第三章8 影の王
森を抜けると、いくつかの家が立ち並ぶ小さな村らしき場所に出た。
多少の驚きはあった。女神は『無人島』だと言っていたし、彼らはそれまで森と台座しか見てこなかったからだ。
だが実際住人が居ないのだから、たとえ家があってもそれは無人島には違いなかった。
そんなことを考えた後、彼――エイタは視線を左右に走らせた。
前を駆けていたはずの四人の姿は見当たらず、どこかの建物に隠れているのだろう。
「どうしますか?」
少し後ろをついて来ていた少女――彼の付き人である、トワがそう訊ねる。
「何か仕込んでくれてるんだろうな。折角だから乗ってみよう」
エイタは楽しそうにそう返事をして、再び視線を村へと戻す。目に入る範囲の建物を観察したところで――そのうちの一つに目を止める。
「たぶんアレだな。さて――ちょっと驚いてもらうとしようか」
そう言って脇目もふらず真っ直ぐに歩き出す彼に、トワは黙って付き従う。
「よし、じゃあ『武器』だけ用意しといてくれ。たぶん使うことはないだろうけどな」
目的の建物の扉の前で立ち止まると、彼はトワに向けてそう指示を出す。
小さい掘立小屋だ。扉がある正面から見て、幅は三メートル程度、奥行きも五メートル程度だろうか。高さも三メートル程度しかないように見える。
木造の古びたそれはとある民家の脇にあり、おそらくは物置か何かだろう。
何故この小屋に目を付けたのかと言えば、この小屋は入口が一つしかないからだ。裏口も無ければ窓も無く、あるのは引き戸が一つのみ。
彼らがこれからやろうとしているであろうことを考えれば、この小屋が一番適していた。
「建物ごと破壊することも可能ですが」
「しねぇよ、そんな無粋な真似」
静かに乱暴な提案をするトワを、エイタは一笑に付した。
「じゃ、ちょっくら行ってきますわ」
そしてそれだけを言い残すと、自分の体に左手を宛がい――彼の姿は、見えなくなった。
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狭い小屋の中、ミコトは息を潜める。いつ開かれるとも分からない扉を見つめ、ただ自分の心臓の音だけが早鐘のようにうるさく聞こえる。
小屋は物置として使われていたのだろう、中には雑多に物が押し込まれている。それらを押し退けて場所を確保したミコトたちの配置は、中から見て扉の右側にミコト、その反対側にリョウカ。そして正面の少し離れた位置にアカリだ。
そして、アカリの横にあるのが――
ガタリ。
音を立てて立てつけの悪い引き戸が開き、ミコトは身構える。
それと同時にアカリが動き――自分の横に置いてあったペンキを引っ掴むと、開いた扉の外に向かってぶちまけた。
バシャリと水音が立つが、飛んで行った赤色はそのまま空中を通り過ぎ見えなくなる。
だが、リョウカは何かを見つけたように目を見開き、視線で何かを追っているようだった。
次の瞬間、再びバシャリと派手な水音がミコトの耳に届く。それを確認したリョウカは開いた扉から外に飛び出し、ミコトもすぐ後を追う。
扉を出て振り返れば、おぼろげに人の形をしたペンキの塊がそこに居た。
リョウカはその影に左手を伸ばし、続くミコトも回り込んで反対側からそれに触れる。
そして――奇妙な感覚に襲われた。
ペンキを被ってそこに居るはずの人物は、姿が見えないというのは分かっていた。だからこそこうしてマーキングし、そのマーキングに手を伸ばしている。
しかし――触れているはずのその手には、べっとりとしたペンキの感触しか存在していない。
そこに何かがあるのは確かだ。何しろ、手はそこから先に進むことを許されていない。
しかし、自分が何かに触れているのかと言われれば、それが分からないのだ。
構わず能力を発動しようとするが、いつもの『キン』という感触は得られない。フルスイングしたバットが空振るような、そんな喪失感だけがある。
「ミコト、リョウカ! すぐ離れろ!」
上から降ってきたその声で我に返り、ミコトは反射的に後ろへと飛び退る。
反対側でリョウカも同様の動きをしており、動く気配の無い赤い人影を遠巻きに見守る形になる。
「いいねえ、その表情。わざわざ作戦に掛かってやった甲斐があるってもんだ」
声と共に、ペンキの下に正しい色の付いた人影が現れた。
「作戦としては良かったぜ? 二段構えは基本だからな。ただ――ペンキを被るってのは予想以上に気分悪いな。トワ、水掛けてくれ」
現れたその人物――エイタは、上から目線でそう批評を告げた後、近寄ってきた少女――トワに声を掛ける。
