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イマジン鬼ごっこ~最強で最弱の能力~  作者: 白井直生
第一章 被害者と加害者
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第一章3 最悪なルール説明

 鬼ごっこ。日本に限らず世界中で古くから親しまれてきた遊びであり、様々な派生形が存在する。

 隠れ鬼、氷鬼、高鬼、色鬼、増やし鬼。ケイドロなどもそれに類するものと言えよう。


 だがその基本理念は変わらない。

 即ち、鬼は子をタッチし、子はタッチされないように逃げ回るべし。誰でも知っている明快なルールである。


 あまりにポピュラーな遊びのため、比喩的に何かしらの追いかけっこを鬼ごっこと称することもある。


 今回の女神の指す『鬼ごっこ』とはそちらではないか、というのがミコトの思考の終着点となった。

 いわゆる、『佐藤を皆殺しにする』類の殺伐とした追いかけっこだ。


 でなければその単語は、あまりにもそれまでの空気との落差が激しすぎる。去年の遠足で行った遊園地のジェットコースターよりも激しくて、思わず眩暈を感じるほどだ。


 どちらにしても嫌な予感しかせず、ミコトは本当に眩暈を感じて頭を押さえる。

 周囲の反応も大きくは違わず、およそ言葉通りとは取れない宣言の真意を窺い、戦々恐々としていた。


「それでは、ルール説明を始めましょう」


 女神は言いつつ、黒板の桟に置かれたチョークを一つ手に取った。

 まさかご丁寧に黒板に書いて説明するつもりなのか、というミコトの驚きは、半分正解で半分間違いだ。


 チョークを取った手は黒板には向かわず、その剥き身の白を掌に握り込んだ。次に女神が手を開くと、そこにはもうチョークの姿は見当たらない。

 代わりに、白い微細な粒子が煙のように立ち上り、辺りを漂った。


 女神が指を黒板に向けた瞬間、漂う白い粒子たちは目標を認識し、一斉に走り出した。

 白いその身を黒の目標物に叩きつけ、自らをこびり付かせて静止する。


 一連の動きが終わりを迎えた時には、黒板に印刷したかのような美しい文字で、整然と文章が浮かび上がっていた。


「大まかなルールはここに書いてある通り」


 人間離れした板書の出現に唖然となる生徒を見て、女神は満足そうに言葉を紡ぐ。

 そうしてクラスの全員が、突然の板書タイムに黙読を始める。



『イマジン鬼ごっこルール』

『①右手で触れられた参加者は、消える』

『②左手には、触れたものに影響を与える能力が与えられる』

『③参加者は、絶対に死なない』



 たった三つしかないそのルールは、『鬼ごっこ』の意味を正しく示していた。


 ――つまり、ちゃんとした『鬼ごっこ』であり、なおかつ殺伐とした追いかけっこでもある。


 もっとも、それはここに書いてあるルールが本当に実行されればの話だ。

 この時点では、そこに信憑性は認められない。認められないが、状況が状況だけに、完全に否定もしきれないでいた。


「はははははっ……消えるとか、は? 頭沸いてんじゃないの? そんなことあり得るわけないじゃん」

「そ……そうだよな。漫画じゃあるまいし、人間がそうあっさり消えてたまるかっての」

「それに、馬鹿正直にこんなゲームに参加する人なんているわけないじゃない」

「そうよね、これが本当だとしても私たちがやらなければ意味ないんだから」


 一人が口火を切れば、それに同調して次々に言葉が溢れ出す。

 その言葉はいずれも、心にこびり付いた不安を拭うための言葉である。

 だが、それはしつこい油汚れを乾いた布で拭うようなものだ。汚れはほとんど拭い去られることはなく、拭われる心の方が削れていくようだった。


