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第三章15 橘瑞生⑤

 喜びのニュースから一夜明け、翌日。

 勇んで病院へと向かった命と結は、前日に買ったプレゼントを持って瑞生の病室を訪れた。


 四歳のころからおよそ八年間。結が見ているだけでも六年。

 それだけの歳月を病と闘ってきた少女が、ようやくその苦しみから解放されようという喜ばしい日だ。


 だから、いつも通りに振舞えなかった命と結に、落ち度は無かった。

 嬉しくて、早く彼女に会いたくて――ついついドアをノックすることを忘れるくらい、仕方がない事だろう。


「瑞生ちゃん!」

「――一体、どういうことですか!」


 元気よく名前を呼びながら扉を開けた命と、そのすぐ後ろに居た結の耳に飛び込んできたのは、冷静さを欠いた瑞生の父親の怒声だった。

 命は驚きのあまり、ドアを開いた体勢のまま固まっている。


「申し訳ありません。私たちにも、分からないんです」

「『分からない』で済む問題じゃないでしょう! こんなこと、有り得ていいはずがない!」

「申し訳ありません。ですが、移植コーディネーターからそう言われたんです」

「言われたからって……っ! もういい、直接電話して掛けあってやる。連絡先を教えてください」


 開いたドアから見えた室内では、瑞生の父親と担当医が口論していて――その奥には、泣き崩れている瑞生の母親と、茫然と視線を泳がせる瑞生本人の姿があった。


「あ……命くん、結くん……」


 そして、担当医と共に部屋を出ようと歩き出した瑞生の父が、扉の前で固まる二人に気が付いた。


「あ……えっと……」

「何かあったんですか?」


 呆気にとられて上手く言葉が出ない命に代わり、結がそう訊ねる。


「っ……ごめん、ちょっと立て込んでるんだ。通してくれるかな」


 しかし彼は問には答えず、それだけ言うと二人の間を通り抜け、担当医と共に病室を早足に出て行った。


「……入ろう」

「あ……うん」


 相変わらず固まっている命に、結は静かにそう促した。


 ――この状況は一体なんだ。今日は、瑞生が救われる日のはずだ。

 訳の分からないこの状況の説明を求めて、二人は病室へと入る。


「あ……命くん……結くん……」


 かなり近付いてようやく、瑞生は二人の存在に気が付いた。

 その表情には生気が無く、いつもの明るい笑顔はどこにも無い。まるで、彼女が昔よく遊んでいた人形のようだ。

 それはつまり――命の前で取り繕う余裕も無いほど、衝撃的な何かがあったということだ。


「あの……」

「無くなったんだって」


 言葉を選び始めた命に、瑞生は唐突に一言だけ言い放った。


「――え……?」

「心臓移植。無くなったんだって」


 感情の許容量を超えた彼女は、何も感じていないかのように、何も考えられないかのように、淡々とそう言った。

 その声音は、恐ろしく平坦で、余りにも静かで、どうしようもなく虚ろに響いた。


「え……は?」


 瑞生の様子から予想した、その何倍もの衝撃的な事実。

 聞いても尚理解不能な状況に、結は疑問と困惑を音にするので精一杯だった。


「無くなった、って……」


 命も結と同じように、理解できないという声音でそう呟く。


「どういう、ことなんだろうね。こういうことって、よくあることなのかな」


 瑞生の言葉は疑問の形を取っているのに、発される音は欠片も答を求めていなかった。

 ただ、言ってみただけ。そういう音だ。瑞生にとって、その内容はどうでもいいことだろう。


 心臓移植が、行われない。


 その事実のみが、瑞生にとっての現実だった。


「あるわけ、ないだろ……っ」


 しかし、結はそんなことは認められなかった。だから、求められてもいない答を吐き捨てる。

 心臓移植のドナーが見つかって、手術が決定していて。

 しかも、先ほどの担当医の言葉を信じるなら、瑞生の体調や病院側の何かが原因ではない。


 この状況で心臓移植が取り止めになるなど、結が調べた限りでは正しく『有り得ない』事態だ。


