角を一つ曲がる度、横目でリョウカの方を窺っていることも。


 ウタネは彼女の思惑通りに、彼女たち・・・・の計画通りに、逃げ回るフリをして時間を稼いでいたのだ。そも、ウタネが全力で走ったらリョウカはあっさり振り切られるはずだった。

 それに気が付いたのは、もうとっくに手遅れになってからだった。


「はあ、はあ、……橋……?」



 そうして走った末に辿り着いたのは――大きな川に渡された、大きな橋の上だった。

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