第三章3 合流
風が通り過ぎる音を聞きながら、辺りを見回す。
視界に映るのは、まず青空。そして眼下に広がる森。
そんな景色が見えるのは、視点が相当に高いからだ。
「島の中央は……あっちの方かな」
それだけ確認すると、すぐに地上へと引き返す。
手から棒を伸ばし、森の木々の上から島を観察していた少年――ユウは、その棒を縮めるとやがて地上へと無事降り立った。
あまり高い位置に長居すると、見咎められて狙われるかもしれない。
本当は島の様子を詳しく知りたかったが、とりあえずは味方との合流を優先するべきだろう。
「さて、行くかあ……ドベはミコトと予想」
一人呟きながら、ユウは目星を付けた方へと歩き出した。
リョウカは間違いなくすぐに台座を目指すはずだ。ミコトもいずれは台座を目指すだろうが、台座の方向が分からずに苦戦するというのがユウの見立てである。
アカリは、気が付いたら台座に居る気がする。なんとなく。
「ミコト、運はそんなに良くないからな……最悪敵とバッタリして逃げてそう」
一人のときの方がよく喋るのがユウの特徴だ。
思ったことをそのまま口にしながら、木々の間を分け入って進む。
そうしてしばらく歩くが、その間誰とも出くわすことはなかった。
「ふう。都会っ子にこれは堪える……そろそろ方向の確認しとくか、疲れたし」
体感時間で二十分くらい歩いたところで、ユウはそう決めて地面に手を着く。
「『接続』」
久しぶりに自分の能力名を発しながら――せっかく一人だし――、地面と繋がったユウの身体はするすると上へ登っていく。
こんなことでもない限り、滅多に訪れることはないであろう環境だ。
空気も美味しい気がするし、青空は抜けるようで気持ちがいい。
――できることなら、ただの旅行で来たかった。
そんなことを考えながら再び辺りを見渡し――
「あ」
ユウは、思わず声を上げた。
***********
二つの足音が森に響く。
話を終えたアカリとリョウカは、やはり森の中を歩いていた。
「ねえ……もうけっこう歩いたよね?」
道は途切れず続いているが、見通しがいい訳ではない。
終わりが見えないというのは思いの外消耗するもので、汗ばんだ顔をリョウカに向けてアカリが愚痴るように訊ねる。
「そうですね。そろそろ方向の確認をしておきましょうか」
答えるリョウカも額にはうっすら汗が滲んでいる。
アカリに比べだいぶ息が弾んでいるのは、体力の差の表れか。
「方向の確認? そんなことできるの?」
「……今まで、なんとなく歩いてると思ってたんですか?」
「うん」
若干の呆れを見せながら問いかけるリョウカに、即答のアカリ。
それはちょっと心外である、というのはリョウカの内心。
「一応、島の中央に当たりは付けてますよ」
「え、すごい! どーやって?」
しかしぐっと堪えながら話を続けると、話の内容に素直に驚くアカリに思わずちょっと笑ってしまう。
「こうやって、です」
その気持ちいい反応に応えるべく、演出を意識した喋りで近くの木に左手を宛がう。
「『完全停止』」
能力を発動すれば、そよ風に葉を揺らしていた木はピタリとその動きを止める。
「こうすれば、どんな細い枝でも掴まり放題の登りやすい木の出来上がりです」
「おおー、なるほど!」
この方法で木に登り、高い位置から周囲を見渡す。
とりあえず陸地が長い方向へ向かえば、島の中央には近付くという寸法だ。
「じゃ、後はお願いします」
「ん?」
そして。
「一回目は一人だったから頑張りましたけど、疲れるので正直もうやりたくないです」
そう、いくら登りやすいとは言え木登りは木登りだ。腕力も体力も使うのである。
「アカリの方が運動得意ですし「おっけー!」
楽をするために説得しようとした矢先、アカリは元気よく木に飛びついた。
なんというか、
「……元気だなあ」
あっという間に上へと登っていくアカリを見て、リョウカはそう零した。
そうして、数分も経たないくらいで。
「リョウカちゃん!」
