第四章5 共闘と信頼
リョウカは、目に見えて動揺していた。
当然だ。かつて自分を殺そうとして、トラウマを植え付けた相手が目の前に突然現れたのだから。
「よかった。リョウカ、無事だったんだね」
どの口が、という台詞を吐いて、彼女――セオウタネは一歩、こちらに踏み出す。
「動くな!」
ユウは咄嗟にそう叫ぶ。信用できない、というのももちろんそうだが。
リョウカの心情を慮れば、物理的にも心理的にも距離を取らせるのが賢明だと思ったのだ。
彼女は困ったような顔で、しかしユウの言葉に従っている。
そしてその場に立ち止まったまま、リョウカに向かって話しかけた。
「リョウカ――私、ずっとリョウカに謝りたかった。でも、許してくれるわけ、ないよね……」
リョウカの表情には複雑な感情が入り混じり、それを読み解くことはユウには難しかった。
ただ、彼女はずっとマフラーを握りしめて身を固くしている。少なくとも、再会の喜びを感じている訳ではない。
「私、あのときはどうかしてた。自分でも訳が分からなくって、止められなくて……取り返しがつかないことしちゃったって、分かってる」
訥々と語られる彼女の言葉を、リョウカは黙って聞いている。その瞳は微かに揺れていて、そんなリョウカをユウは見守る。
「リョウカが私を許せないなら、……ここで、私を消してくれてもいい。私は、それだけのことをしたから」
ウタネの声も、震えていた。人の命が余りにも軽くなるこのゲームにおいて、それでも尚自分の命だけは大きく重い。
「でも、もし許してくれるなら――私は、リョウカに償いがしたい。リョウカを助けて、少しでも役に立ちたい」
そう言って、ウタネはゆっくり一歩踏み出す。ユウに止められないことを確かめると、そのままゆっくり歩き出し、二人から少し離れたところまで近付く。
彼女が一歩踏み出すたびに、リョウカの感情は揺れる。
彼女に怯える気持ちと、彼女を信じたいという気持ちと。
「役に、立ちたい、って……?」
そして再び立ち止まったウタネに、リョウカはゆっくりと口を開き問いかける。
「リョウカが消えなくて済むように。いっしょに、戦いたい」
いっしょに戦う。それは、信頼無くしてできないことだ。
「ここまで戦って来たんだから、リョウカにも、願いはあるんだよね? それを叶える手伝いをさせて」
「……それ、どういう意味か分かってるか?」
と、黙って見守っていたユウが口を挟んだ。ウタネの視線を真正面から受けながら、ユウは続きを口にする。
「願いを叶えるってことは、最後の一人になるってことだ。つまり、どっちにしろアンタは消えることになる」
「え……」
ユウは敢えて、追い詰めるようにそう訊ねる。
ミコトが居るから、実際には消えずに済む。それはリョウカにも分かっていることで、彼女は思わず声を漏らす。
しかし、ウタネはそのことを知らない。なら、そこまでの覚悟をしているのか。それをユウは訊ねている。
「それでも構わない。……どうせ消えるなら、自分のやったことを償って、最後にいいことをして消えたいよ」
そうして悲壮な覚悟を語る彼女は、しかし笑顔すら浮かべて見せた。
にへら、と表情を崩した笑顔は、かつて何度も見た彼女の笑顔そのままで。
リョウカは、今までの全てを思い出す。良かったことも、悪かったことも、そしてあの夜のことも。
「私は――」
ためらいながら、リョウカが言葉を紡ごうとした瞬間――
「後ろ!」
ウタネが突然、二人に向かって叫んだ。
言われるままに後ろを向けば――突如として、見たことのない男が現れたところだった。
二人の後ろには、寺のお堂しか無かった。その扉は固く閉ざされたままで、一体この男はどこから現れたというのか。
一瞬早く振り返ったリョウカが、左手でユウの左腕を掴んで引き寄せる。
間一髪、ユウの居た位置を男の右手が通過して行った。
「逃げるぞ!」
