第三章2 恋バナ
森の中の小道を、びくびくと歩いていく。
いつ誰に襲われるとも分からない。耳を澄まし、目を凝らし。
「うぅ……早くミコトくんに会いたい……」
思わず、正直な声が漏れる。
彼女――アカリは、このゲームが始まって以来初めての孤独に怯えていた。
第三ゲームが始まり、森のど真ん中に放り出された彼女はなんとなく歩いている。
しかし森と言っても、誰が作ったのか道らしきものがあった。
彼女は、幸運にも見つけたそれを辿っているのだった。
静かだ。
自分が歩く足音以外、何も聞こえない。これだけ自然豊かだというのに、鳥や虫の鳴き声も聞こえない。
アカリは普段から賑やかではあるが、静かなのが嫌いという訳ではない。
だがこの静寂はひどく不気味で、アカリの心細さを否応なしに助長していた。
かと言って――
「!」
物音が嬉しい状況ではない。
少し離れた位置の茂みがガサガサと音を立てたのを聞き取り、アカリはびくりと身を固める。
しかし、すぐに活動を再開して近くの茂みの陰に身を隠した。
自分の心音をやけにうるさく感じながら、そっと音の方向を窺う。
やがて、物音を立てる茂みから出てきたのは――
「――リョウカちゃん?」
「アカリ?」
心強い味方だった。
****************
「よかったあー。ホント心細かったー」
「はい、合流できてよかったです。ユウとミコトは?」
お互いのことを確認した後、二人は一緒に道を歩いていた。
「見てないよ。とりあえず、道があったから歩いてたんだけど」
「適当すぎません……?」
リョウカの質問に答えるアカリ。
アカリのざっくばらん過ぎる方針に、リョウカは若干呆れている。
「でも、他にどうしたらいいか分かんないし。じっとしてるよりいいかなって……じゃあ、リョウカちゃんはどうしてここに?」
少し膨れながら、アカリは反抗するようにそう言った。
そして問い返す彼女に、リョウカはすらすらと答えた。
「台座を目指してます。たぶん、ほとんどの人がそうすると思いますよ?」
「……なんで?」
ピンと来ていないらしい彼女に、台座を目指す理由をリョウカは説明した。
「――ふーん。なるほどなるほど」
「って、本当にわかってます?」
「失礼な! ちゃんと説明してもらえば分かるよ。要するに台座に行けばみんな集まってるんでしょ?」
軽い返事に思わずリョウカが問い質すと、アカリは完全に膨れて文句を言った。
その要約は決して間違ってはいないが、まとめかたが大雑把すぎで、しかしそこを突っ込むのは諦めたリョウカである。
「まあ、少なくともユウはすぐに台座を目指すと思いますけど」
「そうだね、ユウくん頭良いから……ミコトくんとは、ちゃんと合流できるかな?」
リョウカの言う通り、ユウがその辺りに気付かないとは思えない。
確かに彼と合流できれば心強いが、ユウよりもミコトと早く会いたいというのがアカリのものすごく個人的な願望である。
「ミコトも台座を目指してるなら。でも、ユウと合流できればいずれミコトとも合流できると思いますよ。ユウならミコトの行動も読めるでしょうし」
「たしかに。あの二人ツーカーだもんね」
言われてみればその通り、ユウならミコトの行動パターンはお見通しだろう。
その関係性は十年以上積み重ねてきた信頼の結果で、アカリにとっては少しユウが羨ましくもあった。
「……」
そんなことを考えていると、リョウカが黙ってこちらをじっと見つめているのに気が付いた。
「どうかした?」
何かあるのかと思ってそう訊ねる。
「アカリって……」
「?」
ぽつりと呟く彼女に、首を捻っていたら――
「ミコトのこと、好きなんですか?」
「え゛っ……」
なんか、とんでもないことをぶち込んできた。
「あ、やっぱりそうなんですね」
「い、いやいやいや!」
反応だけで大当たりだとバレバレなようだ。