「簡単に信じられないのは当たり前ね。そう思って、デモンストレーションを用意しておいたのよ」


 女神は、その反応を当然のものとして受け取りつつ、我が意を得たり、とばかりの笑顔で二の句を継いだ。 

 その言葉に、ざわめきが一段大きくなる。


「まずはこちらの方からご紹介しましょう」


 言いつつ、女神は件の白い布に手をかけ、その下に隠されていた『何か』を露わにした。


 剥がれたベールの下から現れたのは、目隠しされた上に猿轡まで噛まされた、一人の男性だった。


 年の割に薄くなりすぎた頭髪は、いつもと違い・・・・・・乱れており頭皮を隠しきれていない。

 スーツを着たその身体は、生徒用の椅子にロープでがっちりと縛りつけられている。

 うなだれ、おそらく気を失っているであろうに、さらに両の足首まで結び合わせるという念の入れようだ。


 しかしその異常さに反して、人物自体はミコトたちにとって珍しくもなんともない人物だった。


「第一ゲスト……担任のタナカ先生よ。ほら、拍手をして差し上げて?」


 『息を呑む』とはこういうことなのだと、ミコトは初めて実感した。

 思考は停止し、呼吸の仕方を忘れ、心臓が一拍強く脈を打つ。胃袋が下に向かって落ち込んだような感覚を覚え、腹の底に嫌な感触が湛えられる。


 目の前の光景にははっきりと他人を害する意図が表れており、これから起こるのが、ミコトの人生の中で最も醜悪な出来事であるのは疑いようがない。


「あら、みんなつれないのね。それとも、これが彼に対する生徒達の正当な評価なのかしら」


 女神はがっかりした風を装いつつ、愉しそうな様子が隠しきれていない。もとより本当に拍手が起きることなど期待していないだろう。


 女神とタナカを見つめる生徒たちは皆、息を殺して気配をできる限り消していた。

 次に『ああ』なるのは自分かもしれない。その可能性を低くするために。


「だとすればとっても可哀想だけれど、私としては安心。これから起こることをみんなが受け入れてくれそうですもの」


 独りごち、女神はタナカに近付くとその肩に手を添えた。


「さあ、そろそろ起きて頂戴」


 屈み込み、彼の耳元に囁くその声はどこまでも優しく、それが堪らなく恐ろしかった。


 タナカはその囁きに、まるで待っていたかのようにすぐさま反応を示した。

 うなだれていた頭がゆっくりと持ち上がり、自分の置かれている状況を理解すると――すぐさま声を上げた。


「―――!」


 ただし、さるぐつわのせいで言葉にはならないのだが。ならないのだが、それでもその怯えようはミコトにも間違いなく伝わった。

 なんとか拘束を逃れようと手足に力を籠めるが、どれだけもがいても拘束がゆるむ様子は見られなかった。


「さて。鬼ごっこなのだから、実演にはもう一人必要ね」


 そんなタナカの必死の奮闘には欠片も興味を示さず、女神は自分の筋書きを進行する。


 先ほどから手に持ったままだった布をおもむろに打ち振るい、自分の目の前の空間に布をかけるような動作を行う。

 女神の動きに従う布は地に落ちることなく、何もなかったはずの空間には布越しに輪郭が形成された。


 やがて輪郭の持ち主は布の中で蠢くと、自らを覆うそれをパサリと落とす。


「第二のゲストは……皆さんのクラスメートのヤマダくん。と言っても、見覚えのある人は半分くらいかしらね」


 その名を聞いた途端、タナカの身体がビクンと震え、拘束への抵抗が止まった。


 イリュージョンじみた演出で布の下から現れたのは、ミコトたちと同じ制服の少年だ。人ひとりが突然現れるという普通あり得ない現象なのだが、そろそろ感覚が麻痺してきている。