「……そっか、そうなんだ」


 瑞生は相も変わらず、無表情に、無感動に、無感情に、相槌という名のただの音を発する。


「じゃあ……なんでなんだろうね」

「――っ!」


 そんな調子のまま喋り続ける瑞生に、結はふつふつと怒りが湧き上がってくるのを感じる。

 瑞生の父親の怒りはもっともだ。こんな状況、見過ごせるはずがない。


 激情の行き場を求めるように、結は視線をぐるりと走らせる。そして入口のドアに目を止めると、足音を踏み鳴らして歩き出した。


「結くん!?」

「どういうことか確かめる! この状況で黙ってられるか!」


 誰を問い詰めればいいのかも定かではないが、この病室に居ないのだけは確かだ。

 いや、病室どころか――この病院のどこにも居ないのかもしれない。仮に担当医に詰め寄ったところで、先ほどと同じような言葉が返って来るだけだろう。


 だが、結はそれでも良かった。最早求めているのは答ではなく、この怒りをぶつける相手だけだった。


「うわっ」


 だが、その行動はすぐに止められた。意図的にではないが。


 病室のドアを開けた途端、同時にドアを開けようとしていた瑞生の父親にぶつかったのだ。

 勢いよくぶつかった結はバランスを崩し尻餅を着いてしまう。


「――ダメだった」


 しかし、そんな結に頓着することなく、瑞生の父は唐突に言葉を発した。普段の心優しい彼ならば、有り得ない行動だ。


「何を言っても、間違いでしたの一点張り。いや、そんなことはどうでもいい――」


 誰に話しかけているのかも曖昧なまま、どこか空中の一点を見据えて、彼は立ち尽くす。


「もう、間に合わないそうだ。心臓は、今頃他の患者の手術に使われている、って」


 そのまま膝からどさり、と崩れ落ちる彼は、立ち上がろうとしている結と目線が同じ高さになった。

 しかし、その目は最早何も映していないようだった。結と絡んだはずの視線はあっさり解け、まばらに散って辺りを漂う。


 病室には五人も人が居るのに、完璧な沈黙が産み落とされる。

 生まれたての沈黙は耳障りな甲高い泣き声を上げ、しぃんと耳を痛めつけた。


 やがて、その泣き声をあやしたのは。


「あ……」


 空気を含んだ、バンッというやたら大きい音と。

 持っていた箱を取り落とした、命の呟く声だった。


 それは、昨日買ったばかりで、今日渡すはずだった、瑞生への誕生日プレゼントだった。

 落とした衝撃で箱がひしゃげ、中身がちらりと見えている。


「それ……」


 命と結が選んだそれは、白い華奢なサンダルだった。

 去年命が贈った帽子と一緒に身に着け、更にワンピースなんか着てみれば、見目麗しいお嬢様の出来上がり。


 そして、それを履いて、外へ――新しい人生への一歩を踏み出してほしいと、そんな思いを込めて、二人が懸命に選んだものだった。



 目に映るそれが何で、どうしてそこにあるのかを察したらしい瑞生は、不意にその瞳に生気を宿した。

 そして――見る間に潤み、歪み、止めどなく溢れる涙に覆い尽くされる。


「お父さん……お母さん……命くん……結くん……」


 一人一人に視線を止めて、一人一人の名前を呼んだ瑞生は――


「う……あああああぁぁぁぁっ……!」


 大きな声で、遅すぎる泣き声を上げたのだった。


 それが引き金となり、部屋の中を涙と泣き声と、絶望が満たしていく。

 瑞生も、彼女の父も、母も、命も、結も。


 全員が悲嘆と絶望の涙を流し、激しい慟哭が、いつまでも鳴り響く。



 橘瑞生の十二歳の誕生日は、掛け値なく最悪の一日として、全員の記憶に消えない傷を刻み付けた。


***************


 吐き出せども尽きぬ悲しみに、涙が枯れ、喉が嗄れ、それでも涸れぬ悲哀に嫌気がさしてきた頃。

 なかなか帰ってこない我が子を心配して、命と結の母が迎えに来るまで、それはずうっと続いた。


 二人の母親がなんとか全員を動かさなければ、もしかしたら永遠にそのままだったかもしれない。