咄嗟に否定しようと首をぶんぶん横に振るが、
「明らかに図星の反応ですけど……顔、赤いですよ?」
もう今更だった。
「うぅ……そんなに分かりやすかった?」
赤面の上に若干涙目になりながら、リョウカに問いかける。
「まあ、今日初めて会った私がなんとなく察するくらいには。たぶんミコト以外は全員分かってたんじゃないですか?」
――なんてことだ。
自分でも性格その他もろもろ分かりやすい方だという自覚はあるが、改めてこうもはっきりそれを示されてしまうと中々にショックだった。
「へえー。まあいい人ですよね。ちょっと頼りない感じはありますけど……アカリは、ミコトのどこが良かったんですか?」
意外にこの手の話が好きなのか、けっこうぐいぐい訊いてくるリョウカである。
「うーん……やっぱり優しいとこ、かな……」
とりあえず、テンプレートな回答を返す。
テンプレートだが、間違いなく一番はそこだし。
「そうですか……何か、きっかけとか有ったんですか?」
その回答では満足していないのか、更にリョウカは質問をしてくる。
「ええー。うん、まあ有るんだけど……」
有るかと訊かれれば、それは明確に有る。
「聞きたいの?」
そう訊ねれば、リョウカはノータイムでコクコクと頷いた。
「はあ……誰にも言わないでね?」
やっぱりテンプレートなそんな前置きと共に、アカリは語り始めた。
************
灯里たちが通う高校では、一年に一回遠足があった。
高校にもなってこれは珍しいことかもしれない。
その、遠足のときの話である。
当時高校一年生の灯里たちが行ったのは、県をぎりぎり超える辺りにある大きな遊園地だ。
あっさりと仲良くなった女友達とグループを作って回っていた灯里は、ジェットコースターにコーヒーカップ、メリーゴーランドと、とにかくはしゃぎにはしゃいでいた。
そして、そんな矢先。
「ね、写真撮ろ?」
「さんせーい!」
「いえーい!」
誰かが言い出したそんな一言で、写真を撮ろうとわらわら集まる。
近くにいた他のお客さんを捕まえ、次々にケータイを渡していくのだが、
「――あれ?」
灯里もそれに加わろうとバッグを漁り、しかしケータイの代わりに出てきたのは呟く声だった。
「どーしたの、灯里?」
「ケータイ……失くしたっぽい……」
――やらかした。
どこをどう探しても、ケータイのケの字も出てこない。
記憶を辿ってみるが、もっぱらお喋りに夢中で、最後に使ったのがいつだったのかまるで見当がつかない。
「えー! 大変じゃん!」
「うーん。とりあえず、落し物センター行って来るよ」
正直、落し物の類は割と頻繁にしているので慣れっこだ。
こういうときは、落し物センターが正義。日本の治安に感謝。
「そっか。じゃあ一緒に行こう?」
「ううん、大丈夫。恵理ちゃんもみんなと回ってて」
「でも……」
一人同伴を申し出てくれた彼女だが、それは彼女に申し訳ない。
せっかくの遠足の貴重な時間を、落し物を探すのに費やすのはもったいないというものだ。
「ありがとう、でも大丈夫。見つけたら連絡するから! ね?」
「うん……」
そうやって押し切ると、灯里は一人落し物センターへと向かった。
***********
「こちらには、そのような物は届いていませんね」
「そうですか……」
落し物センターで告げられたのは、残念な事実だった。
「すみません。もしこちらに届きましたらご連絡差し上げますが……」
「あ、じゃあケータイの方に……って、それが無いんだった!」
思わず自分に自分でツッコミを入れる。
「一応、園内放送を流すこともできますが……」
「それでお願いします」
遠慮がちに提案するスタッフのおじさんに即答で返す。
恥ずかしいとかいう気持ちはこれっぽっちもない。迷子ではないし。
「かしこまりました。では、お名前だけこちらに頂戴できますでしょうか」
差し出された紙にフルネームを書き、