即座に体勢を立て直したユウは、そのままリョウカの左手を取り猛然と駆け出した。
ミコトが居ない今、ユウたちにできるのは逃げることだけだ。
ユウに引かれるままに走りながら、リョウカはウタネと目を合わせる。
「……ウタネ!」
一瞬の躊躇いの後、リョウカは彼女の名を呼んだ。彼女が強く顎を引いたのを見ると、後は脇目も振らず走り抜ける。
ウタネがリョウカの意図したとおり、走ってついて来るのを音と気配だけで察する。
境内の出口に続く下り階段に入り、一つ目の踊り場でユウが立ち止まる。
「――リョウカ、彼女を連れてくんだな!?」
「っ……、はい!」
「わかった――おい、アンタ! 早くここまで!」
ユウはリョウカに問いかけ、彼女はもう一度躊躇を見せた後すぐに頷く。
それを確認すると、ユウは大声でウタネに向かって叫んだ。
ウタネはその声に答えて頷き、加速して二人の元まで下りてくる。
そしてユウは踊り場の少し手前に左手を着くと、階段を『とりもち』で覆っていく。
何段かがとりもちで覆われたのを確認し、ユウはとりもちの糸を左手にくっつけたまま更に下へと降りていく。残りの二人がそれに従って下がったところで、階段の上に男が現れた。
「リョウカ、あいつが体勢を崩したところでやってくれ」
「わかりました」
男に聞こえないように小声で飛んだユウの指示に、リョウカは頷きと共に小声を返す。
男が階段を駆け下り、とりもちのある段に足を置いた。
さらに一歩下の段に足を踏み入れ――
男は、急に止まった。
ユウたちが待ち構えていたことで警戒し、とりもちを見つけたのだろうか。しかしなら、何故その手前で立ち止まらなかったのか。
その答は、男の次の行動で示された。
男が流れるような動きで自分の足を置く段に左手を伸ばすと――彼の足は、とりもちから解放されたのだ。
「――! 逃げるぞ!」
再びそう叫びながら、ユウは階段を駆け下りる。リョウカとウタネもすぐに従い、文字通りの鬼ごっこが再開される。
「一体、どんな能力なんですか!?」
あっさりと策を破られ、リョウカが愚痴のように疑問を叫ぶ。
「たぶん、『物体を通り抜ける能力』……アンタ、あの男が現れたところを見てたんだろ? アイツはどうやって出てきた?」
すると、ユウはもう推測ができているようだった。リョウカにそう返しつつ、ウタネに確認の質問を発する。
「うん、お寺のお堂から、ぬるっと扉をすり抜けて出て来たよ。たぶん、あなたの推測で間違いないと思う」
ウタネが自分が見た事実を伝え、ユウの推測を肯定した。
「どうするんですか、ユウ?」
「とりあえず逃げる。一旦落ち着いて、いろいろ考えたい……二人もそうだろ?」
リョウカの問に、ユウはそう答えると二人に視線を送る。
この騒ぎで有耶無耶になっているが、二人には話し合う時間が必要なはずだ。
二人も同じことを考えているらしく、黙って頷いた。
「でも、走ってるだけじゃ振りきれなさそうだ……かと言って、近付くのはリスクが高すぎる」
ユウはちらと振り返り、男との距離を測る。
ユウ一人なら逃げ切ることもできるだろう。しかし、三人で行動している以上隠れるのも難しい。それに、体力が一般的な女子レベルのリョウカはいずれ追いつかれる。
しかし彼の能力が推測通りなら、近付くのは避けたい。もし自身に能力を発動できるなら、攻撃どころか右手も左手も通り抜ける無敵の防御だ。勝ち目は皆無と言っていい。
「どうにかして、近付かずにダメージを入れられれば……」
かと言って遠くからの攻撃も全てすり抜けられるだろう。
攻撃的な能力ではないが、非常に厄介だ。
「いや……一つ、試しておくか!」
ユウは再び立ち止まると、振り返って地面に左手を着いた。
彼の動きを見て、二人も何事かと立ち止まる。
階段を抜けたユウたちは、道路を走って逃げていた。道幅は車がギリギリ二台すれ違えるかどうかという広さである。
男との距離はまだ十メートルくらいはある。
