第三章7 エイタとトワ
突然目の前に現れた男は、今まで姿を隠していた『見えない鬼』に違いなかった。
だがその見た目は予想と反し――なんというか、チャラい。
男子としては長めの茶髪をセンス良く整え、耳にはシンプルなピアス。
顔はイケメンと言って差し支えないが、それよりも軽くて不真面目そうな印象が先立つ。
制服も若干着崩しており、ミコトたちと同じブレザータイプのそれの下にパーカーなんか着てたりする。
そしてチャラいと言えば、中心に居た少女も同系統の見た目をしていた。
やはり茶色に染められた髪には緩くウェーブが掛かり、顔には薄くではあるが化粧を施してあるようだ。
男の制服と同じ色の短めのスカートを穿き、おそらくブレザータイプであろうにその存在はどこへやら、代わりに白のカーディガンを着ていた。ちなみに袖と裾が長めだ。
だがそんな二人は、現在未知の脅威の塊である。見た目で油断するなど以ての外だと、当然ユウには分かっていた。
まじまじと彼らを観察したところで――
そんな場合でないと、今さらながら思い出した。
「さて。まず邪魔者を退かしますか」
視線を横に走らせ、男がそう口走るのを聞く。視線の先には、自由になった他の参加者の姿があった。
彼が何らかの方法でユウの能力を消し去ったため、拘束も解けていたのだ。
「ヤバい――ミコト! 近くにいる奴から退場させろ!」
ユウが男の目的に気付き声を上げた時には、その姿はもう見えなくなっていた。
そして数秒も経たないうちに、自由になった参加者の内、一人が消え去る。
ミコトも気が付き、慌てて駆け出す。
男の発言を鑑みれば――彼はまず、ミコトたち以外の参加者を全員消すつもりだ。
スピードの差は歴然だった。何と言っても、男は目に見えない。見えない敵を警戒する術は無く、次々と参加者が消されていく。
片やミコトは、目にも見えれば動きも遅い。さっき食らった電撃の影響がまだ残っているのか、いつにもまして動きが鈍いのだ。
他の参加者が協力的ならいいのだが、当然彼らにとってはミコトも敵の一人でしかない。
警戒され、抵抗され、その間にも生存者の数はどんどん減っていく。
結局――
「これでよし。さ、まずはお話でもしようぜ?」
再び姿を現したその男がそう宣言するまで。
ミコトが救えたのは、最初に退場させた男を含めて三人だけだった。広場には十人以上は人が残っていたはずで、スピードの差は単純に三倍以上。
「話すことなんか……ない!」
歯を食いしばるミコトが絞り出した叫び声は、男に対する怒りで満ちていた。
目の前で次々に命を掻き消され、ミコトが冷静でいられるはずもない。一気呵成に男に向かって駆け出すミコトを――少女の伸ばした棒が打ち据え、またも電撃がミコトの全身を駆け抜ける。
「ミコト!」
「ミコトくん!」
声を上げ、全員がミコトの元へと駆け寄る。
やはり痺れて動けないようだが、意識もあれば呼吸もしている。このぶんなら、数分で治るはずだ。
「おいおい、いきなりそれはヒデぇなあ。こっちゃ友好的に行こうとしてんのにさ」
男は言葉と裏腹に、驚くでも怒るでもなく、やはり軽い様子でミコトたちに喋りかける。
「トワもそこまでやるこたなかったろ。もうちょい手加減とかしてやれよ」
「ごめんエイタ。これ、出力の調整とかできないんだよねー」
「そっか、ならしょうがないな」
あくまで軽々しく、男たちは会話を続ける。
しかしその内容が、ユウの頭に引っ掛かっていた感覚をすっと取り除いた。
「さて。じゃあまずは自己紹介からだな」
「いや、必要ないよ……ビョウドウインエイタ。それに――タカカゼトワ、か?」
改めてこちらに話しかける彼の言葉を、ユウは遮って言い放った。彼は少し驚いた表情を見せるが、すぐにニヤケ面を貼り付けて言葉を紡ぐ。