 ミコトはその少年に見覚えが無かったが、クラスのうちの何人かが彼の名前を呟いたことから、一つの事実に思い当たった。


 ミコトの学校はクラス替えが毎年行われるタイプの学校であり、二年生になって新しいクラスに馴染んできた頃。

 ミコトは、一度たりとも埋まったことのない空席があることに気が付いた。


 去年から同じクラスであるユウやアカリと疑問を共有したのだが、アカリが他の友達から集めてきた情報によるとこうだ。


 ――一年のとき、とあるクラスで、いじめがあった。

 次第に過激化するいじめに、ついにいじめられていた生徒は不登校になり、それ以来一度も学校に来ていないそうだ。


 だが、それでも一年の後半までは耐えていたため進級はできており、彼が本来通うはずだったクラスには、常に空席がある。

 つまり、それが命たちのクラスだったわけだ。


 その純然たる被害者の名前は、ヤマダアツシというらしかった。


********************


 「ねえ――あいつらに、復讐する気はない?」


 目の前に突然現れたその女性に、敦はついに自分も気が触れたのかと笑ってしまった。

 何故かというと、その女性があまりにも『それっぽい』格好だったからだ。


 朝目を覚まし、ぼーっとしていたら声を掛けられて目を向けると、すぐ目の前に女神がいた。

 物語の世界からそのまま飛び出してきたかのような、絵に描いたようにテンプレートな女神様。


 妄想と現実の世界の区別がつかなくなり、目の前にあり得ない光景を出現させ、あろうことかその幻覚から語りかけられる――これはもう、目も当てられない。


 ――まあ、いいか。

 別に誰に見られるわけでもなければ、これからも誰かに見られる予定もないのだ。それならば、妄想だろうが何だろうが大した問題ではない。


 そう結論を出し、その女性に返事をしてみる。


「へえ。復讐とか、できるもんならしてみたいもんだな。でもあいつらって誰よ?相手が多すぎてどれのことかピンと来ないわ」


 何しろ人生の半分以上を虐げられて過ごしてきたのだ。もはや誰にやられたかとか、思い出すのも面倒くさい。

 そんな敦の投げやりな返答に、女神は面白そうにクスクスと笑う。

 どうやら、意思の疎通は問題なく可能らしい。よくできた幻覚だ。


「いいわね、いい感じに悪い感情が溜まっていそうで。『誰か』と聞かれたら『全員』というのが答えなのだけど、まずはそうね――」


 敦の態度のどこを快く思ったのか、ひどく上機嫌になる女性。

 一段高くなった声音で敦の質問に答え、言葉を切ると指を一本立てる。


「最初はまず、あなたが引き籠るきっかけを作った人間――というのはどうかしら」


 その人間には、心当たりがあった。

 奴の名前は、田中という。下の名前は覚えていない。

 なにしろ教師という立場なので、日常的には下の名前を呼ばれないのだ。


 田中は敦の一年生のときの担任だ。

 これと言って特徴のない、強いて言えば年齢を鑑みても薄い頭が目立つくらいで、どこにでも居そうな普通の中年の男性教師。


 そんな彼に憎悪を向ける理由になった出来事は、引き籠る直前に起こった。


 度重なるいじめに、しかし当時の敦はまだ完全に屈してはいなかった。

 なんとか状況を改善しようと考え、敦は担任の田中に相談したのだ。


 その行動も、かなり勇気がいることだった。

 いわゆる告げ口であり、いじめを加速させる恐れもある。また、たとえいじめが止まったとしても、教師が介入する時点で大事になるのは明確だ。


 しかし、もうすでに敦は限界に近かったし、どうせ何もしなくても普通の学生生活など望むべくもない。

 腫れ物に触るような扱いで三年間を過ごすことになったとしても、今よりマシには違いなかった。

 何より、このまま泣き寝入りするのは悔しい。一矢報いてやりたい。そう思った。


 そんな決意のもとにいじめの事実を打ち明けた敦だが、その反応はあまりにも理想とかけ離れていた。


『いじめ? そんな大袈裟な。勘違いじゃないの?』


 目の前が、真っ暗になった。

 仮にも担任だ。何かしら気付くもんじゃないのか?

 気付いていなかったとして、こうして相談に来た生徒の話を、ろくに聞きもしないのか?


『ていうかね。君の中学校からもいろいろ聞いているけど、何か嫌な思いをしているとして、君にも問題があるんじゃないかと俺は思う』


 こいつは、何を、言っているんだ。


『コミュニケーション能力が足りない。いつも孤立していて協調性にかける。そんなところだ。何かされた時に、それが嫌だとちゃんと伝えなければ、相手にはわからないこともあるんだよ』