言われたトワは自分のカーディガンのポケットをまさぐると、何やら小さい物を取り出した。そして蓋を開けるような動作をした後左手でそれをエイタに向けると、どういう仕組みなのかそこから大量の水が発射される。
「――ふう。水も滴るいい男、ってな」
ペンキが洗い流され、代わりにずぶ濡れになったエイタは顔を拭うとそんな軽口を叩く。だが、それを気に掛ける余裕はミコトたちには全くなかった。
エイタが言うところの『二段構え』とは、ユウの作戦のことだ。ユウはミコトたちに小屋に隠れる指示を出した後、ペンキを持って小屋の裏側に隠れていた。
そして、小屋の扉が開かれたところでアカリによるペンキ第一投。それが躱されることは半ば想定済みだった。
ではどうしてエイタがペンキを被る羽目になったかと言えば、隠れていたユウは扉の音を合図に能力を発動――小屋の上に登ると、そこからペンキをぶちまけたのである。アカリのペンキはほんの少しだけエイタに掛かっており、それを目印にした形だ。
かくして、姿の見えないエイタの位置を把握するに至った。把握したはいいが――結果はご覧のとおりである。ミコトたちは、激しい焦りと共に必死に頭を巡らせるしかない。
「さて、俺に触れられたご褒美だ。俺の能力を教えてやるよ――お前も降りてこいよ、大声出すのしんどいし」
だが、エイタは事も無げにそんなことを言ってのけた。
未知の能力という、大きすぎるアドバンテージ。それを自ら放棄すると。
「……どういうつもりだ?」
言われるままに屋根の上から飛び降りるユウは、ミコトたちの傍まで近寄るとそう訊ねる。
扉の付近に居たアカリも、ミコトの傍まで来ると不安げに全員と視線を交わす。
「言った通りだよ、ご褒美さ。ま、お前らじゃあ知ったところでどうにもできないだろうしな」
「……へえ。後悔しないといいな」
ミコトたちを完全に侮っているとしか思えないその発言に、ユウは苛立たしげにそう口にする。
「しねぇよ。さて――」
そんなユウの挑発には乗らず、エイタはそう言って語り始めるのだった。
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「まず、いくつか質問をしよう」
語り始めたエイタの第一声はそれだった。その様子は生徒に授業する教師のようで、つまりそれは両者の立場を明確に示している。
教える者と、教えられる者。その上下関係は、小学生にも明らかだ。
「この鬼ごっこの名前は何だった?」
質問は、そんなところから始められた。何故今さらそれを問うのか、ミコトたちにはさっぱり分からない。
「『イマジン鬼ごっこ』?」
確かめるようにそう口にしたのはアカリだ。もちろん、全員分かってはいるが。
「そうだな。じゃ、この中にその由来を聞いた奴は居るか?」
「……『想像力が鍵を握るから』」
女神の言葉を思い出し、ミコトが次の質問に答えた。ユウやリョウカが、驚いたようにこちらを見ている。
「その通りだ。『②左手には、触れたものに影響を与える能力が与えられる』。そしてその能力は、使い手の『想像力』を原動力として働いている」
頷くエイタは説明を続ける。
ここまでは、このゲームのルール――前提条件の確認だ。
「さて、じゃあ俺の能力に話を戻そうか。俺の能力で起こった現象は何だ?」
そう訊ねるエイタに、ミコトたちは考え込む。
「まずは、『見えなくなる』、だよね」
アカリの発言は、全員の共通認識だ。彼は能力を自分に使い、姿を消している。
「でも、どうでしょう……もしかしたら、『消えている』のかも……」
次のリョウカの発言は、ユウの能力が掻き消されたことを考えての発言だ。もちろん、彼自身が消え去る訳ではないから、『一時的に消える』という推測。
「一時的に消える……無いとは言い切れないけど、現実的じゃないな。アイツは能力を発動したまま他の参加者を消してるし。それに、ペンキだって実際被ってたしな」
しかし、その推測は誰あろうユウから否定された。
「それに、その能力ならリョウカといっしょで、自分に掛けたが最後二度と解除できなさそうだろ」
声を落としたユウは、四人にだけ聞こえる声でそう言った。確かに、自分が消えたら解除するという意志を持つのは不可能に思える。
なるほど、とリョウカは頷いて同意を示した。
「そう言えばさっき、『触った感触』が全く無かったんだけど……」
そして、声の大きさを戻してミコトが自分の引っ掛かった点を口にした。
ペンキに触れている感覚はあるのに、付着しているはずの物体の感触が全く感じられない。それはあからさまな違和感だった。
「私もです。触れていると頭では分かっているのに、感覚がそれを拒否している、みたいな……」