「わっ、びっくりした!」
アカリが結構な高さから飛び降りてきて、リョウカの後ろに着地するなり名前を呼んだ。
予想しない動きをされて、思わずリョウカは声を漏らす。
「ユウくん! ユウくんがいた!」
「ユウが!? どこに? っていうか、上から見えたんですか?」
これまた予想外の発言を受け、リョウカは矢継ぎ早に質問を投げる。
いずれ合流できるとは思っていたが、まさかこれ程早く叶うとは。
「えーっと、あっち! ユウくん、もっと上に居た!」
ざっくりとしたアカリの回答だが、リョウカは事態を理解した。
おそらく、ユウも同じように高いところから方角を確認していたのだろう。おそらく彼の能力で。
しかし、タイミングが完璧に一致するとは幸運だった。
「待ってアカリ! ユウは何か合図とかしてませんでしたか?」
慌てて駆け出すアカリを大声で呼び止める。
いくら方向が分かっているとはいえ、ここは森の中だ。真っ直ぐ向かったつもりがすれ違うなんてことは避けたい。
「あ、そう言えば。なんかこうやって……」
と、立ち止まったアカリはユウのジェスチャーを真似る。
自分を親指でくいくいと指差し、
「で、こうやって私を」
その後リョウカを指差す。
首を傾げるアカリは意味を把握していなさそうだが、
「『俺が行くから待ってろ』ってことだと思いますよ。すれ違ったらまずいですから、大人しく待ちましょう」
「あ、そっか。うん、わかった」
リョウカが翻訳して、アカリにその意図を伝える。
そして二人は喜びを分かち合いながら、ユウの到着を待った。
*************
「ラッキーだったよ、まさかこんなに早く合流できるなんて」
「ですね。私が登ってたらたぶんユウが下りた後だったでしょうし」
「あ、そうかも! 私えらい!」
程無くユウが合流し、三人で安堵と歓喜の声を交換する。
他の参加者と出くわす前に、味方が三人も合流できた。これは僥倖だ。
「後はミコトくんだけど……」
「ユウ、ミコトはどう動くと思いますか?」
やはりそこが気になるアカリの言葉を引き継いで、リョウカが問を投げる。
「ゆっくり考えた後で台座に向かうと思うよ。待ってればいつか合流できるんじゃないかな」
ユウはノータイムでそう返事をした。流石と言うか、本当によくわかっている。
「じゃあ、やっぱり当面の目的地は台座ですね」
「うん。でも近付けば近付くほど敵と出くわす可能性も高くなるから、気を付けないと」
アカリの示す方針とユウの促す警戒に、三人は頷き合う。
そうしてまた歩き出した、しばらく後。
「ねえ、あれ……」
「はい。なんだか開けた場所があるみたいですね」
アカリが立ち止まって指差した方向へと道は続いており、その先からは光が射し込んでいる。
おそらくリョウカの言う通り、森が開けているのだろう。
「もしかしたら、台座かもしれない。このまま真っ直ぐ道を歩くのは良くないな……二人とも、茂みとか歩くのは平気?」
ユウが森の方を指差しながらそう訊ねると、二人はこくりと頷いた。
「よし。じゃあ一旦森に入って、隠れながら近付こう」
ユウは先導するように、茂みに足を突っ込む。
少し通りやすくなったその後を、アカリ、リョウカの順に続いた。
ある程度道と垂直方向に進んで森に分け入った後、先ほどの場所を目指して直角に折れる。
生い茂った草木の中、慎重に、ゆっくりと三人は進んで行く。
視界は当然緑に覆われ、先は見えない。先を行くユウの方向感覚だけが頼りだ。
そして、距離の割にずいぶんと時間を掛けて、その場所に辿り着いた。
「え……」
「これって――」
茂みの隙間から覗き込み――思わず、ユウとアカリが声を漏らす。
森が途切れた、その先には。
「――家?」
一軒の家があった。
*************
どこからどう見ても、家だ。
何の変哲もない、強いて言えば田舎にありそうな、縁側のある木造家屋。
――田舎のじいちゃんの家が丁度こんな感じだったなあ。