 かろうじて人並みの判断力を取り戻した瑞生の父親が命と結の母に謝罪し、二人はそれぞれの親に引っ張られて病室を後にせざるを得なかった。


 心を失ったかのように茫然とし続ける妻に話しかける瑞生の父は、果たしてどんな気持ちでそうしていたのだろうか。


 去り際に見た病室の光景を頭の中で繰り返しながら、ぼんやりした思考の端で、結はそんなことを考えていた気がする。

 もっともそれは後から思えばという話で、搾りかすのようになった結が本当にそんなことを考えていたのかは定かでない。


 涙どころか、感情も精魂も尽き果てた結は、連れて帰られた我が家に着くなり、気を失うように眠ってしまった。


***************


 翌日目を覚ました結は、三秒間だけぼうっとした。

 しかしその後、すぐに昨日の記憶がガツンと頭に舞い戻ってくる。


「――瑞生!」


 実際に殴られたかのような衝撃を感じながら結は飛び起き、時計を見る。

 デジタルなそれは正確な日付と時刻を示し、結に現実を突きつける。


 日付は瑞生の誕生日の翌日。

 時刻は朝の六時半。


 つまり、結の頭で痛みを強要する記憶は、夢なんかじゃないということだ。


 幸いなことにと言うべきか、昨日は何もせずに寝たから服はそのまま。

 結はまだ誰も起きていない家を飛び出し、病院に向かって走り出した。


「――っはあ、はあ……瑞生――!」


 意味も無く、その名前を声に出す。

 朝の町はまだ人通りも少なく、結は病院への道をひた走る。


 そうして病院に辿り着いたのは、七時ごろ。

 当然面会ができる時間ではない。だが、結は構わず時間外用の入口を目指す。


 手動のドアを押し開けると、窓口に居る看護婦さんが怪訝な目でこちらを見る。


「どうしたの、君? こんな時間に」

「橘瑞生に、面会に来ました」


 問いかけてくる彼女に、結は努めて落ち着いた声を出す。


「あのねぇ、今何時だと思ってるの? 面会はちゃんと面会時間に来なきゃダメよ?」


 しかし、案の定却下の声が返ってくる。彼女は自分の仕事をしているだけなのだが、今の結にとってはそれが耐え難い。


「それは分かってます――でも……!」

「でもが通じるのは学校だけよ。ここは病院で、他の患者さんだって居るの。あなたくらいの年齢なら分かるでしょう。分かったら――」


 言い縋る結に、看護婦はくどくどと説教を垂れ追い返そうとする。

 しかしその声は、突然響いたドアを勢いよく開ける音に遮られた。


「瑞生ちゃん――結くん!?」

「命……」


 そこには、おそらく全く同じ行動を取って来たであろう命の姿があった。もう一人の面倒くさそうな少年の登場に、受付の看護婦は遠慮会釈なく舌打ちする。


「何人で来ても、ダメなものはダメです。規則ですから。分かったら――」

「結くん? それに命くんも」


 頑として二人を追い返そうとする看護婦の声は、後ろからかかった声に再び遮られた。

 そちらを見れば、少し疲れている様子の夏子の姿があった。


「そっか、瑞生ちゃんに会いに来たのね……いいわよ、入って」

「ちょ、先輩!」


 どうやら、立場としては夏子の方が上なようだ。あっさり許可を出す夏子に、彼女は不満げに突っかかる。


「あなた、聞いてないの? 瑞生ちゃんの話。この子たちはあの子の友達よ」

「あ……」


 夏子に言われてようやく、瑞生のことに思い当たったようだ。結はちゃんと伝えたのに聞いていなかったのは不満だが、そこは今はどうでもいい。


「ありがとうございます」

「ありがとうございます!」

「ん、行っといで」


 許可をくれた夏子に礼をしつつ、彼女の声を背に受けて二人は病室へと向かった。


*************


 瑞生の病室の前に辿り着くと、二人はいつも通りに扉をノックした。


「どうぞ」


 中から聞こえてきたのは瑞生の父親の声で、どうやらあのまま病院に泊まったようだ。


「ああ、命くんと結くんか。こんな時間にありがとう」


 二人が入っていくと、彼は小さな声でそう言って立ち上がった。