リョウカもそれに同意を示し、自身の得た感覚を言葉にする。
「感触か……触れているのに、触れていない……能力も発動できない……」
「『触れた物体を触れなくする能力』、とか?」
考え込むユウの呟きを聞き、ミコトが思い付きを口走る。
「なるほど……物体が目に見えるのは光の反射のお蔭ですから、それで見えなくなるのも説明がつくかも……光も触れない、ってことで」
リョウカがその発言に光明を得て、補強する説明を加える。確かにこの能力なら、単純に『見えなくなる能力』よりも諸々の現象に説明が付きそうである。
「いや……確かに俺の能力が消されたのもそれで説明が付くかもしれないけど。俺の能力は接続、『触れられなくなったら接続にならない』、だから解除される。まあ理解はできる」
二人の意見に納得の意を示しつつも、その表情は晴れていない。案の定「でも、」と言を翻し、ユウは言葉を続けた。
「やっぱりペンキを被ったのが解せないな。触れないならペンキが付くこともないだろうし……それに、触れないならやっぱり他の参加者を消せないはず……」
そう、触れてはいるはずなのだ。ペンキを被ったことも、他の参加者が消されたこともそれを示している。そして何より、ユウは一度彼を捕えている。
とりもちを使った時、エイタの攻撃は確かに止まった。もしあの時彼が実は自由に動けたとするなら攻撃を止める理由は欠片も無く、それは不自然極まる。
あの時、エイタは確かにとりもちに貼り付いていた。そう考えるのが自然だ。
「目に見えない……触れてはいる……消えた能力……ペンキ……感触……感覚……想像力。能力が、発動しない……?」
うわごとのようにひたすら言葉を羅列するユウを、ミコトたちは不安げに、エイタは楽しそうに、トワは無表情に見つめている。
やがてユウは――ハッと気が付いたように、目を見開いた。
「もしかして……! 感覚を……いや、認識、か……?」
そうしてこぼれ出た言葉は、ミコトたちには意味が分からなかった。
だが、エイタはそれを聞いてニヤリと頬を歪ませる。
「まさか……『認識を阻害する能力』、か?」
「良い勘してるぜ。やっぱりお前、見どころあるな」
ユウの導いた答を、エイタの返事は肯定していた。だが、やはりミコトたちにはまだその全容は知れない。
「改めてちゃんと解説してやるよ。俺の能力、名前は『影の王』。ま、この名前はフェイクに近い」
したり顔でエイタは語り始める。インビジブル――直訳すれば、『目には見えない』という形容詞だ。
「この能力を一言で説明するとこうだ。『触れた物を認識できなくする能力』。阻害なんて生易しいもんじゃない。絶対に、完璧に、あらゆる意味で。俺以外の誰にも認識ができなくなるのさ」
目に見えないというのは、視覚的に認識できていないから。そして視覚だけではなく、触覚でも認識ができないから、触れていてもそうと分からない。
聴覚、嗅覚、味覚、第六感に至るまで。あらゆる感覚がそれを認識する術を失うのだ。
「そう……そしてその真価は、『居場所が分からない』なんてもんじゃない」
「正にその通り、それは副産物に過ぎない。さて、ここでまたもや質問だ」
ミコトからすればそれだけでも有用な能力に思えていたが、そうではないと彼らは言う。
ユウはこの上なく不機嫌な顔で、エイタはこの上なく上機嫌な顔で。
「左手の能力の原動力は『想像力』だ。さて――『認識できないもの』に、どうやって想像力を働かせる?」
「あ――」
ニヤリと告げられたエイタの言葉に、声を上げたのはリョウカだ。だが、その意図は全員に伝わっていた。
左手の能力を発動するとき、それがどんな能力であれ、必ず触れている対象を意識する必要がある。
強制退場なら、触れている人間を退場させるイメージを。完全停止なら、触れている物体を止めるイメージを、それぞれ固める必要があるのだ。
しかし、触れている物を認識できないとすれば、当然イメージを固めることはできない。先程のたとえで言うなら、バットが空振りするのは当たり前。そもそもボールに当たり判定が無いようなものなのだ。
つまり、結論を言えば。
「『影の王』が発動している間は――他の左手の能力は絶対に発動できない……」
「そういうことになるな」
ユウが口にした絶望的な内容を、エイタはあっさりと肯定した。
「そんな……それじゃあ……」
それを聞いたアカリが、思わず呟く。その声は震えていて、どうにもならない一つの事実を示していた。
「僕たちは……あの人に、絶対に勝てないってこと……?」
口にしたその言葉は、大気を虚しく震わせ、ミコト自身の耳に帰り――深い絶望を、その脳に刻み付けた。