そんな暢気な感想が浮かんでくるくらい、普通の家。
「さて……あれが『台座』だと思う?」
そんな感想を押し退けて、ユウは二人に問いかける。
「うーん、どうでしょう。絶対に違うとは言えませんけど……」
「なんか違う気がするよねえ」
答えた二人の言葉は、そのままユウの意見と一致した。
「だよなあ。でも、うっかり出ていって台座だった場合間違いなく襲われるだろうし……」
さて、どうしたものか。
ミコトを待たなければいけないのだし、慎重な行動を取るに越したことは無い。
しかし、ユウの勘は目の前の家を調べろと言っていた。
女神は確かに『無人島』と言ったと、ユウははっきり記憶している。
それと明らかに矛盾する物が、目の前にある。
これが台座になっている可能性はやはり低いだろうし、調べる価値は大いにあるだろう。
「どうしますか、ユウ?」
「うーん……」
この場の決定権はユウにあるらしい。今までの流れから言えば当然だが。
二人に見つめられ、思い悩むユウの葛藤は――
「「「!」」」
耳に入ってきた音に中断された。
三人とも同じ音を聞き取ったようだが、そこから反応したのはアカリとユウが同時、数秒遅れてリョウカ。
即座に駆け出す二人を、リョウカは感嘆と共に追いかけた。
――本当に、あの二人は。
**********
後ろから追いかけてくるその少年は、飛んでいた。
正直羨ましい、というのはミコトの素直な感想である。
あと一つ思うことがあるとすれば――
「だから、飛ぶとかズルい!」
その一言に尽きる。
最初は走って追いかけてきた少年だったが、逃げるミコトがどんどん森の深みに嵌っていくと自分に能力を発動したらしい。
足場が最悪な状況で走るミコトを、地面から五十センチ程度浮きながら追いかけてくるのだった。
ツトムのような速さはないし、アオカのように翼が生えている訳でもない。
ただ一定の速度で自在に移動しているところを見ると、どうもツトム戦で最初に疑った『物体を移動させる能力』のようだ。
言うまでも無く、ミコトの大ピンチだ。
決して移動速度が速いわけではない。ツトムやサダユキを相手にした後では余裕を感じるくらいだ。
しかし、それは開けた場所ならである。
木々のすき間を縫って自由自在に飛び回る彼は、この場においてはツトムよりも厄介だ。
小回りの利く彼から逃げ続けるのは、およそ不可能と思われた。
「うわっ」
足元を這う木の根に躓けば、すぐに追いつかれる。
逃げるのは無理と即腹を決め、飛んできた彼の伸ばした右手を凝視し――
「右手は右手で!」
それを掴もうと、ミコトも右手を構える。
しかし、彼はミコトの動きを察するとすぐに距離を取る。
さっきからずっとこんな調子で、随分と慎重な敵である。
「あ、そっか」
よく考えれば、ミコトの能力を全く悟られていないのは今回が初めてだ。
相手からしたら、能力も使わずひたすら逃げ回っていて、近付こうとすると右手を掴もうとして来る――そういう状況だ。
お互い右手を掴んだら次は左手を使うしかなく、そうなると未知の能力を持つ相手に警戒するのは当然だ。
今さらながら、能力を明かさないアドバンテージの大きさを理解する。
「なら――」
――僕でも、戦える。
幸い相手はサダユキのような身体能力もツトムのような頭脳も持っていないらしく、単調なヒット&アウェイしか仕掛けてきていない。
なら、ただ逃げ回るよりも足を止めてしっかり戦う方が勝てる可能性が高い。
体力的にも、逃げ続けるのは無理だろうし。
「よし……!」
そう決めて、立ち止まって正面から少年を見据えた。
そして、その判断は正しかった。
「――っ!」
自分に何が起こったのか認識できた、という意味で。
「あ゛っ……うぐぅあっ!」
突然、激痛と共に視界の右半分が消えた。
痛みにかき回される思考の片隅、直前に見た光景が頭をよぎって、何が起こったのかを奇跡的に理解できた。
彼が、左手で何かを掴むような動きをしたのだ。