「へえ……お前、どこかで会ったことあったっけ?」
「いや、お前らとはないよ。ただ……お前の兄貴と会ったことがある、って言えばわかるだろ?」
ユウが感覚として得ていた、トワと呼ばれた少女に対する既視感。それは、彼らが互いの名前を呼んだことである確信へと変わった。
『エイタ』。それはあの体育倉庫で、アオカが言っていたツトムの弟の名前だ。そしてそこが一致した途端、ユウの既視感の正体も分かった。
外見はパッと見れば全然違う。だが雰囲気が、立ち居振る舞いが、少し前に戦ったばかりの相手と酷似していることを、ユウは知らず知らずの上に感じ取っていたのだ。
「なるほど。それで? お前らがここに居るってことは、ツトムは消えたのか」
その返答は、ユウの推測が正しいということを示していた。つまり、彼らの正体はアオカが言うところの『ツトムよりずっと優秀な弟』、ビョウドウインエイタと、その付き人のタカカゼトワということだ。
「……ああ。ただ、お前の兄貴を消したのはアオカだけどな。アオカの方は……」
「そこに居る男が『退場』させたんだろ。にしてもツトムのヤツ、本当にやられちまうなんてな。一応俺の兄貴なんだし、もしかしてと思ってんだが……クズはクズか」
エイタの質問に答えつつ、アオカのことを言い淀んだユウ。
だがその先の言葉は、あっさりとエイタが続けたのだった。自分の兄に対して、完膚なきまでに冷徹な言葉で。
しかし、その冷たさとは別の理由でユウは驚愕していた。
「いや、ちょっと待て……!」
思わず、そんな言葉が口を衝いて出る。彼の言う『そこに居る男』とは、もちろんミコトのことを指している。事実その通りだが、しかし。
「ん?」
「どういうことだ……俺たちはミコトの能力なんて一回も説明してないはずだぞ?」
ミコトたちとエイタたちが出会ったのは、ここが初めてのはずだ。その間、当然ミコトの能力を説明するような暇は無かった。
にも関わらず、エイタは当然のように『退場』という文言を口にしたのだ。それも、意味も理解した上でだろう。
「見てれば分かるよ、それくらい。このゲームから退場させる能力だろ? ここに来てから、その男は三回も能力を使ってるんだぜ? それにお前、さっき大声で叫んでただろ。『退場させろ』ってな」
確かに言っていることは事実だけだが――普通、それだけで能力の見当がつくものなのだろうか。
ミコトの能力は、見ているだけではその正体が分かり辛い能力だろう。何しろ、見た目には変化が起こらないのだ。
あの場では説明してる時間も余裕も無かったから、ミコトは彼らを退場させたら『逃げて』とだけ叫び、そのまま放置していたのだ。
いくら『退場』という文言が聞こえたとはいえ、それだけでここまで正確に能力を把握するというのは、尋常ではない。
彼が間違いなくツトムより優秀であると、そう確信させる程度には。
「そんなに喋って、演技はもういいのですか? エイタ様」
そして、トワが口を開き――ユウはまたも驚く。先ほどまでの軽々しく馴れ馴れしい口調とは、似ても似つかなかったからだ。
その喋り方は、ツトムに対するアオカのそれと全く同じ、感情の籠らない、しかし絶対服従を感じさせるものだ。
「ああ、俺を知ってるんじゃ油断もしないだろうよ。ま、知らなくても油断してくれるタマじゃないだろうが」
エイタの方はそれが素の口調なのだろう、さして喋り方に変化はない。だが雰囲気は随分鋭くなったように感じる。値踏みするような視線に、ユウの顔を汗が一筋伝う。
今までの軽くてチャラい様子は、全て演技だったということらしい。
「随分小狡い手を使うんだな。頭の悪いフリで油断誘うなんてさ」
「楽に勝つに越したことは無いからな。それに、それで油断する雑魚なんて相手にしてられねえよ」