「じゃあ、お願いします」
そう言って渡すと、落し物センターを後にした。
「……とりあえず、行ったところ探してみるかな……」
連絡が取れないから、友達と合流する手段も無い。
そのことに今さら気付いた灯里は、とぼとぼと歩き出した。
**********
――無い。
ジェットコースター、コーヒーカップ、メリーゴーランド。
どこを探しても見つからない。
二周目に突入した灯里は、完全に下を向いて歩いていた。もっとも、落し物を探すのだからそれは正しいのだが。
「はあ……」
思わずため息だって出る。
楽しみにしていた遠足は台無しで、その上ケータイは見つからない。
そんな、傍目にも分かり易い落ち込み方をしていたからだろうか。
だとしたら、単純な自分に感謝したい。
「あのー。どうかしましたか?」
そう、彼が声を掛けてくれたのだから。
「あ……同じクラスの……」
顔を上げると、そこに居たのは見覚えのある男の子だった。
確か――
「柏手命です。なんか、一人で元気無さそうでしたけど……えっと」
名乗ってくれた名前は、灯里の記憶と一致した。
随分と腰の低い、丁寧な口調だ。同級生なのに。
「花咲灯里です。いやあ、実はケータイ失くしちゃって」
名乗りを返し、苦笑いでそう答える。
「えっ、大変じゃないですか! 早く見つけないと!」
「うん、まあ……」
ちょっとオーバー気味なリアクションだ。
やたら低姿勢な振る舞いだったり、なんだか変わった人だなあというのが第一印象。
「大丈夫ですよ、こういうときは自分が辿った道をもう一回辿ればいいんです。僕もよく落し物するんですよー」
「うん、実はもう2周目に突入してます……」
落し物に対する熟練度は、灯里にも自信がある。全く嬉しくない自信だけど。
「あっ、そこはもうやってたかあ。じゃあ次はですね。他の人に手伝ってもらうといいんですよ」
しかし、自信満々に次の手を提示した彼も相当な熟練度を持っていそうである。
初対面に近い状態で失礼な評価かもしれない。でもなんかこう、雰囲気が。
「よし、そうと決まれば早速行きましょう。最初に行ったのはどこですか?」
「え、いや……」
当然のように一緒に探す素振りを見せる彼。
「おーい! 結くん!」
「でも、悪いですよ」と断ろうとした灯里の声は、突然彼が出した大きな声に遮られて届かなかった。
そして、その声を聞いて近寄ってきた男の子がもう一人。彼もクラスメートだったはずだ。
「こちら、信藤結くんです。結くんは凄いんですよ。僕が見つけられなくても大体見つけてくれるから。結くん、こちら花咲灯里さん。ケータイ失くしちゃったんだって。一緒に探しましょう」
あれよあれよと言う間に命は話を進めていく。
「どーも」
「ど、どうも……」
突然そんなことを言われたにも関わらず、結の表情は全く変わらない。
何を考えているか分からないが、とりあえず挨拶だけ返しておく。
「さ、じゃあ行きましょうか!」
「よ、よろしくお願いします……」
元気よく宣言する命の勢いに負け、三人体制でのケータイ探しが始まった。
***********
捜索は難航していた。
十時の開園に合わせて入り、ケータイを失くしたことに気が付いたのが十三時。
待ち時間があったとは言え、それまでに結構いろいろ回っていた。
「うーん。大体歩いた道順は辿ったと思うんだけどなー……」
待機列のところも、待っている人に怪訝な顔をされながら地面に目を凝らした。
しかし、結果は芳しくない。
「あのさ」
と、今まであまり喋っていなかった結が口を開いた。
「なに?」
「あれ」
言葉少なに指差した方を見れば、そこには。
「あ……」
「やっぱり。もしかして、あれと一緒に写真を撮ったんじゃない?」
この遊園地のマスコットキャラクター、その着ぐるみが歩いていた。
言われてみれば、確かにあれを見つけて写真を撮りに行った。