その直後に訪れたこの現象と、彼の能力を考えれば答は出る。
ツトムと同じ――何か小さい物を弾丸のように飛ばしたのだ。
そしてそれが何かは、咄嗟に右目に遣った手にそれが触れたことで判明した。
木の葉だ。余りにも高速で飛んだそれは、まるで鋭い刃のようにミコトの右目を突き刺していた。
そして――次の攻撃を予感してすぐに顔を上げれば、狭まった視界でも彼が何かを掴むのが見えた。
咄嗟に、顔を腕でかばう。
「つっ……!」
かばった左腕に、木の葉が切り傷を付ける。だが、視界を完全に奪われることは阻止できた。
「また飛び道具……っ!」
正直、いい加減にしてほしい。
痛みを堪えながら愚痴をこぼし、ミコトは逃走に方針を変更する。
このまま立ち止まっていては良い的だ。それに、もう勝てる気が全くしない。
「誰かっ……ユウくん! ハナちゃん! リョウカちゃん!」
追い立てるように飛んで来る木の葉の刃に切られたり突き刺されたりしながら、ミコトはほうほうの体で逃げ出す。
自身と木の葉、同時に能力が使えないのは不幸中の幸いか。
だがおそらくこのままでは、木の葉の刃に切り刻まれて動けなくなったところを、右手で消されて負ける。
今は、仲間と出会えることを信じて逃げるしかない。
いや、この際敵でも構わない。
とにかく確かなのは、このまま一対一で戦えば負けるということ。
状況の変化を願って、ミコトは大きな声で名前を呼んだ。
そしてその間にも、木の葉はミコトを襲う。
貫通力に乏しいのか、致命傷にはならない。だが、背中や腕に木の葉が一枚、また一枚と突き刺さり、着実にミコトの体力と精神力を削っていく。
時折大声で仲間の名前を叫びながら、がむしゃらに逃げ惑う。
木の根を飛び越え、茂みを突っ切り、道なき道を踏みつけ。
ある程度距離が離れると一旦木の葉は止み、彼は再び飛んで距離を詰める。
そしてそこから、木の葉嵐の再開だ。
それを、三度ほど繰り返したころだろうか。
突っ込んだ茂みの先、急に視界が開けた。
「ここは……?」
疑問に思ったのも束の間、ミコトの右脚に木の葉が突き刺さった。
踏み込もうとした脚から力が抜け、ミコトはその場に倒れ込む。
「くっ……」
倒れた体勢のまま振り返れば、少年がミコトに向かって歩み寄って来るところだった。
それを確認できたのも束の間、ようやく治りかけていた右目に再び木の葉が撃ち込まれる。
「あ゛あ゛っ……」
痛みに悲鳴を上げ、仰向けに倒れるミコト。
「――悪く思うな」
初めてまともに聞いた少年の声は、控え目な勝利宣言だった。
ミコトの横に立ち、その手には木の葉をつまんでいる。
そして――
「!?」
少年と反対側、やはりミコトのすぐ横から、土が鳴る音が聞こえた。
その瞬間少年は跳び退り、彼が居た場所には勢いよく振り抜かれた棒が空を切る。
そして、倒れたミコトの上を飛び越える影が一つ。
「――ゆ、ユウくん!?」
倒れたまま首だけ向けると、棒を左手から生やしたユウが少年に躍りかかっていた。
突然の乱入者に驚く少年は、
「――『完全停止』!」
後ろから飛び出してきたリョウカに反応できず、背中に当てられた左手によって停止した。
「ミコトくん! 大丈夫!?」
そして、あっけに取られているうちに戦いは終わり、駆け寄ってきたアカリが訊ねる声が上から降った。
「間一髪、ってとこか……」
「本当に……。にしても、二人とも流石ですね。ミコトの声に一瞬で気付くなんて」
二人の声が近付いてくるのが聞こえ、ミコトは徐々に状況が把握できてきた。
がむしゃらに走り回り、大声で仲間を呼んだ結果。
その声は、無事仲間に届いていたようだ。
三人とも、ミコトのピンチにちゃんと駆けつけてくれた。
そして、見事あの少年を拘束したのだ。
「はは……諦めないで、やってみるもんだなあ」
助かった。
その安堵感が全身を駆け抜け、ミコトは力なくそう言って微笑んだ。
第三ゲーム――難しいと思われた仲間との合流は、意外にも早く達成されたのだった。