 本気で言っているのだろうか。俺が嫌だと言わなかったとでも思っているのか。何故孤立しているか分からないものなのか。


『まあとにかく、そんなところから始めたらどうかな。もしそれでも……』


 彼はまだ何か言っていたが、そこから先は聞いていなかった。

 喋る田中を残し、ふらふらと敦は部屋を出て、学校を出て、家に帰った。


 そしてそれ以来、家からは一歩も出ていない。


********************


 教室の注目を集めるアツシは、嗜虐的な笑みを浮かべている。

 その笑みからは、怒りや憎しみがありありと感じ取られた。


「さて、では①から順番に……と言いたいところだけれど、先に『②左手の能力』の方から実演しましょう」


 しばし敦に集まった注目を、自分に引き戻すように女神は頭に響く言葉を発した。

 その声に、狙い通り全員の注目が女神へ取り戻される。


「ヤマダくんの左手の能力は『圧砕』。文字通り、触れたものを圧し潰して破壊する能力ね」


 あまりにもあっさりと説明をする女神に、ミコトは愕然とした。

 この状況で、その攻撃的な能力を発揮する先は一つしかない。


 対象とされるであろう男は、我に返ったように再び拘束を逃れようと暴れ出した。

 言葉にならない叫び声が、彼の恐怖と焦りを物語っている。


「あら、何か言いたいことでもあるのかしら。面白そうだから聞いてみましょうか」


 タナカの様子を見ていた女神が、その笑みを醜悪に歪めた。

 指をパチンと鳴らすと、彼の言葉を封じていたさるぐつわが突然に消え失せる。

 自分の口内から異物が突然居なくなり、タナカは盛大に咳き込んだ。


「ヤマダくん、先生が何か言いたいようだから、聞いてあげてくれるかしら?」


 自分の方を振り返りそう要求する女神に、アツシは微かに逡巡を見せた。

 それを肯定と受け取り、女神が教師の肩を叩いて発言を促す。


「……てくれ」


 咳き込んだせいで苦しそうな声が、タナカの口から言葉を成す前にこぼれた。

 全員が次の言葉を待ち、固唾を飲んで見守る。


「やめてくれ……やめてくれ! 助けてくれ! いや、お前はこんなことできる奴じゃないよな? お前は優しい奴だもんな?」


 タナカは堰を切ったように喋り出した。紡がれる言葉は懇願するようでもあり、宥めるようでもある。

 その言葉には、生への執着が、死への忌避が、痛みへの恐怖が滲み出ていた。


 正真正銘の、命乞いである。


「――ふざけるな」


 ぶつんと、音が聞こえたような気がした。


 いや、本当に音が鳴っていたのかもしれない。アツシの中の何かが切れた音だ。

 何故なら、遠目で見ているミコトにもわかるくらい、彼の怒りが爆発している。


 頭に血が上る、とはこういうことを言うのだろう。顔は瞬時に真っ赤に変色して憤怒の形相を呈し、青筋がはっきりと浮かび上がる。

 これほどの怒りを初めて見たミコトは、自分に向けられているわけでもないその怒気に思わず身震いする。


「お前はそんな……お前が俺の何を……っ」


 途切れ途切れの言葉を荒い息と共に吐き出しながら、よろよろとアツシはタナカに近付く。

 そしてその足元に倒れるように跪き、左手を縛られた脚に置き一言、


「たった一言、謝ることすらできないのか――!」


 言葉と共に、左手から何か目に見えない力が吐き出され――


 アツシが触れていたタナカの左脚、その膝上の肉と骨がぐしゃりと音を立てて圧潰した。

 圧し潰された脚から鮮血が撒き散らされ、一番近くにいた女子生徒の顔に一点赤い染みができる。

 彼女は濡れた感覚を得た頬を指で触ると、その指先を確認し目を剥く。


「があああ゛あ゛あ゛ああーーー!」

「きゃああああああああーーー!」


 教師の苦痛の絶叫と、女子生徒の恐怖の金切り声が重なり、不快なハーモニーとなって教室中に響き渡る。

 間近でその光景を見てしまった前方の数名が嘔吐し、つられて更に数名が日常の名残の朝食を吐き出す。


「ああもう、臭いからやめてほしいものね。まあ、いずれ慣れるでしょう」


 女神は顔をしかめてそう言うと、再び指を鳴らす。すると、前方で臭気を放ち散らかっていた吐瀉物がきれいさっぱり消え失せた。

 その間も教師の脚からは血液が止めどなく流れ出し、顔から見る間に血の気が引いていく。



 ――このままでは、彼は死んでしまう。手当をして、傷を塞がなければ。

 そう思っても、ミコトは動けなかった。目の前で繰り広げられる想像を超えた暴力に、体中の力が抜けていく。