「これなら――!」
ユウは、イメージを鮮明に描き出す。
地面と左手を繋ぐのは、鉄。その鉄は拡がって道路を埋め尽くし、踏み込むものを拒む茨を形作る。
そのイメージはすぐに具現化され、ユウの掌から道路に大量の液状化した鉄が流れ出す。
道いっぱいに広がり、その道路のおよそ三メートルほどを覆った鉄はすぐに固体として定着する。そして、そこから次々に棒が突き出しては、その棒から棘がさらに突き出す。
やがてそこに出来上がったのは、ユウの胸の高さまである鉄の茨道だ。無理に押し通ろうとすれば、その身を引き裂かれることは避けられない。
第三ゲームを経て、ユウの想像力と能力には磨きが掛かっていた。
そこに更に――
「リョウカ!」
「はい!」
最早指示を出すまでもなく、呼ばわるだけでリョウカが能力を発動する。
「そのまま端っこを掴んでてくれ」
そうすれば、敵が能力を発動したかどうか分かる。
その意図を察したリョウカは、言われた通りの行動をして頷いた。
その数秒後に、男が茨道の目前まで来ているのが隙間から確認できた。
彼はスピードを緩めることなく、勢いそのままに左手を突き出して茨道に突入し――
「――ダメです!」
「リョウカ、解除!」
その左手が触れた瞬間、リョウカが掴んでいた鉄の棒は実体を失った。
空を掴む感覚にリョウカが叫べば、ユウも即座に指示を飛ばす。それに従いリョウカの能力、次いでユウの能力が解除され――茨道の消え去った道路には、駆ける男が目の前に迫っていた。
ここまで近付いてしまえば、もう戦うしかない。
ユウはポケットから硬貨を一枚取り出すと、第二ゲームで見せた剣を生成する。
自身の右肩から相手の左の肩口に向けて、袈裟斬りに左手を振り抜く。
その一撃は、余りにもあっさりと相手の身体を通り抜ける――相手にダメージを与えずに。
左手で触れる。それだけで、彼は自分に対する攻撃を無効化できるのだ。ユウの攻撃も、その末路を辿った。
その横で、リョウカは男に向かって低い姿勢で駆け寄る。
そんなリョウカに男は、どこから拾って来たのか右手で握りしめていた小石を、左手に持ち替えてから放り投げた。
何の変哲もない小石。下手から放られたそれは、ぶつかっても痛みすら感じないだろう。
攻撃と呼ぶには地味すぎる行動に、リョウカは却って混乱する。
「避けろ、リョウカ!」
しかし、ユウは即座に気が付いて警告を発する。リョウカは弾かれたように身体を動かそうとするが――小石はもう、リョウカの動きでは躱せない位置にある。
「危ない!」
そのとき、横からウタネが彼女を突き飛ばした。
そして、代わりにその場に残った彼女のわき腹に、小石が触れた。
それはそのまま抵抗なく、彼女の中に入り込み――彼女の身を、内から抉った。
「い゛っ……ああああっ!」
ウタネは、激痛に苦鳴を吐き出す。その場に跪き、右のわき腹を抑えて悶え苦しむ。
男は、小石に能力を発動していた。それはあらゆる物をすり抜け、彼女の身体を通過する。
その瞬間に能力を解除すれば――体内に残された石は、彼女の身体を押し退けて実体を取り戻す。人体を内側から破壊する、正しく防御不可の攻撃だ。
「くそっ!」
ユウは、太刀筋も何も気にせず、滅茶苦茶に武器を振り回す。
当然初撃で左手に触れダメージは与えられないが――これをしている間は、向こうも攻撃できないはずだ。
「ウタネ!」
その隙に、リョウカが彼女に駆け寄る。
傍目には、傷は無い。だが彼女の体内には先ほどの小石が残されており、そして内部では出血しているはずだ。
どうすることもできず、リョウカが狼狽えていると――
「リョウカ……」
荒い呼吸の中で、絞り出すようにウタネが名前を呼ぶ。
そして震える手で、何かを指差したのだ。
「ウタネ……?」
その先にリョウカが視線を送る。
そこは民家だが、駐車場らしきスペースに鉄の杭でロープを張り、入れないように囲っているようだった。