「ごめんね、瑞生は寝てるんだけど。僕はちょっと、お母さんの方の様子を見に行きたいんだ。……悪いけど、瑞生を見ててもらえるかな」


 そして、二人にそう頼み込んだ。

 それ自体は、頼られているということに子供ながら喜びを感じないでもないが――


「あ、はい……それは大丈夫ですけど……」

「おばさん、どうかしたんですか?」


 命が答え、結が訊ねる。

 瑞生の母親は、昨日病室に居た五人の中でも一番憔悴しているようだった。娘にあれだけの悲劇が訪れたとあれば当然なのかもしれないが。


「ああ、あの後酷く錯乱してしまってね……鎮静剤を打ってもらって、今は別の病室で眠ってるんだ。そろそろ起きてもおかしくないから」


 瑞生をよろしくね、と言い置いて、彼は病室を出て行った。


 残された二人は、どちらからともなく目を合わせて頷き、瑞生の隣に椅子を据えると、そこに座ってじっと彼女を見つめた。


 寝顔は穏やかで、静かな寝息は心地よいリズムで続いている。

 しかし涙の跡は顔に残っていて、それが昨日のことを思い起こさせて、二人に再び悲しみをもたらす。


 ――一度、助かると思わせておいて。

 そこからやっぱりダメでしたなんて、余りにも酷すぎる。周りの人間ですら怒りと絶望でどうにかなりそうだと言うのに、瑞生本人にとって、それはどれだけむごいことなのだろう。


「ん……」


 そんなことを考えていたら、瑞生がふと声を上げた。そしてそのまま薄目を開け、徐々に意識が覚醒していく。


「あれ……命くん、結くん……?」


 こちらに首を少し回して、瑞生はそう声を発した。


「おはよう、瑞生」

「おはよう、瑞生ちゃん」

「うん……おはよう」


 静かな挨拶を交わし、ゆっくりと瑞生が起き上がる。

 目をこすりながら辺りを見回すと、問いを発する。


「……お父さんは?」

「……おばさんのところに行ってるって」

「そっか……お母さん、大丈夫かな……」


 結が答えると、瑞生は状況を理解したようだ。


「あの後、大変だったんだよ。お母さんが、ヒステリーって言うのかな? 病院の人に喚き散らして」

「そう、だったんだ……」


 静かに語る瑞生に、命が悲しげな声を上げる。

 瑞生の母は穏やかな人で、結は一度も声を荒げたところを見たことが無い。命の反応を見ても、それは間違いないようだ。

 そんな人が取り乱すほどの事態だと言うのに――


「大丈夫だよ、命くん。そんな悲しそうな顔しないで?」


 瑞生は、その渦中に居るはずの彼女は、そう言って命を気遣ってみせたのだった。


「――なんで……」

「?」


 思わず呟く結に、瑞生は不思議そうな顔をする。


「なんで……なんでそんなに、平気そうな顔をしてられるんだよ。助かるかも、しれなかったのに。助かるはずだったのに」

「……結くん?」


 こんなことを言っても仕方ないと、いや瑞生を傷付けることにしかならないと、そう分かっているのに。

 結は、溢れ出す言葉を止めることが出来なかった。命が、横で首を傾げて声を上げる。


「それがいきなりあんなことになって、なのに、どうして。どうして瑞生は、そんな……人の心配なんか、できるんだよ。――悲しくないの? 怖くないの? 憎くないの? なんで、どうして私だけって、そう思わないの?」


 母を気にして、命を気遣って。あまつさえ今、結のことを心配そうに見つめているのだ。

 誰よりも心配されるべきなのは彼女で、彼女はもっと、不満や不平を言う権利が有るのに。


「……結くんは、私に、そうしてほしいの?」


 しかし、そう直截に言われて、結は怯んだ。


「違う、そんなわけない。でも……分からないんだよ……っ」


 あんな目に遭って、それでも尚、変わらずに。


「どうして、そんなに強くいられる? どうして、そんなに優しくできる? 全然、分からないんだよ」


 疑問を全て吐き出した結は、がっくりとうなだれた。辛い気持ちを押し隠しているかもしれない彼女に、それを思い出させ、曝け出させようとする――自分が、そういう酷いことをしていると思ったから。