せいぜい挑発するユウだが、エイタは一分も悪びれる様子がない。彼は彼で、勝利への強い意志を持っていると察せられる。
「さて、そんじゃバトる前に一つ、興味本位で訊いておこうか。お前たち――俺の能力は、何だと思う? 見たところソイツ以外の三人は会話に付いてこれて無さそうだけど、どんどん喋ってくれて構わないぜ?」
エイタは小馬鹿にしたような言い方で、ユウ以外の三人にも話を振る。
だがミコトたちは彼の言う通り、ここまで全く会話に入る余地がなかった。ユウですら戸惑う状況なのだ。ミコトたちにはほとんど何も分かっていない。
「えっと……触れた物を見えなくする能力、じゃないんだよね?」
遠慮がちに、それでも率先して口を開いたのはアカリだ。
「そう……ですね。それだと、さっきユウの能力を消した方法が分かりませんから」
リョウカもそれには答えるが、そこから先は全く見当が付いていない。
「っていうか、本当にユウくんの能力は本当に消えたの? 見えなくなっただけ、とか」
ミコトもダメージは回復したらしく会話に参加し、ユウに向けて疑問を発する。
「いや、間違いなく消えてる。でもあいつの能力については全く分からない」
ユウがそう言ってしまえば、もうお手上げである。エイタの能力は正体不明。ついでにトワの能力もだ。状況は限りなく悪い。今までも最悪だと思っていたが、それを越して最悪かもしれない。
「……一つ、提案なんだけど」
と、ユウが声を落として四人にだけ聞こえるようにそう言った。
「どうした? 別に間違っても怒ったりしないから、もっと大きな声で話し合ってくれていいぜ?」
そんなミコトたちの様子を見て、エイタはそう声を掛ける。
――しかし。
「行くぞ!」
ユウの掛け声と共に、ミコトたちは一斉に駆け出した。
ユウの提案とは、逃げることだった。一先ずは時間を稼ぎ、その間に考え、そしてエイタに勝つための材料を集める。そういう作戦だ。
「……どうしますか?」
「追うさ、もちろん。まったく、考える時間ならいくらでもやったって言うのに……自分たちでそれを捨てるなんてな」
冷静に問いかけるトワに対し、エイタは暢気にストレッチをしながら答える。
「もしかしたら、何か考えがあるのかもしれません」
「それも分かってるさ。楽しみだ」
ミコトたちが逃げていった方向を目で追いながら、トワは静かにそう言い足す。それはエイタとしても当然思っていることで、そして楽しみという言葉に嘘は無い。
エイタにとってこのゲームの勝利は当たり前で、その過程を楽しもうという余裕すらあった。
「これは失礼しました。出過ぎたことを」
「構わねぇよ。じゃ、行くとしますか」
謝罪を述べるトワを慣れた様子であやし、ストレッチを終えたエイタは駆け出した。
*************
駆ける、駆ける。
森の中を、ミコトたちは全速力で駆け抜けていた。時折後ろを振り返るが、エイタたちの姿は全く見えない。
「あの野郎、俺たちのこと舐めてやがるな……」
ユウは振り返りながら、苛立たしげにぼやく。実際のところ、エイタのその態度も仕方がない状況ではある。何しろ、現状尻尾を巻いて逃走中の身だ。
「ねえユウくん、本当に大丈夫? もしかして、僕らのことをほっといて他の人を襲ったり……」
ミコトはミコトで、この状況に対する不安を口にする。もし彼がミコトたちに対する興味を失ったとすれば、わざわざ追いかけずに他の参加者が来るのをあそこで待っているかもしれない。
それはつまり、他の参加者を見捨てたに等しい行為だ。少なくとも、ミコトはそう感じてしまう。
「それはない、と思う。俺たちが逃げ出したとき、アイツ笑いながらストレッチしてたし」
余裕と追う意志を示す行動だが、ユウとしては腹の立つ行動である。
「でも、油断してくれるならそれはチャンスですよね」