そのうちの一本、だったであろう鉄の杭が、ロープから外れて横倒しに転がっていた。長さはおよそ七十センチほどだろうか。
どうやらウタネは、それを指差しているようなのである。
「それ、取って……左手に……」
言われるがまま、リョウカは鉄の杭を持ち上げる。
重たいが、リョウカでも持ち上げることは難しくない程度だった。それを、慎重にウタネの傍に置く。
ウタネはそれに左手で触れると、
「彼に、渡して……これなら、当たる……」
「――ユウ! これを!」
この瞬間、リョウカは何もかもを忘れてウタネの言葉に従った。横目で確認したユウが、明らかに劣勢だったからだ。実際ユウは、何度か右手をギリギリで躱しているくらいだった。
リョウカは杭を両手に持って走りながら、ユウを大声で呼ばわった。
ユウはリョウカの声に気が付くと、最後に一振り目くらましの一撃をスカしながら、右手を伸ばしてそれを受け取った。
左手の能力を解除して両手でそれを持ち、
「うおらあああっ!」
満身の力で、左から横薙ぎに振り抜いた。
男も、それには当然反応した。左手を棒に向けて伸ばし、触れて能力を発動しようとする。
しかし次の瞬間――男の左手が、音を立てて砕けた。
「なっ、ぐっ……」
驚愕に目を見開き、痛みに顔を歪める男を――
「く、ら、えぇっ!」
もう一度力を振り絞り、今度は右から杭を振り抜いたユウの一撃が襲った。
狙い違わずそれは頭部を直撃し、男の意識を奪い去る。
「っはあっ……! リョウカ!」
「は、はい!」
杭を手放し、ため息を勢いよく吐き出しながら、ユウがリョウカの名前を叫ぶ。
リョウカは慌ててそれに答え、倒れた男に駆け寄った。
そして能力を発動し――戦闘は終了する。
「ウタネ!」
それを確認するや否や、リョウカは再び駆け戻ってウタネの容体を確認する。
「リョウ、カ……よかった……」
安心からか、ウタネは力を失い――そのまま倒れ込むと、意識を失ったようだ。
「ウタネ!?」
「落ち着け、リョウカ。死なないんだから大丈夫だ」
「そ、そうでしたね……」
それを見て混乱するリョウカを、ユウがなだめる。
「とりあえず、男から宝だけ奪って隠れよう。男の身体だけを止められる?」
「はい……やってみます」
リョウカは戻って男の生身に――顔はなんとなく触りたくなかったので、首筋に――触れると、能力を掛け直した。狙い通り男の身体だけが止まり、男の所持品や衣服を動かせるようになる。
ユウが男から宝を奪う作業に入り、それは上着のポケットに手を突っ込んだところで滞りなく終了した。
「さて……とりあえず、この子の治療だな。どこかの建物に入って隠れよう」
「……はい」
二人で力を合わせて、ウタネをなんとかユウが担げるようにする。
入れる建物を探しながら、二人は歩き出した。
「リョウカ。この子は、身体を張ってお前を助けた。とりあえずそこは、認めていいと思う」
ずっと何とも言えない表情を浮かべているリョウカを見かねて、ユウはそう声を掛ける。
「……そう、ですよね。信じて……いいんでしょうか」
――ウタネを信じたい。しかし、信じていいか分からない。
それは自身のこともある。それに加えて、今は――一緒に戦う仲間を、危険な目に遭わせたくない。
だから、安易に彼女を信頼することを、リョウカは自分に許せなかった。
「リョウカがそうしたいなら。それに、これから話す時間だってある。その時間を取るくらいの信頼は、この子は勝ち取ったんじゃないかな」
そんな彼女の思いを汲み――ユウは、ウタネとリョウカをまとめて肯定する。
すぐにではない。ただ、信頼を取り戻す時間と機会を、二人に与えたかった。
ユウの思いは、言葉は、彼女にとって確かな救いとなり――
「……はい。……ありがとう、ございます。ユウ」
リョウカはそう言うと、涙を浮かべて微笑んだのだった。