アトラクションにばかり気を取られていて、それはすっかり忘れていた。
「うん!」
「それ、どの辺か覚えてる?」
「ええっと、たしか…ジェットコースターとコーヒーカップの間だったような……」
「なるほど。じゃあ、とにかくそこに向かいましょう!」
――そして、およそ十分後。
「おーい! 花咲さん、もしかしてこれ?」
ジェットコースターとコーヒーカップの中間地点、そこから曲がって少し行ったところで、命が声を上げた。
「うん! 正にこれだよ! 二人ともありがとー!」
彼が手にしていたケータイは、正真正銘灯里のケータイだった。
まさか、本当に見つかるとは。
ちなみに、近くのベンチの陰に落ちていたらしい。
そんなところにあったら探さないと見つからないから、落し物センターに届かなかったのも納得だ。
そう言えば、その辺りでバタバタした覚えがなんとなくある。
「いえいえ、どういたしまして。結くんのお蔭ですね」
「見つけたのは命でしょ」
「ホント、二人のお蔭だよー。って、あれ……」
早速命の手からケータイを受け取って、よく見れば。
画面が結構バキバキに割れていた。
ベンチの陰に落ちていたということは文字通り落とした訳で、さもありなんと言ったところか。
「うぅ、踏んだり蹴ったりだ……タッチしても反応しないし……」
「え、画面割れてた!? それは災難だったねえ……」
見つけた命はよくは見ていなかったんだろう、驚きと同情の声を上げている。
「まあ見つかったんだし、ケータイショップで修理してもらえばいいよ。電源入るならデータも無事だろうし」
「そうだけど……ちゃんと全部引き継げるかなあ……」
操作できないと引継ぎ設定のできないアプリなんかもあるかもしれない。
慰めるように現実的な対処法を教えてくれる結を他所に、未練がましく画面をいじっていると――
「痛っ」
指先に痛みを感じて目を遣ると、じんわりと血が滲んでいた。
割れた画面で指を切ってしまったらしい。
「あー、割れた画面触ってるから……」
「え、指切っちゃったの?」
「うぅ、本当に踏んだり蹴ったりだ……」
涙目になりながら、近くに水飲み場があったので駆け寄って傷を流す。
しみる。
「あ、予備のハンカチあるからどうぞ」
「ありがとう……」
鞄から未使用感溢れるハンカチを取り出す命。
ありがたくそれを受け取ると、濡れた手を慎重に拭く。
「それから、指出してもらっていいですか?」
引き続き鞄の中を漁りながらそう言う命に従い、切った人差し指を差し出すと――
「はい、これでよし。いやあ、本当に災難だったねえ」
ぺたりと、絆創膏が貼られた。真ん中にクマのイラストが描かれている。かわいい。
というか――
「何この女子力……!」
「うん、命は時々おばちゃんみたいになるんだよ」
「いやあ、それほどでも」
褒められてるかどうか微妙なところだが、命は嬉しそうである。
「ふふっ……」
それが可笑しくて、灯里は二人に気付かれないくらい小さく笑う。
確かに災難な一日ではあったけど――
「さて。これからどうしましょうか。ケータイがそれじゃ友達とも連絡取れないよねえ」
「誰かの番号を覚えてたりしたら、俺か命のケータイで代わりに掛けてもいいけど……」
いいことも、ちゃんとあった。
相談する二人を見ながら、顔が綻ぶのを感じる。
「あの……もし二人さえよければなんだけど」
そして、ここから今日一日をプラスに持って行くこともできる気がした。
「まだ時間あるし、一緒に回りませんか?」
ちょっとドキドキしながら、灯里は提案する。
「え、僕たちはいいですけど……ねえ、結くん」
「ん、全然いいけど。それでいいの?」
二人はちょっと驚いたように、でも笑顔でそう答えてくれた。
「うん! よーし、ここまでの分取り戻すよ!」
灯里は、今日一番の楽しそうな顔で笑った。