そんなユウを見かねてか、リョウカが前向きな発言をする。
「ま、実際それで五分くらいじゃないかと思うよ。たぶんアイツらは化物だ、まともにやったら勝ち目がない」
と、今度は弱気なことを言い出すユウ。なんだか彼の言動が安定していないのは、先ほど能力を消されたことによる動揺が大きいのかもしれない。
「という訳で、まともじゃない方法でとりあえず倒しときたいところだ」
しかし一転、今度は真剣な表情でユウはそう切り出す。
「何か作戦があるの?」
「作戦、かつ試しておきたいことだな。ミコトとハナちゃんはちょっと先に行って隠れててくれ。リョウカは俺と仕込みな」
アカリが問いかければ、ユウは返答と指示を飛ばす。ようやくいつもの調子を取り戻したようなユウに、三人は頷いてすぐに従う。
「よし、じゃあやろうかリョウカ。ちょっとエグい感じだけど勘弁な」
「はあ……」
ユウは立ち止まるとそう告げる。リョウカは何をするのか見当が付かず、曖昧な返答を投げた。
「これで引っ掛かるようなタマじゃないんだろうけどな……」
仕込みを始めながら、ユウはぼやいた。
そしてその考えはバッチリ的中してしまうことになる。
*************
駆ける、駆ける。
森の中を、エイタとトワはほどほどのスピードで駆けていた。ミコトたちが逃げた方向はなんとなく分かっているし、森の中を逃げた痕跡を見つけるのはエイタにとって難しくはなかった。
「……! トワ、止まれ」
そして、唐突にエイタは立ち止まって指示を飛ばす。言葉も無くすぐに従う彼女を確認すると、エイタは目を凝らした。
「これは……糸、か」
違和感の正体は、目を凝らしたことによって判明した。彼らが居るであろうこの先を塞ぐように、辺りに糸が張り巡らされているのだ。
「弛んでるな……突っ込んだら身体が切れるような類の物じゃないのか。なら、絡まって身動きを封じるか、位置を探るためか……」
糸の様子を観察しながら、エイタは思考を巡らせる。ピンと張られていないから、触ってもダメージは無いだろう。
そう思って糸に触れて軽く押すと、指先に痛みが走った。
「! へえ、コイツは面白いな……固まってるのか」
糸に触れた指先には、少し血が滲んでいた。弛んだ糸は押してもビクともせず、代わりにエイタの指を傷付けたのだ。
「いや……トワ」
興味深く観察を続けるエイタは、おもむろにトワの名前を呼ぶ。
呼ばれた彼女は黙って頷くと、例の棒を取り出す。そしてそれの板状の部分を糸に当てると、エイタを窺うように視線を送る。
「やっぱりか。これは固まってると言うより……止まってる、な」
エイタの言葉に、トワは黙って再び頷く。
そしてエイタはその事実を確認すると、慎重に左手を糸に宛がう。
次の瞬間、糸は消えていた。
**************
「ちっ、これもダメか……!」
ユウはそう呟くと、リョウカを伴って駆け出した。
「今の感覚……!」
「ああ、気持ち悪いったらないだろ?」
自分の能力が、分からなくなる感覚。先ほどユウが味わったそれを、リョウカもまた味わったのだろう。
「ユウくん!」
「ダメだったの?」
走り出してすぐ、ミコトとアカリが合流する。ユウは二人の疑問に頷くことで答とし、四人で再び逃走を再開する。
と、後ろから音と視線を感じ振り返れば、エイタたちが余裕たっぷりに追いかけてくるのが見えた。
まだ距離はあるが、速度を緩めたらそのうち追いつかれるだろう。
「どうしますか、ユウ?」
リョウカが少し焦った様子で、そう問いかける。それを受けたユウはケータイをチラリと見ると、
「次の作戦に移る。――見ろ、もう着くぞ」
そう答える。
そしてその言葉通り、走るミコトたちの目の前には。
いくつかの家が立ち並ぶ、小さな村が見えた。