「なん、で、俺なんだ……お前が恨んでるやつは……他に、いくらでもいるだろう……?」


 タナカは苦痛に顔を歪め、切れ切れに恨み言をこぼす。その言葉は、アツシの怒りと行動を加速させた。


「やっぱりだ。……気付いてたんだよな。俺がいじめられていることに」


 教師が自分の失言に気付きはっと口をつぐむが、すぐに苦痛の悲鳴でこじ開けられた。

 立ち上がったアツシが、今度は左肩をえぐり潰したのだ。



 ――もうやめてくれ。

 そう叫びたくても声が出ない。声を出そうと息を吸い込んでも、震えで碌に酸素を取り込めず、打ち上げられた魚の如くミコトは喘ぐ。



「そうだよな。普通に考えればわかるよな。あいつら隠すつもりなんか微塵も無さそうだったし。でも面倒だから見て見ぬふりをしたんだよな?」


 アツシは薄く笑いながら、言葉と暴力で教師を責め立てる。

 右脚が左脚と同じ運命を辿り、タナカは涙と鼻水と涎と、血と悲鳴を盛大に垂れ流す。



 ――嫌だ。目の前で誰かが死ぬのなんて、見たくない。見過ごしちゃいけない。



「でも、俺はお前に助けを求めたよな? 助けを求める生徒を見捨てて、よくもまあ教師なんて名乗れるよな」


 右のわき腹が、いくつかの内臓と共に圧潰する。

 タナカの口から溢れる悲鳴が、それを超えて溢れ出る血液に塞がれる。



 ――だって、約束したんだ。



「お前は教師失格で大人失格で人間失格だ。苦しんで死んで、あの世で俺に額をこすり付けて謝れ」


 ありったけの憎悪と言葉を吐き出し、最後の仕上げに頭に向けたアツシの手は、教師に届くことはなかった。


「はい、そこまで」


 抱き留めるように身体を寄せた女神が、アツシの両手首を掴んだからだ。



 ミコトは、思わずずっと息を止めていたことに気付き、胸に溜まったものを空気と共に全て吐き出す。

 凶行の終わりに対する安堵。そして、何もできなかった自分に対する失望。


 ――何も、できなかった。やるべきことはわかっているのに。彼を止めるために動くことも、ダメだと声を上げることすら。


 自分の勇気の無さを、不甲斐無さをミコトは呪った。

 いつもそうだ。正しい事が何かわかっても、行動に移すだけの勇気が足りない。



「何すん……」


 ミコトが悔恨を打ち切り目を上げると、怒りを浮かべるアツシの抵抗と抗議の言葉が、完結せずに止まったのが見えた。

 女神がするりとその身体から離れた後も、アツシは不自然な格好のまま、口を開けて静止している。


 まるで、見えない何かにガッチリと身体を固められているかのようだ。あるいは、本当に女神の不可思議な力に拘束されているのだろう。


「はい! いいところですがここで『③参加者は、絶対に死なない』」


 女神は静止させたままのアツシを放置して離れ、高らかに声を上げながら今にも『死にそう』なタナカを示した。

 言われるがままに生徒たちが教師を見るが、特に変化は見られない。タナカは依然として虫の息だ。


「あ……」


 だが、一人の女子生徒の呟きによって何人かが気付いた。


 彼女は最初に左脚が潰された際、返り血が顔に付いていた。

 その血液が、彼女の顔面から、指先から離れ、吸い寄せられるように傷口へと戻っていくのだ。

 それを踏まえてタナカに再び目を向け、今起こっている事象を把握した。


「傷が……戻っていく……?」


 タナカの周りに散らばっていた血や肉片が、ゆっくりと、しかし確実に傷口に向けて動いていた。

 それらは傷まで辿り着くと、元あるべき位置に収まり、しっかりと癒着していく。


 全員がその異様な光景に目を奪われる中、数分掛けてタナカの傷は全て塞がり、最初に現れた状態に復帰した。

 ただし、血は全て体内へと帰ったが、涙と鼻水と涎は相変わらず滾々と湧き出ていて、顔面だけが先の惨状の残滓となっている。


「とまあ、こんな感じでゆっくりと傷が回復するわ。何をしても死なないから安心でしょう?」


 ぽん、と教師の肩を叩きながら女神は気楽な声を出す。


 目隠しをされているタナカはその手の感触に、再び自分の身体を破壊されるのではないかと、びくりと身を震わせた。

 そんな彼を見て、女神は心底愉快そうにくすくすと笑うと、高らかに宣言した。



「さあ、ではお待ちかね!『①右手で触れられた参加者は、消える』の実演よ」

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