 そんな結に――


「だって、二人が居るんだもん」


 簡単なことだよ、と言わんばかりに、瑞生は淀みなくそう答えた。


「もちろん、悲しいし、怖いし、怒ってもいるし、なんでって思うよ。でもね――」


 まるで小さい子供に言い聞かせるように、瑞生はゆっくり、優しく言葉を紡ぐ。


「そんなことばっかり考えてたら、もったいないなって思ったの。だって私は元々、明日生きてるかどうかすら分からないんだから」


 当たり前のように、彼女はそんなことを言ってのける。実際に死を間近に経験した彼女のその言葉は、他の人には籠められない実感が籠っていた。


「二年前、この機械が着いたときに、二人に言ったよね。『一日一日を大切に生きていきたい』って。それはずっと変わらない」


 そっと、自分の命を支えるそれに触れ、愛おしそうに撫でながら彼女の言葉は続く。

 あの時は、可愛くないと言っていたのに。


「それで、そう思えたのは二人が居てくれたからなんだよ。二人が居れば、私の一日はとっても楽しくて幸せな一日になるの。外に出られなくっても、思いっきり遊べなくっても、二人と一緒なら、何だって楽しかった。幸せだった」


 そして顔を上げると、二人の顔を交互に見る。


「それにね、それって誰でもそうだと思うんだ。私だけじゃない。人間はいつ死んじゃうか分からない。それは誰でもいっしょで、私の場合はちょっとだけ、人よりも身近なところにある。それだけなんだよ」


 そこまで言われて、ようやく結にも分かった。


「だから、二人にも同じように、一日一日を大切に、楽しんで生きてほしい。それで、できたら、他の人の一日も、同じくらい大切にしてほしいって。そう、思ったの」


 彼女は、死を受け入れたのだ。

 避けられないものとしてではなく、当たり前にそこにあるものとして。


 生きていれば、いずれ死ぬ。命には限りがある。

 だからこそ、命は大切な物なのだと。


 彼女は、自分の人生を全力で歩み、その答を得たのだ。


「……わかった。約束するよ――俺も、大切にするから」


 「何を」とは言わない結の言葉に、しかし瑞生は穏やかな顔で頷いた。

 そしてそのまま命の方に向き直ると、


「命くんは?」


 そう訊ねる。


「――もちろん。僕も、大切にします」


 それを受けた命は笑顔でそう答え――その目には、一筋の涙が流れた。


「あれ、命くん……泣いてる?」

「え、あ……本当だ。なんかこう、いろいろ込み上げてきてしまって……」


 言われてようやく気付いた命は、それで自分の感情に気が付いたのだろう。

 どんどんと溢れる涙に、拭う手が追い付かない。


「ふふ、命くん、子供みたい」


 そんなことを言う瑞生の目にも、よく見れば涙が溜まっている。

 命が流し続ける涙に、瑞生も、そして結も、つられてしまったのだ。


「いいんじゃない? 俺たち、まだみんな子供だしさ」


 だからそう言って、涙を流すことを良しとした。昨日さんざっぱら泣いた後でも、涙は止まりそうにもない。

 結のその言葉で、三人はいよいよ本格的に泣き出した。もらい泣きというのを初めて経験した結だったが、案外悪くないものだと、そんな風に思う。

 それに、昨日流した涙とは違い――


「なんか、温かいね」


 結が感じたことを、瑞生が口にした。

 昨日の、心をすり減らして流していくような涙と違い――逆に、心がしっとりと、優しく潤うような感覚を味わう。



「そうだ、一つ言い忘れてた」


 しばらく泣きじゃくった後で、結がふと口を開く。

 そして命を引っ張って耳打ちすると、「せーの」と口を揃えて。


「「誕生日、おめでとう」」


 二人で、一日遅れの祝いの言葉を贈った。

 十二歳の誕生日は、それは酷い一日だったかもしれないけれど。


「ありがとう」


 今日は――いい日、とまでは言えないにしても。

 間違いなく、三人にとって、かけがえのない大切な一日になった。



 お礼を言う瑞生と、三人で泣き合い、笑い合う。

 その姿はまるで、どこにでも居る、普通の小学生のようだった。

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